集団接種なる大規模な公衆衛生的介入それ自体が「遺伝子ワクチン」の実質臨床試験となっていること=未だエビデンス(医学的証拠)が揃わない状況、自体がまさに「予防接種を受けるかどうか判断する上で重要な要素になっている」(拙稿「COVID-19 ワクチン接種への異論 - 続き2」)
未だエビデンス(医学的証拠)が揃わない状況(特に中長期的臨床治験結果)。これは動かぬ事実であろう。この一点こそが、「予防接種を受けるかどうか判断する上で重要な要素」に他ならない。
「遺伝子ワクチン(Pfizer-BioNTech, Moderna)」は緊急時に承認審査を大幅に短縮できる医薬品医療機器等法第14 条の3に基づく「特例承認」を与えたものゆえ、事後の継続的な検証が必要であること(今もって、有効性と安全性が通常の「承認」を以って担保されていないこと、「遺伝子ワクチン(Pfizer-BioNTech, Moderna)」は米などで第V相試験(検証的試験)を実施中であること(治験中)であることは、知っておくべきだろう。
Pfizer-BioNTech コロナウイルス ワクチンの第V相試験(米などでの臨床試験=健康な個人における COVID-19 に対する RNA ワクチン候補の安全性、忍容性、免疫原性、および有効性を説明するための研究)の推定研究完了日:2023 年 5月 2 日、Moderna コロナウイルス ワクチンの第V相試験(米国内での臨床試験=COVID-19 を予防するための 18 歳以上の成人における mRNA-1273 ワクチンの有効性、安全性、免疫原性を評価するための研究)の推定研究完了日:2022 年 10月 27 日である。
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ワクチン敵視、背景に疎外感 「反対派」レッテル貼り危険 専門家「互いに尊重を」
" 企業や大学による職域接種が21日から本格化する新型コロナウイルスワクチン。普及が進む一方、インターネット交流サイト(SNS)上では接種への抗議をあおったり、デマを拡散したりする動きも強まる。専門家は「ワクチンへの不安や警戒感だけでなく、そうした気持ちを理解されない『疎外感』がある」と分析。「接種を受けたい人も受けたくない人も、互いの判断を尊重し合うべきだ」と訴える。SNSでワクチンの危険性を呼び掛ける人たちの投稿には「接種すると遺伝子を組み換えられる」「不妊の原因になるとファイザー社が認めた」などのデマも交じる。「打つと5G電波で操られる」「体が磁力を帯びる」といった荒唐無稽な主張も見受けられる。こうした投稿を嘲笑するユーザーも多いが、リスクコミュニケーションに詳しい土田昭司・関西大教授(安全心理学)は「『ワクチン反対派はおかしい』などと安易にラベリング(レッテル貼り)して突き放すことは、事態をさらに悪化させる」と危惧。「社会が不安に寄り添わず、親身に話を聞いてくれるのはカルト集団や陰謀論者だけ、という状況は非常に危険だ」と警告する。実際、ワクチンの危険性を訴える人たちの投稿には、周囲からの孤立を嘆く意見が少なくない。ツイッターでワクチンに懐疑的な投稿をしていた2児の母を名乗る人物は「家族や友人に話しても分かってもらえない」「これまで大事にしてきた人との繋がりが切れてしまいそう」と吐露。子供への接種を進める自治体に集団抗議するSNSグループの参加者らは「皆さんと共感しあい、団結できることが救いです」「親身に話を聞いて下さった」などと活発に書き込んでいた。土田教授は「法律上、接種は努力義務で、受けないことも認められている。社会はワクチンを打ちたくない人の気持ちに寄り添わないといけない」と強調。「他人に接種を強制するのも、接種を妨害するのも『リスクコミュニケーションの失敗』という意味では同じ。反対意見に耳を傾けて対話し、科学的事実に基づいた議論をすることが重要だ」と語った。 " (時事通信社 2021年6月21日付記事引用)
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上掲の記事には幾つか問題点がある。
@ 「ワクチン敵視」というタイトル
「敵視」=敵と見て憎むこと、がワクチン接種を留保する人々の共通項であるかの印象を読み手に強く与える。接種を留保することと、「敵視」することは全く異なる態度である。
A 「背景に疎外感」というタイトル
接種するもしないも個人の問題でありその前提はエビデンス(医学的証拠)の有無であるから、「...感」なる集団意識前提の「仲間はずれ」といった心理的要因があたかも接種を留保する人々の背景にあるかの書き方はおかしい。
B ”「接種すると遺伝子を組み換えられる」「不妊の原因になるとファイザー社が認めた」などのデマも交じる。「打つと5G電波で操られる」「体が磁力を帯びる」” などと「荒唐無稽」と但し書きをしながらも、わざわざ書き連ねることによって、むしろ、接種を留保する人々に対するラベリング(レッテル貼り)をこの記事は行なっている。エビデンス(医学的証拠)の有無の上で接種判断をしようとする人々(科学的正論)を、このような極端な傍論(非科学的結論)を以って有相無相に扱う粗雑な文脈である。
C 「親身に話を聞いてくれるのはカルト集団や陰謀論者だけ」
エビデンス(医学的証拠)の有無の上で接種判断をしようとする人々(科学的判断)をあたかもこのような極端な傍論(非科学的結論)に頼るばかりの人々であるかに読者に印象を与える点でこれも粗雑な文脈である。
D 「反対意見に耳を傾けて対話し」
対話でエビデンス(医学的証拠)は生まれない。BioNTech SE(Pfizer協力)およびModernaTX, Inc.からの治験結果報告待ち(治験期間中)のワクチンについて未だエビデンス(医学的証拠)が揃っていない状況では科学的判断要素がない。その上で一体何を対話するというのだろうか?「安全が確認されていない(特に中長期的)」状況では「必要だから安全(に決まっている)」と往々にして「必要性」が声高に語られる。ゆえに、「反対意見に耳を傾けて」対話する前提は「必要性」であっても、治験結果ではない。その「必要性」は他者への「思い」といった絆意識(集団心理)に傾斜するが、これは科学ではない。
「特にワクチンは効果があると思っていることと、自分が予防接種を受けることで他者も守るという思いがあることは他の要因よりも強い関連性が有り、予防接種を受けるかどうか判断する上で重要な要素になっていることが明らかになりました。」(東京医科大学 website)
E「リスクコミュニケーションの失敗」
本来であれば個人水準の臨床試験・疫学研究から得られたエビデンス(医学的証拠)に基づいて公衆衛生的介入が行われるべきところ、公衆衛生的介入それ自体が「遺伝子ワクチン」の実質臨床試験という逆順が罷り通っている。この逆順ではリスク評価自体が成立しない。ゆえに「リスクコミュニケーション」自体が存在し得ないのである。ゆえに、リスクコミュニケーションから解を求めようとする上掲の記事には無理がある。
F「科学的事実に基づいた議論をすることが重要だ」
BioNTech SE(Pfizer協力)およびModernaTX, Inc.からの治験結果報告待ち(治験期間中)のワクチンについて未だエビデンス(医学的証拠=安全性)が揃っていない。「科学的事実に基づいた議論をすることが重要だ」というのならば、「安全性について未だ確認されていないが」という前提でする議論とは何なのか、ということになる。この「科学的事実」については接種直後の副反応について臨床的に把握している事実の限りであっても、接種してから数年先の中長期的影響については「議論」の基となる科学的事実が存在していない。
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集団接種なる大規模な公衆衛生的介入それ自体が「遺伝子ワクチン」の実質臨床試験となっていること=未だエビデンス(医学的証拠)が揃わない状況、自体がまさに「予防接種を受けるかどうか判断する上で重要な要素になっている」(拙稿「COVID-19 ワクチン接種への異論 - 続き2」)は然りで、エビデンス(医学的証拠)に基づき(特に中長期の臨床治験結果)、接種判断を客観的に行うのは個人の自由。
しかるに、その他の主観的要因(心理的要因)があたかも接種の判断要素であるかの書き方や、公衆衛生的介入それ自体が「遺伝子ワクチン」の実質臨床試験という逆順(リスクを臨床試験で実証しようとしている)ゆえ、リスクに関する正確な情報(特に中長期的影響)が今は判らないわけだから、その情報なしでは成立し得ない「リスクコミュニケーション」があたかも可能かの上掲の記事はおかしいのではないか?
(おわり)
追記:
”「接種するつもり」に比べ、「しないつもり」「決めていない」と回答したのは、女性や預貯金額の少ない人、他人を信用しない傾向のある人、全般的な不安感を抱える人などに多かった。” (「性別や預貯金額も関係? ワクチン接種の意欲調査―経産研究所」 2021年6月5日付時事通信記事から引用)
「意欲(思い)」と「意思(判断)」の区別もなく「集団」と「個人」の見境いもない調査に何の意味があるのか?このような記事も、接種を留保する人々に対する差別主義的なラベリング(レッテル貼り)である。
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