2016年05月01日

国家ぐるみの壮大な「粉飾決算」

ミハイル・マリコ博士(ベラルーシ科学アカデミー)
「核事故の歴史は関係者が事故を小さく見せようと放射線防護を軽視し、悲劇が繰り返された歴史です。」

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(Exakta RTL1000 / Carl Zeiss Flektogon 2.8 / 35, Ilford Delta 400)

「指定廃棄物で新ルール、環境省 <濃度下回れば一般ごみに>
環境省は28日、東京電力福島第1原発事故で発生した指定廃棄物に関し、放射性セシウム濃度が1キログラム当たり8千ベクレル超の基準を下回った場合は指定を解除し、一般ごみと同様の処分を認める新ルールを正式決定した。解除は国と自治体が協議して決める。解除後の処分費用は指定廃棄物と同様、国が負担する。放射性物質汚染対処特別措置法の省令を改正し、同日付で施行した。(共同通信・電子版4月28日報)」

軽視(過小化)とは原発事故後の放射線防護における<関係者>の態度である。<関係者>とは事故を起こした原発側(加害者)に立ってひたすら核事故を小さく見せようとする者である。環境省の立場とはそんなものなのだろう。東芝や三菱自動車の例を見るまでもなく、官民あげて不都合の粉飾が今の日本を表している。

原発事故前には原子炉等規制法に基づくクリアランス基準(100Bq/kg)がある。原発事故後にこれが食品汚染の新基準値セシウム合計100Bq/kg(2012年4月1日から施行)にすり替わった。口に入れるものと(後者)がガレキや原発内の廃材(前者)と同じ値にされてしまった。東電の敷地内では今でも「1キロあたりの放射性セシウムが100Bq以下のゴミもドラム缶に入れて厳重に管理し、搬出後もコンクリートや土で外に漏れ出さないようにしている。(柏崎刈羽原発)」である。

今回の省令ではその80倍(8000Bq/kg)まで<一般ゴミ>と同様の処分で良いとなった。原子炉等規制法に基づくクリアランス基準(100Bq/kg)は当てはまらないと環境省は言う。クリアランス基準の100Bq/kgは原子力発電所の解体等により発生するコンクリートや金属を想定し、日常生活を営む場所で様々な方法で再利用されたとしても安全な基準であって、<一般ゴミ>は再利用されないから制度趣旨が違うので比較にならないと環境省は言う。クリアランス基準でいうところの放射性廃棄物は焼却・埋め立て処分などできない。だから、先ずそんなクリアランス基準は制度趣旨が異なり当てはまらないので放射性廃棄物でもない、だから、一般ゴミであり、焼却・埋め立て処分ができると話を持っていく。官僚の論法である。

再利用されないという点で論点のすり替えがある。その主語は人間と決めてかかっている。しかし、先年の東日本豪雨での大洪水、そして今も続く熊本・大分を中心とする地殻変動・地震などを主語にすれば、日常生活を営む場所に焼却・埋め立てした処理廃棄物が流出・移動することぐらい想定の内である。ガラスで固化するなどもせずに灰にして埋めたモノなど簡単に土や水に混ざって環境に<再利用>される。想定できることも敢えて想定しないという前提で誤りはないとする官僚の無謬性である。地下520m(フィンランドのオンカロ)や1mSv/年(チェルノブイリ法)が何の為にあるのか知っているのに知らないフリをする。それらが当てはまらないという前提(嘘)から、地表や20mSv/年間でも構わないとする。

重大事項を形ばかりに民意を聞いて省令の改正でさらっと変えてしまう。連休を控え世間の関心がよそにある時期を狙ってである。放射線防護に対する環境省の軽視(過小化)の態度が見え透いている。

財政・経済・環境において本当はズタズタボロボロの日本を粉飾・虚飾して見せなければならないのだろう。『原発は国家ぐるみの壮大な「粉飾決算」』(城南信用金庫の前理事長・吉原毅氏)の言葉にあるように、その代表格が原発であり原発事故である。「粉飾決算」がこの国の代名詞であってはならない。

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放射性物質汚染対処特別措置法の省令改正・資料

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(おわり)
posted by ihagee at 08:57| 原発