
(Prontorケーブル・レリーズ)
電子部品の塊りである今どきのカメラにあっても、ギミックでそれら機械的なフィーリングをあれこれ再現しているが所詮はバーチャルである。リアリティに乏しい。機械的カメラに馴れた指先はうるさいのである。そんな指がこの世に存在し続ける限り、プロンターのレリーズは評価され続けるのであろう。50年前とさほど設計を変えなくとも「どうあるべきか」が最初からコンセプトが明確なので「同じものを作り続ける」ことができる。
日本ではさしずめ、<亀の子束子>(西尾商店)だろう。戦前からの建物で今も営業している。時流に流されていないのだ。
スマホのように移り気な市場のニーズに合わせて設計をどんどん変えていては、「同じものを作り続ける」ことができない。50年前の設計が50年先に通用するようなモノを作り続ける企業は少なくなっている。
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