2016年04月18日

父の日誌(神戸淡路大震災に際して)

父の遺した日記をめくる。あの日もこの国では大地震が発生していた。

「平成七年二月八日
平成七年一月十七日午前五時四十六分、関西地方を襲った大地震は、その後の調査で震度七という史上希な揺れが観測され、死者五千三百名、負傷者二万名、焼失並びに倒壊家屋十五万軒、避難所で生活している人が二十八万人という大災害をもたらした。
ただ、この震災で関西在住の親戚が一人の怪我も無く、家の倒壊も免れたことは不幸中の幸いであった。
何故このような大きな災害になったのか時間の経過と共に解明がなされてきている。

一、淡路島から神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市の下を走っている活断層で発生した直下型地震であったため、横揺れと同時に大きな縦揺れが起こり、今まで耐震設計では考えていなかった縦揺れと震度七という激しい揺れが構造物を破壊した。
二、被害の大きかった神戸市は六甲山と海に挟まれた狭い地域に日本の東西を結ぶ幹線道路、鉄道が走り、人家が密集していたこと。
三、関西地方には大きな地震はこないとの思いが自治体や住民にもあって普段の防災に対する対策が欠けていた。
四、政府をはじめ行政の危機管理能力が低く、初期の適切な対応が出来なかった。特に情報の収集に問題があり、当初、政府は大した地震ではないとの思いこみがあった。
五、水道が断水したため消火活動が出来ず、また電気のショートやガス管から漏れたガスに着火したことで各地同時に火災が発生したこと。多くの焼死体を出した火災の発生箇所が靴の小工場の密集している地域であったため、ゴムや接着剤の溶剤など可燃物が多かった。
六、自衛隊と自治体が平時に緊密に連絡を取り合い、災害発生時の役割分担の取り決めを怠っていたこと。[被災地の消防隊や警察官も同じ被災者であるから初期の活動はできない]
七、災害発生時に適切な交通規制を行わなかったため、道路の渋滞により一分を争う救助活動や消火活動が出来なかった。

以上、列記してみると、これほどの死者が出たことは、不可抗力であったというより、人災であったと思わざるを得ない。尊い命を失ったことだから、これを謙虚に受けとめて、今後の災害に備えなければならない。

その後の被災地に対する援護活動では、想像以上に若い人たちのボランティア活動が活発で、無能な政府や行政に憤りを感じる中、明るい光をおぼえる。

この災害に対しての、外国の特派員の報道を見ると、日本人は、これだけの災害に遭いながら、秩序正しく、冷静であることに驚きをもって伝えている。親、兄弟、子供を失った家族が、大声で悲しみを訴えるでもなく、家や家財のすべてを一瞬のうちに失った人たちが、初期消火の遅れを、自治体に抗議することもない国民性は、外国人には、どうしても理解できないらしい。

このような国民性が培われた理由は、日本人が度重なる災害に何度も遭遇してきたことにある。
日本は世界でも珍しい火山国で、列島至る所断層が走り、過去に今回のような大規模地震が、度々発生し多くの人命が失われている。関東大震災では、なんと十二万人もの人たちが、倒壊した家屋の下敷きになったり、地震の後発生した火災で焼死した。また、津波による死者も多く、近くは奥尻島で、大きな被害があったばかりである。

秋に襲ってくる台風もまた大きな被害を与える。家屋の倒壊に伴う死者、出水による家屋の流失、山崩れによる圧死の犠牲者がでることも度々である。

このような災害が度重なって起こると、災害の発生は、人間の力では防ぎようがなく、それで命を失ったり、財産を失うことは、その人に運がなかったと考えるようになった。江戸時代は、これに加えて大火が度々発生した。当時の家屋は、屋根がこけら葺き[木の皮で葺いたもの]であったから、火の粉が降ってくるだけで、簡単に燃えだし、次々、類焼して、何万戸が焼失することなど、珍しいことではなかった。

度々の災害で、幕府は火付けの犯人を極刑にしたり、屋根のこけら葺きの上に牡蛎の殻を載せることを奨励したり[民家で瓦を葺くことは、一部の金持ちに限られていた。]大岡越前守は、延焼を防ぐため、防火帯として、道路の拡張を計ったが殆ど効果が無く、大火の発生は、明治になっても防ぐことが出来なかった。明治になって、度々の火災に懲りて、燃えない煉瓦造りの家を建てたのが、現在の銀座通りの起こりである。

しかし、度々発生する火災に慣れてくると、その復旧も早かった。九尺二間[クシャクニケン]の長屋と言われているように、建物の規格が決まっていたから、材木屋では、平素から材木を刻んであり、現場で組み立てれば、二三日で住めるようになった。また、多くの町人も、財産は布団と箸と茶碗と一つの鍋がすべてであったから、火災で逃げ出すのにも、家財道具を、ひょいと担げば、失うものは殆ど無かった。逃げ遅れて死ぬ者は、運が悪かったの一言でかたづけられ、この様な大火や火消しを、江戸の華などと言って、むしろ楽しんでいたようにも思われる。

日本人は桜が好きだ。華麗に咲いた花も、あっと言う間に散ってしまう。そこに人間の運命を重ねる。潔いことを美しいと感じる。確かに、こうも災害に遭うと、過去のことで、くよくよしていてもはじまらない。明日のことを考えて行動しなければ、生きて行けないのである。

戦争末期、神風特攻隊が、片道の燃料を積んで敵艦に体当たりをした。七生報国などという、今から思えば、馬鹿みたいな教育が、徹底して行われていたから、心からそれを信じて、国のため一命を捧げた人もいただろうが、その大部分の隊員たちは、きっと自分の運命だと考えたに違いない。こうして命の尊さまで、運命でかたづける国民性が、特攻隊を作り、隊員は文句も言わず死んでいったのである。

今回の地震の後、数人の友達に、東京でこのような地震が起こったらどうなると思うかと聞いたところ、多くの人が、倒壊した家の下敷きになるだろう、それも運命だよと答える。

東京都が発表している、東京直下型大地震発生の被害予測は、死者五万人と想定している。多くの都民が、五万人くらいは犠牲者がでるだろうなと受けとめているが、五万人も死者が出るのは大変なことだ。一人でも減らす方法は無いのかと言う人は見あたらない。

日本人が、人命の尊さをもっと認識していたなら、政府の対応が遅れることもなく、外国からの人命救助の申し出でにも、機敏に対応したはずであり、死者の数も少なくてすんだと思われる。災害が発生したら、犠牲者が出るのはやむを得ないと考えることを、早く改めなければ、同じ被害が繰り返されることになるであろう。

喉元過ぎれば熱さを忘る。災害は忘れた頃にやってくる。」

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神戸淡路大震災から今年で21年目、父の言葉がその後の新潟県中越地震、東日本大震災、昨年の関東・東北豪雨、そして今般の熊本を中心とする大地震にも当てはまる。「早く改めなければ」が改まらない。大災害の下にあっても秩序正しく振舞う人々の美徳に為政者たちがつけこんで、ついでに運命も受け入れるようにと仕向ける。「運命でかたづける国民性」にすり替えられてはならない。「絆」と「運命」は同じ意味であってはならない。

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(清水建設時代に父が設計にたずさわった神戸三ノ宮そごう=父撮影(昭和30年代)・神戸淡路大震災で倒壊)

(おわり)
posted by ihagee at 03:11| 日記