2016年03月21日

名も知らぬドイツ人のアルバム

eBayのエステート・セールで写真アルバムを手に入れた。

持ち主はドイツ人のようだが名前は判らない。当人はとうに亡くなって遺品としてアルバムが処分に出されたようである。アルバムには1930年代から1960年代の写真が説明付きで貼付されていた。ベルリンの壁ができた後の写真が旧東独の街並みばかりであることから、少なくともアルバムの持ち主は第二次大戦後は東の住人であったことが推察される。

このアルバムの中で目を引いたのは客船モンテ・サルミエント号(Monte Sarmiento)航海写真である。同船は独海運会社・ハンブルク南米汽船 Hamburg Südamerikanische Dampfschifffahrts-Gesellschaft(HSDG)の客船として1924年に南米東海岸とハンブルクの間に就航。ナチス政権下、ベルリンオリンピックが開催された1936年からはフィヨルド観光の目的でノルウェー間の航路に用いられたようである。2つのダイニングルーム、大ホール、プロムナードデッキ、禁煙ルームや図書室を擁していた。

そのノルウェーの航路の様子がアルバムの写真に収められていた。モンテ・サルミエントに併走するU-ボートや絨毯爆撃によって壊滅的被害を受ける前のハンブルクなど、まさに嵐の前の不気味な静けさを感じ取ることができる。

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(モンテ・サルミエント号の芸人たち)

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(KdF (Kraft durch Freude)の客船ドイチェ(Deutsche)号を遥かにみて)

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(戦禍で廃墟となる前のハンブルク聖ニコライ教会を運河の向こうに眺める)

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(廃墟の聖ニコライ教会・1984年筆者撮影)

この写真の数年後、ノルウェーはドイツに占領される。そのフィヨルドの奥深くは客船に代わってU-ボートや戦艦ティルピッツ等、北大西洋・北極海海域のドイツ水上部隊の泊地となり、連合国軍の対ソ援助物資輸送船団(PQ船団)がその餌食となった。モンテ・サルミエント号は1939年12月に軍用船に改装され、1942年2月キール港係留中に連合軍の空爆によって被弾着底し(乗員38名が死亡)そのまま廃船となる。

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有事に防衛省が民間船を借り上げるとのニュースを耳にする。「船のみ借りるだけだと」現政権は言い繕っているが、『民間船員も戦地に』が先の戦争での実態であったことを忘れてはならない。民間商船が船員共々徴用され、米潜水艦の餌食となり、約2500隻を失い6万人以上の民間船員が海の藻屑となった。戦争で犠牲になるのは軍人でも政治家でもなく、常に民間人である。憲法の制約の下、武力に依らず戦争を回避するための外交的努力をすべき我が国が、その最高責任者からして法を勝手に恣意解釈し民間船の徴用などを軽々に口にする。嘆かわしいことである。

(おわり)
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posted by ihagee at 20:03| 古写真