2020年05月18日

"オリンピック命" と言わせる日本の落日(続き10)



”首相官邸の介入が取り沙汰される黒川弘務・東京高検検事長の定年延長に関し、安倍晋三首相は、法務省側が提案した話であって、官邸側はこれを了承したにすぎないとの説明に乗り出す構えだ。検察官の定年に関する従来の法解釈を変更し行ったと説明している異例の人事は、あくまでも同省の意向に基づくと主張し、理解を求める。黒川氏の定年延長を法務省が持ち出したとする説明は、首相が15日のインターネット番組で言及した。問題の発端となった黒川氏人事への政治介入を明確に否定することで、検察庁の独立性が揺らぎかねないと反発する世論の沈静化を図る狙いがあるとみられる。”
(共同通信 2020年5月17日付記事

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コペルニクス的転回で安倍首相は法務省およびその特別機関たる検察庁に定年延長の動機があると、自らに問われている疑惑の矛先をかわそうとしている。この構図は財務省に公文書改竄の一義的動機と責任を負わせ、末端の職員を自死に追い込んだ構図に瓜二つである。挙句は財務省の官僚が勝手に忖度しただけのことで「俺は関係ない」と突き放す。

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「私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣をやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい、このように思います。」

2020年1月31日、安倍内閣は「検察庁の業務遂行上の必要性」を理由に、東京高検検事長の黒川弘務氏(63)の定年を半年延長する脱法的な閣議決定をした。長年維持された法解釈を時の内閣が勝手に変えた。

いずれも事の発端(関係性=梃子の力点)は安倍首相・内閣にある。発端にもかかわらず、財務省の役人が勝手に忖度した(作用した)ことだとか、法務省側が(一方的に)提案した話だということにして、「俺は関係ない」と突き放す。

藤井裕久氏(大蔵省官僚出身・元財務相)は、「忖度なんていい加減なことを財務省の官僚は絶対にしない」、「前例踏襲主義の官僚は忖度なんてしません」と言い、今回の事件を官僚の忖度で説明することは誤りだと指摘している。藤井氏は官邸(安倍首相含む)からの明確な指示がなければ、前例にすらない不法行為を官僚が犯す筈がないと指摘する。

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法務省側が(一方的に)提案した話にするなど、安倍首相か取り巻きの官邸官僚の思い付きだろう。しかしその話の先にこれまで国会で審議されてきた前提に照らせば大きな自家撞着があると、さすがに自民党も気付いたのか、今国会での検察庁法改正法案を含む国家公務員法等の一部を改正する法律案は共々採決見送りとなった(国家公務員法を人質にして、同法改正ができなかったことを以って与党は野党への攻撃材料にするに違いない)。

検察庁法改正に反対する国民世論に抗しきれない以上に、その話の先に稲田検事総長も含め、錯乱気味の法務大臣、法務事務次官、法務大臣官房長らの証人喚問の可能性があるとなれば、その場で作り話であることが判ってしまう。財務官僚のように阿吽の呼吸で口裏を合わせる相手ではない。「検察庁の業務遂行上の必要性」を閣議決定までして黒川氏一人に求めたのは安倍首相であり、その黒川氏への恣意的且つ脱法的人事と反対側に稲田検事総長がいれば尚更だろう。

思い付きがさらに事態を悪化させるは、アベノマスクや芸能人とのコラボと同じく浅慮でしかない。

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先進諸国がウイルス禍終息後の経済戦略の具体化に取り掛かっている中、日本は出口が見えない中(科学的検証ができないゆえ)、終息後の経済戦略は「GOTO事業」だそうだ。

「コロナの時代の新たな日常を取り戻すスタート(安倍首相)」と言いながら、コロナ以前のサービス業を主体とする「GOTO事業」を打ち上げ、2021年に開催延期されたオリンピックもその中心に据えているようだ。それらサービス業主体の経済施策がウイルス禍にあっていかに脆弱(水モノ)であるか思い知った筈なのに、それしか思いつかない・それしか残っていなかったのが、ウイルスが照らすアベノミクスの総括なのだろう。

”実質国内総生産(GDP)は1─3月期の段階では年率1桁の減少にとどまった。ただ、新型コロナウイルスの影響が本格的に出てくる4─6月期は20%前後の落ち込みが予想され、日本経済は戦後最悪の状態となりそうだ。緊急事態宣言の解除後も、経済規模がコロナ前の水準に戻るには1年以上かかるとの見方もある。感染防止と経済再生のキーは「デジタル化」だが、政府や企業にとって苦手分野である現状が浮き彫りとなっている。”(2020年5月18日付ロイター記事より)

ウイルス禍にもっとも影響を受ける観光・運輸業、飲食業、イベント・エンターテイメントなどに「GOTO事業」などとまたも期待をかけるが、ウイルス終息後の「新たな日常」では「古い日常」でのこれら業態に国家の将来を託すことは、日本を除いて先進諸国ではおおむね過去の話となるだろう。農業・工業など経済・産業の底固めに各国は真剣に取り組むに違いない。

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”オリンピックや国際観光(インバウンド)が我が国の経済政策の主柱だからオリンピック開催中止はあってはならないと主張する者が大半だが、そんな危なっかしい水物に賭けなくてはならないほどこの国の製造業を中心とする産業力は凋落し国民の大半は貧しくなったということでもある。経済構造の根本的な問題や課題に取り組もうとせず、一発勝負・賭け事紛いのオリンピックにこの国の命運を委ねなくてならないその政治経済の貧すれば鈍する無分別ぶりが、"オリンピック命" と言わせるのである。1964年東京大会は高度経済成長で見事に復興した日本を国際社会にデビューさせる為の通過儀礼だった。オリンピック自体、当時は商業主義に非らずその儀礼的意義を十全に満たした。2020大会の "オリンピック命" ぶりはその逆に、目先の利害の成否に周章狼狽する日本の落日ぶりを象徴している。”(拙稿「父さんはどうしてヒトラーに投票したの?」)

(おわり)


posted by ihagee at 18:29| 日記