2016年06月09日

「五輪」という破壊

「五輪が東京を破壊した」人間くささ全開、カントク山本晋也を読む。

五輪というわずか数週間のスポーツイベントのために、歴史が消される。市井の人々の暮らしが数十年と染み付いた街並みが壊される。

経済活動=五輪、スポーツの祭典は二の次・三の次。歴史的資産さえ薪のように経済のかまどに焼べてしまう。発展途上国ならいざ知らず、経済成長を遂げ成熟した国家にとって、破壊を前提とする五輪はもはや不要なのではないだろうか?

今の東京の街並みに、江戸時代はおろか明治・大正、昭和すら時代の面影が消え失せている。消すことが経済であり文化であると勘違いしている。そんな先進国は他にない。江戸東京博物館にしか歴史が残せない恥ずかしさに我々は気づくべきである。

JR東日本の原宿駅が建て替えられるそうだ。目的は五輪開催中の旅客の利便のため。五輪が終わったあと、少子高齢化必至の我が国において旅客の伸び代はない。新たな施設の維持・管理はその少なくなる将来世代に負わせる。文化財とともに過去の歴史を継承すべき世代が、スパッと断絶してしまう。これまで積み重ねてきた解釈の継続性・安定性を放擲する政権である(憲法の政治解釈)。そして贖罪を過去の歴史とともに将来世代に引き継がせないという政権である(従軍慰安婦)。そのご都合主義が社会全般にはびこっている。

___

<池田信(あきら)氏の記憶>

2020年東京オリンピック開催に向けて、開催地東京の中心部は再開発ラッシュである。先のオリンピックのモニュメント(国立競技場)までもが建てかえられ、建設・土木業界にとっては、周辺地域の再開発も含め、向こう4年間は大型の建設需要が引きも切らないことになりそうだ。

今から53年前の昭和36年(1961年)、同じ槌音が東京中で響きわたっていた。3年後のオリンピック開催に向けて、その槌音の下、東京の町並みが一変し始めたのである。その当時、都立日比谷図書館の資料課課長であった池田信(あきら)氏は、その変わりゆく東京にカメラを向けていた。何かに衝き動かされるように失われゆく町の風景を数万の写真のコマに収めていったのである。

この記録の一部、約400枚の写真が毎日新聞社刊『1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶』に収録されている。

この本のあとがきで、解説者の松山巌氏が池田氏の言葉を以下引用している。
「昭和36年、気づいてみると、オリンピック東京大会準備の為ということで、東京の町は俄に且つ極端にその容貌を変えはじめました。昨日までの町は壊され、掘割りは乾されて自動車が走り、川の上には高速道路ができて、下には水が、空には自動車が流れるようになったり、確かに一部では東京はきれいになりました。そして昔を偲ぶよすがも見当たりません。それどころか過去の道路行政の貧困さの責を、交通渋滞は都電のせいだとして、多くの都電の営業路線を廃止し、数年後には全部なくすそうです。剰え、天下の大道から人間は自動車にはじき出され地下道にもぐらされたり、歩道橋で空中に追上げられたりしています。」

松山氏があとがきで指摘するように、「確かに一部では東京はきれいになりました。」に続く池田氏の言葉は厳しい。「天下の大道から人間は自動車にはじき出され地下道にもぐらされたり、歩道橋で空中に追い上げられたりしています。」

この言葉に照らして池田氏の遺した写真を一枚一枚眺める。はじき出されることも、もぐらされることも、追い上げられることもなかった人々と、その人々の生活の音や匂いまでも感じ取れるような静かで奥行のある町並みがその写真の向こうにはあると気づく。入り組んだ水路・運河と人々の日常の生活が一体となった景観が、その負ってきた歴史とともに何の違和感もなくその地割に組み込まれているのである。

「均整のとれた総体としての人間」を目標とし「人間の尊厳保持」に重きを置くことをその憲章に定めるオリンピック。この精神にしてその現実はどうであろうか?オリンピックがその歴史上、国威発揚の手段として使われて久しい。国の威信の下で人間が「はじき出され・もぐらされ・追い上げられ」る。人間に資する憲章の精神と、人間を疎外する現実社会との差が、50年の繰り返しの中で全く縮まっていないことに気付く。50年前に「はじき出され」今再び「はじき出され」ようとしている都営霞ヶ丘アパートの年老いた住民などである。個の生きる尊厳を枝葉のようにはじき出す。まさに本末を誤ることではないだろうか?

先のオリンピックでは、そのように人々を疎外する町並みを東京は現出させた。そして、秋山氏が言うように、オリンピックに合わせて作られた巨大構造物の多くが半世紀の時を経てもなお違和感と異質さを漂わせる(首都高速道路など)。人間の疎外を目的に作られた都市構造物は人間を疎外し続けるのである。その点は、かつてのベルリンの壁と同じかもしれない。

人間の疎外を目的に作られた都市構造物は人間を疎外し続けるのである。
この国の「おひとり様・無縁社会」の深化を象徴している。

----

追記:

原宿駅、建て替えと共に現駅舎の保存(するか否か)も検討が始まったようだ。

いくらJR東日本の持ち物とはいえ、公共的文化資産である。文化価値を経済性との天秤に簡単にかけるのは発展途上国並。成熟した国家と言えぬ文化的民度の低さを東京五輪に向けて国際社会に発信するようなものである。

東京中央郵便局再開発時の日経の<再開発反対論への反論>が記憶に新しい。何事も経済性第一はそろそろヤメにしてもらいたい。経済界とて功利一辺倒ではなくいざというときは還元<メセナ>するのが先進国。一部を残して話を取り繕うのではなく、全部を然るべき場所に移設保存するくらいの心意気を示して欲しい。

再開発反対論への反論(Wikipediaより)
2009年(平成21年)3月、日本経済新聞と毎日新聞は、再開発の中止・旧庁舎の全面保存案について批判的な記事を発表している。両紙の記事は、もしも計画が中止になれば、建設会社への多額の賠償金が発生し、郵便局会社の経営は大きな打撃を受けると指摘している。さらに毎日新聞は、再開発によって得られるテナント収入は、郵便局会社の収益力の弱さを補うために必要であるとしている。日経新聞は、旧庁舎が歴史的価値のある建物であることは認めた上で、(都心の)一等地が郵便集配の拠点にすぎないことは郵政民営化前から「資産の無駄使い」であると批判されていたことを指摘している。
一方で、2007年(平成19年)末、週刊ダイヤモンドは、再開発の中止・旧庁舎の全面保存が郵便局会社の経営を危うくするとする論拠は疑わしいと主張する記事を掲載している。

(おわり)
posted by ihagee at 03:11| 東京オリンピック