2019年01月26日

脱却する年に今年をしたいものだ




農業共同組合新聞電子版のコラム欄は読んでいて為になる。それは日々食糧を供給している生産者の側からの視点・論点がわかるからだ。農政だけでなく社会全般について忌憚なく識者が意見を述べている点も面白い。

その中で、酒井惇一(東北大学名誉教授)の『2019.01.24 【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第37回 新年には「不適切」な話?』は、正鵠を得ていた。政府関係者・マスコミの「不適切」という言葉の誤用(不正と言うべき)に始まり、

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『丁寧に説明する』=『的を外して同じことを繰り返し繰り返しおしゃべりする』
『しっかりと説明する』=『うまくごまかせるようにしゃぺる』
『緊張感をもって対処する』=『緊張して対処しているように感じさせる』
『スピード感を持ってやる』=『スピードがあるという感じを持たせるようにやる』
『書き換え』=『改竄』、『捏造』
『怪文書』=『隠しておきたい本物の文書』
『記憶にありません』=『記憶にはありますが、言えません』

『ある言葉にその本来の意味とは違う内容を持たせて使って事の本質をごまかすことを現政権は一貫してやってきた。(中略)最近の「政治屋語」(「アベオトモダチ語」とでもいうべきか)、これは「誤用」、「誤解釈」どころか、国民を愚弄し、だますものでしかなく、どうしても許せない。(中略)政治によって統計が捻じ曲げられるなどという異常な事態になっている。これは政治の堕落、危機としか言いようがない。新年には「不適切」な話だったかもしれないが、そんな話をしなければならない状況から脱却する年に今年をしたいものだ。』

(引用まま)

と。

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『厚労省「分割論」再び…統計不正、与党に強い危機感 / 厚生労働省の「毎月勤労統計」調査が不適切だった問題は、政府の22の基幹統計でも不適切手続きが発覚し、霞が関全体を揺るがす事態に発展した。』(産経新聞電子版2019年1月24付

酒井東北大名誉教授の上述のコラム記事に従えば、この新聞の見出し(及び内容)は事の本質を曲げて伝えているとなる。つまり、省庁・霞が関の問題・事態であると、厚労省を始末せよ、などと、あたかも「政治によって統計が捻じ曲げられる」ことはないとしたい「政府関係者」のスポークスマン的記事である。この新聞社の本質まで「不適切」なる用法一つで見えてくるから、酒井先生のコラム記事はけだし有用であった。

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そして、勤労統計不正問題に関して、25日、野党5党が国会内で開いた政府(厚労省、総務省、内閣府など)からのヒアリングで山井和則議員(国民民主)は総務省の上田聖政策統括官(統計基準担当)から実質賃金の伸び率は、実はマイナスだったとの政府見解を得るに至った(田中龍作ジャーナル記事より)。

「21年ぶりの記録的な賃金上昇」(2018年6月の賃金統計)とアベノミクスの成果の喧伝と自民党総裁選での三選に寄与したのも政府基幹統計の不正であり、この時間軸は、森友・加計問題での公文書改ざんと政府答弁の前後の時間軸に相似している。つまり、統計不正も公文書改竄もすべて政府・与党にとって良く都合しており、動機は省庁・役人ではなく政府(安倍政権)・政治(与党)の側にあるということが明白になりつつある。力点がなければ作用しないは物の法則。ゆえに「忖度(慮る)」などではなく、明らかに指示系統を伴った「教唆(そそのかす)」である。ちなみに、この「忖度」なる言葉も、事の本質をはぐらかす言葉である(拙稿『「忖度」ではなく「教唆」』)。国際社会でこの「忖度」なる言葉が理解されないのも道理である。

「賃金がどれだけ伸びているかは、アベノミクスの一丁目一番地。アベノミクス偽装とさえ言えるのではないか」(国民民主党 山井和則衆院議員)

「政治によって統計が捻じ曲げられる(酒井東北大名誉教授)」がここに至っていよいよ白日の下に晒され、「アベノミクス偽装」という本質を伴う言葉が昨日来、twitter上で飛び交っている。元号も変わる。この際だから、我々も正直になりたいと思い始めたのかもしれない。

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経済施策に自らの名を冠しただけに、「偽装」という事の本質を直裁に示す言葉を付け加えられ、事の本質をごまかすことで国民を騙してきた安倍政権のそのものの本質が暴かれようとしているのかもしれない。「アベノミクス偽装」なる言葉は安倍首相にすれば痛いが、この言葉自体もはや言い換えることはできない。被害者ぶって「アベノミクス妨害」とでも言うつもりかもしれないが。

「(データ不正は)官僚が勝手にやったこと、私は一切関係ない」と安倍首相は言うだろう。そう国際社会に発信する。ダボス会議での「大阪トラック」もこの発言の上にある。行政や社会が不公正を行うから、「私がルールを提唱いたします」・・とくる。泥棒でありながら防犯対策を指南するという二重話法(正反対)を地でいく(拙稿「説教泥棒・憲法泥棒」)。

しかし、「(データ不正は)官僚が勝手にやったこと、私は一切関係ない」という言い逃れは、欧米では驚きを以って受け取られている。なぜなら、政治は嘘をつくが(政治家は嘘をつく職業だ)、行政が嘘をつけば(官僚は法に従うから嘘をつく筈がない)国家として体を為さない=無法国家、というのが欧米の国家観だからだ。ところが、その行政府の長である安倍首相は「日本の官僚は嘘を付く・勝手に判断し法を侵す」と国際社会に喧伝しているのである。日本国の国際的信用を貶めて、どこが「美しい国」なのだろうか?安倍首相が真の愛国者であれば、少なくとも政治家が罪を被ってまでも国家の信用を守るだろう。「大阪トラック」とか「ガソリンよりもデータ」が空々しく受け止められているのも、事の本質(政治によるデータ捻じ曲げ)を「データ管理・運用」にすり替えようとする魂胆が透けて見えるからだ。嘘を糊塗せんとして、事の本質を元から変えてしまう、これが「嘘をつく・虚飾する」→「整合するようにファクトを改竄する・なかったことにする」→「ものごとの本質がすり替わる」、の連鎖となっている。そしてやたらと海外に出かけては「やってる感」を露骨に演出するが、そのジツ、何をやってるのかさっぱりわからない。その費用効果について国民に対して全く説明がない。



(25回目の日ロ首脳会談後の安倍首相のスピーチとロシア側の反応=嘲笑と棒立ち (C)共同通信社)

6年もこのことをずっと繰り返してきた。そして、懲りもせず、これから先も延々と行うつもりらしい。
しかし、どうやらこの連鎖も焼きが回ってきた。すっかりこのトリックの手の内が見透かされてしまっている。

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東京オリンピック招致段階での裏金疑惑について、米国の大手通信社AP Newsが2019年1月24付で「フランスの捜査線上に日本企業」と報道。その企業は電通と名指した上、疑惑への関与、安倍政権との関係まで事細かに伝えている。

こちらもいよいよ、事の本質に迫ろうとしている。

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裏金疑惑問題、「招致に失敗することは絶対に許されない」従って「きれい事ではない」仕事も含まれていることから、その部分は匿名性を構築しなくてはならず、オフショア会社と人物として、電通はブラック・タイディングスとタン氏を招致委との契約書上のコンサルタントとしたのではないか?そのような趣旨で招致委に提案したのではないか?契約相手を実体のない会社と身元不詳な人物に敢えてしておくことなどは、最初から招致委も電通もわかっていたのではないか?タン氏にそのコンサルタント料を以て贈賄工作を命じた者は誰なのか?というのが多少なりとも外電から得た情報を頭の中で整理すれば抱く疑問である。日本の報道メディアでは「電通(の関与)」部分は隠されてきた。「電通」の放送業界全体に及ぼす力関係からすれば、触れてはならないとする不文律があるのだろう。

招致委も電通もブラック・タイディングスの秘密口座が1年後にまさかロシアのドーピング隠しの送金口座としても用いられ、そのことがWADA経由で表沙汰になるとは予想もしていなかっただろう。それさえなければ、コンサルタント契約の有無、コンサルタント料そしてコンサルタント契約の相手の名前など世間に知られずに済み、それがどんな相手かも世間に詮索されずに済んだ筈である。その詮索がまさか、フランスの司法当局となるとは思いもしなかったろうが、残念なことに彼らは「アベオトモダチ語」を理解しない。「電通」とはっきり名指しする。

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『新年には「不適切」な話だったかもしれないが、そんな話をしなければならない状況から脱却する年に今年をしたいものだ。(酒井東北大名誉教授)』

脱却する年になりそうである。そうでなければならないだろう、元号も変わることだし、そろそろね。

(おわり)

追記:
「大阪トラック」について。
AI(人工知能)に供する生データ(ビッグデータ)には著作物(著作権の対象となる知的財産)が含まれているので、ほとんどの国では非営利目的以外にそれらデータをAIの学習に用いたり、学習済データとして販売することは法律で禁じられているが、日本だけは営利・非営利を問わずそれがほぼ許されているという世界でも稀有な法環境がある(著作権法には47条の7(改正著作権法第30条の4))。したがって、日本国内のデータベース上であれば、合法的にAIに学習させることができるという「学習パラダイス」が国家経済戦略上、浮かび上がるのは当然であろう。世界中のデータを日本に集約しAIの学習拠点とする・・構想は、他の国では法律が許さない点、ある意味、日本に絶対的優位性があるとも言える。ものづくりを諦めた日本とすれば、「ガソリンよりもデータ」なのだろう。その方向性は渋々認めるとしても、安倍政権がその舵取りを行うことは絶対にやめてもらいたい。「大阪トラック」などと、ルールの主体者になる資格もないからだ。その譬え話ともなる映画『ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲』ローワン・アトキンソン主演、をビデオでご覧あれ。邪悪な心をもった世界のデータの支配者ヴォルタに、最後は「ガソリン」ならぬスマホを投げつけてやっつけるというアナログ的結末。データ社会といえども、その主体者の心が邪悪であってはならない、そんなことでは「ガソリン」にすら負けてしまうという、現代の寓話である。「ガソリンよりもデータ」などと言う安倍首相にその「ガソリン」ならぬスマホの角に頭をぶつけて気絶する、ヴォルタの顔が重なって見えた。

そして、
「政治家は嘘をつく職業」という国際的な概念。
権謀術数に長けていなければ政治家は務まらない。その為には嘘もつく。だからといって、嘘八百では国民が不幸になる。ゆえに、政治権力を常にウォッチし、事実を確かめ嘘の程度をチェックする必要がある。その使命がジャーナリズムに課せられているのである。ところが、産経新聞の阿比留氏は、権力を監視することは報道機関の本分ではないと結論付けている(「阿比留瑠比の極言御免」なる連載記事・拙稿「立ち位置を知ること(続き2)」)。どうやら、この御仁もこの新聞社も「政治家(特に安倍政権の)は嘘をつかない職業」なる性善説に立っているようだ。その逆に、「官僚・行政は法に従うから嘘をつく筈がない」という国際的な概念(もし嘘をつけば国家としての体をなさない)を嘘といい、始終嘘をついて全く信用ならない、けしからんと怒る。その手の報道を尽くすことは「日本の官僚は嘘を付く・勝手に判断し法を侵す」と国際社会に発信し、日本国の国際的信用を貶めることでもある。矛先は、嘘を付かせ・法を侵すことをそそのかす政治権力にあるにもかかわらず、その政治権力を監視することは報道機関の本分ではないと言うのであるから、この国の信用などどうでも良いのかもしれない。愛国者を装っているがとんでもない。


posted by ihagee at 05:02| 政治