2016年10月03日

一枚の舌と二個の耳

「天は一枚の舌と二個の耳とを人間に與えた。」

西勝造(以下「西博士」)といえば、かの有名な西式健康法の開祖である。現在の健康ブームも元を辿ればここに行き着く。俳優 榎木孝明氏が実践した断食法(安易に行ってはいけない)も西健康法の傍系のようだ。

戦前、西博士は度々、講演のために渡満(満州国)したこともあって、白系ロシア人を介して現在では我が国ばかりかロシアにも多くの信奉者がいる。


(ロシア人が実践する、「金魚運動」)

金魚運動.jpeg
(図の著作物の著作権保護期間満了に付き、掲載)

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私の曽祖父はその渡満の架け橋を務め西銘会の会長を務めるなど、西博士を相当以上の物心両面で支えた。

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『わたくしは西式のような価値高いものを、日本内地にだけ埋もれさせておく手はないと考え、昭和十一年西式を満州に導入する計画を立てたものだ。当時、満鉄の筆頭理事であった工学博士・国沢新兵衛氏の御口添えで、西先生の満州招聘は円満にはこばれた。(中略)経費その他については、朝鮮の方は志木新太郎氏が、また満鉄関係以外の費用はわたくしが負担することになったのである。』

戦後、満州から無一文で内地に引き上げてきて、『子供らは「おとうさんが西式に投じた金が、いま残っていたら。」とくやしそうに口外することがある。しかし、わたくしは「その金がいま残っていたら、わたくしの命はとうの昔にあの世に行ってしまっていたろう。」と、笑ってすませている。』と「西医学」第二十五巻第五号(昭和三十七年十一月号)に投稿している。

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そんな曽祖父にとって、忘れることのできない追憶が一つあったようだ。

『西先生とクリマグ(下剤)の六大製薬会社の前川専務が衝突した一場面である。昭和十七年の夏のことで、いまは名称が変わってしまったが、当時、新宿ホテルと呼んでいたホテルの二階での出来事である。わたくしは、両方の関係者から委嘱された立会人として列席したのである。前川専務は一つ一つの事実を列挙して、西先生に迫ったが、西先生は一言も弁解しなかった。わたくしは、胸がわくわくする程、前川専務の言動が癪にさわったが、立会人である以上、軽率なことはできなかった。そして最後に西先生は「君の言うのはそれだけか、よくわかった。」と、いって席を立たれた。そして結果は衝突前の状態に返っただけである。わたくしは狐にだまされたような、わけのわからない状態に放り出された。自分の子飼いの部下にあれだけ罵られて、しかも一言の弁解もせぬ西先生の忍耐心と度量に、わたくしは年甲斐もなく感心させられた。それから数年して前川専務は急逝されたのである。』

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「天は一枚の舌と二個の耳とを人間に與えた。我々は話すことの二倍だけ、人から聴かなければならぬ。」とぐっと中指(怒を掌る)を圧迫して西博士は聴いていたことだろう。

そんな胆力の座った人にはなかなかなれないものだが、その逆ならこの国の自称最高責任者など見つけるのは容易い。

(おわり)
posted by ihagee at 03:14| エッセイ