2021年03月22日

近頃、ナレーションが変だ



普段、滅多にテレビなど観ないが先日、NHKダーウィンが来た!を観た(再放送分)。

冬の平原に逞しく生きるユキウサギがテーマのドキュメンタリー番組で(「雪をフル活用!北海道 ユキウサギ」)、映像だけでも十分に視聴者にその内容が訴求するにも拘らず付随するナレーションが全く頂けない。

ドキュメンタリーなのだから芝居もドラマも被せる必要はないのに、言葉ごとに妙な溜めや抑揚・メリハリをつけテンションを上げる。映像そのものに語らせる余白も余韻もなく共感を押し付けるようなやたらベタベタと映像に絡むナレーションは不快でしかなかった。


(1976年放送・新日本紀行「歌が生まれてそして」)

一昔前のドキュメンタリーにあるような静かにそっと心に沁み入るナレーションは、今の時代では全く視聴率が取れない。このあたりの事情については、ネットに業界人の嘆きが投稿されている(「ナレーターの嘆き」番組構成師の部屋より)。

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共感を利用したメディア・広告・番組が世の中に溢れかえっているから、その中から一頭地を抜くにはさらに共感を煽るようなナレーションが求められているのだろう。


(映像製作会社スーパーダイス・「【達人道】第128回〜ナレーションの達人」)

言葉の端々に「そう思わない?」「そうだよね!ねっ?」といったやたらとテンションが入り込む。これが大半の視聴者の好みということなのだろう。視聴率を取るならばナレーションはこうあるべきとの例。

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上述の番組に限らず近頃のメディアのナレーションは総じてこの傾向にある。ナレーションばかりではない。


(東京メトロ有楽町線構内アナウンス)

日本語の放送が媚びを含む(あるいは子供を諭すような)口調なのに、英語は丁寧であっても媚びは感じられない。

拙稿:「東京メトロ日比谷線車内でBGM試行運用」への一言<音>から考える - プラスとマイナスでも述べたが、「(自らの)心の落ち着かせ」すら他者にお願いしたり(BGMまでお願いする)、「居眠りしたら聞き逃す。案内を繰り返してくれ。」(執拗な車内放送)とか、箸の上げ下げまで他者に依存し、自分の頭や感性で物事を判断しない社会の幼稚化が上述の媚びを含む口調を要求していると思われてならない。

弁え(わきまえ)があり、言わずとも互いに推し量ったり忖度する中から生まれる共感や同調圧力社会は何かあっても「運・不運」で片付いてしまう(拙稿:「運命でかたづける国民性」)。国策たる原発の未曾有の大事故でさえ "実害"なる言葉を封じ、代わって”絆”と言わせ自ら頸木に繋がれることを良しとしておけば、為政者にとってこれ程までに御し易い社会はない。

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近頃、ナレーションが変だ、と「私は」思う。

(おわり)

posted by ihagee at 17:35| 日記