安倍総理大臣とその妻とこの学園との関わり方がその疑惑の中心でもある。
保守の会会長 松山昭彦氏がそのブログ「さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」でこの疑惑に真っ向から反論しているようだ。『桜の花びらの「日本人よ誇りを持とう」』というブログである。
<桜の花びら=日本人よ、誇りを持とう>、この図式について私なりの見解をエッセイにまとめていたので、以下に再度掲載したい。
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「かへらじと かねて思へば梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる」
(生きては還るまいと予め決心したから、鬼籍に入る我らの名をここに書き留めるのである。(通釈))
南北朝時代の武将、楠木正行(くすのき まさつら)が吉野の如意輪堂の壁板に記した辞世の句である。『正行が摂津で北朝軍を破った翌年の正平二年(1347)十二月、(足利)尊氏は高師直・師泰ら諸将を派遣、軍兵六万が淀川の両岸に充満した。決戦を前に、正行は弟正時・和田賢秀ら一族を率いて吉野行宮に参上、後村上天皇より「朕汝を以て股肱とす。慎んで命を全うすべし」との仰せを頂いた。その後後醍醐天皇の御廟に参り、如意輪堂の壁板に各自の名を記して、その奥にこの歌を書き付けたという。(「 やまとうた」より引用)』
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歌に詠まれた「梓(あずさ)弓」は、梓の木から作られた弓で、その梓はミズメザクラ(水目桜)のことだそうだ。この句が詠まれたのは千本桜の名所吉野山の中腹にある 如意輪寺の本堂(如意輪堂)である。「一目千本」と称されるこの山のサクラはシロヤマザクラを中心としている。
我々が上野辺りの花見で親しんでいるソメイヨシノは「ヨシノ」を名乗っているが、江戸(染井村=現:駒込・後述)で人工作出(クローン)された園芸用品種であって、自生するヤマザクラとは異なる。

(黒目川のソメイヨシノ - Rolleiflex SL66, Carl Zeiss Planar 120mm, Kodak Ektar 100)
従って「ヨシノ」は売り名に過ぎない。ソメイヨシノが広まったのは明治の初め頃からとされている。旧幕府軍と新政府軍との間の戦争で荒廃した上野の山や戦死した官軍兵士を祀った社(靖国神社)に率先して植えられ、次第に地方に広まっていった。
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「梓(あずさ)弓」の句に立ち返ると、ヤマザクラの名所(吉野)に梓=ミズメザクラの弓ということで、句に詠まれた決心と散り際が同じサクラ同士ゆえに重ねて思い浮かびそうだが、ミズメザクラはサクラではなくカバノキ科の植物。樹皮や材観がサクラと似ているのでサクラと呼ばれているだけである。カバノキ科は○○カンバと呼ばれることが多い(ダケカンバなど)。そして、肝心の花はサクラとは似つかない趣なので本来ならミズメカンバと呼ぶ方が相応しいが、なぜか「ミズメザクラ」なのである。

(ミズメザクラ)

(ヤマザクラ)
いずれにせよ、明治維新期に小楠公の「梓(あずさ)弓」は誠忠の志を表す句として、また楠木一族は明治維新の尊王思想を照らす模範として大いに賞揚されたようである。
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そして時代が下って、江戸時代・国文学者、本居宣長は「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」と詠み桜に 物の哀れなる日本文化の美意識や価値観を見出したとされている。多分にそれは後人によって政治的に解釈され、ヤマザクラに象徴性を持たせ国花の如く紋章や名前に付け軍人の行動規範や総国民の価値観に適用し始めたのは、大正時代である。桜の図柄としてはその象徴性ゆえに園芸品種のソメイヨシノではなく、ヤマザクラが用いられることが多かったようだ。

(特攻機「桜花』)
山中の様々な木々に混ざって清楚且つ奥ゆかしいヤマザクラの佇まいを宣長は日本人の精神の象徴の一つとして詠んだ迄で、大正時代になって、清楚・奥ゆかしさとは真逆のこれぞとばかりに爛漫と咲くが如くのナショナリズムの発揚に宣長のヤマザクラを借用したというのが本当のところだろう。散るを不吉として江戸時代までサクラを家紋とする武家は少ない(細川氏は桜紋であったが、「物好きの紋」と呼ばれていたそうだ)。咲き続けるサクラよりも散り急ぐサクラに価値転換をしたのも大正時代からである。
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散った桜の花びらが水面を覆い尽くす風情を「花筏(はないかだ)」と呼ぶ。

(花筏)
淀んだ川であろうと芥の漂う沼であろうと「花筏」は美しく覆い隠す。そんなサクラを以て「死んで花実が咲く」が如く死の臭いを糊塗する意味を軍部に与え、総国民を戦争遂行の為に動員した政治(翼賛体制)があったことを我々は忘れがちである。
元部下(加藤大介)から「けど艦長、これでもし日本が勝ってたら、どうなってますかね。」と問われて「・・・けど、負けてよかったじゃないか。」と応える元艦長(笠 智衆)(小津安二郎「秋刀魚の味」)を思い出した。
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ミズメザクラに代表されるカバノキ科は、山火事の後に最初に自生する程の強い生命力を持っていることから「生命力」を表す樹木として知られている。
梓(あずさ)が皇太子徳仁親王の御印であることから、それはミズメザクラと解する人がいるようだが、実際はノウゼンカズラ科のキササゲとのこと。ミズメザクラで弓を作れば小楠公の武器となる。しかし、硬くてしなりがないキササゲでは弓は作れない。キササゲは古くから叛木に用いた。本を出版することを「上梓(じょうし)」と言うのもこの由来である。

(キササゲ)
文字を刻む・書物を著す=梓(キササゲ)が皇太子殿下の御印であることは実に相応しい。キササゲには弓となる尊王思想や誠忠の志の花実はつかない。そして、美智子皇后の御印はカバノキ科の白樺で花ことばは「知恵のある人、温順」。
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他方、日本の伝統文化の復興と保持を目指し 日本人本来の「心」を取り戻すべく設立された日本最初の歴史文化衛星放送局「 日本文化チャンネル桜」は草莽崛起を掲げる在野の民衆( 在野の民衆?)だそうだ。しかし崛起の対象たる権力=安倍晋三内閣と思想的親和性が高い。日本人本来の「心」を「桜」にまたも復古(大正時代)・象徴し「花筏」を浮かべようとしているのかもしれない。
死の臭いを桜の花の美しさで糊塗するいつか通った道にまた戻る日があってはならない。
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。(中略)おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。(「桜の樹の下には」昭和3年 / 梶井基次郎)」
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ソメイヨシノは一般に寿命は60年と言われている。千鳥ヶ淵や上野公園のソメイヨシノも花つきが悪いものは樹齢が寿命に達しつつある。人工作出(クローン)ゆえに、同種では自然交配・自生しない。従って、ソメイヨシノの群落では老木は切り倒して新しい樹に植え替えなければならない。

(浅草隅田川公園のソメイヨシノ - Rolleiflex SL66, 拡大鏡レンズ, Fuji-pro 160 NS)
明治の初め、上野の山の戦争の痕に植えたソメイヨシノの多くはその寿命を全うすることなく太平洋戦争下の空襲で失われ( 駒込地区の例)、その後、同じ場所に新たに植えたソメイヨシノの樹齢分、我が国は不戦を保っている。不戦の誓いの証であり続けるならば、もはや美しく咲く必要はない。
爛漫と見事であらねばならないとばかりに策を弄し『日本人本来の「心」を取り戻す』象徴を持たせてはならない。
「心」を取り戻したければ、山野にひっそりと自生するヤマザクラに出会うだけで十分である。策も糊塗するものもない存在こそ「心」が問うべきであろう。そう宣長は詠ったに違いない。
(おわり)
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