2015年12月23日

「おもちゃ」は子供だましでよい

今朝、NHKの朝の番組で今年のクリスマスでのおもちゃ商戦について特集をしていた。

日本おもちゃ大賞2015イノベイティブ・トイ部門 大賞を受賞したタカラトミーの<リニアライナー>で『おもちゃだからといって「子供だまし」じゃダメでどこまでリアル感が追求できるかが必要な時代になった」ような締めくくり方だった。

私には大いに疑問である。イノベイティブの主役は子供でなくてはならないのに、そのイノベーションを大人が作り上げてしまっては子供が玩ぶ余地がない。玩具とは本来そういう余地を大切にするものだろう。私の小さな頃(今から半世紀前)は、木っ端に車がついただけのトロッコみたいなおもちゃを触りながら富良野の大地を雪煙を巻き上げながら駆け走るデゴイチを想像したものだ。学校に上がってからはプラ板を削って色を塗り台車を取り付けて鉄道模型を作ったりもした。そういう発展系の最初に玩ぶにふさわしいおもちゃがあった。地球ゴマの話と重なる部分がある。

番組の中では<ボッツニュー>も子供のおもちゃの文脈で紹介されていた。網膜の中のバーチャルなリアリテイにスタジオの大人たちが興じていたが、これも大変違和感がある。子供にとって刺激に過ぎる。

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(私にとってのバーチャル・昭和42年頃)

「子供だまし」=子供でないと騙すことができないくらい幼稚であることの意味だそうだが、こと<おもちゃ>に関して言えば、主役はその子供なのだから、その言葉の通り「子供でないと」というプリミティブな部分を残しておくべきだと思う。大人の夢や都合に大人が大賞をもらって、それが子供にとってもイノベイティブなのかはよく考える必要がある。小保方さんや佐野さんのようなコピペ世代が現れるのも、完成品や結果物の氾濫の中でイノベーションを忘れる世代を作り上げた社会・経済の責任もある。

(おわり)
posted by ihagee at 09:20| エッセイ