2017年10月23日

衆議院議員選挙結果への一言



少なくとも私の周辺の人々の政治意識が「またも」反映されない衆議院議員選挙結果となった。<現実感>がないバーチャリティの臭いが芬々とする。

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(安倍自民党総裁・秋葉原駅前での立会演説会模様)


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(同上・動員された人々または支持者)


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(枝野立憲民主党代表・秋葉原駅前での立会演説会模様)


・・どちらがバーチャルであるかは一目瞭然。
通行人や一般聴衆を規制線の外に置かなければ演説一つできない安倍さんとは一体なんなのだろうか?警備上の問題よりも、安倍さんのメンツを保つために事前に色々とお膳立て(演出)しなければならないのだろう。それにしても国旗を自民党旗のように使って良いのだろうか?「安倍総理」と横断幕を掲げさせて良いのだろうか?日本国民=自民党員ではない。安倍総理大臣・首相=行政府の長。政党議員として活動するのなら安倍自民党総裁。

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デジタル社会になってからこの<現実感>のなさは社会の隅々まで顕著となりつつあるのではなかろうか?レンズばかりか被写体さえ不要なAI社会のカメラのような不気味さが忍び寄っている。バーチャリティでその通りの結果となるのなら、選挙自体不要なのではないか?と疑わせる程の<現実感>のなさだ。


(任侠映画ではお馴染み)


選挙前の与党やマスコミの予測通りの票割となっていることも驚きである。スパコンを用いた天気予報よりも予測精度が高いとは一体どういうことなのだろうか?昨年のイギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票でも米国大統領選挙でも予測通りにならない結果なのに、なぜか我が国の国政選挙では近年予測通りの結果が続いている。

「法の支配と秩序」が確立されていない国で横行している選挙システムの不正。我が国は「法の支配と秩序」が確立されているから不正など疑う必要はない。ということだそうだ。「法の支配と秩序」が確立されているか否か、<選挙システム>自体に我々国民の目は一切入っていない。だから、疑う必要はない、ことすら疑っていないのである。「法の支配と秩序」とはどこまでも国民の目が入ることであって、それがある先からは入らないというのであれば、そもそも「法の支配と秩序」の前提自体に「本当か?」と常に疑問を抱きチェックすることが本当の「法の支配と秩序」ということになる。意識なきシステムにどっぷり身を委ねていてはダメだ(拙稿『<意識なきシステム>で「世界一」となる国』)。投票前の時点で「世界一」の当落予測精度を誇る<選挙システム>がそれであってはならない。

つまり、投票用紙に始まって開票・集計作業全般(選挙システム)の公正性は国民の監視に付託されていないのである。平たく言えば、薬局で用いる計量秤が狂っていれば、下手をすれば投薬された人の命に関わる大ごとと同じで、だから用いる計器は計量法の下で、国際的に統一された計量基準と各種計量器の正確さを維持するためのトレーサビリティの維持が義務付けられている。同じことがこと<選挙システム>には義務付けられていないのである。公職選挙法第204条に選挙の効力に関する訴訟を選挙人などは提起できるとあるが、あまりに敷居が高い。

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公職選挙法第204条に規定の選挙の効力に関する訴訟を中央選挙管理会を被告として選挙人又は選挙候補者(候補者政党)が選挙の日から30日以内に高等裁判所に起こすことができる。手作業による再集計なり使用済み投票用紙のチェック(上述のマーキング等の細工の有無)を求めることもできよう。

「どうせ門前払い」と諦めることもない。地方議会選挙に係る過去の最高裁判例(最高裁判所第3小法廷判決/昭和31年(オ)第843号、最高裁判所平成14(行ヒ)95第一小法廷判決)では、選挙管理委員会以外の人間が行った不正であっても訴因となること、「選挙結果への異動を及ぼす虞がない(公職選挙法第205条第1項)」は選挙管理委員会が「虞がないこと」を証明できない限り、選挙の無効を訴えることができることを判示している。国政選挙においても同じであろう。

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さて、その<選挙システム>について我々は全くブラックボックスに置かれている。読み取り・仕分け・集計に用いるソフトウェアのソースコードは一行たりとて開示されていない。投票所の係員の誰一人としてそのシステムの詳細を説明することはできないだろう。このように「法の支配と秩序」が主体的にこのシステムの内側を照らすことはないのである。選挙という民主主義を支えるシステムの根本が、一民間業者に委ねられ、且つその業者の守秘義務は国民の知る権利よりも勝る状態であれば、そもそも、「法の支配と秩序」があるのかと疑っても当然だろう。



昨年、4月の衆院北海道5区 の選挙に関連して、上述と同じ趣旨の記事を掲載した。
以下、ブログ記事を再度掲載したい。(拙稿「<蟻の一穴・アキレスの踵> 選挙の公正」も同様の趣旨である)

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衆院北海道5区、自民党新人の和田義明氏=公明党、日本のこころを大切にする党推薦が当選した。

先日、行きつけの床屋の某週刊誌に阿川佐和子さんと岸井成格氏の対談が掲載されていた。

岸井 スポンサーがらみで言うと、これは自民党幹部から直接聞いたんだけど、「数字だって今や操作はいくらでもできるんですよ」って。
阿川 数字って、視聴率のこと?
岸井 そう。視聴率ってビデオリサーチ一社が測定していて、測定器を置いているのって関東地区で六百世帯くらいでしょ? 官邸はどこの家庭に測定器があるか全部知ってるわけ。
阿川 やだ、恐ろしい。
岸井 だから、もし本気で何かを操作しようと思ったら、方法がないわけじゃいない。「岸井さんも気をつけて」と言われました。

つまり、自民党幹部が岸井氏に対して、“視聴率などいつでも操作できるぞ”と告げていたというのだ。

大変気になる発言である。
この中で、視聴率がもし得票率であるとすれば、である。開票集計は以前は手作業で行われていたが、現在は機械による自動読み取りが主流のようである。実際に手書きされた文字と読み取った結果が一票残らず一致しているか否か、誰も検証していない。一票といえども権利である。今回の補選が自動読み取り機による集計であるのなら、手作業による再集計を池田真紀氏に投票した道民は要求すべきであろう

普通に考えても検証がないことはおかしい。仕事でもスキャナーを用いたOCRで画像原稿から文字起こしをすることがあるが、読み取った結果を目視でチェックせずにそのまま使うことは決してない。いかなる筆跡であろうとその画像データが正しく文字に変換されるOCRなどこの世に存在しない。したがって、読み取りに間違いがあることを前提に正しいかを後追いでチェックして当然なのである。選挙ともなれば絶対に必要なことであろう。

憲法というこの国の根幹まで都合解釈して捻じ曲げる政権だから疑いたくもなる。大もとで不正がまかり通るなら選挙の意味がなくなるどころか民主主義でなくなる。不正なき選挙結果であったことを事後再確認することは与野党を問わず異議がない筈である。誰も異議がないのであれば衆目監視の下、手作業で再集計すべきであろう

手書きの投票が電子投票にでもなれば筆跡や指紋といった証拠すら残らず、データの改ざんなど容易にできる。選挙という民意はどんなに手間がかかろうとも、機械ではなく人間の手と目を信用すべきなのである。機械に神話があってはならない。原発安全安心神話の崩壊で懲りた筈なのに、相変わらず<意識なきシステム>を神の如く信奉しそのご託宣に運命とばかりに身を委ねる我々の意識に大いなる問題がある。<選挙システム>に神話があってはならない!

我が国の表現の自由度ランキング72位の前後には、選挙制度に不正が横行する民主主義の後進国が踵を並べている。そんなランクに我が国を落とした安倍政権であれば、我々が同じ疑いの目を向けるのも当然。国連の表現の自由調査官を袖にしている場合ではない。選挙監視団が派遣されてくることすらあり得る国々と同じランクに落ちたと認識し、我々はこの国の「法の支配と秩序」を<選挙システム>についても疑うべきなのだろう。

(おわり)

posted by ihagee at 06:21| 政治