2022年09月11日

カエルへのキスを求めた女王



1972 年、ヨシップ・ブロズ・チトーは、ベオグラード訪問中のエリザベス 2 世女王が夜静かに眠れるよう、宿泊場所(ホワイトコート)周辺のすべてのカエルを捕まえるよう兵士たちに命じた。

「ここはとてもいいのですが、ここにカエルがいないことに驚いています。私はカエルの聖歌隊を聴いて育ちました。その歌声は私をとてもリラックスさせてくれます。」と女王は翌朝チトーに言った。チトーは兵士たちに命じて捕獲したカエルを全て元に戻した。(Miodrag Todorović回想録)



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チトーが率いる反ファシストのパルチザンが、イギリスの首相ウィンストン・チャーチルを含む同盟国の助けを借りて1945年に国を解放した後、新しい共産主義政府は王室が権力の座に戻ることを禁止した。

1945年7月17日、ロンドンのブルック通りにあるクラリッジス・ホテル212号室のスイート・ルームで、亡命中のユーゴスラビア王ペータル2世とその妃のギリシャ王女アレクサンドラとの間に一人息子アレクサンダル2世カラジョルジェヴィチが生まれた。ユーゴスラビア王位継承者は同国内で誕生していることが王位継承の条件であったため、イギリス政府はこのスイート・ルームに対する主権を一時的に放棄し、ユーゴスラビアに割譲したとの話が知られている。アレクサンダルの洗礼の代父母を務めたのはイギリス王ジョージ6世とその長女エリザベス王女(後のエリザベス2世)であった。1947年には、チトーによってユーゴスラビアの市民権を剥奪され、王室の財産は没収され、アレクサンダルはイギリスの国民としてイギリス陸軍将校となり、後にアメリカに渡りシカゴの保険会社 Marsh and McClennanで働き、イギリスに戻って友人の石油と海運会社関係の仕事をした(存命中)。

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グリム童話に、お姫様が壁に投げつけたカエルに謝ってやさしく布団をかけると、金色の光がひらめいてカエルが王子に戻る話がある。




カエルなりの正当性(王位継承権)も、政治的変化によって薄れやがて消滅していく。

「私は普通の子供として育った。カエルにキスをして王子になったわけではない。米国では、私はただのアレクサンダー・カラジョルジェヴィチで、住宅ローンを抱え、電気代とは何か、子供の教育費とは何かを知っていた。」

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の解体が始まった1989年、アレクサンダルは10 月に初めてユーゴスラビアを訪れた。この短い旅行で、分断された国の将来に自分を必要とする多くの人々がいることを彼は知り、立憲君主制による民主主義の達成を望むようになった。「(チトー時代の)権威主義体制から民主主義体制への円滑な移行を提供できる(アレクサンダル)」

アレクサンダルは現セルビアにおける立憲君主制の復活を提案しており、もし王政復古が現実となれば自分が合法的な王として即位するつもりである旨、表明している。セルビアの放送局B92の記事によると、『SAS Intelligence agency』という団体が同国で行った世論調査で、39.7%が「議会制君主主義」に賛成、32.2%が(強く)反対、27.4%がどちらでもない、と回答したとのことである(wikipedia「アレクサンダル2世カラジョルジェヴィチ」より)

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1972 年の女王の東欧共産主義国(ユーゴスラビア社会主義連邦共和国)への訪問は西側メディアでは批判の対象となった。今はカエルとなってしまった東ヨーロッパの王族たちに、共産主義の牙城から女王は立憲君主制での王政復古を呼びかけていたのかもしれない。女王の強かさを伺い知ることができる「カエル」の逸話である。

(おわり)

余談:そのチトーの祖国解放戦争に抵抗するクロアチア独立国軍(親独・親ナチ主義者)に加わり捕らえられ、投獄され死刑を宣告されるものの、その死刑当日に収容所所長にピアノを弾くことを命令され、それを聴いた所長が「芸術家を死刑にするのは忍びない」と処刑だけは免れたのが、N響に何度も客演し名演奏をもたらしたロヴロ・フォン・マタチッチ(Lovro von Matačić)である。この大カエルにキスをして救ったのは、収容所所長の愛娘だったのかもしれない(後のマタチッチ夫人)。壁に一度は叩きつけられた大カエルならぬ貴族(フォン "von")が大指揮者になったというお話。ちなみに、マタチッチ夫人は他に3人いたと言われている。同様にフォンを名乗っていたカラヤン(Herbert von Karajan)に対して「おれは本当の貴族だからね」とマタチッチは言ったとか言わなかったとか。

(wikipediaより)

posted by ihagee at 08:15| 日記

2022年09月10日

国葬紛いの国葬儀


今、twitterでは「#本物の国葬」がトレンドとなっている。自虐史観だ、そもそも他国の元首の国葬と比較すること自体、安倍元首相を貶めようとする魂胆がある、と噛み付くスレッドもあるがそれは見当違いだ。

8月30日に死去したミハイル・ゴルバチョフは旧ソ連邦の元首であり東西冷戦を終結に導いた偉業(西側の評価)にもかかわらず労働組合会館「円柱の間」での告別式となった。ロシア大統領府儀典局は儀仗兵を充てるなど国葬に準じた形を取ったものの国葬ではなかった。その功罪に対するロシア国民の大方の評価(総意)が良くも悪くも正しくその葬儀に反映されたとも言える。唯一その告別式に参列した高位の外国政治家はハンガリーのオルバン・ヴィクトル首相だけで、そのオルバンもプーチン大統領との会談もなく、弔問外交すら予定されなかった。そのような葬い方が大多数のロシア国民にとって相応しいのであればそれも正当なのである

イギリスでは国葬は国会に諮られて行われる。また、国葬までの準備は周到に計画される。議会制民主主義の手続を踏むことが即ち、その国葬の正当性である。君主(エリザベス女王)と雖もこの例に漏れない。

ゆえに#本物の国葬」とは、その国葬に正当性(国民の総意)があるか否かというだ

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翻って、安倍晋三元首相の「国葬儀」にはその正当性がない。第一にそれを「国葬」と呼ばない。なぜなら、根拠となる法律が存在しないからだ(「国葬儀であって国葬ではない(岸田)?!」)。根拠法であった「国葬令」は失効した上、そもそも「国葬令」は勅令(天皇が直接発する命令)であり統治権が天皇にあった旧憲法の法形式であるから、内閣府設置法を旧憲法の法形式でしか存在し得ない「国葬」に当て嵌めることはできない。内閣府だけで決定する儀礼(葬儀)は実質「内閣葬」であって「国葬」足り得ない(「国葬の場合には立法、行政、司法三権に及ぶ」吉國一郎内閣法制局長官見解)。閣議決定による「国葬」の先例とされる吉田茂国葬は、法律的にも制度上にも国葬についての規定がないので「国葬儀」であった。

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儀式の執行規定に過ぎない内閣府設置法を儀式を創出する規定と無理やり解釈し、岸田内閣は内閣葬ではなく「国葬儀」とそれを称している。法律上「国葬」と言えないのである。すなわち、国葬ではない紛い物なのである

第二にその決定は議会制民主主義の手続を踏んでおらず違憲である。すなわち、国会に諮らず内閣府で挙行が決定され、議会制民主主義の手続を踏まずゆえに国民の意見を何一つ聞いていない。ゆえに、その国葬に正当性はない。

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国葬紛いの正当性のない儀礼(国葬儀)に各国首脳が馳せ参じるわけにはいかないのは当然のことだ。

また、安倍元首相が反社会的団体(旧統一教会)と少なからぬ関係を持ち、その団体への怨恨を持つ者によって殺害されたことは世界中のメディアが伝えている。反社会的団体と接点のある政治家というだけで欧米首脳の足がその葬儀から遠ざかるのは当然な上、8日の閉会中審査で、安倍元首相と教団の関係を調査すべきだと指摘された岸田首相は「お亡くなりになった今、確認するには限界がある」と繰り返し曖昧なままにすることは、反社会的団体に対する法律が存在する国々からすれば、むしろ公権力への反社会的団体の浸透ぶりと受け取られることである。


(世界平和統一家庭連合(旧・世界基督教統一神霊協会)の関連団体・国際勝共連合の月刊誌「世界思想」の表紙を飾る安倍晋三首相=当時。画像出典:山崎 雅弘氏 Twitter 国際勝共連合なる政教一致の政治団体の思想に少なくとも共鳴し広告塔となるような行為をしていたことなどは容易に確認できる。)


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国葬儀は法律的に全くの無理筋であるばかりか、反社会的団体と公権力との関係をむしろ象徴する儀式ということだ。それでも敢えて挙行することは、日本を貶めることに他ならない。自虐を言うのであれば、国葬儀を挙行することが自虐なのである。議会制民主主義の否定に発した国葬儀を強行しようとしている岸田内閣および政権与党たる自由民主党は自ら反社会的勢力たるを明らかにしている。まさに語るに落ちるということだ

ゴルバチョフ財団は長きにわたり統一教会の資金で運営され、ロシア国内での同教会の活動を手助けしていたことは知られている。ゴルバチョフ自身も漢南洞の文鮮明の家を訪ねている。プーチン政権は、ネオナチ勢力(セクト勢力)への新たな対テロ法として、新興宗教勢力に対する布教活動や私的な参拝を禁ずるとしロシア国内における統一教会の活動は事実上不可能となった。また、そのゴルバチョフ財団の資金を元に発刊されていたロシアの独立系新聞「ノーバヤ・ガゼータ」について、モスクワの裁判所は軍事機密をNATO=北大西洋条約機構側に漏らしたとして、新聞発行の認可を取り消す判断を示した。ゴルバチョフ氏に対するロシア国内での「反逆者、自国民への裏切り者」なる評価の一部にこの統一教会との繋がりが関係していることは否めない。あのロシアですら、統一教会と政治の関係を精査しているのである。ゴルバチョフを国葬としなかった理由の一つでもある。

(おわり)
posted by ihagee at 05:58| 憲法

2022年09月09日

エリザベス女王死去


英王室は8日、エリザベス女王が同日午後、滞在先の英北部スコットランドのバルモラル城で死去したと発表した。96歳だった。女王は在位期間が歴代最長の英国君主で、世界最高齢の君主だった。英国民は10日間喪に服した後、ウェストミンスター寺院にて国葬が執り行われる予定。

英女王の国葬を以て、前世紀の遺物・旧態然とした君主制はいよいよ終焉に向かうとの見方が英国内でもある。権威と権力の両義を備えた君主も、時代を経ていつの間にかビートルズと同等のアイコン(象徴)になったということ。

エリザベス女王のその長い在位中、英国は植民地のほとんどを失った。そして、その治世の最後の数年間の最も注目すべき現象として、カリブ海諸国の間で名誉ある元首から女王を解任し、植民地時代の虐待と搾取に対する賠償を要求する動きがある。 バルバドスが先導し、昨年 11 月にエリザベス女王を君主とするのをやめ、共和国となった。エリザベス女王は、バルバドスの「今後の幸福、平和、繁栄」を心から願っているとのメッセージを送ったが、君主制を必要としない社会を認めることは、翻って王室の将来への懸念にもなったであろうことは想像に難くない。

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かたや、棺なき安倍晋三元首相の国葬儀は英女王の国葬から10日後に予定されている。

「棺を乗せた霊柩車が国会や首相官邸を巡り衆参両院議長や首相を初めとする多くの政治家が見送った、あれで十分でしょう。」(浅田彰氏) そして、増上寺で葬儀・告別式は終わっている(納骨はしていない)。

岸田内閣は憲法違反までして国葬儀を創作し、何をさらに十分にしたいのだろうか?棺なき遺影にまで国民を傅かせようということか?そもそも遺影に花を飾ってぞの前で故人を偲ぶのは追悼式であって葬儀=国葬(儀)ではない。追悼式なら急ぐ必要もない上、有志で行えば足りること。それをなぜ国葬(儀)に仕立て上げたのか?岸田首相がその意義をしきりと強調した「弔問外交」も英女王の国葬の場で果たされてしまうことになり、多額の国費を投じるだけの外交上のメリットはない。

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特定の人をその門地の高さで君主と崇める時代は終わりつつある中、自民党憲法草案では個人の自由を制限し、象徴天皇を対外的にその国を代表する地位と権限を持ち、国内的には統治権や行政権を持つ「君主(元首)」に変えようとしている。世界の趨勢とは真逆に、君主制へと時間のネジを巻き戻そうというアナクロニズムにこの国はある。「傅く(かしずく)」という意味を安倍国葬儀を以て国民に理解させ、君主制国家への試金石としたいと政権与党たる自民党は考えているとすれば、なおさら国民は安倍国葬儀に反対の声を上げなくてはならない。

自民党憲法草案 第1条(天皇)
天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」

(おわり)

関連記事:「国葬儀であって国葬ではない(岸田)?!」「水戸黄門って先の中納言と先の副将軍とどっちなんですか?
posted by ihagee at 05:48| 日記