2016年09月02日

Abe-Marioは「ゲリラ」か?

本ブログサイトはアナログ・フィルムを記事の主題としますが、趣味に溺れて世事に疎んずるわけにもいかないので、ここで五輪に関連して一話を挿入したいと思う。次回からはまたカメラ・フィルムの話に戻します。

いささか穿った見方で気分を悪くされるかも知れないが、それでもお付き合いいただける向きにご一読たまわれば幸甚です。長文ご容赦。

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Nintendo、及びその世界的なゲームキャラクター Super Marioを想起させるコスプレと装置(土管)で、安倍総理大臣がリオ・オリンピック閉会式に続く五輪旗引き継ぎのセレモニーに登場したことは、世界中のメディアで取り上げられている。多くは好意的に報道されている。それがNintendo でありSuper Marioであることを、官邸サイドは否定しないばかりか、当のNintendoが協力した旨を明らかにしている。自民党内からも「アベノミクス」に加えて「安倍マリオ」をイメージ的に一般化しようとする意見さえ聞かれる。

この演出は2020東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会森喜朗会長の発案(具体化したのは電通)で、大会組織委員会からNintendoにキャラクターを借り受けたい旨、要請したものだとも報じられている(真偽は未だ不明)。

Nintendoの広報担当者は海外メディアからの問い合わせに、Nintendoはオリンピックの公式スポンサーであったことも、いかなる形でもスポンサーとして関わったこともないが(2020年東京大会の公式スポンサーになる予定もない)、このようにセレモニーに協力することができて名誉であるといった主旨の回答をしているようだ。

日本のメディアもこれで東京大会への期待・機運が一層高まったと、”Abe Mario”の成果に諸手を挙げて賞賛している。

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ネット上の反応の中に、「これってステマじゃないの?」という意見があった。
Wikipediaの説明によると、
「ステマ」とは「ステルス・マーケティング(Stealth Marketing)」のことで、
消費者に宣伝と気付かれないように宣伝行為を行うこと。「ゲリラ・マーケティング」の一つとされている。

「ゲリラ・マーケティング」とは、低コストで慣習にとらわれない手段を使った広告戦略で、消費者は予期できない場所で標的にされるとあるから、Abe-Marioはまさにそうなのかもしれない。自ら宣伝と言わずにそれとなく商品を宣伝することで、やらせ、サクラなど、人を欺き、誤解させる手法も含むことから、欧州ではステルス・マーケティングは違法と規定されている(欧州理事会 2005/29/EC)。

特定の企業や産業セクトを以て文化ブランディングとし、国を挙げてそれを輸出しようとすることは、お隣の国の対日「韓流ブーム」で記憶に新しい。ニッチな関心事をさも世の中全体の関心のように誤解させ、話題化することでもある。無理やり膨らませたブームゆえに萎むのも早い。「ソフトパワー」の限界である。

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Abe-Marioに話を戻すと、赤い帽子にマントや土管をみれば、そう呼称せずとも誰もが想起するSuper Marioという企業キャラクターを、まさかそれが登場するとは誰一人想定しないリオ・オリンピックのフラッグ・ハンドオーバー・セレモニーで使った安倍総理大臣も、そのキャラクターを貸し出したNintendoという企業も「ゲリラ」ということになる。

「フジヤマ・ゲイシャ」と同じく日本を表すアイコンとしてSuper Marioを拝借したまでで、決して特定企業や特定産業セクトの広告宣伝をしたものではない、と官邸辺りは言い、安倍総理大臣は「日本のソフトパワー示したかった」と言うものの、そこで示したとする「ソフトパワー」とはその語義の通りの文化的存在感には留まっていなかった。「ソフトパワー」はジャパン・ハンドラーのジョセフ・ナイが提唱した概念だが、ナイ自身、軍事力・経済力の示威である「ハードパワー」と補完し合うものと認めている。その通り、Abe-Marioで柔らかく見せておきながら、マラカラン・スタジアムを覆い尽くす巨大な日章旗など五輪憲章が禁ずる特定のナショナリズムに傾斜した国威発揚を怠ることがなかった。宗主国の硬軟伴うバランス的な概念に忠実に安倍総理大臣が振る舞ったのである。そして「ハードパワー」を伴う点で、上述の韓流ブームとは異なる。「ソフト」と「ハード」がコインの裏表になっている。その点が恐いことでもある。

安倍政治の基調が強面の「ハードパワー」だからこそ、五輪の場においても彼の体からは「ハードパワー」の臭いがするのである。笑顔のAbe-Marioが凶暴な「ペニーワイズ」にならないといった保証はどこにもない。だからこっちまで一緒になって笑うわけにはいかないのである。1936年のベルリン・オリンピックとその後のヒトラーは歴史が証明するところである。ヒトラーが国際社会に示したかった「ソフトパワー」は宣伝省が手掛け、レニ・リーフェンシュタールの手による数々の映像作品は海外で高く評価されたことを思い出して欲しい。歴史は繰り返すが、「ナチスに学べ」が反面教師ではなくその通りの学びになっては困る。

Super Marioがドナルドやミッキーマウスに匹敵する国際的なキャラクターならば、そのドナルドやミッキーがディズニーワールドの世界の中だけの住人でないことに気づくべきであろう。これは有名な話だが、ディズニー(ソフト)と軍事(ハード)はコインの両面である。ドナルドやミッキーが戦意高揚映画に登場したりする。娯楽を政治・軍事にヒョイと用いるこの関係こそ、米国がこともあろうが「ナチスに学んで」取り入れた手法である。大衆の意識を簡単に戦意や国威につなげてしまう。Abe-Marioがどの世界に住むのかも見えてくる。

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そして、その「ハードパワー」は「表向きは」ゲームソフトメーカーとそのキャラクターにも集約されていた。現に、Nintendoの株価が直後に高騰したことからも、経済的な文化ブランディングと言うべき宣伝行為であり、その意味からしてもれっきとした「ステマ」なのだろう。東京大会のショーアップを装いながら、特定の企業や産業セクトを以て文化ブランディングとし、国を挙げてそれを輸出しようとしているとは、欧米のメディアの大方の見方のようである。ゲーム産業なる袈裟の下には、産官学で連携した「防衛(軍事)産業」なる鎧を着こむのが安倍政権の新戦略らしい。その袈裟だけを見せるマスコミも「ステマ」である。

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「皇位継承の場で夜討ちを行うのは相応しくない」は保元の乱で夜戦を献策した源為朝を諌めた藤原頼長の言葉だが、高位の者の貴族的精神は雅な平安時代に終わったようだ。近代戦争・紛争はテロに至るまで悉く「ゲリラ」戦法である。「やぁやぁ我こそは・・」などと名乗りを上げた一騎打ちなどは古典話。現代戦法でもてはやされるステルス戦闘機は「ステマ」の兵器版である。

フラッグ・ハンドオーバー・セレモニーという場で、総理大臣ともあろう者が夜討ち(ゲリラ)を仕掛けてご満悦という。それをヤンヤと歓迎する世論とやらも電通辺りがネトウヨを動員して仕掛けた「ステマ」かもしれない。「相応しくない」が私の周辺の意見。だとすれば、いまどきの政治家よりも一般庶民の方が貴族的精神を持ち合わせているのかもしれない。

「ステマ」は「アンブッシュ・マーケティング」とその意味する範囲が重なっている。つまり、Abe-Marioが示したマーケティング手法は「アンブッシュ・マーケティング」と重なるのではないかという疑問であり懸念である。「アンブッシュ・マーケティング」との抵触については既に触れているのでここでは繰り返さない。

「アンブッシュ・マーケティング」の最近の例としては、2010年のFIFAサッカーワールドカップ(南アフリカ大会)のオランダ=デンマーク戦で、公式スポンサー(この大会ではバドワイザー)でもないオランダのビール会社(Bavaria)が、オランダチームの応援席にオレンジ色のミニスカートを着せた美女軍団を陣取らせて広告宣伝したとして、警察当局が彼女らを逮捕する騒動になったことが挙げられる。オレンジ色はBavariaのブランドイメージで、間接的にBavariaの広告宣伝をしたという嫌疑である。Bavariaという企業名もロゴも表出・呼称せずとも、オレンジ色で「あれだと」不特定多数に思わせれば、御用となり得るのが「アンブッシュ・マーケティング」である。

FIFAの言い分だと、バドワイザーなど大手のスポンサーが付いてくれているからこそ、試合が開催でき、またチケットを買ってスタジアムで観戦せずとも、テレビやネットで誰もが観戦できるのであって、Bavariaのような「ゲリラ」を認めてしまうと、公式スポンサーが集まらなくなって、大会そのものが成立しなくなるということらしい。

Abe-Marioが「ゲリラ」だとすると、その戦法で2020東京オリンピック大会がなぜ開催できるのか、その「ゲリラ」に扮した安倍総理大臣に訊いてみたくなる。そんな「ゲリラ」に倣って、東京オリンピックのメーンスタジアムの一角がオレンジ色の美女軍団に染まってもJCOは文句が言えないのである。そんな「ゲリラ」が出没することがわかっているような東京オリンピックではスポンサー企業も降りてしまうだろう。

マツコ・デラックスが「すぐ帽子取っちゃうし、中途半端。すぐ脱ぐんだったら、するなって話よ。ヒゲもないし」とAbe-Marioを酷評したそうだが、そうでもしなければBavariaの女の子のようにその場で御用となることはないにしても、後で何かと問題となる可能性もあったのだろう。「すぐ脱ぐ」ことを条件にIOCがAbe-Marioを認めたのかもしれない。

脱がなかったら中途半端にならず、では何になったのかマツコにも逆立ちして考えて欲しかった。

(おわり)
posted by ihagee at 19:49| 東京オリンピック