2015年11月16日

なぜEXACTAだったのか(戦前編)

先日、Ebayを通じてKine-Exaktaを購入した。佐貫亦男氏の著作に度々登場する歴史的なExaktaである。しかし、佐貫氏のものと異なり私の Kine-Exaktaは戦後の一時期に製造されたものである。そして、その銘板はExaktaではなくExactaである。ここに語るべき歴史があるので、戦前と戦後の二編に分けて綴ってみたい。

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(私の所有するKine-Exakta)

Exaktaのカメラ群にExactaと銘板のあるモデル(Kine-Exakta)が存在することは、Exaktaのマニアなら知っているかもしれない。しかし、なぜExactaなのかその理由を知っている人は少ないだろう。”IHAGEE-THE MEN AND THE CAMERAS”と題するPeter Longdenの著作物(2008年に英国 The Exakta Circleによる私家版)はIhageeの歴史(1912-1987)を政治社会的背景に照らして考証する内容である。

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(”IHAGEE-THE MEN AND THE CAMERAS”)

その第六章(1933-38、歴史的カメラの誕生)、74-77頁に以下記載がある(抜粋・抄訳)。

「1936年はIhageeにとって記念すべき年であった。3月、Nüchterlein(註:Karl Nüchterlein。1923年にIhageeに入社しExaktaの開発・設計に従事)のプロジェクトが実を結び、ライプツィヒの展示会にサンプルの展示が可能になった。そのカメラはパーフォレーション付のシネ・フィルム(35mm映画フィルム)を使用したので、”Kine-Exakta”と命名された。既存のVP(ヴェスト・ポケット)カメラ(所謂「ベスト」)は混同を防ぐ為、”Standard Exakta”と呼ばれるようになった。(中略)最初のKine-Exaktaの主たる際立った特徴はファインダーフードに設けられた円形の拡大レンズにあった。AguilaとRouah(註: Clement Aguila、Michel Rouah。彼らによってExaktaの型番による体系化が図られた)は、これをv.1とした。1936年4月にこのカメラは製造番号を以て製造が開始された。その後、円形レンズではフォーカシング・スクリーンを十分捉えることができないとのユーザの指摘を受け、1936年12月に四角のものに交換され前述の問題は改良された(v.2)。(中略)

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(1934年、SchandauerのIhagee工場)

1937年にKine-Exaktaの輸出が始まった。見習いの精密工作機械工としてRichard HummelがIhageeに加わった年でもある。(中略)Hummelの回想によると、NüchterleinはKine-Exaktaの改良に余念なく、いかなる改良も既存のモデルにフィードバックすべしとの考えであった。Ihageeのカスタマーサービスはその通り、古いモデルを改修した。その費用は少額であった。この措置の仕方は、オリジナル状態のカメラの台数を激減させることになり、後年、カメラ収集家にとって問題を引き起こしたのである。(中略)カメラの筐体を丸ごと最新の型のものに交換したのに、元の製造番号のままといった例が存在するのである。(中略)
1937年、フラッシュ孔を設けたKine-Exakta v.3.1が登場した。AguilaとRouahの分類によるとV.3.2となるこれらカメラの名前は”c”で綴られ”Exacta”であった。Exakta BとNight Exaktaにはそのような”c”綴りの例が存在したこともあり、東独の社会主義体制が終わる前は諸説その理由が取り沙汰されていたが、フランス、ポルトガルと米国向けに製造されたExaktaに”c”綴りのものが存在し、内Kine-Exaktaは500台余り製造された旨を、1993年Richard Hummel が確認している。」

この時期の”c”綴りのKine-Exaktaの現存品はその稀少性ゆえ高額で好事家の間でトレードされているようである。”c”綴りにした理由は輸出製品のトレーサビリティの為であり、仕向け先のその当時の反独感情を考慮してドイツ綴りの”k”を”c”に改めたのではないようである。”c”綴りのKine-Exakta v.3.1については上述の通りである。

<なぜEXACTAだったのか(戦後編)に続く>
posted by ihagee at 18:10| Kine-Exakta