2016年09月20日

豊洲市場問題

豊洲新市場。

建屋下の盛り土が行われていなかった旨。

メディアでは技術論ばかり語られるが、そうなのか?信義則が損なわれたことがより重大だと思う。

建屋周囲では汚染土壌を取り除いた後、盛り土をしたそうだが、その高さまで汚染物質が上がって浸潤してしまったおそれすらある(建屋の地下空間に溜まった水に海水の成分が含まれていれば、海と溜まり水が流通していることにもなる)。すなわち、盛り土が意味を成していない可能性もある。そうなれば、建屋の下だけの問題ではない。敷地全体に問題が波及する。水を相手にするとこうなる。

そして「豊洲」という埋立地。元は海辺、潮の満ち引きですら地下水脈に影響する。だから地下水の高さを調整することが元々困難な場所である。埋立地ゆえに地震で地面が液状化し易い場所。地震すら想定しなかったのか?

水に苦しむは東京電力福島第一原子力発電所と同じ。本来、建ててはならない場所に建てるは政治や経済という都合がモノを言うからだろう。

老朽化し手狭だ不衛生だと言っても、市場の人たちの努力もあって長年の間、都民の信用を裏切らなかった築地に話を戻すしかないと私は思う。大田市場に間借りするなどしながら、少しずつ築地を改築して使う手はないのか?豊洲移転派の市場関係者は先人から営々と築き上げた信用が最大の価値であることを思い返して欲しい。築地には絶大な信用がある。ブランドというべき誇りがある。それをみすみす豊洲という無信用に置き換えて何を価値と思っているのだろうか?百年近くの信用は到底カネで買うことはできない。

東京五輪開催の質に入れてしまったから、築地は処分するしかないと大会組織委員会のお偉方は言う。五輪の後は築地は銀座と合わせて商業地域・高級住宅地として再開発と言う。庶民の生活の基盤を五輪と天秤にかけて平気なのだろうか?わずか数週間の国際的見栄やその後の一部の富裕層への便宜よりも、百年先の信用の方が余程大事である。石原元知事に始まる東京五輪招致が都知事を狂わせ、都政を狂わせてこの結果である。五輪のためなら「アンダーコントロール」と嘘を言うばかりか、道化て恥じぬ安倍マリオ。そんな虚飾・粉飾ばかりの国政はもっと狂っている。都政・国政共々、本末を誤るその象徴たる東京五輪は要らないと正直思う。

(おわり)

追記:東京電力、東京ガス、いずれも東京都が大株主となって、過去の高度経済成長を担ってきた。その経済成長の代償が原発事故であり豊洲新市場の土壌汚染であり、いずれも水に苦しむことになっている。1964年の先の東京五輪に際して、運河という運河は邪魔とばかり埋め立てたり暗渠に押し込めたりした(「五輪」という破壊)。

スキャン 16b.jpeg
(昭和30年代初め「水の都」であった時代の日本橋界隈・父が撮影)

「水の都」とかつて呼ばれ人々の暮らしがしっとりと染み付いた街並みが無味乾燥のコンクリと喧騒の都会に一変した。不都合とばかりに汚物とともに押し込められてきたその水が、都会人の都合に抗するがごとく今になって現れてきたのかもしれない。経済功利の裏で清算しきれない程の負の遺産に気がつけば我々は取り囲まれていた。2020年にむけてさらに不都合を押し込めようとするかの都心の再開発。五輪なる狂騒のツケは大きい。


タグ:豊洲市場
posted by ihagee at 04:23| 東京オリンピック