2016年04月19日

「運命でかたづける国民性」

「運命でかたづける国民性」と先日のブログで述べた。

自然災害の範疇であれば、社会的に許容せざるを得ないリスクというものも存在するだろう。火山・地震・活断層・台風など。しかしそれらを「運命」とあっさりと住民に諦めさせるならそもそも政治も行政も要らない。運・不運でかたづけるなら神仏の世界である。

自然災害ではなく、人間社会の範疇でのリスクというものも存在する。中には許容せざるを得ないリスクもある。それらは社会生活上許容の範囲にあり管理できるリスクである。自動車に乗れば事故に遭遇するリスクもある。喫煙すればガンになるリスクもある。それらは個人レベルでも用心すれば回避できるリスクである。

原発が管理できないリスクを抱えていたことは、先の福島の原発事故で明白となった。そのリスクは社会生活上許容できる範囲をはるかに超えている。ドイツでは社会倫理上の問題と捉え、脱原発に決した。

日本では福島の原発事故に遭いながら、その原発をあたかも自然災害の範疇の「リスク」や人間社会の範疇の「リスク」と同じ扱いで受け入れろと言う人々もいる。しかし個人レベルで用心すれば回避できるリスクなどでは到底ない。いったん事故を起こせば人智を超えて数百年のオーダーで将来世代に負の連鎖を残す。自然災害の範疇なら神仏かもしれないが、原発を置いたのも迎えたのも人間である。なのに、原発には常に安全なる「神話」がついてまわる。あたかも神仏がいるかの如く神聖不可侵なのである。「神話」の下で人間社会の「リスク」が神仏世界の「運命」にスルリと化ける。「運命」なら仕方ないと。信じるしかないと。それは、神風が吹くと為政者が国民を洗脳した挙句「命の尊さまで、運命でかたづける国民性が、特攻隊を作り、隊員は文句も言わず死んでいったのである。」と同じである。原発再稼働とは人間社会が神や仏を騙って(神話)作り出した奇天烈な運命論であり神風思想であり盲信である。しかしいざとなって犠牲になるは常に一般庶民である。最高責任者と自認壮語する者ほど、真っ先に責任を放棄して逃げ回る。満州の地で棄民の憂き目に遭い命からがら本土に逃れた父は岸信介をそう評していた。A級戦犯以前に同胞を裏切り見捨てた原罪についてである。その孫が逃げない訳がないだろう。

しかし、原発を置いたのも迎えたのも人間である。神仏ではないし「運命」でもない。仕方ないものなどでもないし、それで過酷に死ぬことはあっても決して神風など吹かない。信じるにも値しない。つまり、ドイツで考えたと同じく、ひとえにこれは人間社会における社会倫理の問題である。メルケル首相は社会倫理を経済の天秤にかけなかった。社会倫理とは相対ではなく彼らにとって絶対規範なのである。日本ではその絶対的な観点がごそっと欠落し、奇天烈な運命論・神風思想が跋扈している。

石原良純氏には社会倫理の問題ということがわかっていないようである。原発も「運命でかたづける」つもりなのかもしれない。東日本大震災に「天罰」と言い放った親にしてその子である。地震も火山も原発事故も一緒こたに「運命でかたづけ」られてはたまらない。「収束」という言葉のない原発事故は火山や台風などと同列のトラブル(「ワン・オブ・トラブル」)で済まないことすらわかっていないようだ。

追記:
人間の所業を神に奉り上げて崇め、絶対権力化するが原発である。町工場が法律に反して廃液を河川に流せばその責任者は法律で罰せられる。その工場は社会から放逐される。ところが、原発は大事故を起こして膨大な国土を汚染しようがそこで暮らす人々やコミュニティを破壊しようが法に問われない。一般社会の法の下での産業事故ではなく、あたかも神の所業による「運命」として受け入れるように、神の代理人にでもなったつもりの政治家・経済人・マスコミ・官僚が我々を恫喝する。「死の街」「死の灰」と素直に眼前の有様を口にする者を罰し、「笑っていたら放射能は来ない」とか「原発なければ江戸時代」と宣う。地震や火山ですら「原発は安全」と地の神、山の神になったかの如くご託宣である。仕事と暮らしを守るのが経済であり政治であり行政であるのに、彼らはそれらを破壊することに何のためらいもない。将来世代の財布からごっそりカネどころか国土まで奪い取って「今さえ良ければ」がこのご利益の神様に仕える連中の行動規範である。

東日本大震災以来、相次ぐ地震・洪水など天変地異で日本のいたるところ仮設住宅、そして溶け落ちた核燃料の在り処さえわからない事故原発、その周辺には破れて草が生え出した放射性廃棄物のフレコンバックが野ざらしにされているのを横目に、「東京には影響は及ばない」「アンダーコントロール」と首都大開発と利権に血道をあげ、そんな不遜な動機の東京五輪である。

「おもてなし」とかで海外からの観光客が増えた。寺社仏閣を訪れる人々も多い。そんな中で「靖国神社の神様は?」と問われて、「軍人です」と答えると欧米からの観光客は一様に驚く。ロシアの人は「レーニン廟みたいなもんかね?」と言う。畏怖・信仰の対象が軍人なのである。いや、神になったのだから軍神なのである。平和主義国家と言いつつ軍神を裏で崇める。先進諸国にそんな国はない。ロシアですらレーニンは埋葬すべきだとの世論が今や大半になった。

死者まで神に仕立てて、七生報国とばかりに政治的に使う。その社に首相が仕え行動原理がそこにある限り、神がかったこの国の底気味の悪さは、ある種神がかった首相と同じく、やはり国際社会では共有されないのである。「二度と過ちは繰り返しませんから」と核は廃絶と叫ぶのに国は被曝者とは言わず被爆者と言わせ、核を原子力と言い換えさせる。原子力に言い換えて人々の命や暮らしを供えものとして捧げ「過ちなどありません」と詭弁を弄してこれを守る。原発にもどうやら靖国と同じ七生報国の神がいるようだ。

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石原良純 原発の巨大地震対策をめぐり玉川徹氏と対立(livedoor NEWS)

18日放送の「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)で、石原良純が、原発の安全対策をめぐって玉川徹氏と激論を交わす場面があった。

番組では、京都大学防災研究所教授の橋本学氏が、過去に日本で起きた地震を解説し、今後地震が発生する危険性が高い地域について論じていた。

この話を聞いていた石原は「心配するのはあたりまえなんだけど」と前置きして、「過度に反応するかって…僕らはここで暮らしていくしかないわけなんで」と異議を挟んだ。

コメンテーターの玉川氏は「個人個人だったら、自分たちで備えましょうって話だし」「あんまり過度に心配してもって話もあるけども」と石原の意見を一部肯定する。

しかし玉川氏は、愛媛県伊方町の伊方原発が、活断層の近くに位置することを指摘し、「(地震が)来ないって前提でやるのか、来るって前提でやるのか。全然話が違うんです」と警鐘を鳴らした。

すると石原は、壊滅的な被害を出すとされる箱根山の巨大噴火を例に出し、「それを考えて暮らしていくんですか?」と、過度に未来の災害を意識することを否定する。

さらに石原は「10万年に1回の(箱根山の)巨大噴火が起こったら原発どころの騒ぎじゃないですよ。原発もワン・オブ・トラブルになりますよ」と独自の見解を述べた。

この意見に、玉川氏は「そうですか?だって住めなくなっちゃうじゃないですか。何十年って住めないって地域が現れてるじゃないですか。福島に」と声を荒げて反論していた。

(おわり)
posted by ihagee at 03:16| 原発