2015年12月14日

五郎丸のポーズ(身構え)に見出すこと

ラグビーの五郎丸歩選手の例の特異なポーズは今では子供たちも真似している。
ボールを蹴る前の精神統一のためのポーズ(身構え)だそうだ。彼にとってポーズと蹴ることは不可分の関係にあるのだろう。本番に臨む前の儀式めいたポーズ(身構え)はなにも珍しいことではない。立ち合いよりも仕切っている時間の方が長い相撲等々。

身体を決まった順番で動かすと、精神が望ましい状態に切り替わることは趣味の世界でもよくあることだ。一昔前なら音楽を聴くにしてもレコード盤をうやうやしくジャケットから取り出し、盤面の埃を拭ってターンテーブルに置き、レコード針を慎重に落とす作業が必要であったが、そのポーズ(身構え)を経てリスナーとしての気持ちにあらたまったものだ。

写真も同様でフィルム時代はフィルムをカメラに詰めることからファインダーを覗いて焦点を定めたり露出を確認したり、三脚の位置から被写体への注文までえらく手間と時間がかかったものである。撮影者がその手間に真剣になるほど、撮られる側も直立不動となってしまう。「シェー」と子どもなりにポーズしたりすると「カメラの前でふざけてはダメ」とよく母親に注意されたものである。姿勢を正すことがアルバムに貼るに相応しい写真の要件だった。

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(シェー・昭和42年)

それらのポーズ(身構え)が細かくデリケートであればある程、趣味性が高い(マニア)と言われたものだ。作法や流儀はそれらが単独で様式化したものかもしれない。レコードや写真フィルムといったソフト、針やレンズといったハードの気難しさに先ずは付き合うこと、そしてその付き合い方によっては、散々な目に遭うこともあるが、思いもよらない結果が得られるかもしれないという、挫折と期待半ばに「次こそは」と向上心が常にあったものだ。

さて、今はネットで音楽をどこでも聴け、スマホでメモ代わりにパチリと撮れる。気難しさも挫折も向上心も無用となった。音楽を聴くのも写真を撮るのも、トイレで用を済ませると同じ日常性の一つとなって、オーディオとかカメラという経験や薀蓄がモノを言うような括りがなくなってしまった。誰がどう扱おうが同じ結果(ソフト)が最初から用意されていれば、飽きられるのは早い。つまりコンビニの商品と同じく、その場限りの欲や興に応じる瞬間消費財でしかない。

ソフトやハードの気難しさに付き合う場面がどんどん少なくなっている。
そんな中、JAcom(農業協同組合新聞[電子版])の12月11日付「[コラム・消費者の目]良いものには普遍的な価値」は、若者を中心としたアナログレコードの人気再燃を伝えている。いまどき面倒とも言える「ルーティン」に付き合うことで、コンビニ的瞬間消費財では得られない価値観を若者たちは見出しつつあるのだろう。フィルムの人気も再燃しロモグラフィーは今や若者が主体である。

日刊ゲンダイ電子版の11月13日記事「カセット復活の兆し 今やアナログは「ニューメディア」だ」も同様の論調である。ここでは「アナログ」感覚がおしゃれだということらしい。

さらにASAHIパソコン電子版の6月11日記事「不死鳥! カセットテープはなぜ「復権」の兆しをみせたのか?」では、アナログ媒体(磁気)であるカセットテープが「その面倒くささや手間ひま、その時の気持ちまで記録してくれる媒体」「カセットテープの音は、適度な雑音があって軟らかいんです。耳当たりがよいと言ってもいい。」として復権しつつあると言う。

「ルーティン」や「アナログ」感覚、「手間ひま」は五郎丸のポーズ(身構え)と同じ前儀であって、精神的な昂揚感を自ら創り出すことが可能なのだろう。かたや技術偏重・市場主義といった上から目線で「ルーティン」や「アナログ」感覚、「手間ひま」といった使う側のポーズ(身構え)をないがしろにしてきた企業側の価値観。「雑音」はことごとく排除し、ひたすら「ピュア」であって、どこでもいつでも簡単に綺麗に、アイウォッチだ、4Kテレビだ、ハイレゾ音源だと企業側の価値観で笛吹けども、そんな若者たちはもはや踊らないのであろう。

アナログレコードや写真フィルムが百年超のスパンの普遍性を保ち続けているのに対して、アイウォッチなど最先端の企業商品に至っては数か月から数年単位の流行ものでしかない。作る側売る側の都合が優先し、使う側の価値観を読み違えた果てがSONYやSHARPの今の有様であろうか。

SONYがその商品群で文化と言ってよい程の普遍性を消費者共々獲得したのは「カセットウォークマン」にまで遡らなければならない。「三丁目の夕日」といった普遍的価値観に照らすとSHARPは早川電機時代の50年以上前の真空管ラジオまで遡る。それらは修理され未だ多く中古市場に流通している。修理するのはおじいさん(昔のラジオ少年たち)でそれを買うのはいまどきの若者だというから面白い。だからといって、3年前に買った亀山製のAQUOSが50年後も使われ続け「四丁目の夕日」になる可能性は全くない。アナログレコード、レコード針、写真フィルム、カセットテープや真空管といった雑草たるアナログ媒体・機器はしぶとく生き残るが、ピュアなデジタル機器は媒体ごと早死にしてしまうことにそろそろ企業側も気付いてほしいものである。企業において普遍なる価値を何に託するのか考えるべき時代にさしかかっている。(「ピュアは毒なり」

アナログのExaktaとフィルムは私に「ルーティン」や「アナログ」感覚、「手間ひま」を要求し、挫折と期待半ばに「次こそは」と向上心を与えてくれる。これが使い手の側の価値観というものなのだろう。

(おわり)
posted by ihagee at 18:58| エッセイ