2021年02月19日
「完璧な選択」と絶賛した意味
” 橋本聖子氏が東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の会長に就任したことについて、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は18日、「就任を心から祝福したい。夏冬合わせて五輪に7度出場してメダルも獲得し、団長も務めた経験を持つ彼女は、完璧な選択だ」と絶賛する声明を出した。”
(朝日デジタル 2021年2月18日付記事より引用)
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国会議員の身分(党籍もそのまま)は不問にするらしい。オリンピック憲章の禁じるスポーツへの政治介入にならないとIOCは判断したことになる。過去の大会で組織委(OCOG)の会長が現職の政治家(議員)であった例は寡聞にして知らない。また、2014年のソチ大会閉会式後のパーティーでの高橋大輔氏に対する行為はその地位(日本選手団団長・日本スケート連盟会長:当時)を利用した明白なパワハラであるが(「ハグだ」と解釈して済むようなセクハラ問題ではない)、これも問わないようだ。
それでもバッハIOC会長にとって「完璧な選択」と絶賛する意味を考える必要がある。
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組織委の長となった人物の(過去の)パワハラやその選考過程でのあからさまな政治介入(議員身分含む)を不問にしたことで、開催までの今後数ヶ月間、IOCは国際社会からの批判に晒され続け開催気運はなおさら後退するだろう。それでも無観客なりで強行開催すれば、それら問題は不問の大前例となる。これはIOCにとって決して良いことにはならない。オリンピック憲章の原則を曲げては、その原則に則った今後の大会に支障が生じるからだ。ロシア・ドーピング問題へのペナルティや2016年リオ大会の大会組織委員会会長逮捕(IOC理事買収容疑)にみるように、開催後にIOCは自ら身辺の身綺麗さをこれ見よがしに示すかに問題のけじめを開催都市と政府につけさせてきた。招致段階から何かと悪い噂が絶えない東京大会も開催したとしても、その終了と共に国際陸連絡みのJOC裏金疑惑共々、これらの問題がIOCや関係団体によって責任の所在共々総括される可能性が高い。参院法務委員会質疑ですでにその違法性が明らかとなっているオリンピック関連商標のライセンス問題は政治的解釈の余地のない商標法違反ゆえ今さら言い逃れの余地がない。国際社会で取り沙汰されればスポンサー企業を巻き込んで国際的な信用問題に発展することは間違いない。組織委を私物化し違法性を知りつつ電通共々巨額なライセンスビジネスに血道をあげてきた森ファミリーは首を今のうちに洗っておいた方が良い。
他方、開催中止の場合(IOCがそのように決定する場合)、中止決定に至る要因(新型コロナウイルス)にこれらの問題を含めれば(おそらく、国際社会が今般の人事を様々問題視するだろう)悪しき前例を作ることなくIOCは仕切り直すことが可能となる。開催が使命の実質IOCのエージェントとしての組織委(TOCOG)は中止と共に用済みとIOCに尻尾を切られ、中止に伴う全責任は債務ごと日本政府が負うことになる。組織委人事への政治介入(日本政府のオリンピック丸抱え)が結果としてIOCの責任逃れに口実を与えたことになったと、その時になって気付いても遅い。実質IOCのエージェントである組織委だからこそ(開催都市契約では、組織委は第三者参加(intervention)の位置付けで実質IOCの側に立っている... 詳細:「組織委はIOCのエージェント(続き)」)、開催都市契約の直接の当事者ではない政府はそのIOCの実質エージェントたる組織委とは一定の距離を保たなければならないが、それが出来なかったがゆえに、ツケが回ることになる。
機を見るに敏、これまでも幾度となく態度を翻してきたIOC(バッハ会長)だからこそ、その言うところの「完璧な選択」は額面通り受け取るわけにはいかない。開催中止の場合でも今般の人事がIOCにとって「完璧な選択」となる意味を考える必要がある。
開催権返上とその後の調停(IOCとの痛み分け・拙稿:理念なき狂騒(三方一両損の方策))を少しでも考えに入れていれば、IOCに責任逃れの口実を与えるような今回の政府主導の人事(五輪相からのスライド人事)はあり得ない。いずれは勝利・神風が吹くと意気込むあまり講和(調停)のタイミングを逃しポツダム宣言受諾で無条件降伏した過去の歴史と被る。それも「承知して頂く・わきまえて頂く」が悲しいかな「神の国(森喜朗)」の轍なのだろう。
(おわり)
posted by ihagee at 06:11| 日記