2016年09月28日

真空管ラジオから考えること

愛用していたトランジスタ・ラジオが壊れた。

製品保証期間を過ぎていたが、製造元のソニーの修理センターに電話をしたら案の定、修理よりも買い替えを勧められた。
ソニーのウェブサイトには「弊社では、製品の補修用性能部品をその機種の製造打ち切り後も、一定期間、保有しています。ただし、故障の状況その他の事情により、修理に代えて製品交換をする場合がありますのでご了承ください。」とあり、補修用性能部品の保有期間の表が掲載されている。ラジオは6年ということだそうだ。
 
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6年を超える自社製品については「製品交換」を勧めることらしい。
どんなにユーザが製品を「愛用」していようが「長く使い続けたい」と思っていようが、メーカー側がその製品にライフタイムを設定する。ラジオは食品と異なり耐久消費財であるのに、賞味(消費)期限付き「消費財」扱いである。これではメーカーは自社製品についてユーザ以下の愛着しか持たないのかと疑いたくなる。たった、一つの部品の補修が利かないからと言って、製品そのものを捨てさせてしまうことを、作り手が言い出す。これはメーカー側の都合であって、ユーザの都合ではない。
 
携帯電話はこの手の「消費財」の際たるものかもしれない。私はドコモの6年前の所謂「ガラパゴス携帯(ガラ携)」を愛用して何の故障もないが、へたばってきたバッテリーを交換しようと最寄のドコモ・ショップを訪れたら、「お客様の機種のバッテリーはもう在庫がありません。新たな機種に変更願います。」とあっさりと愛用の携帯電話に死の宣告をされてしまった。本体に何の故障もないのにキャリアーの都合だけで製品を捨てさせる。昔の黒電話だったら、こんなことはあり得なかった。電話機など一度買ったら、買い換える商品ではなかったはずである。
 
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世の中そんな企業ばかりかと思っていたら、JVCケンウッド(旧:トリオ、日本ビクター)は、部品がある限り、古い自社製品であっても修理をしてくれると言う。「20年前のFM放送受信チューナーの修理・調整を引き受けてくれた」と感謝するユーザの記事や、「メンテナンス料金は良心的な価格です(新品購入出来るような法外な修理メンテ料金は請求しません)また表向きは本社意向で過度に古い機種は受け付けないですが、各地域にある営業所単位では面倒見よく可能な限り修理してくれます。大量消費が当たり前の昨今の世に修理相談を受けてくれる稀有で数少ない常識国内メーカーです。」なるネットの書き込みもある。
 
ソニーやドコモのようにユーザを新しい製品やサービスに仕向けて、次々乗り換えさせた方が企業として儲かるのに、ケンウッドは良心的な修理料金で自社製品のライフタイムを伸ばし、ユーザに長く使い続ける選択肢を提供することをモットーとしているのかもしれない。
 
ケンウッドのウェブサイトには「ケンウッドのサービス部門では、はんだ付け認定制度や顧客応対研修、サービス技術研修等を行い、迅速で的確なサービスによりお客様から安心と信頼・満足が得られるよう努力しています。」とある。

今どき、「はんだ付け」を真っ先に言う企業があるだろうか?
ケンウッドにとって、「はんだ付け」はモノづくりの基本と定義されているようである。
 
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そのケンウッド、元をたどれば、ラジオ・オーディオで一世を風靡した「トリオ(TRIO)」でありそのブランド名を確立した春日無線工業となる。米国向け輸出製品の商標ケンウッド(KENWOOD)を逆に引き継ぐが現在のJVCケンウッドということになっている。
 
「春日無線工業」でネットを検索すると、ラジオ、測定機器、通信機器がヒットする。そして、驚くことに、この「三丁目の夕日」の時代のこれらの製品の多くが、いまだに修理可能であり、修理されたモノは現役なのである。「はんだ付け」がきく製品とは、部品そのものの集積度が低いため、はんだ付けによる熱衝撃を受けず、消耗した部品の交換ができる設計であり、この時代の製品に共通して言えることなのかもしれない。
 
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なにも春日無線工業(TRIO)に限ったことではなく、50年選手が当たり前の真空管ラジオの世界では、松下電器産業(NATIONAL)も、東京芝浦電気(TOSHIBA)も、早川電機工業(SHARP)も、そして数多の今は存在しない会社の製品が、戦前からのモノも含め、修理されて使い続けられていることに気付く。修理する側はもっぱらその昔「ラジオ少年」だった今やおじさん・おじいさんである。そして使う側は、修理どころか使い方すら知らない今どきの若者が多いというのだから面白い。
 
昭和20年代後半から30年代にかけて、ラジオ少年のメッカが秋葉原(東京)であり、日本橋(大阪)であった。初めて作った鉱石ラジオから流れでる放送に感動し、近所の電気屋のおじさんに教わりながら、回路図を描いては秋葉原で部品を調達し、真空管ラジオを見よう見まねで自作する少年は珍しくなかった。電気屋のおじさんや、友達が白紙にすらすらと回路図を描くのをみて、羨望とともに自分もそうなりたいと願う少年が大勢いたのであろう。
 
松下や東芝といったメーカーが完成品を販売する一方で、数多のパーツ屋がそういう「ラジオ少年」向けに組み立てキットを販売していた。電気機械部分と、スピーカーとそれらを収める筐体を別々に買い集めて自分なりのラジオに仕立てることもできた。現在、「三丁目の夕日」で生き残っている真空管ラジオの中には、メーカー完成品だけでなく、「ラジオ少年」の自作品も含まれているようである。自作品には当然ながら出来不出来がある。
 
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さて、ソニーから死を宣告された愛用ラジオは、なおさら捨てる気にならなくなり、戸棚に飾ることにした。代わりに、ヤフーのオークションを通じて年代ものの真空管ラジオを買い求めた。出品者はその昔「ラジオ少年」だった北海道の御仁である。
 
このラジオ、「ナナオラ」の商標で戦前から昭和30年代中ごろまで松下電器産業(NATIONAL)や東京芝浦電気(TOSHIBA)とラジオ受信機市場で肩を並べていた七欧無線電機株式会社製である。七欧無線電機は1927年(大正14年)創業で昭和30年代後半に東芝の子会社となった後消滅したらしい。

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鉄針のピックアップの付いたSPプレイヤーを搭載した、所謂「電気蓄音機」である。木製コンソールという意匠の珍しさと、北海道の「ラジオ少年」の整備済みという文句に惹かれて購入した。いつの時代のものか判るような印がなかったので、色々とネット上の情報を当たってみたら、どうやら、キャビネットは昭和10年代に製造されたものらしいことが判った。

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この当時、コンソール型のラジオを買い求められるのはよほど富裕な人であろう。又は、喫茶店などに置いて客商売に使っていたのかもしれない。中の機械部分(ST管5球スーパー)は昭和30年代に取り換えられた物で、ダイヤル表示板も同時代の後付けのようである。スピーカーは永久磁石のない時代の励磁(フィールド)型であり、キャビネットと同じ位古そうである。
 
整備済みとあったが、SPプレイヤーのスイッチも兼ねるボリュームに「ガリ」があり、その旨を北海道の御仁に相談したが、「それも味わい」ですと言われてしまった。「バリっ」という一瞬の爆音が私にとっては味わいである訳もなく、ネットで別の「ラジオ少年」を探したところ、秋田の御仁を発見した。そのブログ「真空管ラジオ修復記」は圧巻である。

秋田の御仁に修理を早速お願いした(前後してドイツ製の真空管ラジオの修理を依頼することになったが)。先方に我がラジオが到着して僅か数日で修理が完了との報告。修理費も交換部品の実費代に僅かの工賃のみと、こちらが申し訳なく恐縮してしまう程の良心ぶりである。真空管の性能試験結果と交換部品の詳細、そして真空管ラジオの回路の変遷を綴った記事の写しもいただいた。修復を手掛けたラジオは全て修復記に写真とともに掲載し、故障や不具合の箇所と原因とともに、修理技術と工程を開示している点も素晴らしい。私の依頼したナナオラの電蓄も修理完了を以て、この記録の一つとなっている
 
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「真空管ラジオ修復記」に居並ぶ50年選手、いやもっとロートルのラジオの数々。その面構えは実に古武士然としている。カテドラル式とかイオニア式といった、荘厳重厚な建物の建築様式をイメージした意匠が多いのは木製筐体であり、昭和40年代に入ると次第に加工性の高いプラスチックに代替されその意匠もカラフルになるがどれも個性的であることに変わりはない。ラジオを鳴らすという目的しかないのにやたらモノとしての実体がある不思議さに、今どきの若者が惹かれるのかもしれない。娯楽や生活がラジオと直結していた時代のラジオの存在意義に応じてメーカーが存在感たっぷりの製品を作っていたのであろう。
 
回路図がなくても秋田の御仁が数百のラジオを修理できるのは、白紙に回路図を描けるような昔とった杵柄ばかりでなく、ラジオの回路構成に基本形があることも理由のようである。今どきのラジオでトランジスタや集積回路をユーザが交換できる設計のモノなどないが、エレキが苦手な家庭の主婦でさえ、真空管を取り替えるようなことなど朝飯前の設計なのである。そして近所の電気屋はラジオを売るばかりでなく、売ったラジオを修理するためにあるようなものであった。
 
ソニーは真空管ラジオを一つも作らなかった。トランジスタ・ラジオなる修理や部品の交換を前提としない製品に拘りつづけた。真空管ラジオなる「ラジオ少年」の原風景に立ち返ることができる松下や東芝、そして未だその原風景をモットーとするJVCケンウッドと、その風景を持ち合わせないソニーの差は大きいのではないだろうか?
 
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思想家の柄谷行人氏は
「日本の場合、低成長社会という現実の中で、脱資本主義化を目指すという傾向が少し出てきていました。しかし、地震と原発事故のせいで、日本人はそれを忘れてしまった。まるで、まだ経済成長が可能であるかのように考えている。だから、原発がやはり必要だとか、自然エネルギーに切り換えようとかいう。しかし、そもそもエネルギー使用を減らせばいいのです。原発事故によって、それを実行しやすい環境ができたと思うんですが、そうは考えない。あいかわらず、無駄なものをいろいろ作って、消費して、それで仕事を増やそうというケインズ主義的思考が残っています。」(『週刊読書人』2011年6月17日号)
と言う。
 
高度経済成長期を通じて「使い捨て」に我々は抵抗を感じなくなってきたように思う。「無駄なもの」であっても企業がアレコレと付加価値をつけて売る。もし「無駄でないもの」なら最初から消費者の求める価値がその製品にあるということになる。つまりは生活必需品である。そういう製品をメーカーは作りたがらない。黒電話は生活必需品であったが、スマートフォンが同じ必需品であるかは甚だ疑問である。「電話をする」という基本に価値を置くとすれば、携帯電話やスマートフォンは欠陥商品ということになる。3/11の大震災の際に最もつながらなかったのが携帯電話・スマートフォンであり、最もつながったのがダイヤル回線の昔ながらの黒電話であった。電話線から供給される電力を利用しているため、停電が起きても電話線と電話局さえ無事なら通話ができるのである。
 
携帯電話で言えば、「私は電話とメールだけできれば結構です。インターネットができるようなタッチパネルも不要でボタン式の従来のモデルで十分です。」と言ったところで、そういう価値観をメーカーは認めない。あくまでも、ユーザよりも企業の都合なのである。
 
そして低成長どころか経済・社会が後退局面にある現在、この「無駄」を「消費」として甘受する経済成長期の感覚から我々は未だ抜け切れていない。「使い捨て」なる過去の時代の流儀に消費者もそしてメーカーもどっぷり浸かったままの感がある。
 
換言するとライフタイムの短い「使い捨て」の運命にある製品を企業が作り続けなければ、企業は市場から資金を調達できないのであろう。もし、10年間ずっと使い続けられる前述のような携帯電話をドコモが作れば、10年目を迎えることなくドコモが倒産してしまう。そういうトレードオフ(二律背反)の関係にあるのかもしれない。この世界での製品サイクルは今や1年と言われる。
 
社会・経済全体でライフスタイルを抜本から見直さない限り、一企業がそのスタンスを変えることは難しいだろう。
 
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真空管ラジオに話を戻すと、メンテナンスさえ施せば50年は軽く使えるまさに耐久消費財である。AMのラジオ放送がアナログである限り、そのライフタイムは続くであろう。幸い、真空管は過去の在庫がまだあり、ロシアや中国では未だ産業用を中心に真空管を作り続けている(半導体では実現が難しい高周波/大電力を扱う特殊な用途での真空管需要の為)。また、オーディオの世界では真空管のマニアが世界中にいることもあり、定まった需要がある。昔ながらの真空管製造に乗り出すベンチャー企業も現れている。
 
しかし、テレビ放送をデジタル化した放送業界のことである。油断はならない。その時に「三丁目の夕日」のブラウン管テレビは大量に廃棄された。これも言ってみれば壮大な「使い捨て」である。女優の毛穴まで鮮明に映し出すことに製品価値を見出すのはメーカーと、その技術力に自己満足する技術者だけなのかもしれない。毛穴を見るがために壮大な「使い捨て」が行われるが、一般的なユーザは決してそれを見たいと言っているわけではない。

ついでに、我が家の時計は全てゼンマイ式時計である。3台あるが、いずれも100年選手である。その中の古参はeBayのドイツから取り寄せた1910年代製のオーストリア製の振り子時計(Gustav Becker) で、元気に時を刻み続けている。これを作った職人の技といい、その設計の下で何の不具合もなく今日迄時を刻む製品。今どきの時計で百年後も動くような設計のものなどないだろう。メンテナンスさえ施せば、ずっと使える。そして時計としての基本的機能を保ち続ける。この時計の前で、歴史が流れてきたのだと思うと感慨深い。第一次大戦もナチスも第二次大戦も全てこの時計が経験しているのである。

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モノにおいての「短サイクル」ぶりは上述の如くである。
そして、「住」において、我が国は先進諸国と比較して圧倒的に「短サイクル」と言われる。世界有数の地震国という建物にとっては好ましくない地政学的条件ではあるが、核家族化が進んだ我が国においてそのサイクルは約30年と言われている。
 
つまり、代々同じ住居に住み続けるよりも、家族・世代毎に新居を購入することが特に都市圏では通常であるからだ。百年を単位に古い住居をメンテナンスしながら代々住み続ける欧米諸国のライフスタイルと随分と異なる。
 
町並みや建物が社会資本(ストック)であり、たとえ戦争で全て瓦礫になっても、その瓦礫をパズルのように組み上げて見事に昔の町並みを甦らせるドイツはその確たる見本である。連合軍の絨毯爆撃により中心部が廃墟になったドレスデンで、瓦礫の山となった聖母教会の瓦礫を一つとして処分せず、いつの日かその瓦礫で教会を元通りにすると決意したドイツ人が、その決意の通り、2005年に見事に昔の姿のまま復元したことは記憶に新しい。

住居や町並みを資産(ストック)として受け継ごうとするそれらの国と、土地とその上の経済活動に価値があり、上物や町並みに価値を認めようとしない我が国。国立競技場という歴史的施設、そして、関東大震災からの復興を祈念して市民の浄財で植樹された神宮外苑の銀杏並木、これらの社会資本(ストック)さえ、東京復興なる経済活動の下、新たな国立競技場建設の為に壊してしまう、その価値観である。
 
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モノにおいての「短サイクル」が企業活動の都合であると同様、住居や町並みの「短サイクル」も企業活動・経済活動の都合である。そしてそれらの都合の先にあるGDPが幸せの指標である。と我々国民は経済成長期から今日に至るまでずっと信じてきた。未だ、我々国民の多くは幸せを実感できないでいる。
 
それを裏付けるが如く2014年に国連が発表した最初の世界幸福度報告書(World Happiness Report)で、我が国は世界第43位とランクされたのである。

「原発がなければ江戸時代になる・原始時代に後戻り」と一部の政治家・経済人が声高に言っているが、彼らの基準にあてはめると「江戸時代・原始時代」となる筈の国々がこのランク付けでは我が国よりも上位にある。「江戸時代になる・原始時代に戻る」の主語が企業・経済活動であって、国民の生活・幸福度とは関係のない話なのかもしれない。
 
この報告書の作成を国連に働きかけたのは、GDPに代わる、幸せの指標GNH (Gross National Happiness)をワンチュク国王自らが率先提唱するブータン王国であった。
 
GDPやGNPといった資本主義の価値観・指標が個人消費や設備投資といった経済活動であって、必ずしも幸せの指標ではないとのアンチテーゼである。

そして柄谷氏が指摘する「無駄」を前提とした企業活動は、モノにおいては「使い捨て」、住宅や町並みについては「スクラップ&ビルド」にみるように、徒に資源の浪費を招く点、そしてエネルギーを含め資源を持つ国、持たざる国の間の格差を増大させる点で、GNHの観点から見直す必要があるとの提案である。
 
何を以て「幸せ」と言うのか、いかなるライフスタイルがその「幸せ」に近いのか、別の視点から我々は考え直す必要があるのではないだろうか?

(おわり)
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posted by ihagee at 03:20| 真空管ラジオ