2021年07月30日

オリンピック、そして日本社会を蝕む商品化権ビジネス



三木義一・青山学院大前学長(東京新聞「本音のコラム」でも活躍中)主催の「庶民大学TV Japan(YouTube)」の「オリンピックとライセンス(法令編)」及び「オリンピックグッズと商品化権ビジネス」と題する動画の紹介に続き、その続編となる動画「オリンピック、そして日本社会を蝕む商品化権ビジネス」を以下掲載したい。

「IOCファミリーによるオリンピック商標の違法ライセンス問題を考える」を著した弁理士 柴大介氏がゲストとして参加し、オリンピックと「商品化権ビジネス」について同書籍で取り上げている諸問題を商標法の観点から三木氏相手にとてもわかりやすく解説している。



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(おわり)

追記(以下私見):
「オリンピック、そして日本社会を蝕む商品化権ビジネス」動画の最後で三木、柴両氏が語っているように、一部の者の私益のために、法を侵したり解釈を変更し、道理に合わない理屈を述べ立てること(牽強付会)が平然と行われ(政治)、そのことについて諦めに近い「思考停止」をしてしまった我々の社会の有様は、オリンピック関連商標の違法ライセンス問題(「商品化権ビジネス」としてあたかも法に則っているかに偽装)からあらためて浮かび上がっている。電通の考案した「商品化権」という契約当事者の間でしか通用しない一種の符丁が契約の依拠すべき「商標権」およびその制度を骨抜きにし剰え破壊していく有様である。
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これは商標権・商標制度に限ったことではない。日本学術会議が新会員に推薦した6人の任命を菅義偉首相が拒否した問題にあるように、学問の自由と自律(「個人が国家から介入を受けずに学問ができること」と「公私を問わず研究職や学術機関が、政治的な介入を受けず自律すること」)を保障する憲法23条および歴史的法解釈までも、その憲法に縛られるべき首相が平然と干渉し、この国の先人たち(昨日惜しくも亡くなられた益川敏英氏など)が築き上げてきた思想的営為共々、徹底して否定にかかっている。
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「政権や政策の正統性」を法に求めず、むしろ邪魔になる法は憲法といえども「縛られない」と蔑み、一切の議論を排する全体主義を全国津々浦々に広めれば広めるほどに政治的不純(嘘)が付き纏う。嘘と思考停止・無責任に日本社会全体が陥る結果になっている。
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テレビをつけても、論理だった議論も丁々発止と議論すべき場面もない。朝から晩までバラエティ(エンタメ)一色、出てくる顔ぶれはどれもこれも背景知識も社会的責任もないお笑い芸人・タレントばかり。何事も茶化して笑っていれば済む事なかれ主義に一緒に笑って巻かれていくか、絶望して諦めるか、いずれにせよ深く考えることが馬鹿らしくなる世の中になっている。しかめ面をして感染者数を伝えたその際から顔を紅潮させてメダルを幾つ取ったと叫ぶNHKを含めテレビ局のアナウンサー達をTVでみるたびに、スイッチ一つでパラレルワールドを行き来するゲームの世界に連れ込まれるような気味の悪さがある。現実社会は一つでしかないのに、彼此を考え合わせることをやめてしまって、彼れは彼れ此れは此れと何の疑問もなく片付ける。その先に“一人暮らしは自宅を病床に”(小池都知事)と、個人を此岸に見捨てても構わないとする社会が到来する。
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正義や道義に悖る大人たちは子供たちにたとえ理想なりとも「正義」を示すことすらできない。ひと昔前なら十指に余るほど挙げることのできた「正義の味方」なるヒーロー像は、今の子供たちには一つとして思い浮かばないだろう(子供たちがはしゃぐのはゲームやコマーシャリズムの世界のキャラばかりである)。むしろ「生き馬の目を抜く」ことを良しとすることを大人は子供たちに率先垂範し、その最たるものがオリンピック(2020東京大会)ではなかろうか。

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posted by ihagee at 06:59| 東京オリンピック

2021年07月24日

理念なき狂騒(続き)



2021東京オリンピック開会式が新国立競技場で挙行された(2021年7月23日)。セレモニー全体について感想はない。感想、すなわち、まとまりのある感じや考えさえなかったと言うのが正しい。

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ひたすら共感を他者に求めるものの、その内向きで独りよがりな自己満足に溺れる演出は観ていてとても痛かった。何かを衒ったところで受け狙いのキャッチーを繋ぎ合わせただけだからやたら上滑りする、かと言って無用に共感や理解を求めない尖ったシュールさもなく、楽屋落(仲間受け)や外連味(コラボ)ばかり示し合わせたあたかもB級グルメのオンバレード。ジャズと歌舞伎、タップダンスと大工、ボレロと点火式等々、コラボ芸はどれもが既視感でしかない(ボレロの高揚感などはベジャールの創作でとっくの昔に賞味期限が切れている)。

式典責任者の日置貴之氏は「多様性を認め合う『ダイバーシティー&インクルージョン』、スポーツが持つ本質的な価値。そこに重点を置いた」と言うが、一々ナレーションなり説明がなければ意味することが相手にとってわからない演出自体がヤマト民族に根ざすムラ意識(『シミラリティ&エクスクルージョン』)を表している。

国名や地域をあたかもセリフのように漫画の吹き出し(入場行進のプラカード)に入れたことも如何なものか?国家の領域と境界線はモノローグ(自称)に過ぎないというイロニーであればまだしも、コミケ風・テヘペロ風に面白がってそのような体裁にしたに違いない。国家にとって国境の重要性を理解すれば到底その国名や地域名を軽々にサブカルチャーの流儀で囲うことはできない。

日本人だけが知る(Who the hell is this guy?)レジェンドも今は老いさらばえた浦島太郎にしか見えないミスターまで担ぎ出し、ナオミに日本人としての血を敢えて求めるかに締めをさせる演出は、過去の栄光やら他人の成功に乗っかるしかない、今を生きる日本社会のさもしさや衰退ぶりを表しているようで悲しかった。

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国際社会の多様な価値観にあっても、国家や民族・宗教を超えて人間として共通する普遍的なテーマを掲げることこそが、オリンピックの理念に相応しい。それは「より速く、より高く、より強く」に尽き、それだけでドラマとなり得、その他小賢しい演出や仕掛けは本来一切不要であろう。

1964年東京大会の真っ青な高い空の下、意気揚々と胸を張り、何の演出もなく堂々行進する姿は半世紀経てその記録映像を観ても胸に迫るものがある。



NBCおよびIOCの放映権の一つのショービジネス・コンテンツに成り果てた開会式セレモニーに半世紀後の感動は期待するまでもなく、"オリンピック命" と言うしかない(理念なき狂騒に走った)日本の落日を歴史に残すことになろう。

(おわり)

posted by ihagee at 08:35| 東京オリンピック

2021年07月18日

アコードハイブリッド(CR6)- その1



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アコードハイブリッド(CR6)を駆って「道の駅おがわまち」(埼玉県小川町)まで出かけた。地物の新鮮な野菜の購入と同所に併設の埼玉伝統工芸会館見学が目当て。

36度近い炎天下、片道約2時間程そこそこ空調を効かせアクセルワークにメリハリをつけたにもかかわらず燃費は20km/L(レギュラー)と良好。小川町付近では片道一車線の国道264号は交通量も少なく秩父連山を窓にセダンならではのゆったりとしたドライブを楽しむことができた。この間FMラジオから流れる大瀧詠一の鼻にかかった歌声が耳に心地良かったので、標準装備のオーディオシステム(6スピーカー)の音質は案外素直で悪くないのだろう。

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丁度昼時となって、野菜売り場に隣り合った麺処で天ざるを食す。打ちたての蕎麦ならではのざらざらとした舌触りと腰のある食感を堪能した。

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地物の野菜はどれもこれも新鮮で安い。ついつい買いすぎて余してしまうが何よりの土産である。

埼玉伝統工芸会館では小川町を中心に近郷の伝統工芸品の数々とその制作過程(工房での和紙手漉き)を見学した。歴史と伝統が都心から車で僅か二時間程の場所に今も細々と息づいている。

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同じ伝統でも工業製品となれば栄枯盛衰・生者必滅が激しい。アコードハイブリッド(CR6)も同様。

そのマイナーチェンジのCR7まで国産・埼玉産(狭山工場)であったが、現行のアコード(10代目 CV3型)は外国産・タイ製(アユタヤ工場)で日本向け仕様とのこと。タイから逆輸入し狭山工場で検品しているそうだ。「世界の亀岡ブランド」と一時期その名を馳せたシャープ(亀山工場・液晶テレビ)と同様、「アコード」という伝統のあるブランドすら、もはやmade in Japan を冠することはできなくなったことは淋しい。国内でのセダン人気の凋落ばかりが理由ではあるまい。工業製品全般においてmade in Japanを目にすることが珍しくなる時代は遠からず来るのではないか?

(おわり)

posted by ihagee at 08:48|