2021年03月18日

思い上がりも甚だしい



" 今夏に延期となった東京オリンピック(五輪)・パラリンピックの開閉会式の演出を統括するクリエーティブディレクターの佐々木宏氏(66)が18日、辞意を表明した。開会式に出演予定だったタレントの渡辺直美さんの容姿を侮辱するようなメッセージをチーム内のLINEに送っていた、と文春オンラインが17日に報じていた。”(朝日新聞Digital 2021年3月18日記事引用)

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佐々木氏が手がける広告作品はいずれも「好感度」だそうだ。ちなみに私がとりわけ不快に感じる広告作品はいずれも同氏の作品である。ソフトバンクの「白戸家」、サントリーのBOSS「宇宙人ジョーンズ」、リオ五輪であの「安倍マリオ」等々。

企業と消費者をつなぐコミュニケーション手段たる広告ゆえ、消費者の耳目を惹かなければならないということか、その演出・表現内容はとかくあざとくなり易い。見た目本位の奇抜さをねらった演出=外連ばかりの広告は特にテレビCMでは常態化しているようだ。

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やたら意味不明・安っぽいドラマ仕立てである。何を売ろうとしているのかよりも、とにかく記憶に残れば構わないと飛んだり跳ねたり喚いたりおちゃらけである。奇抜・外連の固まりは全てゲバ字で描かれた騒々しい看板に近い。静けさとかウィットの一つもない。「これが所詮消費者のセンスですよ」などと見下して、●通などの広告宣伝会社が企業に吹き込んでいるのだろう。それを採用する企業も企業。(拙稿「ドラマ仕立てのCM」)

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広告は企業にとって理念・理想を消費者に伝える手段でもある。ただ売らんかな、ではなくどのように社会に貢献するか・社会的責任を負うかを表明し、社会と共に発展、繁栄する姿勢を併せて示してこそ、企業は「社会の公器」足り得る。

「企業は社会の公器である。したがって、企業は社会とともに発展していくのでなければならない。自分の会社だけが栄えるということは、一時的にはありえても、そういうものは長続きはしない。やはり、ともどもに栄えるというか、いわゆる共存共栄ということでなくては、真の発展、繁栄はありえない」(松下幸之助)

ゆえに、広告は本来、自ずとそれなりに品位を備えるものだ。

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今夏開催予定のオリンピックに象徴されている「今だけ・自分だけ・カネだけ」は、その演出にも反映され、安倍氏の露骨な政治利用としての安倍マリオ(佐々木氏演出)、そして今般の「ルッキズム=外見」にもとづく差別、つまり、何をおいても自分を中心に生きているため相手のことは二の次の新自由主義(身内主義)、経済価値だけで物事を峻別し、LGBT(「性の多様性」)を生産性(子作り)の観点から否定し、「わきまえて戴く」と女性差別も何のその、婦女強姦の加害者を不問し被害者にセカンドレイプ(心の殺人)を加え社会的に葬ろうとする(伊藤詩織さん)、挙句は他人を見た目で評価して何が悪いと言う思い上がりに共通している。

人権に公然と「差別」と「偏見」を浴びせ、オリンピック憲章の精神にも逆らうこの国のオリンピックに誰が参加するだろうか?それでも開催とは思い上がりも甚だしい!

理念ばかりか志の高さも品位も感じられない単なる銭ゲバ狂騒の大会に、あらためて「NO!」と言わずにいられない。

(おわり)

posted by ihagee at 03:39| 日記