2020年05月31日

乗りものならぬ「乗りものニュース」



Yahoo! JAPAN ニュースで近頃目にすることが多くなった乗りもの関係の記事。

株式会社メディア・ヴァーグ が配信する「乗りものニュース」記事もその一つだ。

日常的に触れている『乗りもの』に関するニュースを、わかりやすくお届けします。”

”電車や航空機、バス、船、ミリタリー、道路…。多くの人が日常的に触れている乗りもの。私たちが運営しているのは、そんな普段使っている「乗りもの」がもっと便利で楽しくなるサイト『乗りものニュース』。交通インフラを利用する数多くのユーザーへ向けて、ニュースなどを配信しているサイトです。 ジャンルも幅広く、月間のPV数は3000万以上におよびます。”(株式会社メディア・ヴァーグ )


(同社記事中写真引用)

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”乗り物(のりもの、英: vehicle)とは、人を乗せて移動するもの。馬車、籠、汽車、電車、自動車、船、飛行機、人力車 等々の総称。語としては「乗り物」で交通機関を指すことも。” (wikipedia)

日常的に触れている” は言うまでもなく、日常の移動手段たる「乗り物」でありそのための運輸・通信施設である「交通機関」のことである。

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”「鉄道」「航空」「ミリタリー」「道路」「バス」など乗りもの全般に関わります。「戦車や航空機が好き」という方や、「鉄道が好きで、旅行時の列車移動が楽しみ」という方はぜひご応募ください!” (株式会社メディア・ヴァーグの転職・求人情報

その「乗りものニュース」には ”ミリタリー”のジャンルで多くの記事が掲載されている。


(同社記事中写真引用)

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ミリタリー”は言うまでもなく日常の移動手段たる「乗り物」や、そのための運輸・通信施設である「交通機関」ではない。

”戦争において使用する全ての車両、航空機、船舶、設備などの事を指し、敵となった目標を殺傷、破壊するためや、敵の攻撃から防御するための機械装置である”(wikipedia)であるところの「兵器」だ。

「兵器」と日常の移動手段たる「乗り物」は全く異なるカテゴリーであるばかりか、日常生活空間とは異にする複数の集団の間で物理的暴力行使をする空間に於いての "車両、航空機、船舶、設備" である。

日常的に触れている” か否かは、"物理的暴力行使をする空間" が日常化しているか否かに係っている。

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乗りものならぬ「兵器」を、サラッと「乗りものニュース」で”日常的に触れている『乗りもの』に包括しさらに「戦車や・・好き」と好奇心だけで読者(特に若者)を呼び込む。

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”「ある軍事評論家は言った。米軍はテロリストがいる場所だけをピンポイントで爆撃し、『人道的な戦い方だ』と。そう考えるなら、爆撃の下に立ってみなさい、と言いたい。爆撃で死んだのは女性や子ども、お年寄りといった罪のない人ばかりだ」・・・「大きな曲がり角。戦争を身をもって知らない世代ばかり。私もアフガンを通して戦争のなんたるかを知った。安倍さんの描く戦争の状態は現実離れしたゲームのようにしか見えない」” (「現実離れした戦争」中村哲氏)

戦車や・・好き」などと大人が好奇心しかなければ、ピンポイント爆撃だから『人道的な戦い方だ』などとゲーム感覚で納得肯定し、罪のない人々が現実には殺されていようがそれを知ることもなく、「戦車や・・好き」とその子供たちにまで言わしめる。

「戦争のなんたるか」を一つとして知らしめない単なる「面白ずく」の記事が「乗りものニュース」では ”ミリタリー”のジャンルで掲載されている。

ただ「面白ければ良い」が昨今流行りのメディアのあり方なのだろうか?

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”群馬県の伊香保おもちゃと人形自動車博物館(吉岡町上野田、横田正弘館長)は、実物大の戦車などの軍事品の模型を展示する「ミリタリーゾーン」を開設した。・・横田館長は「『実物大戦車の模型を置いてほしい』というファンの期待に応えた」と新ゾーン開設の狙いを説明。戦車の走行用ベルトなど細部にまでこだわったといい、「幼少期に戦闘機や戦車といったプラモデルを作った男性ら幅広い世代に楽しんでもらいたい」と話した。”(上毛新聞記事 [2019/12/07]引用)

伊香保おもちゃと人形自動車博物館は何度か訪れた場所である。

”幼少期に戦闘機や戦車といったプラモデルを作った” 、は私も同じ。しかし、中学生になって「やめた」。戦中世代の父の話を聞いて「戦争のなんたるか」を少しは考えるようになったからかもしれない。そのような考えのきっかけとするならともかく、「幅広い世代に楽しんでもらいたい」とはどういうことだろうか?

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米国スミソニアン航空宇宙博物館の関連施設には、広島に原爆を投下した米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」がピカピカに磨き上げれて飾られている。20万人の命を奪った兵器である。同様に長崎に原爆を投下したB29「ボックスカー」は中西部オハイオ州の博物館に展示されているそうだ。展示されている「エノラ・ゲイ」に、原爆被害や歴史的背景は一切説明されていない。

それら兵器を、我々は嬉々として観に行くだろうか?

原爆投下に使用された兵器には「戦争の何たるか」をわれわれは重ね見るが、


(長崎原爆後の写真「焼き場に立つ少年」・朝日新聞DIGITAL [2018/01/02]記事中写真引用)

「ミリタリー」記事や、模型であろうと実寸大の戦車には「戦争の何たるか」を全く覚えず、”日常的に触れている『乗りもの』に繰り込んでしまう我々。旭日旗に「戦争の何たるか」を全く覚えないことと同じ(拙稿「旭日旗考」)。軍事戦勝旗を歴史上一義として意味する旭日旗を「人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励する(オリンピック憲章)」ことを目的とするオリンピックの競技施設に持ち込むことも是とする空気がこの国を支配しつつある。

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”「えっ、兵器がずらり」―。自衛隊の戦車や戦闘機などの写真を掲載した幼児向け知育図鑑『はじめてのはたらくくるま 英語つき』について、大手出版社・講談社の子会社「講談社ビーシー」は2日までに「適切な表現や情報ではない箇所があった」として今後増刷しないとしました。



この本をめぐっては、児童文学関係者や新日本婦人の会などが同社に懸念を伝えていました。・・・こうした内容に、日本子どもの本研究会や親子読書地域文庫全国連絡会、日本児童文学者協会が、幼児向けの本であることを念頭に「戦争に使う乗り物を普通の車と同列にとらえられることに大きな不安」などと意見を表明していました。」”
(「幼児向け図鑑「はたらくくるま」しんぶん赤旗電子版記事 [2019/08/03]引用)

街で見かける「働く車たち」の括りであるところなどは、「乗りものニュース」の ”日常的に触れている『乗りもの』にミリタリーを括ることと同じ。

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乗りものならぬ「乗りものニュース」やプラモデルの延長でしか軍事品をみない、そして「戦争のなんたるか」を一つとして知らしめない単なる「面白ずく」の内に「爆撃で死んだのは女性や子ども、お年寄りといった罪のない人」に心を至らせることもできず「ゲームのようにしか見えない(中村哲氏)」「幅広い世代」。

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間違っていないか?とその「幅広い世代」に問いたい。

「大事なのは、人間の犠牲を減らすための外交努力です。自分が殺されるのは嫌いだから、相手も殺さない。これが普通の感覚じゃないですか。」(中村哲氏)

その努力を自ら実践し将来世代に託すべきがわれわれ大人の役目である。中村哲氏が示したように。それが憲法にある平和主義の実践である(平和主義を題目のように唱えるだけではなく行動=水路建設(中村哲氏)、を以って実践すること)。戦争で戦うが普通の国の武力主義なら、戦争に命がけで戦うが日本国に課せられた平和主義の実践である。後者がいかに大変なことか、しかし人としていかに偉大なことかは中村哲氏が教えてくれる。

ところが、その平和主義と真逆の「積極的平和主義」なる造語で隠した武力主義に日本は傾斜している。紛争地での自衛隊の民事支援をマスコミは大書報道するが、軍事を有利に進めるための作戦の一つでしかなく(民事作戦)所詮武力主義の言い訳と軍需産業輸出の目隠しに他ならない。井戸掘り一つ、自衛隊と中村哲氏ではその目指すものが異なる。

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「いかにしたらこの世から戦争をなくすことができるか?」とは正反対の方向に進んではいまいか?


(【昭和10年から15年頃の「子供の科学」】夢の図書館から画像引用:「昭和6年の満州事変から昭和12年の日中戦争開戦へと戦争への道を突き進んだ日本の姿があります。」)

その先は戦争への道。大人たちの無責任無思考な「面白ずく」は安倍政権の「積極的平和主義」の背中を押し、子供たちにその道を展く。

(おわり)

PS. コロナウイルス禍の最前線で活動する医療従事者を励まそうとブルーインパルスが都内上空を曲技飛行した(2020年5月29日)。安倍首相、その医療従事者をはじめ、多くの都民が空に手を振った。ブルーインパルスは戦闘機ではない。だからと言って赤十字の飛行機でも民間機でもない。憲法を政治解釈し地球の裏側まで武装した自衛隊を派遣可能にした者と一緒にその「非日常」に無邪気に手を振ることができない。空ではなく目の前の医療従事者に感謝を示したい。それがウイルス禍の只中にあっても日常心を失わないことであろう。


posted by ihagee at 19:00| 政治

2020年05月23日

「何ら問題ない」に苦しむ安倍首相



”東京高検の黒川弘務検事長が22日、辞職した問題で、安倍晋三首相は黒川氏の定年延長を決めたことに対する野党の批判をかわし続けた。自らの「最終的な責任」を認める一方、野党が問題の核心と捉える定年延長については「何ら問題ない」として撤回を拒否。野党からは「内閣全体の責任が全く感じられない」(立憲民主党の枝野幸男代表)と憤りの声が上がった。「違法、違憲の疑いのある閣議決定まで強行し、勤務延長した人が賭博行為をしていた。信じられない不祥事だ」。野党共同会派の小川淳也氏は22日の衆院厚生労働委員会で、首相の任命責任を追及。「責任を痛感する」として進退伺を出した森雅子法相に続投を指示したことに対しても、「潔く受理した方が適切だった」と批判した。2月7日付で定年退官する予定だった黒川氏は、1月31日の閣議で半年間の定年延長が決定された。検察官の定年延長は前例がなく、過去の国会答弁とも矛盾することが明らかになると、首相は法解釈を変更したと説明。政府は定年を延長した理由について、黒川氏の経験や知識が「高検管内で遂行している重大かつ複雑困難な事件の捜査・公判に対応するため必要不可欠だ」としてきた。その黒川氏が、不祥事により定年延長からわずか4カ月足らずで辞職に追い込まれた。野党は、法解釈を変更してまで定年を延長した閣議決定の責任は首相自身にあると見定める。黒川氏を「首相官邸の番人」になぞらえ、政権に都合のいい人物を検事総長に据えるため「禁じ手」を使った、というのが野党の批判の核心だ。これに対し、首相は「最終的に内閣として認めた責任は私にある」と低姿勢で答えたものの、定年延長そのものについては「検察庁を所管する法相からの請議により閣議決定された」と官邸の介入を否定。「脱法的でもなければ、検事総長にするためでもない」とかわした。”(”定年延長批判、かわす安倍首相 「違法、違憲の疑い」認めず” 時事通信社2020年5月23日記事引用)

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先の定年延長閣議決定について安倍首相が「何ら問題ない」と答弁。

ならば、閣議決定をしてまで適用した国家公務員法枠内の法的身分で黒川氏は賭け麻雀を行ったことになる。しかもその定年延長した身分については法的に疑義がある。つまり、定年延長について国家公務員法の規定を検察庁法に法解釈変更によって適用するとなれば、国家公務員法第81条の3第2項にある「人事院の承認を得て」が定年延長の要件となるが、その人事院が法務省、内閣法制局と行った筈の協議について一切記録書面が存在せず口頭決済のみとされている。しかも「国家公務員法の定年延長規定は検察官には適用されない」旨の1981年の政府見解は「現在まで引き継いでいる」と人事院局長は今国会で答弁していた(適用される旨の見解は過去一度として人事院から示されていない)。

いずれにせよ閣議決定で適用した国家公務員法の枠内での定年延長は任命権者である内閣総理大臣が判断したことになる。同法の枠内では任命権者が懲戒権者=内閣総理大臣・各省大臣、本件の場合は法務大臣 / 国家公務員法第55条・84条)となる。ゆえに懲戒権者は(人事院の規定する国家公務員の服務規程違反の最高処分)である「懲戒(内訳・免職など)」を以って安倍内閣総理大臣・森法務相は黒川氏の処分を検討しなければならない。懲戒免職となれば退職金は支払われない。

ところが実際は法務省内規の「訓告」に留めた。訓告は「法務・検察で判断」したこととし、官邸が懲戒にはしないと結論付けたと報道される(”法務省は、国家公務員法に基づく懲戒が相当と判断していたが、官邸が懲戒にはしないと結論付け、法務省の内規に基づく「訓告」となった” が真相とも報道されている)。国家公務員法の枠内での懲戒権者としての処分判断が安倍内閣総理大臣にあったのか否かは明らかにされていない。このことはまさしく、安倍氏自身「(先の閣議決定に)問題があること(違法・違憲)」を自ら認めたことに等しい(国家公務員法の枠内の定年延長、および役職定年の例外の適用を受けた黒川氏の身分に法的な疑義があるということ)。

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さらに、現行の国家公務員法に規定されている定年延長と役職定年制(およびその例外)を高位の検察官に適用しようと検察庁法を国家公務員法と抱き合わせて改正しようとしても、法令不遡及の原則(法令の効力はその法の施行時以前には遡って適用されないという実体法の原則)に依って、新法の効力は法改正前の閣議決定に及ばず、その違法性は解消されない(合法化されない)

合法化=遡及する、とすれば、件の閣議決定から法改正前(旧法下で)までの間に定年退官した(する)高位検察官にも新法の効力が及ぶことになり、検察官の身分に著しい混乱が生じるからだ。野党は安倍内閣の任命責任(「責任を痛感する」として進退伺を出した森雅子法相についての)よりも、検察庁法改正を以っても合法化されない先の閣議決定の違法性(違憲性も含めて)を徹底して主張しなければダメだ。

ここで注意しなくてはならないのが、世論に押されて「懲戒」処分を行うべきと野党も唱えることは、先の閣議決定それ自体合法、または、後付けの検察庁法改正を以って合法化される=ゆえに閣議決定自体「何ら問題ない」とする与党の目論見に与することである。したがって、野党はあくまでも違法性(違憲性も含めて)の論点を外すことなく、”その閣議決定に「何ら問題ない」と言う限り「懲戒」処分となるのではないか?”・・と相手の言質を取って迫るべきで、合法化を含む言い逃れを安倍首相に与えないよう慎重に対峙すべきであろう。

我々国民もこの点は押さえておかなければならない。

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黒川氏への「甘い処分」に国民は大反発し政権支持率は低下しているが、法秩序の連続性を政治解釈で断ち切った閣議決定がもたらす矛盾(懲戒処分を下せない)に安倍首相は自ら苦しむことになったわけである。

(おわり)

posted by ihagee at 21:14| 政治

2020年05月18日

"オリンピック命" と言わせる日本の落日(続き10)



”首相官邸の介入が取り沙汰される黒川弘務・東京高検検事長の定年延長に関し、安倍晋三首相は、法務省側が提案した話であって、官邸側はこれを了承したにすぎないとの説明に乗り出す構えだ。検察官の定年に関する従来の法解釈を変更し行ったと説明している異例の人事は、あくまでも同省の意向に基づくと主張し、理解を求める。黒川氏の定年延長を法務省が持ち出したとする説明は、首相が15日のインターネット番組で言及した。問題の発端となった黒川氏人事への政治介入を明確に否定することで、検察庁の独立性が揺らぎかねないと反発する世論の沈静化を図る狙いがあるとみられる。”
(共同通信 2020年5月17日付記事

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コペルニクス的転回で安倍首相は法務省およびその特別機関たる検察庁に定年延長の動機があると、自らに問われている疑惑の矛先をかわそうとしている。この構図は財務省に公文書改竄の一義的動機と責任を負わせ、末端の職員を自死に追い込んだ構図に瓜二つである。挙句は財務省の官僚が勝手に忖度しただけのことで「俺は関係ない」と突き放す。

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「私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣をやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい、このように思います。」

2020年1月31日、安倍内閣は「検察庁の業務遂行上の必要性」を理由に、東京高検検事長の黒川弘務氏(63)の定年を半年延長する脱法的な閣議決定をした。長年維持された法解釈を時の内閣が勝手に変えた。

いずれも事の発端(関係性=梃子の力点)は安倍首相・内閣にある。発端にもかかわらず、財務省の役人が勝手に忖度した(作用した)ことだとか、法務省側が(一方的に)提案した話だということにして、「俺は関係ない」と突き放す。

藤井裕久氏(大蔵省官僚出身・元財務相)は、「忖度なんていい加減なことを財務省の官僚は絶対にしない」、「前例踏襲主義の官僚は忖度なんてしません」と言い、今回の事件を官僚の忖度で説明することは誤りだと指摘している。藤井氏は官邸(安倍首相含む)からの明確な指示がなければ、前例にすらない不法行為を官僚が犯す筈がないと指摘する。

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法務省側が(一方的に)提案した話にするなど、安倍首相か取り巻きの官邸官僚の思い付きだろう。しかしその話の先にこれまで国会で審議されてきた前提に照らせば大きな自家撞着があると、さすがに自民党も気付いたのか、今国会での検察庁法改正法案を含む国家公務員法等の一部を改正する法律案は共々採決見送りとなった(国家公務員法を人質にして、同法改正ができなかったことを以って与党は野党への攻撃材料にするに違いない)。

検察庁法改正に反対する国民世論に抗しきれない以上に、その話の先に稲田検事総長も含め、錯乱気味の法務大臣、法務事務次官、法務大臣官房長らの証人喚問の可能性があるとなれば、その場で作り話であることが判ってしまう。財務官僚のように阿吽の呼吸で口裏を合わせる相手ではない。「検察庁の業務遂行上の必要性」を閣議決定までして黒川氏一人に求めたのは安倍首相であり、その黒川氏への恣意的且つ脱法的人事と反対側に稲田検事総長がいれば尚更だろう。

思い付きがさらに事態を悪化させるは、アベノマスクや芸能人とのコラボと同じく浅慮でしかない。

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先進諸国がウイルス禍終息後の経済戦略の具体化に取り掛かっている中、日本は出口が見えない中(科学的検証ができないゆえ)、終息後の経済戦略は「GOTO事業」だそうだ。

「コロナの時代の新たな日常を取り戻すスタート(安倍首相)」と言いながら、コロナ以前のサービス業を主体とする「GOTO事業」を打ち上げ、2021年に開催延期されたオリンピックもその中心に据えているようだ。それらサービス業主体の経済施策がウイルス禍にあっていかに脆弱(水モノ)であるか思い知った筈なのに、それしか思いつかない・それしか残っていなかったのが、ウイルスが照らすアベノミクスの総括なのだろう。

”実質国内総生産(GDP)は1─3月期の段階では年率1桁の減少にとどまった。ただ、新型コロナウイルスの影響が本格的に出てくる4─6月期は20%前後の落ち込みが予想され、日本経済は戦後最悪の状態となりそうだ。緊急事態宣言の解除後も、経済規模がコロナ前の水準に戻るには1年以上かかるとの見方もある。感染防止と経済再生のキーは「デジタル化」だが、政府や企業にとって苦手分野である現状が浮き彫りとなっている。”(2020年5月18日付ロイター記事より)

ウイルス禍にもっとも影響を受ける観光・運輸業、飲食業、イベント・エンターテイメントなどに「GOTO事業」などとまたも期待をかけるが、ウイルス終息後の「新たな日常」では「古い日常」でのこれら業態に国家の将来を託すことは、日本を除いて先進諸国ではおおむね過去の話となるだろう。農業・工業など経済・産業の底固めに各国は真剣に取り組むに違いない。

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”オリンピックや国際観光(インバウンド)が我が国の経済政策の主柱だからオリンピック開催中止はあってはならないと主張する者が大半だが、そんな危なっかしい水物に賭けなくてはならないほどこの国の製造業を中心とする産業力は凋落し国民の大半は貧しくなったということでもある。経済構造の根本的な問題や課題に取り組もうとせず、一発勝負・賭け事紛いのオリンピックにこの国の命運を委ねなくてならないその政治経済の貧すれば鈍する無分別ぶりが、"オリンピック命" と言わせるのである。1964年東京大会は高度経済成長で見事に復興した日本を国際社会にデビューさせる為の通過儀礼だった。オリンピック自体、当時は商業主義に非らずその儀礼的意義を十全に満たした。2020大会の "オリンピック命" ぶりはその逆に、目先の利害の成否に周章狼狽する日本の落日ぶりを象徴している。”(拙稿「父さんはどうしてヒトラーに投票したの?」)

(おわり)


posted by ihagee at 18:29| 日記