(メッサーシュミット Me262 ミュンヘン・ドイツ博物館展示物・筆者撮影)
学生時代によく読んだ佐貫亦男氏の著作物。その中でも絶版になって久しい『発想のモザイク』(中央公論社)の古本を手にいれた。時代は経ても頁をめくるごとに今もって頷首させられる本である。その『発想のモザイク』を中心に、いささか逍遥と話を展開してみようと思う。なお、そのモザイクの結晶とも言える制御関数グラフが多数この本には載っているが、著作権の問題があるので転載はしない。文章の一部のみ引用させて頂く。
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「ドイツの精密機械の秘密は、よい設計をし、よい材料とよい工作機械を使い、よい検査器具でチェックするという、あくまで正道以外のなにものでもない」
「民族の心がその製品によって理解できると信じている。それは ちょうど、書いた文字によって人がらが看破できるのと同じである。したがって、 もろもろの道具は、絶対に枝葉末節ではない。それは民族の心をのぞきこむ窓である。(『ドイツ道具の旅』(光人社 1987年)」(下線は小生で付した。以下同様)
戦前、技術士官として軍命によりナチス政権下のドイツ・ユンカース社でプロペラ技術を学び、戦後は専門の航空工学を中心に幅広い話題で洒脱且つ軽妙なエッセイを著した佐貫亦男氏の言葉である。
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我々の先人は明治期に産業技術の多くをドイツ(プロイセン)から学ぼうとした。
「鉄(武器)と血(兵士)によって問題は解決される(ビスマルク)」の言葉の下、軍需を中心として工業化が急速に進展したまさにその頃のドイツである。そして同時に倣ったのは、軍需を中心とする工業化の過程とその為の政策(富国強兵)であった。ドイツ帝国成立と明治維新がほぼ同時期に起こったこともあり、明治政府は新生ドイツを近代化の第一のモデルとしたのである。我が国にそれまで存在しなかった、旋盤などの工作機械もこの時期より大量に欧米から輸入され、一部は池貝庄太郎氏などによって国産化が図られた。
しかし、太平洋戦争に敗れるまでに日本人が欧米と技術レベルを競い合えたのは軍需部門における「よい設計」のみであったと言われる(航空機・船舶)。その他の、材料、工作機械、検査器具は大きく立ち遅れていた。
工作機械については、当初米国から多くを輸入していたが、日米関係の悪化に伴い(1940年(昭和15年)6月 特殊工作機械等の対日輸出の許可制に始まるABCD包囲網)、ドイツ、スイスが第一の調達先となった。それも第二次世界大戦でドイツからの船舶による機械輸入が困難となり、辛うじて残されたシベリア鉄道経由ルートも昭和16年の独ソ戦で途絶してしまった(工作機械の一部はその設計図面とともになおもドイツ潜水艦によって日本に運ばれたと言われる)。この辺りの事情は「ドイツ製工作機械の山本」の異名をとった山本敬蔵(山本商会)の歴史に詳しい。
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戦後、「本田宗一郎は浜松の物置小屋のような小工場で、軍の使い残しの発電用ガソリン・エンジンを改造しオートバイを製造した。当時の日本は足を失っていたから、走れるものはなんでも売れた。話はここから始まる。(中略)オートバイはよく売れたが、利益は全部工場敷地と工作機械の購入に投じた。しかも工作機械はドイツおよびスイスから大量に、当時のホンダとしては身分不相応なほど、というよりも業界と商社にセンセーションを起こした程度にまとめて買いつけた。当時は三菱の工場ですらも虫の息で、外国の一流工作機械はほとんど見当たらなかったほどである。よい製品はよい工作機械で、あるいは表現を変えれば、ドイツの製品を製作している工作機械を使えばドイツと同じ程度の製品ができる、というのが本田社長の信念であった。あとは設計だけの問題で、それについては自身があった。」(『発想のモザイク』より)
前述の山本敬蔵の異名を民生品において本田宗一郎が受け継いだとも言える。
つまり、民生品において、「先ずはよい工作機械を」というロジックを日本人で初めて理解したのが本田であった。「そんなわかりきったことを、といってはならない。第二次世界大戦前の日本の民需産業では、とてもドイツやスイスの一流工作機械を購入するだけの設備投資ができなかった。そのような設備は軍需産業だけが可能で、日本人は、文字通りバターよりも大砲を、の生活をしていた。本田社長はこの文句の配列を変えただけである。」(『発想のモザイク』より)
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「配列を変えただけである。」しかし、その結果は絶大であった。朝鮮戦争による特需(外因)や安価な労働力、手先の器用さ、勤勉さなどは、それに比べれば副要因である。ちなみに中国の今日の経済発展はこの本田宗一郎が発見した「(民生品に)先ずはよい工作機械を」というロジックの真似とも言える。
佐貫氏が『発想のモザイク』を著した昭和47年、まさにその結果たるや、日本は高度経済成長期の只中にあった。前年のニクソン・ショックも切り抜け、実質経済成長が平均年率9.5%の時代である(昭和48年までの15年間)。その昭和47年、社会学者エズラ・ヴォーゲルは『ジャパン・アズ・ナンバーワン(Japan as Number One: Lessons for America)』を著した。日本の高度経済成長の要因を日本的経営と日本人の勤勉な習慣に発見したとし、翻訳本は一躍ベストセラーになった。「アメリカへの教訓」(日本に見習え)という副題が示すように、多くの日本人は経済・産業の面で欧米にもはや学ぶものはないとの優位観に浸っていた。司馬遼太郎の『坂の上の雲』、イザヤ・ベンダサン『日本人とユダヤ人』もこの時代の作品である。これらの作品の基調にある日本回帰、日本人の異質ゆえの特異性への賞賛は日本人に広く膾炙された。
その宴の中で、一人佐貫氏は「評価の際に感情に溺れてはならないことが重大な教訓であり、これはまた日本人の発想に関する警告でもある。」(『発想のモザイク』あとがき)と記していたのである。
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「ドイツの精密機械の秘密は、よい設計をし、よい材料とよい工作機械を使い、よい検査器具でチェックするという、あくまで正道以外のなにものでもない」
これらの「よい」を揃え、その順番を変えてみたらあっという間に日本は大きな経済成長を達成してしまった。
しかし、平成3年から現在に至るまで先の見えないリセッションの暗闇に入り込んだままである。ソニーの製品をして、アップル社のスティーブ・ジョブズは「累々と海辺に打ち上げられた死んだ魚」と評したのも記憶に新しい。そして今やソニー自体が死んだ魚になりかかっている。高度経済成長期に積み上げたブランドイメージと技術力を取り崩しても、もはや見える道の先は僅かというアイロニーである。
技術革新の途方もない「長い道」を乗り切るための正に「正道」。それは「民族の心(国民性)」にあると佐貫氏は説いている(ここが『発想のモザイク』の本旨であり躍如たる部分である)。
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佐貫氏は技術者らしく、制御工学での伝達関数(比例型・時間遅れ型・微分型・積分型)、時定数(大/中/小)、ゲイン(小〜大/不定)、入力点(自己・相手)を用いて、その「国民性の違い」による「発想のパターンの違い」をグラフ化(制御関数グラフ)して解析している。ここではその詳細は述べない。
ドイツ人と日本人、そしてアメリカ人の発想のパターンの違いは以下に要約されている(『発想のモザイク』から)
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「ドイツ人:発想の原点=自己、発想の方式=積分回路的、時定数=中、ゲイン=大
ドイツ人の発想原点が自己の内にある。これは相手の立場をほとんど考慮に入れず、自己の立場だけから発想して相手に押しつけることである。(中略)彼らの発想方式が積分的で、相手の挙動をある時間だけ観察積算してデータを得ようとする。」
「積分回路というのは、入力(刺激)を積分(時間的に加算)して出力(反応)とする、機械的あるいは電気的装置である。それは過去における誤差が現在まで影響を及ぼすことを除くような場合に使われる。(中略)ドイツ人の積分回路的発想は流行の傾向を把握するような場合には向かない。ただし、実験結果の整理、文献や統計資料の調査、とくにその規模が膨大なときには威力を発揮する。(中略)ドイツ人の発想が入力(刺激)の傾向をつかむ努力よりも、入力の集積を算定することに興味をもつ事実(中略)しかも、積分回路はひらめきでなしに蓄積であるから、時間遅れは切り離すことのできない固有特性である。」
「最後の発想要因としてゲイン(増幅度)がある。これは出力にかける増幅度で、もちろん大きいことが望ましい。しかし考えなしにゲインを大きくすると、出力が不安定になることがあるとは自動制御で教えるところである。これをたとえていうと、滑りやすい凍結した道路を歩行するとき、いきなり大股で踏み出すと顛倒することに似ている。用心深い人は、初め小股に、すなわち、ゲインを下げて歩み出し、様子がわかったところで漸次ゲインを上げる。ゲインを上げすぎて顛倒した例はドイツ人の歴史に数多く記されている。ただし、顛倒から起き上がるゲインの大きさもまたドイツ人の特性である。」
「日本人:発想の原点=相手、発想方式=微分回路的、時定数=小、ゲイン=大
日本人の発想原点が相手の内にある理由は、発想方式が微分回路的であるけれども、時定数が小さくてほとんどゼロだから、真の微分Tsに近いためであろう。したがって、日本人の発想は相手の初動に振りまわされて自己の持ち味を発揮できないことが多いという結果になる。(中略)突発入力に対しては一瞬だけ衝撃的に反応を示すけれども、あとはしゅんと静まりかえって忘れ去るように見える。たとえば、なにか事件が発生したときの日本の週刊誌を見るがよい。時定数は七日にすぎない。(中略)日本人は漸変入力に対して、一時正しく反応する気配を見せるけれども、なにかスパートしない限り反応が思わしくない。ただし、日本人の平均的特性としてゲイン(増幅度)が大きく、これが反応をかなり実りのあるものにする。ゲインが大きいことは、発想の不安定発散につながるが、近世における日本の最大発散は太平洋戦争の敗戦であろう。これはゲインを抑制すれば防ぎえた現象であった。もっとも、同じゲインが戦後の経済成長に結びつくのであるから、原因と結果は循環小数のようなもので、途中で断ち切ることは不可能である。」
「アメリカ人:発想の原点=自己、発想の方式=遅れのある比例回路的、時定数=小、ゲイン=大
アメリカ人の発想原点は自己の中にある、というよりも自己以外しか頼るものがないから当然の帰結であり、(中略)アメリカ人の時定数はかなり小さく、まず比例回路的で、入力曲線がほぼそのまま出力曲線になる。純粋比例回路は「正直な」回路である反面において不安定になる危険はない。そしてアメリカ人の場合ゲインは強大であるから打つ手は迫力に満ちている。(中略)技術開発におけるアメリカ人の発想は、まさに遅れのほとんどない比例回路的で、ちょうど第二次世界大戦における作戦が正則そのものであった(それがわかっていながら日独両国とも対抗することができなかった)と同様に正統派である。マンハッタン計画による原爆開発とアポロ計画による有人月着陸はその模範である。これらの作業は、あるいは積分回路的といえるかもしれないが、単に過去における蓄積とその延長ではなくて、壮大な展望を入力とする出力であるから、比例回路というべきであろう。」
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ここで、上述の「国民性」の分析とその違い(日独間)を照らすに相応しい二つのエピソードを以下引用したい。一つは、ドイツの工作機械について、もう一つは、そのドイツに技術の源流を持つ、スイスの工作機械についてである。
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ドイツの工作機械についてのエピソード:
ドイツの工作機械が今以て、世界で最も信頼性が高く、且つ中国などの製品と比べて圧倒的に割高にもかかわらず、その生産高で世界第一位であることは、以下のエピソードを上述の分析に照らすと判りやすい。
『ワインのように鋳物を「熟成」させる:
その工場を訪問したら、工場の裏庭にベッド鋳物(工作機械の架台)がたくさん放置してあって、錆だらけだった。「不良品が多いからなのか?それとも注文の受け間違いが多いのか?」と思ったら、大間違い。説明によれば「枯らしているのです」とのこと。鋳物を溶融した鉄が冷える際に、歪みが鋳物の中にたまる。これが時間とともに鋳物にゆがみをもたらす。だから日本では熱処理をして、焼き鈍(なま)し、焼きならし等をして内部応力を取り除く。だが、一番いいのは鋳物を枯らせることだ。つまり、時には10年以上をかけて狂うだけ狂わせて、安定した状態になった鋳物を使うことだ。しかし、この方法は時間がかかるし、その間、資金が寝てしまうことになり、コスト高の要因になる。しかも、10年も前の鋳物を使うわけだから、設計変更は無理だ。日本の工作機械は熱処理で歪みを取り、NC装置を導入し、ベッド鋳物も余分なところを削り取ってリブ構造にして、強度的に変わらないが軽いものを作ってきた。ドイツは現状な構造の機械をあまり設計を変えずに、作り続けてきた。私がびっくりしたのは、ボルトも干し柿のようにして、枯らしていたことだった。製造年月が書いてあって、「1974年もの」等々、まるでワインのようだった。「なるほど。ここまで徹底すれば精度も出るわ」と思った。「日本企業は主軸から設計を始める。ドイツ企業はベッド(架台)から設計を始める」と言われる。日本企業はニーズ最優先。だからユーザニーズに合う主軸から設計し始め、最後にその要求に合うようベッドを設計する。一方、ドイツは工作機械はどうあるべきかということでベッドを設計し、堅牢なハウジングを設計し、保持台を設計し、最後に主軸を設計するという。だからこそ、先ほどのようにベッドを大量に作って枯らしておくということができる。日本はユーザオリエンテッドなので設計がどんどん変わる。だから、ベッドの設計もどんどん変わる。』
(『工場の裏庭で見たドイツの工作機械の秘密/日本と異なる設計の根本思想』(にっぽん経営サミット/政策研究大学院大学教授の橋本久義氏JBpress 2011年2月28日記事)
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スイスの工作機械についてのエピソード:
『SIPの治具ボール盤:
SIPは、Société genevoise d’instruments de physique (SIP) (小生註:2006年にStarrag Groupに吸収された)(中略)・・・SIP社の歴史はけっして順調なものではなかったが、その歴史がそのままスイス精密機械工業の歴史、あるいはスイス技術革新の過程といってよく、(中略)創立者ド・ラ・リーブ(小生註:ジュネーブの物理学者)がつぎの世代を負う後継者として発見し(た)テオデュール・トゥレチーニ(1845〜1916)である。トゥレチーニはローザンヌ工業学校を卒業した若い技術者で、学者だけでやってきた試験工場的な会社を近代的にしようとするド・ラ・リーブの意図に沿う有能な人物であることがわかった。(中略)トゥレチーニは姓の示す通りイタリア系であること、技術を習得するためにドイツ、とくにベルリンのジーメンス・ハルスケ社工場にはいったことである。(中略)彼の末子フェルナン・トゥレチーニ(1882〜1951)もチューリッヒ工科大学を卒業後ドイツなどへ修行に出ている。(中略)SIP社がポインチングマシンから治具ボール盤に技術革新したのは第一次大戦後で、1919年に時計用の小型を開発し、1921年にMP-4型と称する一般機械工業用を試作している。MP-4型の第一号機はイギリスの小銃会社が購入してくれて、「工作技術の革命」と激賞された。1923年の大型MP-5はやはりイギリスの武器会社メトロポリタン・ビッカース社が買い、翌年にはアメリカのフォード自動車会社が18台まとめて買った。同じころ、アメリカの飛行機購入使節団がヨーロッパにきて、飛行機のかわりにSIP社の治具ボール盤を多数買いつけて帰ったというエピソードもある。(中略)日本でもSIP治具ボール盤は、(中略)日本陸海軍が崩壊した後には、意外な役割を果たした。私の勤めていた会社はもともと楽器製造であったが(小生註:日本楽器製造・現:ヤマハ)であったが、戦時中はプロペラを生産していた。それが戦後に再び楽器製造に復帰したとき、SIP治具ボール盤でハーモニカのリード(舌)取りつけ穴あけ治具を作って量産を始めた。そもそもハーモニカというものは小工場で作る品種で、リードを植えては女工が吹いてみてヤスリで削って調律(このとき黄銅の粉末を吸って職業病が発生していた)するものである。それを治具ボール盤の精度で植えるのだから調律の必要(職業病も)は消滅した。この量産ハーモニカは輸出されて、たちまち世界小工場の製品を駆逐した。似たような工程によるベルトコンベヤーに乗せたピアノは、流れ作業から世界の市場へ送り出されて、旧式な手作業によるドイツ、アメリカのピアノを圧倒した。(中略)ジュネーブにある会社を私は第二次世界大戦後に訪れたことがある。(中略)機械工作による誤差を型板によって除去したり、部品の巧妙な組み合わせによって集積誤差を払ったりする勤勉を積み重ねる。私がセールスマネージャーに、アメリカなどが資本にものをいわせて追撃してくる傾向にどう対抗しますかと聞くと、声を張り上げて「われわれの90年(当時)にわたる経験を金で買えるでしょうか?」と反問した。この心意気はチューリヒの歯車研磨盤工場マーグ社(小生註:現FLSmith MAAG GEAR社)で、世界が工業化してくるとき、スイスはどう対処するかと私が質問したのに対して、応対した重役がきっとなって「世界が工業化すればするほどスイスの機械が要るはずです」と返事したことに通じるものがある。』(『発想のモザイク』から)
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「ドイツ人の発想が入力(刺激)の傾向をつかむ努力よりも、入力の集積を算定することに興味をもつ事実(中略)しかも、積分回路はひらめきでなしに蓄積であるから、時間遅れは切り離すことのできない固有特性である。」まさに、その通りのことがこの「ワインのように鋳物を熟成させる」話からも理解できる。
そこには「工作機械はどうあるべきか」という根本思想がある。その思想は膨大な知識の積み上げであり、その結果の「べき」という確信であろう。これを佐貫氏は「一般にけっして明晰な頭脳とは思えないドイツ人の、その絶えざる頭脳回転の激しさ、いいかえると思考実験における頻度の高さ、それによる量的な発展から質的な発展への昇華」(『発想のモザイク』から)と評している。
そのプロセスにおいて10年寝かすも必然なる「時間遅れ」である。結果、昇華した「普遍」とも言える質を元に、最小限の設計変更で、技術革新の途方もない「長い道」を乗り切ることができるのである。ひらめきよりも「過去における誤差が現在まで影響を及ぼすことを除く」ことが技術の底にあるのであろう。
対照的に日本の工作機械では、要求される寸法精度はコンピュータを駆使した数値制御(NC)に頼っている。都度設計を繰り返さなければならない。ドイツのように「過去における誤差」を10年越しで蓄積して用いるような「積分回路的」発想はここでは生まれない。また最小限の設計変更もここではできない。
大局的にみると、ドイツ人の発想には大当たりがない。が、食いはぐれもない。日本人の発想にはしばしば、大当たりがある。しかし、食いはぐれも多い。
つまり、日本人の発想は、大当たりがなければ、食いはぐれることも多いということになる。圧電素子のように「突発入力」を始終繰り返さなければ「衝撃的に反応」しない発想パターンなのかもしれない。そして、相手次第の発想ゆえに、入力(刺激)の傾向をつかむ努力に全精力を傾ける。その時々の入力(流行)に、また新たな入力(流行)を求めようとする点で、日本人のひらめき中心のパラパラした発想では、ある技術分野においては、ドイツのように、ワインにも干し柿にもならないということかもしれない。
さりとて、アメリカ人のように、J.F.ケネディが「人間を月に着陸させ」と壮大な展望を入力として与え、その入力を超える大ゲインを不安定さを伴わずに得られるような「比例回路的」発想にもなり切れない。
SIPの治具ボール盤のエピソードにおいても技術革新の途方もない「長い道」をこの先も乗り切ることができると確信するだけの過去の集積があるからこそ、「スイスの機械が要るはずです」と、なるのだろう。「要るはず」の通りに、ヤマハの世界の市場を席巻する製品は初め、SIPの治具ボール盤から作り出されたのである。
前述のドイツやスイスのエピソードに比較するとスケールは格段に違うが、「どうあるべきか」という根本思想と最小限の設計変更で途方もない「長い道」を乗り切ってきた企業の好例が日本にもある。よく引き合いに出されるのは、西尾正左衛門の明治中頃に発明した「亀の子たわし」一筋、その優良企業である株式会社 亀の子束子西尾商店である。
この商店、本社の佇まいまでが、その「長い道」を表している。
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革新やひらめきよりも「過去における誤差が現在まで影響を及ぼすことを除く」との前述の話。それは、ドイツの国民性に由来すると佐貫氏は言う。後天的に備わったものだろう。では、どのように備えるのだろうか?
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それはtüfeln テュフェルン=「やっかいな問題と粘り強く取り組む;小事にこだわる」、そして、verbieten フェアビーテン=「禁止する;何事にも規則を定める」なる言葉に集約されるものかもしれない。前者は職業訓練において青少年期に叩き込まれる行動様式であり、後者は社会全体で共有する遵法精神と言われる。
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tüfeln テュフェルン:
ドイツの子供たちは満10歳で進路決定をしなければならない(単なる学校の選択ではなく、将来就く職業選択の意味があり重大である)。大学進学をめざす者(ギムナジウムを選択する)以外は、実科(職業訓練)の道を選択することになり、ここで、テュフェルンについて実践と理論をデュアルに叩き込まれることになる。伝統的なマイスター制度(職業教育法に定める手工業マイスターなどの認定試験)はこの延長線上にある。
佐貫氏は、上述の制度に実を与える環境として、「長い間の科学と技術の成果の蓄積」と「そのアクセスあるいは出力装置の完備」(『発想のモザイク』から)を挙げている。
佐貫氏の時代で言えば、それはすなわち、国立図書館であり。第二次大戦中のベルリンのウンター・デン・リンデンにあった国立図書館で佐貫氏が見たものは「多くの本や資料をならべて調査する人やチームのためには、一般閲覧室の中二階に作業室 Arbeitszimmer (小生註:アルバイツ_ツィンマー)という小室がいくつもあって、そこを借りると他人の迷惑にならない。ここで文献を山のように積み上げてせっせと知識のレンガを積み上げる作業はドイツ人のアルバイトという語感であった。」(『発想のモザイク』から)
また、「技術が育つ温床は工場」であると述べ、「その工場がまたなんと多いことであろう。1943年の夏に爆撃が激しくなって、無用の者はベルリンを退去するようにと布告が出た。私は疎開先条件として、近くに工場の無いベルリン近郊ということにして探し歩いたが、それは不可能というものであった。」と述懐している。(『発想のモザイク』から)
そして、工学士(Dipl.-Ingenieur)と技師の社会的身分と評価の高さは、工科大学(Technische Universität)という、工学部を普通の大学から切り離し、「大学とはおのずから使命が異なり、国の産業の基盤を形成する人間の教育という賢明な配慮」に表れていることを指摘する。「卒業するまで合計1年の工場実習が必修条件になっている」点は、上述の「技術が育つ温床は工場」がいかに大事であるか原体験をさせる意味があるのであろう。(引用は『発想のモザイク』から)
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verbieten フェアビーテン:
遵法精神を最も表すこととして、よく引き合いに出されるのが、無改札の地下鉄(U-Bahn)である(信用乗車方式)。切符の自動販売機はあるが、改札は一切ない。切符を買わなくても乗車しようと思えばできるのだが、ここに遵法精神がある。改札や検札がなくとも切符を買って乗車するのが当然であると社会全体が共有する意識である。この社会が共有する意識を破る行為(無賃乗車)には、厳しいペナルティが課される(数倍ないし数十倍の追徴金)。
ドイツ人の遵法精神とはかくたるやは、以下のエスニック・ジョークが判りやすい。
(以下, Wikipedia から引用)
『様々な民族の人が乗った豪華客船が沈没しそうになる。それぞれの乗客を海に飛び込ませるには、どのように声をかければいいか?
・ロシア人には、海の方をさして「あっちにウォッカが流れていきました」と伝える。
・イタリア人には、「海で美女が泳いでます」と伝える。
・フランス人には、「決して海には飛び込まないで下さい」と伝える。
・イギリス人には、「こういうときにこそ紳士は海に飛び込むものです」と伝える。
・ドイツ人には、「規則ですので飛び込んでください」と伝える。
・アメリカ人には、「今飛び込めば貴方はヒーローになれるでしょう」と伝える。
・中国人には、「おいしい食材が泳いでますよ」と伝える。
・日本人には、「みなさん飛び込んでますよ」と伝える。
・韓国人「日本人はもう飛び込んでますよ」と伝える。』
遵法精神のどこが、ドイツ人の発想パターンと関係があるのか?
佐貫氏は以下のエピソードを綴る。
『戦後ハンブルクの街を歩いていたら、陸橋の前へ出た。橋の上の道は工事中であったが、市電だけは通っていた。掲示があって、「迂回のこと、ただし、市電は例外」とあった。レールの上しか走れない市電が迂回できるはずもないが、ドイツ人的発想からすれば、すべての車輛が迂回するものと思っていたら、市電が走ってきて衝突した後始末はどうする、という抗議に備えての用意であった。これは先入観のない解析性の基盤になる思考方法である。』(『発想のモザイク』から)
つまり、あり得ないとして予見だけで排除せずに、あらゆる選択肢を思考の内に入れ、そのいずれを選択すべきか・選択すべきでないかを明記し社会全体が共有する意識なのであろう。選択の主体は自己の意識であって、日本の改札機のように意識なきシステムに頼らない。
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ここで話をまとめようと思う。
佐貫氏が『発想のモザイク』を著した、昭和47年という高度経済成長期の只中での「日本人:発想の原点=相手、発想方式=微分回路的、時定数=小、ゲイン=大」なる分析。現在において何か変わっているだろうか?
何も変わっていないように思える。ひょっとすると明治維新から何も変わっていないかもしれない。
この「なにかスパートしない限りは反応が思わしくない」微分回路的思考、そしてゲイン(出力にかける増幅度)を大きくしあえて不安定性を最大限にし、その先の「最大発散」が「太平洋戦争」(原因)でその結果は、敗戦と「経済成長」(結果)であると佐貫氏は言う。
さらに「原因と結果は循環小数のようなもので、途中で断ち切ることは不可能である」と洞察する。この洞察は微分回路的発想パターンの宿命を暗示するようでとても怖い。
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発想の原点が自己にないこと、時定数が小さいことは、ゲインの増幅の程度を国民一人一人が認識・判断できず、他者(為政者・集団意識・他国)にその度合いを渡してしまうことになる。まさに長いものに巻かれる・付和雷同である。そして歴史修正問題にみるように、微分回路的ゆえに、過去を簡単に断ち切り、時間を進ませる。そういう増幅を深く思慮することもなく為政者に許してしまうことになる。佐貫氏の言葉を借りると、「積分回路と微分回路は性格的に反対の傾向を持つ。すなわち、過去と未来、時間遅れと時間進みの差がある。」(『発想のモザイク』から)
この点、ドイツはかの有名なヴァイツゼッガー連邦大統領の演説 “過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”(1985年5月8日連邦議会)とあまりに対照的である。その「者」とはドイツ国民一人一人であるとする。
圧電素子のように「突発入力」を始終繰り返して「衝撃的に反応」することを期待するような経済政策ではもはや済まないとばかりに、現安倍政権は佐貫氏の分析で言うところの「ゲイン」に比重を置いているようにも思える。
即ち、この微分回路的発想パターンの断ち切れない因果のうちの、結果を期待してその原因を創出しようとするのが、現安倍政権の向かう方向性だとすると、中国・韓国との政治的対話の中断、嫌中・嫌韓世論の醸成、憲法第9条の政治的解釈と集団的自衛権の限定的武力行使など、昨今の政治そしてその政治に与するマスコミは、まさにゲイン(出力にかける増幅度)を大きくすることによる不安定性を意図しているようにも映る。あるいは、開国黒船よろしく、外因を創出し、他国の思考回路に無理やり合わせて、ガラポン的な結果を期待しようと環太平洋戦略的経済連携協定(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement /TPP)に飛び込もうとしているとも映る。
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「大股で踏み出すと顛倒する」ことをその積分回路的発想から学ぶドイツは、もはや「大股で踏み出す」ことはしないであろう。大当たりがないが、食いはぐれもない道を今後も着実に歩み続けるだろう。そして「過去における誤差」を10年越しで蓄積して用いても、欧州第一の経済大国なのである。
片や、「大股で踏み出し」その先の結果を性急に得ようする我が国。そのようにも見える。「顛倒しても」それが「ゲイン」というコインの表裏であり、戦争(武力紛争)なる表面が(敗戦を経て)経済成長という裏面となるかも知れない。しかしそれが国民にとって多大な不幸を伴うものであることは歴史が証明するところである。
今こそ、ドイツ人の発想のモザイクをつぶさに観察すべきではなかろうか? 同じ敗戦から立ち直った国として、そして同じく経済大国になっていながら、しかし互いに違う発想パターンの回路を持つ国として。
(おわり)
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