博打はさいころの「丁か半か」転じて「一か八か」の世界である。しくじれば「身ぐるみ脱いで すってんてん」となるのが通り相場と決まっている。敗者復活戦などない一発勝負である。
こんな句を詠んで(辞世の句)、まさに「すってんてん」になって自死したのは甘粕正彦だった(甘粕については拙稿「縁(えにし)の糸」で触れた)。

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そんな博打の「一か八か」の末の「すってんてん」と一脈通じるような、<ビット腐敗(bit rot)>と呼ばれる問題が存在する。
「ビット (bit) は、ほとんどのデジタルコンピュータが扱うデータの最小単位。(wikipedia)」で、腐敗(rot)は文字通り痛んで朽ちること。
「ビット(bit)」が「一か八か」なら、腐敗(rot)は「すってんてん」になるという訳である。
即ち、電子データを構成するビット(1ビットでは0か1、2ビットでは00, 01, 10, 11のいずれかが格納される)が一部でも何らかの理由で読み出し不可能となると、データ全体が読み取り不可能(朽ちる)となる問題のことである。
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パソコンのハードディスク(HD)で<ビット腐敗>を経験した人は多いと思う。HDに磁気記録されているビットが、経年によって磁気が弱まるなどして読み取れなくなる現象である。
古いCDやDVDでもディスクがマウント(認識)できないことがあるが、これもディスクの記録面の経年劣化による<ビット腐敗>である。
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<ビット腐敗>しない永久記憶媒体というものは今のところ存在しないので、定期的に新たな媒体にデータをバックアップすることが一般的な対策である。
では、バックアップさえしておけば将来も読み出し可能かというと、そうではない。データフォーマット自体が技術的に陳腐化すれば読み出しは不可能となる。上位のフォーマットにコンバート(変換)すれば良さそうだが、変換・保存を繰り返せば元の情報は失われることもある(非可逆圧縮など劣化を伴う圧縮形式で画像データを変換し再保存する場合など)。

(非可逆圧縮で変換・再保存を繰り返して元の情報が失われた画像データ)
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古代エジプト人が石やパピルスに刻んだ文字や絵は数千年の今日も読み取り可能であるが、では、今日の電磁的記録(特にデジタル)が数千年後に読み取り可能である可能性は今のところゼロである。いやいや、数十年後でもゼロかもしれない。数十年後でもむしろアナログレコードやアナログフィルムは読み出し可能に残っているかもしれない(読み出す装置も含めて)。紙媒体の書籍や写真ならもっと大丈夫だろう。
記憶媒体(ハード)や記録形式、読み取る為のアプリケーション(ソフト)は産業技術であり市場経済原理が働く。つまり、企業が「儲かる」ことが前提であり、「儲からなければ」続けないし投資しない。「儲かる」ことを前提に技術は革新される一方、古い技術は捨てられ陳腐化する。データフォーマットが陳腐化する=データが読み出し不可能となるとは、企業が業界にとって「儲からなくなって」捨てたデータフォーマットとも言える。捨てたフォーマットであろうと、将来に亘って読み出し(復元)可能とする投資をする道理は企業にはないだろう。
アナログレコードやアナログフィルムは<ビット>というデータ全体が崩壊する単位がないので、一部でも何らかの理由で読み取り不可能となると、データ全体が読み取り不可能(朽ちる)となる問題(ビット腐敗)はない。従って、企業が陳腐化したとして捨てても、記憶媒体としては石やパピルス(紙)と同じくそれなりに生き続けることができる。
雑(アナログ)なるが故に強いのである。
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<ビット腐敗>という「すってんてん」となる宿命を背負った電磁的記録は、1980年代から現在まで膨大な情報を蓄積してきた。市場経済原理に基づく技術革新がある限り<ビット腐敗>は現象として顕著化するだろう。
アナログビデオのように信号の波形をその通り記録すれば、経年の磁気劣化で波形が崩れても、ノイズが増えることはあってもデータ全体が全く読み出し不可能(朽ちる)となる可能性は少ない。「身ぐるみ」程度は残して済む(テープ等媒体や再生装置がそれなりに健全であれば)。電磁的記録の中でもアナログは雑なるが故に強い(「ピュアは毒なり」)。
他方、デジタルは<ビット>でデータが構成されている為、<ビット腐敗>は免れない。デジタル社会で蓄積されてきた情報は<ビット>であり、<ビット腐敗>とは<デジタル暗黒時代>の到来を意味する。
<デジタル暗黒時代>は、過去<ビット>で蓄積してきたデジタル社会のあらゆる情報が読み出し不可能となって朽ちてしまう近未来を意味している。「身ぐるみ脱いで すってんてん」である。
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図書館の蔵書電子化が進んでいる。電子化が終わった書籍は捨てることはないだろうが、破れたり汚れたりすればいずれ処分される。どこかから寄贈されない限り、紙の書籍が追完されることはないだろう。出版社ですら紙媒体は陳腐(儲からない)とみなして、紙での再版には及び腰である。そんな状況では図書館も<ビット>があれば紙(アナログ)は要らないと考えるかもしれない。
フィルムについては既に述べた通り(「捨てるに捨てられなくて」)。世間では、電子化したDVDがあればフィルムは捨てても良いようなイメージが持たれている。
要らぬと処分することは「大ばくち」かもしれない。
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アナログの波形が<連続>であるのに対して、デジタルのビットは<離散(非連続)>である。
針のある時計(アナログ時計)では文字盤上の針の角度から時間の変化の量(連続量)を読み取るが、数字だけの時計(デジタル時計)では飛び飛びの時間の値を区切って示す(離散量)。
デジタル時計では、13:20:52(13時20分52秒)といった具合に表示されるが、もし分を表す数字(20)の液晶が壊れて表示できなくなったら13時52秒であることは判っても、時計としては機能しないだろう。
アナログ時計で、長針と秒針が外れてしまって、短針だけになってもその位置から凡そ時間が割り出せる(日時計の単針と同じ)。
アナログ時計はその変化の量(連続量)から時間を観測するのに適している。私の場合、試験会場で答案用紙に立ち向かう時もアナログ時計の方が残り時間を把握し易い。デジタル時計だと何とも落ち着かないし不安になる。
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<ビット腐敗>問題は不思議と今の世相に通じているところがある。
拙稿<綴るという行為>で、
「スマートフォンを四六時中撫で回して<選択>に勤しむことで、人間はどんどん頭脳を使わなくなる。ピクトグラムにばかり反応するデジタル時代の文盲が増え、他者を忖度することもなく、複雑なことも二元論的に単純化して白黒と<選択>する社会から、法秩序の連続性すら簡単に断ち切る首相が生まれるのである。斟酌論考の軌跡のない出所不明の怪文書的政治に「この道しかない」と彼は言うが、<綴るという行為>を示さずにその先に道を見る事も究めることもできないのである。」と記した。
<綴るという行為>は極めてアナログ的である。文字一つ連続的な軌跡を必要とするように、その精神的労力において連続性を断ち切ることはできない。
ところが、<選択>するだけなら、「ネット上で適当に<選択>してコラボレーションすれば、小保方さんや佐野さんが堂々と主張するような著作物?になる時代である。」
小保方さんも佐野さんも「著作物」に「斟酌論考の軌跡」はない。
この国の自称最高責任者にもこれは当てはまる。すなわち、アナログ時計のように過去長い月日を費やして斟酌論考を重ねて積み上げてきた歴史認識や憲法解釈(原本)も紙やフィルムの如く陳腐とばかりにポイッと捨てて、デジタル時計の数字のような寄せ集めた話にすり替えてしまう(ホルムズ海峡の機雷と隣家の火事の話など)。その場の都合に合わせた話に過ぎないので、時間が経つと陳腐化する(ホルムズ海峡の機雷の話はもう古いらしい)。コラボばかりなので、論理的に整合がない。
原本さえ捨ててしまえば、あとは都合に任せて書き換え(コンバート)のみ。<未来志向>の元に原本(過去)に立ち返らない。そして皮膚感覚・条件反射的にポチッと<いいね>とクリックでデジタル社会・世代には受けの良い「ピクトグラム」政治である。Abe-Marioは<いいね>とくる。
異次元的金融緩和もTPPも「大ばくち」である。「身ぐるみ脱いで すってんてん」となったと、後で振り返るような「デジタル暗黒時代」が政治についてもこのままでは当て嵌まりそうである。
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そして「五輪」という破壊。「儲けにならない」過去のフォーマットを一掃するチャンスなのだろう。市川昆監督が僅か半世紀前にカメラに捉えた「国立競技場」は跡形もなく、「原宿駅」など歴史的建造物ですら例外ではない。
文化資産の多くは書き換え(コンバート)の利かない「儲けにならない」要素を含んでいる。「儲かる・儲からない」は度外視して、社会資産として保全するのが成熟した国家というものである。
社会関係資本も同様である。田畑や山林など国土保全の為に必要なコミュニティは書き換え(コンバート)の利かない「儲けにならない」要素を含んでいる。TPPでは「儲けにならない」コミュニティは朽ちるに任せることだろう。
<ビット腐敗>問題で「インターネットの父」Vinton Cerf氏(米Googleでチーフ・インターネット・エバンジェリスト)がGuardianのインタビューに対して残した忠告は、「本当に大切な写真があれば、プリントして残せ。」だった(「ましかくプリント」)。
つまり、アナログが解決法ということ(「紙は最強なり」)。自分の存在を後世に証明する術を捨てないことである。
紙やフィルムから、歴史解釈や法秩序の連続性に至るまで。
(おわり)
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