2021年02月12日
結局は独り相撲
明治の昔、浅草の奥山、両国の広小路、上野の山下など人出の盛り場の地面に円く縄を置いて土俵にして、芸人がたった一人で投げ銭目当てに行った大道芸から「独り相撲」という言葉が生まれたようだ。
二人の力士、呼び出し、行司もみな一人で勤め、「常陸」対「梅」の大取り組みとなると見物客も取り囲んで、「常陸」だ「梅」だとバーチャルな力士の背中に投げ銭をして乗り気になったらしい。芸人はなかなか勝負を付かせないのが奥の手でできるだけ見物客の耳目を引っ張り投げ銭を多く得ようとする。が、次第に銭の入りが悪くなると時分を計って結局一厘でも投げ銭の多い方へ軍配を上げたそうだ。八百長も八百長、滑稽の限りだったそうだ。
(出典:森銑三著「明治東京逸聞史」)
拙稿:朝から晩まで・独り相撲
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森喜朗・東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長が辞意を表明、その森氏が後任に川淵三郎氏を事実上使命する、という報道。
俵を割った森氏なぜか立行事に早変わり、川淵氏に軍配を上げ、次に勝負審判(相談役)となって今度は川淵氏に成り代わっている。このように取組進行も判定も全て森氏が行う独り相撲。力士はこの一人以外は全てバーチャルという趣向。見物客の投げ銭の多い方に軍配を上げるが、どのみち一人でやっている投げ銭目当てだから、取り組みは一から十まで八百長。
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トップ一人の独り相撲に背景の松かの如く動かない組織。締込が緩んで恥部まで晒す自分に「残った。ハッキョイ。」と掛け声をかけるが、そのような茶番・八百長に足を止める者もいない。やんやと見物人を集めた時代もあるこの古来からの大道芸も今はすっかり黄昏てしまった。水入りを繰り返してこの夏場所がどうやら最後らしいが、年寄りの冷や水の無理が祟って場所前に「結びにござりまする」となるかもしれない。
(おわり)
追記:
さすがに年寄り同士の禅定では国際社会に説明がつかないと政府が判断したのか、後任人事は一旦白紙になったようだ。人事に介入しないとしていた菅政権が介入すればさらに時の政権の政治利用にオリンピックが使われている構図が際立ち・・と、二進も三進もいかない状況になっている。現職閣僚や与党国会議員をそのトップに据えれば尚更だろう(橋本聖子五輪相を推す声があるが)。さりとて、高円宮妃など皇室メンバーを立てれば、皇室の政治利用の誹りは免れず、また、国民の大多数が開催に反対している中、開催の旗振り役をさせれば、主権者=国民の総意に基づく天皇の地位と相反することになり、皇室全体の存在意義が問われることになる。招致段階での高円宮妃の活動はその悪しき典例であった。此の期に及んでは、中止に向けた「敗戦処理」を行うためのトップ人事であるべきだろう。IOCのバッハ・コーツ(会長・副会長)は共に弁護士であるから、組織委員会も弁護士をトップに据えた布陣でなければ法律契約問題で渡り合うことはできない。オリンピック関連商標の違法ライセンス問題もバッハ・コーツ両氏の知るところであるから(「国際オリンピック委員会への手紙(日本語訳)」)、開催中止となれば日本側の法的瑕疵としてIOC側からその責任を問われるかもしれない(法律面の問題はIOCとは契約上日本政府が保証している)。
posted by ihagee at 10:15| 日記