2016年06月03日

発想の転換(“最も古いまだ使用中の家電”コンテスト)

<恐るべきドイツ家電の耐久性。1925年製の掃除機ほかいまだ活躍中!(英)>
原記事<Grandmother reveals the 90-year-old multi-purpose gadget that grinds coffee, vacuums and minces meat

いやはや、この記事には感心した。掃除機のみならず、コーヒーミル、ミンチ機、フードプロセッサーまで、80〜90年選手で現役という。いずれもドイツ製品で愛用しているのは英国の主婦。その1925年製の掃除機で見事、コンテストの優勝をしとめた。
「どの製品も壊れないし、耐久性は今どきの製品の方がないわよ。」

“最も古いいまだ使用中の家電”コンテスト(a competition to find the oldest working appliance in the Black Country)というものがヨーロッパにはあることにも驚く。それを催したのはこの主婦の地元の工業地帯(Black Country=バーミンガムの大工業地帯)という。実用品(「まだ使用中」)であるか否かは、工業製品の本来の役割を問うものであって、その役割を終えた製品のアンティークやビンテージといった予後的価値(趣味性)に重きを置かないところも良い。

彼女が見事優勝を勝ち取ったプラスチックと金属の筐体の1925年製のピッコロという名の掃除機は(ペイントスプレーヤとしても使うことが可能だそうだ)、彼女の結婚式でプレゼントとして貰ったものだという(1963年)。製造から四半世紀経っても贈答品となるばかりか、それからさらに半世紀、現在まで故障一つせずに使われているというから驚きである。1925年当時のメーカーの設計思想が図らずも現在を見越していたとしか思えない。

翻って、「家電製品」こそ新しさの象徴、買い換え・使い捨ててばかりの我々である。たとえ半世紀以上前の家電製品が残っていても、その多くは予後的価値(趣味性)で語られるに過ぎない。

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「ソニータイマー」という都市伝説がある。Wikipediaによると、『「ソニー製品は一年間のメーカー保証期間終了直後に故障が頻発する」という噂から生まれた、「ソニーはその高い技術力を使い、決まった時期に故障が起こるよう精密に製品寿命をコントロールしている」 という都市伝説』である。「都市伝説」なので何ら客観的な根拠はない。

しかし、ソニー製品に限らず、コンシューマ向けの日本の工業製品全般について言えることだが実用年数が短いという点は事実だと思う。購入した製品がいくら使い勝手良くて愛着があったとしても、長く使い続けることを許してくれない<メーカー側の都合>があるのではないか?という疑いである。

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長く使い続けることを許してくれない<メーカー側の都合>とは上述の都市伝説のように「(一定期間で)故障する」ということではなく、故障修理や部品交換というアフターサービスについて、その期間を短く設定したり、消費者に対してアフターサービスよりも新製品への買い替えを勧めるといったことである。携帯電話のように外的環境の変化に応じてそうせざるを得ない(トレードオフの観点)製品もあるだろうが、白物家電のように従来の技術の上で期待される基本性能が固まっている製品についてまで<メーカー側の都合>に応じて消費者が買い換えなくてはならない事情は解せない。

<メーカー側の都合>とは、そうやって常に新しい製品を市場に提供し続けない限り、市場から事業資金を調達できないという事情があるからだろう。飽和・成熟した国内市場では基本性能だけでは売れないし市場からの反応も良くないので、アレコレとムダな付加価値を付けて新味を出し、製品と直接関係のないようなイメージ戦略まで駆使して(たとえば「白い犬」で売る)消費者の購買意欲を喚起し、且つ価格競争にも打ち勝たなくてはならないので、ぎりぎり基本性能や品質が保てる程度にコストカットを図る。その為に真っ先に犠牲となるのがアフターサービスというわけである。製品に愛着がないのはメーカー側ではないかと思える程の割り切り方である。

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そして我々消費者側の意識も「修理するよりも買い換えた方が安いですよ。」と言うメーカー側の言葉に応じてしまっている。さらに、一貫性がなく流行を追うだけで飽きが来やすい製品のデザインは長く付き合いたいという気を失せさせる要因ともなっている。

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「中古車で十分」の先に起こる日本の不幸化』(ITmedia ビジネスオンライン 5月30日(月)8時6分配信)なる記事を目にした。

「新車なんて買えない。中古車で十分だ」と「消費の抑制」は、新車は要らない→新車製造の設備自体処分→企業経営が立ち行かない。だから、財の生産装置としての自動車メーカーを<健全>に維持していくためにはコンスタントな需要があることが理想。働いている人だって「来年給料を倍払うから今年は無給で働いてくれ」と言われたら干上がってしまう。企業も同じだ…と。

つまり、新しいモノを我々が買い続けることによって企業は健全化し、日本は幸福になるということなのだろうか。何やら<鶏が先か卵が先か>の同じコップの中の閉じた論にしか見えない。どちらも先にならないことを、アベノミクスは結果的に示している。

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上述のような新車を買わなければ干上がってしまうような<健全性>や我々が日頃甘受している<メーカー側の都合>。それらとは反対のベクトルに転換させる発想というものはないのだろうか?

「新車なんて買えない。中古車で十分だ」ということが<消費者側の都合>であるなら、富裕層しか手が出ないようなFCV(燃料電池自動車)こそ環境に優しいなどと背伸びをせずに、一般庶民が中古車を長く乗り続けることの方が環境に優しいという発想に企業側が転換すれば良いのである。そこに企業は自らの<健全性>を見つければ良い。

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型式の古いゴルフが疾走する景色はドイツのアウトバーンではよく見かける。しっかりメンテナンスを施して長く乗り続けることの方がトータルで環境に優しいことをドイツ人は知っているのだろう。そういうアフターサービスに自動車メーカー側も受け皿をしっかりと用意しその裾野の工場や労働者も多い。従って「中古車で十分だ」も自動車メーカーの<健全性>に寄与することになる。

レシプロのエンジンを電気モーターに換装して、古い自動車に新たな技術を組み込むサービスも登場し始めている。

いずれも、廃車にしない分、トータルで見れば環境への負荷は低い。

車ばかりではなく、ドイツの家電製品には長く使い続けることにメーカーも消費者も共に<健全性>を保てる秘密がありそうだ。

その秘密とは3つ。

1. 基本性能
何を目的とするモノかその基本への性能と品質をおろそかにしない。基本からブレない。哲学ともいうべき頑なさがある。
2. 耐久性
製品そのものの耐用年数が数十年単位で設定されている。つまり、その年月でも決して基本性能において陳腐化を起さないように、最初に時間をかけて綿密に設計されている。その為に目新しい技術よりも枯れた技術を繰り返し愚直に使う傾向がある。
3. デザイン性
デザイン先行ではなく、機能性を求めた先にムダのないデザインがあるという考え方であり、長く使い続けてもらう為にも外連味を排して「最小は最大」という伝統的なデザイン観を守り続ける。

この3つを追求しても尚、企業が<健全性>を保てる市場性・価値観や社会・経済構造になっているのだろう。

フィルムカメラの世界において、レンズ・カメラ共にドイツ製品が製造後半世紀を超えても「実用品」たるのも、これらの秘密ゆえである。メンテナンスや修理にたずさわる業者の裾野も厚く広い、また、新たな技術(ミラーレスカメラ)と組み合わせることで半世紀以上前のレンズも「実用品」として機能を果たし続けている。その当時のレンズの設計者がミラーレスカメラの出現を予見する筈もないが、設計思想は現代に生き続けている。まさにモノに命が宿る。(参照:「百代の過客」)

このように、我々の場当たりとは異なる、巨視的な発想がドイツにはある。どおりで1925年の掃除機が現代において「実用品」としてコンテストで優勝するワケである。

ここには「ソニータイマー」といった<都市伝説>も生まれないし、「アベノミクス」といった<鶏が先か卵が先か>の政治的期待もない。

(おわり)
posted by ihagee at 20:04| エッセイ