2021年03月27日

認識のゆがみを前提とする儀式



大相撲春場所13日目(2021年3月26日 東京・両国国技館)、三段目力士今福と響龍との取り組み。土俵際で今福が左からのすくい投げを放って勝利した。その際に響龍が頭から土俵に落ちうつぶせのまま動けなくなった。

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(スポーツニッポン新聞社記事引用)

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写真の通り、突っ伏して動かなくなった響龍を挟んで勝ち名乗りを行っている。直ちに救護すべき状況にもかかわらず何事もないかの如く取り組み進行を優先させた。

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「『聖火が走ったんだから、飯舘はもう(ほぼ全域で平時の線量に戻って)復興しているんだ』(中略)震災前に戻るまで、まだ100年も200年も続く放射能汚染。その中で、『復興、復興』と掛け声が大きければ大きい程、『復興』できない現実や、そこに生きる人びとの、苦悩し、呻吟(しんぎん)するつぶやきはかき消されてしまうのではないでしょうか。本当は、そこに生きる人びとに寄り添う施策こそ、求められているはずなのに…」(「聖火リレーと復興を重ねるのはおかしい」豊田監督、福島を追い続け / 西日本新聞 2021年3月27日付記事引用)

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目の前で起きていることが不都合なことであればあるほど、白昼夢(バーチャル)と思い込みその現実(リアル)を無視する心の動きがあると言う。

そのような認識のゆがみが上掲の写真にまざまざと現れている。

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(TEAM Coca-Cola TOKYO 2020の聖火キャンペーン)

(ロシアメディアがドローンで空撮した汚染土壌の一時保管地区(福島県富岡町))

「神聖で力強く、温かい光となって日本全国をともしてほしい(橋本大会組織委員会会長)」だそうだが、100年先でも『復興』が見えない現実・原発事故なる国家の宿痾(治らない病)があるのにそのことを無視し呻吟する人々の口を封じようとするかに全国津々浦々に走り回る聖火は現実逃避にしか私には見えない。聖火と伴走するコカコーラのキャンペーンがどうして光となるのか。我々は "いつまでも「うそつきロボット」のままで良いのだろうか?"

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「(聖火リレーの出発地に福島を選んだことは)この儀式の偽善や害悪、ばかばかしさを際立たせただけでなく、五輪に向けて突き進む日本の問題の縮図でもある(中略)もとは“復興五輪”をうたっていたが、現地の多くの人は復興の遅れを理由に五輪を非難している。(復興の)財源は五輪の準備のため東京に振り向けられた」
(スポニチアネックス 2021年3月27日付記事引用)

東京オリンピックの放送権を持つNBCですら「リレーの聖火を消すべきだ」と題する寄稿(米五輪代表にも選ばれたことがある元プロサッカー選手で米パシフィック大のジュールズ・ボイコフ教授(政治学)を掲載している。

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響龍はその後、呼び出しに仰向けにされ駆けつけた医師の下、病院に搬送された。頚椎損傷の疑いがあるという。

「五輪はパンデミックを悪化させかねない。開幕時にも日本国民はワクチン接種を終えていないだろう。海外から来る何千人もの選手やコーチ、記者らは誰もワクチン接種が義務付けられていない」(同上記事より)

その後を心配すること自体、神事を前にすればナンセンスとなるような認識のゆがみを前提とする「神聖な」儀式があって良いものだろうか?火を見るよりも明らかことにこそ目を向けるべきではないのか?


(おわり)

posted by ihagee at 06:34| 日記