2021年08月09日

玩物喪志の一言に尽きる



二週間に亘る喧しさが終わった。

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マスメディアこぞっての連日の報道にも関わらずいたって興奮や感興の乏しいオリンピックであった。

歓声なき無観客競技ゆえ盛り上がりに欠けたこともあろうが、何よりも競技外の不祥事や事件が多すぎた。スポーツ=健全、とはあまりにかけ離れた薄汚さを招致段階から次々と見せつけられウンザリしたというのが正直なところだ。

オリンピックなんて決して身綺麗なものではなく裏はカネや利権が渦巻いているとわかっていても、その大人の事情やらを少しは隠せば良いのにあまりにおおっぴらに正当化するものだから表に煌めくメダルも褒める気にならなくなる。

一泊300万円のホテル最上階のVIPルームから赤ら顔で睥睨する下、わずか100万円足らずの一時給付さえ滞り爪に火を点して生きるか死ぬかと喘ぐ人々の存在も一顧だにせず、むしろ「犠牲を払わなければならない」などと神経を逆撫でする発言を繰り返す者をトップに頂くIOC(& オリンピックファミリー)およびオリンピックは、我々とは別の世界の住人の狂宴に過ぎないと感じるのもゆえに当然。

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「人を玩 (もてあそ) べば徳を喪 (うしな) い、物を玩べば志を喪う(書経)」から、珍奇な物に心を奪われて大切な志を失うことを「玩物喪志」と言う。つまり、珍しいもの、風変わりなものをもてあそんで、本来の志を見失ってしまうこと。また、無用のものに熱中して、仕事や学業などが疎(おろそか)になること。

バッハをはじめとするオリンピックファミリー(菅首相や大会組織委員会も含む)はあまりに人心を玩 (もてあそ) んだ。そして、身体的能力の微差をメダルの色や数で評価することはむしろむき出しの国威発揚の意識に繋がり、国家間のメダル競争をどんなにオリンピック憲章が否定しようが、スポーツに名を借りた国家間の戦争を見る気色の悪さは拭えない。国を問わず競技者個人の栄誉をその名で讃えることになく(たとえ個人種目であっても)、勝者の国旗が国歌共々高々と掲揚されることに高揚感の正体がある。ゆえにメダルをすなわち国家の戦果と勘違いし、どこぞの首長が日の丸万歳と金メダルに齧り付くのも道理である。個人の栄誉を尊重すればそのような「お前のものはお国のもの」的な愚行に及ばない筈。

国威発揚が過ぎれば国家間の誹謗中傷になる。事実、日韓の間の右巻きのメディア上の言葉の殴り合いはオリンピック開催を以って頂点に達している。日韓に限らず、中台、米露等々、国家間の政治・外交上の争いをオリンポスの火が鎮めるどころかメダル争いで焚きつけ、「人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励する(オリンピック憲章・根本原則)」なる志は喪っているのではないか?

アスリートを玩具にし、人心を玩 (もてあそ) ぶばかりのオリンピックは故事に照らせばもはや「珍奇」を通り越して「無用のもの」であろう。

(おわり)

追記:
今夏のオリンピックは、大半が開催に反対する民意と国の政治を最終的に決める国民の主権が蔑ろにされた「事件」であった。民意を一顧だにしない菅政権および公衆衛生という内政にまで干渉し「緊急事態宣言など関係ない」、「犠牲」もやむなしと、わが国の憲法の保障する「(国民の)生存権」にまで口出しをするあたかも占領下のGHQまがいのIOC(換言すれば、「(国民の)生存権」を憲法ではなく他律に委ねる菅政権)によって、国家の主権ばかりか国民の生存権まで脅かされたことになる。
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「開催して良かった・感動を貰った」などと結果オーライ・表面的な事象では到底なく、国民主権が奈落の淵に立たされていると認識すべきだ。開催を以って結果的に是とされる「済まないこと」にこそわれわれは目を向けるべきである。それは実はカネでもコロナでもない。
関連記事:コロナではない、開催を我々国民が中止とすべき理由
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「アルマゲドンに見舞われない限り、東京五輪は計画通りに開催される(ディック・パウンドIOC委員)」。
オリンピック関連商標の違法ライセンス問題は、商標法に留まらず日本国の法秩序全体を破壊する「アルマゲドン」である。商業主義オリンピックの主柱たるライセンス活動がそもそも法令違反(商標法違反)という事実(国会・参議院法務委員会質疑応答で詳らかになった「違法ライセンス問題」・商標法違反を糊塗する電通発案の「商品化権ビジネス」)。刑事罰に匹敵する違法行為(商標権侵害および侵害黙認)の上で一体何を正当化しようと言うのだろうか?「アンブッシュマーケティング対策」と称してオリンピック資産の侵害行為=アンブッシュマーケティングに毅然と対峙する当事者=IOCをはじめとするオリンピックファミリーが、自ら仲間内では侵害行為=「アンブッシュマーケティング」を働くは、警察が泥棒行為を働くと同じ。枝葉のメダル(→アスリート)や分配金(→NOCおよび競技団体)の価値まで問われる(犯罪の樹に生る果実でしかない)。IOCのTOPパートナーたるトヨタが開催直前に実質ライセンス活動を停止したのも、単に世評を気にしたからではなくコンプライアンスの観点で係る問題意識が働いたと筆者は認識する。一企業の判断ではなく、本来であれば主権者たる国民が係る観点からオリンピックを否定すべきであった。
関連動画:「IOCの正体見たり ぼったくり」ー オリンピックとは何であるかを学ぶについて
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「アンダーコントロール(安倍前首相)」で始まったオリンピック。その開催を以って総仕上げとなる「完全に制御される」対象は、放射能やコロナなどではなく国民(主権者)であり、その開催を以って拡大するのはコロナなどではなく、憲法にすら縛られない国家権力であったなどと(緊急事態条項)、後々悔やむことにならないようにしたい。オリンピック開催がそのステップであったと後で知っても遅い。ベルリンオリンピック(1936年)がそうであったように。菅政権および与党自民党は虎視眈々とコロナ感染対策上のロックダウンを名目にした緊急事態条項創設を企てている。
関連記事:新型コロナウィルスに乗じる厚顔

posted by ihagee at 11:36| 東京オリンピック

2021年08月05日

ついに消耗戦(インパール作戦)



政府は感染急拡大で病床が逼迫する中、中等症でも重症化リスクの低い人は自宅療養とする方針を決めた(東京や首都圏など爆発的感染拡大の地域)。自宅療養では病院と同等の医療・看護は受けられずリスク管理はできない。ゆえに棄民政策との声が与党内からも上っている。

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自民党の政策綱領では、
「私たち自民党の基本的な考え方は、「自助」を基本として、「共助」「公助」の組み合わせに拠っています。(教育・農業・生活保護・憲法・子育て)」と謳っている。他方、「公助を当てにするな、自己責任で市場に(労働)参加し投資せよ」は安倍政権から現政権に引き継がれる新自由主義の基調である。つまり、「公助」「共助」を自民党が政策綱領として掲げてもお題目に過ぎず、この国の行く末は「自助」で良いということだ。

「共助」と「自助」を組み合わせ、などと自民党は政策綱領で述べているが、その「共助」も、自由主義に邁進するあまり、派遣労働法を改悪。その単位となる「家庭」や「家族」を持つことすらできない非正規雇用を増大・常態化させ(これが非婚化・少子化の最大要因)、TPPなど自由主義経済政策によって、社会資本やコミュニティが失われつつある(故郷など拠り所さえ消滅している)現状に於いて、「共助」と言わんばかりに自民党が掲げる「家族主義」(拙稿『<家族主義の美風と大政翼賛>(自民党憲法改正草案第24条第1項)』)はもっぱら「美風」などという精神主義に依存するが(「絆」もその意味で精神主義)、実体は家族なき「おひとり様・無縁社会」が拡大深化している。

「自助」についても、社会保険制度ではすでに、公助を当てにするな、自己責任で市場に(労働)参加し投資せよ(先般の金融庁諮問会議から出された「報告書」の中身)の通りになっている。働くのが好きだからではなく、生活費の為には働かざるを得ず、仕事中、死ぬかもしれないと職場で毎朝血圧を測る。そんな高齢者すらも当然とするのが「自助」。耐用年数を超えても稼働し続けようとする原発が危険極まりないのと同様、肉体的・精神的危険を冒してまでも働かざるを得ない社会を「働き甲斐・人生百年」などと、安倍=菅政権は美化・肯定する。

「いくつまで働きますか?(自由意志)」ではなく、「いくつまで働かざるを得ないですか?(自助努力・公助崩壊)」と言わせる政治。すなわち、「公助」について安倍=菅政権は責任を放棄しているに他ならない。

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社会保険制度は斯くして実質崩壊し、遂に医療制度までも「自宅療養」なる自助努力に寄りかかり公助崩壊の瀬戸際に立たされている。「家庭」や「家族」を持つことすらできない経済弱者(おひとり様)はそれら「共助」もなく医療から見捨てられることになる(棄民)。

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最小限なりとも医療を施す矜恃なり責任を政治が示すのなら、武漢「火神山医院」に倣うことはできる筈だ。10日間でそれは達成できる。「緊張感を持って」を菅首相や小池都知事が自ら国民・都民に対して示すには、口先だけでなくそれ位の決断実行力が問われる。

極論かもしれないが、現下のオリンピックは直ちに中止し、オリンピック選手村から能天気なアスリートを追い出し医療施設に転用するといった、誰の目にも見える「緊張感」が必要ではないか?

「自宅療養」を必要とする医療資源の逼迫は、新型コロナウイルス(変異型)感染者急増が背景なのか、または、遺伝子ワクチン接種に伴う有害事象急増が背景なのか、またはその両方(相乗)なのか、この辺りはわからない。もし遺伝子ワクチン接種に伴う有害事象急増(ワクチン接種という強い選択圧が却ってウイルスを変異させ感染力が強まる可能性も含む)が背景を成しているとすれば未曾有の薬害である

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厚労省の第4回医薬品等行政評価・監視委員会において,委員長代理である佐藤嗣道准教授(東京理科大学薬学部)の指摘:

「医療機関から報告されなかった死亡例というのも恐らくたくさんあって、それらのうちには実際に因果関係があるものも恐らく含まれているだろうということを考えると、実際はこの頻度よりも高い頻度でワクチンの接種による死亡が起きている可能性も考えられるというように私は思います。もしかすると10倍ぐらい高い可能性も視野に入れておかなければいけないのではないかと思います。一般的にこのような副作用報告、副反応報告というのは実際に生じた事例の一部しか報告されないというのが常ですので」

参考)7月16日までに「ワクチン接種後の死亡として報告された事例」の数=ファイザー:746 件・モデルナ:5件

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「勝った勝った」と大本営発表(メダル争い)、かたや「自宅療養」なる消耗戦(インパール作戦)はいつか来た道。気づいたら辺り一面焦土と化し我々は塗炭の苦しみに喘ぐ既視感しかない安倍=菅政権と続いた無責任極まりない政治こそ、来たる衆議院選挙で我々国民は終止符を打たなければならない。

(おわり)

posted by ihagee at 06:40| 日記