2016年08月15日

フレクサレットからティッシーを経てティヒェーに至る話

チェコ共和国の共産圏時代(当時:チェコスロヴァキア)の工業製品(遺物)が最近、一部の若者たちに人気となっている。メオプタ(Meopta)社の二眼レフ・フレクサレット(Flexaret)である。すでに製造を終えて半世紀ともなる中古カメラだがオークションなどで近年活発に売買されている。その幾つかある機種の中でもタイプ 6はオシャレ系の女性雑誌で度々取り上げられる程の人気である。黒々と男性臭漂う二眼レフの中で、ペールカラーの艶やかな外観のフレクサレット6はカメラ女子の感性にぴったり合うのだろう。ファッション雑誌の小道具としても引手数多のようである。



Rolleiflex SL66を信頼し愛用している私だが、レンズを装着すれば2キロ超の重さの66を連れて外を歩くのは苦労な場合がある。フォーカル・プレーンシャッターゆえにシャッター時のミラーの反動が大きいこともあってレリーズや三脚を伴うとちょっとした覚悟が必要である。蓋しその苦労も写りの良さで酬われることが多いのだが、スナップ的に撮影するには特に夏場はつらいものがある。

そこで中判カメラのサブを見つけようと思い立った。上述のフレクサレット6では少し気恥ずかしい。チェコスロヴァキアの工業界の気力が最も充実していた1950年代の黒装束のフレクサレットはコスパ的(eBayで良品でも100US$を超えることはない)に評価が高いとネットで知ってタイプ4aを購入することに決めた。



ブダペストのディーラー(eBayでの評価:100%)からレザーケースとレンズフード、フィルターなどが付属するタイプ4aが近日届く予定である。タイプ4aはフィルムの巻き上げがシャッターチャージと連動していないが、レンズやシャッターなどそれ以外はその後の機種と撮影性能的に遜色はないそうだ。フレクサレットの機種の中で最も長い期間製造販売されていたことと、ワルシャワ条約機構軍の介入によって民主化運動の芽を摘み取られた後(1968年「プラハの春」以後)、ノミナルな計画経済下で次第に品質を落としていったとされるフレクサレットではない点が気に入った。クラシック音楽で喩えれば、チェコフィルハーモニー管弦楽団が最も輝いていた1950年代と重なる(ターリッヒやクーべリック、アンチェルが率いた時代)。1960年代後半から1980年代までヴァツラフ・ノイマンが懸命に同楽団を率いたものの、何かと前時代の栄光との比較されて不幸であった。最後期のフレクサレット7の今一つの評価(壊れやすい)が重なっても見える。

東独(ドレスデン)にあって西側資本(ihagee)のExaktaに続いて、再び共産圏のカメラ一個が仲間入りすることになる。タイプ4aは時代なりにグラウンド・グラス(スクリーン)が暗いことが懸念で、ggの販売をしているRick Olesonにメールで確認したら、タイプ4a用のスクリーンなら都合可能と返事をもらった。そして親切にも換装の手順を図示したPDFまで送ってくれた(図面にあるのはタイプ4だが、4aも該当するのだろう)。その説明に拠れば、Rickのフレネル入りのスクリーンと交換しても焦点面が変らないのでggにシムを挟んだりレンズボードの位置を調整し直したりせずに済むそうだ。必要ならばggの交換を検討してみようと思う。

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そんなこんなで、フレクサレットのことをネットで調べていたら、このフレクサレットと同時代、段ボールや空き缶、アスファルトや下着のゴムで作った自作カメラで女性を密かに撮影し続けた人物の話題に辿り着いた。「孤高の隠遁者」ミロスラフ・ティッシー (Miroslav Tichý)である。チェコスロヴァキアが民主化を果しチェコ共和国となった後、発掘された写真家のようである。

詳しくは紹介記事に拠る。当人にとっては昨日も今日も明日も何の変りもなく、発掘したと色めき立つ世間の身勝手さが私には感じられる。孤高や隠遁といった修辞はそうでない側の好奇であって、当人にとって何一つ孤高でも隠遁でもなかっただろう。そんな修辞を一切取り去って写真そのものを見たければ見れば良いのだろう。ミロスラフ・ティッシーを紹介(発掘)する動画(YouTube)はそのように私には感じられた。



ちなみに、チェコ語のtichýの英訳はquiet, calmの意味だそうだ。「静かな・穏やかな」人のことをtichýと言うそうで、まさに名は体を表しているのかも知れない。

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そのミロスラフ・ティッシーの動画に並んで「お勧め」として、Ijon Tichy: RaumpilotというドイツZDFのテレビドラマシリーズが幾つかが並んでいた。TichýからTichyが類推されたのだろう。こういう所がネット検索の妙でもある。興味本位でその数編を見たがとても面白かった。字幕や吹き替えがなくともストーリーが何となく把握できた。

ポーランドのサイエンス・フィクション作家・スタニスワフ・レム(Stanisław Lem)の『恒星日誌(Dzienniki gwiazdowe)』は邦訳され『泰平ヨンの航星日記』としてハヤカワ・SFシリーズから発刊されているようだが(私はこれを読んでいない)、このテレビドラマシリーズの原作は『恒星日誌(Dzienniki gwiazdowe)』当たりらしい。『泰平ヨン』はIjon Tichyのことのようだ。ドラマの中では「イヨン・ティヒェー」と聞こえるので、音訳としても近い上に、上述のように意味としても「静かな・穏やかな」と「泰平」は近い。ポーランド語で「静かな・穏やかな」はcichyだそうで、ここは帝政時代からロシアの覇権主義に蹂躙されたポーランドという国の歴史からして、ロシア語表記を経てそうなったというレムなりのアイロニーが込められているのかもしれない。ポーランド語のcichyのcがtになったのは、ロシア語で一旦読み替えたのではないか?ロシア語のТихийには静かなという意味がある(例:ショーロフの名作『静かな(Тихийチーヒイ)ドン』)とのネットでの指摘も発見した。スラブ民族圏(スロヴァキア)と接していたチェコ語のtichýが同じ意味となるのも同様の歴史的背景があるのかも知れない。もしそうなら、ミロスラフ・ティッシー(Miroslav Tichý)からイヨン・ティヒェー(Ijon Tichy)を導き出したネット上の類推は意味的にも正しいことになる。少し恐ろしい気がする。

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ドイツ放送局ZDFのテレビドラマシリーズ、Ijon Tichy: Raumpilotはさしずめ『イヨン・ティヒェー:宇宙パイロット』となるのだろう。

2007年3月26日から同年5月7日迄、毎週月曜日の23時55分から15分長のシリーズ1(全6作品)と、2011年11月から12月迄同じ時間帯で22分長のシリーズ2(全8作品)が放映されていたようだ。子供が見る時間帯ではないが、子供にこそ見せて良い内容だと思う。YouTubeに投稿されている動画はシリーズの一部だけで且つ正規なライセンスに基づかないようだ。全編を見たい人にはDVDをお勧めする。幸い、全作品は正式なライセンスの下、DVDでリリースされており、Amazonを通じて日本で買い求めることもできる(リージョンコードは欧州と日本は同じなので、DVDドライブのあるパソコン上なら視聴することができるだろう。)。ドラマ自体はドイツ語であるが、字幕(英語)が選択できるだろう。たとえ言葉が判らなくても画面だけである程度ストーリーが追える。

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主人公イヨン・ティヒェーが操る宇宙船の内部は1970年代のベルリンのありふれたアパートの居室で、外観はフランスの安物のコーヒーメーカーといった奇天烈さ。1980-90年代のくたびれた家電や日用品に囲まれているが、それらが時として時空移動の装置となったりする。船外活動も屋根の修理程度の身軽さで何らかバリヤーが働いているのだろうが、この辺りの細かいことは突っ込みを入れてはならないデロリアン的寛容さが必要である。ティヒェーは卵が大好物で、卵を切らすことが彼の最大懸念であり、卵があると知ればその先に宇宙船を動かす。つまり常に自分のエゴと戦っている。エゴが膨張したかのように巨大な卵殻がドラマの中に登場する編もある。ここら辺りはヒエロニムス・ボスの聖アントニウスの誘惑で描かれた卵殻に支配される男を想起する。ティヒェーはマッチョな図体の割に気力も腕力も弱い。

アナローゲ・ハルジネーレ(Analoge Halluzinelle)は美人の同居人。ティヒェーが発明した(なぜか自動食器洗い機と電気的に連動している)アナログのホログラム像で半ば実体がないが発明したティヒェーよりもずっと頭が良い。ティヒェーはゴミの片づけなど面倒なことをハルジネーレにやらせようとするが、逆にハルジネーレによってやらされる羽目になることが多い。ハルジネーレはティヒェーから宇宙船の操舵を任されることも多いが、操舵棒の先が何となくアレに似ていて(私の目が変なのかもしれないが)、ミニスカートの彼女のそのシーンだけがほんの少しだけセクシャルである(子供に見せて良いか否か、唯一の懸念点)。

卵頭で三つ目にサングラスのタラントガ教授(Professor Tarantoga)は宇宙百科事典の著者。改訂版はドイツポストによってティヒェーに届く。彼は自ら調製した原始スープを缶に詰めて巨大な大砲から発射することで時空を曲げるなど天才的発明者・科学者でもある。ティヒェーは窮地に陥るとこの事典を繰ったり、ブラウン管を通じて教授から指南を受けたりするが、そういう時に限って、事典は参考にならず、指南は的外れとなって、事態がさらに悪くなることが多い。

後頭部の禿げかかったボロ犬のようなウイザード・メール(Mel)はタラントガ教授のアシスタントであったが、自らの起源を探し求めようとしてティヒェーの宇宙船に同乗(密航)している。メールは時として知恵者になるが多くの場合ティヒェーの足を引っ張る。メールの口癖は「家に帰る(nach Hause)」である。

でっぷりと太ったシュパミ博士(Doktor Spamy)。ティヒェーはハルジネーレの発明をプレゼンテーションしたロボット技術会議の場でこの医学博士と出会う。ハルジネーレがシュパミ博士にさらわれたこともあり、ティヒェーは警戒している。この博士は後にタラントガ教授の下から失踪したメール(ティヒェーの宇宙船に逃げ込んでいる)に代わってタラントガ研究室で働くことになる。

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以上がメイン・キャラクターである。その他、宇宙船の向かう先には異種・異形の生命体が跋扈するが、どれも良くみるとティヒェーの生活環境にある家電や日用品の一部から成っている。進化系の元はかつて人間がゴミとして遺棄した工業製品である(ゴミをテーマとした話もある)。そして、(悪)夢の連鎖のようなストーリー展開はCGと実写を駆使して紙芝居的でもある。

Shøppingという話では、メールと同じ足型のマークの家具のカタログが届く。メールは自分のルーツを、ハルジネーレは電傘(電傘を帽子だと勘違いしている)を探したいということになり、家具の惑星に宇宙船が向かう。ティヒェー、ハルジネーレとメールは椅子やらソファーやら家具の群れに襲われる。メールはチェアの大口に飲み込まれてしまう。この地の家具は服従する家具ではなく逆に服従を拒み襲いかかる性状を与えられているようだ。ハルジネーレはラスボスの高級ソファーに色目を使って取り入り、家具の組み立て検査ラインをマジックミラーの向こうから観察している。仕様書に従って正確に組み立てられ正しく機能するかが検査内容であるが、その代償として検査官は組み上がった家具の犠牲になる定めとなっている。つまり、正しく襲いかかることが確認できれば合格なのである。家具たちに捕まったティヒェーは、三本脚の椅子を仕様書通りに組み立てて検査することを命じられる。ティヒェーはでたらめに組み上げて何とか合格しないように試みるが、ラスボスの怒りを買って仕方なく仕様書通りに組立て、三本脚の椅子に襲われる羽目となる。ここでハルジネーレはラスボスを裏切って、ティヒェーを助け、二人で検査待ちの組立家具置場に侵入する。この置場で保管されている箱の中の仕様書を予め印刷しておいたでたらめの仕様書と取り換えて回っている間に倉庫が浮上し、命からがら宇宙船に逃げ込んでホットしていると、かの地からチェアが小包で届き、中からメールがひょっこり現れる。メールが手にしていた3年保証のクーポンが幸いして宇宙船に配送されてきたのである。でたらめに組み立てるしかなく使い物にならないといったオチ。




Reservenという話では、長大な恒星間の航行のために、30年後に目覚めるようにセットした"Dozitronic"睡眠ベッドに入ったティヒェー。このベッドで寝る限りは200年間睡眠しても一切身体が老化しない仕組みである。ベッドの様子を監視するようにハルジネーレに告げたつもりが、ハルジネーレには単に観察するようにと伝わってしまった。目覚ましで起き上がるとティヒェーは髭も爪も伸び放題の老人になっていた。ベッドに備わっていたdozitronが故障していたのである。元通りの身体になるためにはdozitronを交換しなくてはならないが地球に戻るとさらに30年を要して命がない。そこで宇宙百科事典を開くとそこに修理が可能な惑星があると記載があった。ティヒェーはその惑星に宇宙船を降ろす。案内された先でティヒェーはコピーされる。そこは一定時間毎にピルを飲まないと体が破裂するStroemというドッペルゲンガーの世界だった。ティヒェーはようやくサービス・ステーションを発見しdozitronの修理を依頼しようとするが、生命体の魂は一握りの粉末にすることができ、若返りのためならその粉末から生命体を再生することを勧められる。が彼は断る。・・・という話の展開である(オチは見てのお楽しみ)。



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このテレビドラマシリーズはドイツ放送賞(2007年)、ニューヨーク放送局祭で国際ブロンズメダル受賞、アドルフ-グリム-受賞候補(2008年)、2012年グリム受賞候補など、評価を受けているが未だ日本で紹介されていないようだ。フレクサレットからティッシーを経てティヒェーに至る間にお盆休みは終わってしまった。オリンピックも結果しか見ていない。こんなことばかりしている私は「孤高の隠遁者」としていつか発掘されるかもしれない。
(おわり)
posted by ihagee at 19:37| Flexaret IV