大相撲春場所13日目(2021年3月26日 東京・両国国技館)、三段目力士今福と響龍との取り組み。土俵際で今福が左からのすくい投げを放って勝利した。その際に響龍が頭から土俵に落ちうつぶせのまま動けなくなった。

(スポーツニッポン新聞社記事引用)
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写真の通り、突っ伏して動かなくなった響龍を挟んで勝ち名乗りを行っている。直ちに救護すべき状況にもかかわらず何事もないかの如く取り組み進行を優先させた。
(以上、拙稿「認識のゆがみを前提とする儀式」から)
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「大相撲境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)の天野光稀(あまの・みつき)さんが28日午後6時20分、急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。日本相撲協会が29日、発表した。28歳だった。響龍さんは、春場所13日目の取組で頭部を強打。救急搬送されて入院中だった。(日刊スポーツ 2021年4月29日付記事引用)
ある親方は、こう指摘する。「俵と土俵のちょうど間に頭から落ちた。だから頭がずれることなく、そこにはまるかたちで、相手と自分の体重がかかってしまい、首がごきっとなった。頭から落ちるケースは今までいっぱいある。土俵の真ん中なら、顔に擦り傷ができる程度で済んだかもしれない。不運が重なったのではないか(同上)」
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(記事下のトップコメント)
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「彼が土俵上で倒れているときに、行司が勝った力士への勝ち名乗りをやってた光景を思い出しただけで、非常に強い憤りを感じます。勝ち名乗りよりも救護が先じゃないの?」。
眼前に突っ伏したまま身動き一つしない人がいるのに、それを見て見ぬ振りをしてまでも勝ち名乗りを上げた。
相撲は神事だから救護措置よりも勝ち名乗りを優先せざるを得ないとか、命を落としても「因果関係はわからない(芝田山広報部長)」「不運が重なった」で済むことなのか?相撲はスポーツではなく神事なのだから、他のスポーツイベントのように(万一を想定した)一次救命措置専門の医療スタッフを土俵下に待機させる必要もないといった、「現実(リアル)を無視する心の動き=認識のゆがみ」が常に土俵上にあるのではないかと疑う。
「認識のゆがみ」はこの件に限ったことではない。
" 舞鶴での春巡業は2018年4月4日に行われ、多々見良三市長が土俵上であいさつしている最中に倒れた。まず男性スタッフ複数人が土俵にあがって市長を囲むと、その後で観客とみられる複数の女性が土俵にあがり、心臓マッサージを始めた。動画サイトにアップされた現場動画などによると、ざわつく場内に「皆様、お座りになりますようお願い致します。お座りください」というアナウンスが入った。そして、救助隊員が到着しかけると、「女性の方は土俵から降りてください。女性の方は土俵から降りてください。女性の方は土俵から降りてください。男性がお上がりください」と指示された。女性らは駆けつけた隊員らに何かを伝えて引き渡した。市長は担架で運ばれた。・・・大相撲では、「女人禁制」として土俵に女性があがることを禁じている。だが、人命がかかった状況で救命活動をした女性にこのルールを当てようとしたことには、各所で疑問の声があがっている。取材に応じた客も、「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」という声が客席からも聞こえたと明かす。"(JCAST ニュース 2018年4月5日付記事引用)
人命までも「女人禁制」と天秤にかけて然りとする「認識のゆがみ」が国技たる大相撲には存在する。
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「現実(リアル)を無視する心の動き=認識のゆがみ」は新型コロナウイルス感染拡大下での聖火リレーにそして五輪開催にも当てはまる。「そんなこと言ってる(やってる)場合じゃないだろ!」という声が日本ばかりか世界中から沸き起こっている。
「神聖で力強く、温かい光となって日本全国をともしてほしい(橋本大会組織委員会会長)」、「コロナに打ち勝った証(菅首相)」と、安全安心をはなから決め込んでいる。感染拡大や医療崩壊のトリガーとなると国民の大半ばかりか新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身会長までもはっきりと「開催による危険性」を指摘しているが、「尾身会長の発言は承知しているが、すでに専門家の知見を伺うなど行っている・・・5者協議でも開催については合意している(橋下大会組織委会長)」。新型コロナウイルス感染症対策分科会を差し置いて尊重すべき別の専門家の知見があるかの発言には驚くばかりである。
開催中止なるB案を一切思考せず、大方が指摘する危険性を敢えて想定しようとせず、それで感染拡大に拍車がかかり、医療崩壊と命を落とす人があってもそれを「因果関係はわからない」「不運だった」と言って済ますつもりなのだろうか?国際原子力・放射線事象評価尺度(INES)で最大過酷評価「Level 7」且つ今もなお「原子力緊急事態宣言下」の原発事故でも「因果関係はわからない」とその実害を一切認めず当事者の事故責任も不問にするのであるから、「現実(リアル)を無視する心の動き=認識のゆがみ」はこの国の宿痾だが、その前提、すなわち「アンダーコントロール(安倍前首相)」が東京大会招致の決め手となった。
「日本国民の精神は賞賛の的」などとバッハIOC会長はその言葉につけ入り、あたかも相応するかに「打ち勝った証・団結の象徴(菅首相)」などと政治的な勝ち名乗りを上げる為に、五輪をやたらと神聖化し、国民の命と天秤にかけ挙句に「不運だった」と結果責任から逃げるのなら、もはや、五輪開催は犯罪行為に等しい。
「オリンピズムは、肉体と意志と知性の資質を高揚させ、均衡のとれた全人のなかにこれを結合させることを目ざす人生哲学である。(オリンピック憲章・根本原則から)」
「現実(リアル)を無視する心の動き=認識のゆがみ」は到底「均衡のとれた全人」足り得ず、その根本原則において東京大会はすでに自家撞着している。否、開催都市(国家)の精神風土「現実(リアル)を無視する心の動き=認識のゆがみ」を巧みに利用し、その根本原則すら自ら蔑ろにするオリンピック自体、その歴史的使命が終わっているのである。
(おわり)