2020年03月19日

これが、君が世界に見せたい日本かね?



「これが、君が世界に見せたい日本かね?」
この台詞は、1940年の幻の東京大会を描いた37話で描かれたシーンの回想だ。

1940年東京大会は、開催が決まったものの、日中戦争の勃発などで国際世論が日本に対して厳しくなっていた。そうして開催が危ぶまれるなか「日本は大国」と言って開催を押し切ろうとする嘉納に対し、田畑は土下座をして開催権の返上を求める。

嘉納は1940年東京大会に対する反対意見が強まる国際世論を変えるために、エジプト・カイロで行われるIOC総会に出席するのだが、その旅に田畑もついてきてほしいと語るが、田畑はそれを拒否。激高しながら、スポーツが政治利用されてしまう現状では日本にオリンピックは開く資格はなく、ここはまず返上して、日本は平和になってからまた招致すればいいと叫ぶ。そして、逆に嘉納に対してこのように問いかけたのである。

クドカン『いだてん』が投げかけた2020東京五輪と日本への痛烈批判「いまの日本は、あなたが世界に見せたい日本か?」(リテラ 2019年12月22日付記事引用)

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「東京五輪は人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして、完全な形で実施したい」。首相は2020年3月16日夜、史上初のテレビ電話による先進7カ国(G7)首脳会議でこう訴えた。

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(開催権のIOCへの)「返上」なる選択肢を政府、東京都、大会組織委員会、JOC、マスコミ共、一切口にしない。「中止」または「延期(開催)」ばかりが憶測として飛び交っている。

1940年の幻の東京大会は(開催権のIOCへの)「(オリンピックを開く資格を)返上」したからこそ、その崇高な意思が嘉納の遺した思いと共に戦後1964年の東京大会開催に結実したと言えるのではないだろうか。

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「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています(アンダーコントロール)。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。……」(2013年9月7日IOC総会での安倍首相の発言)。そして、「東京五輪は人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証し」。人類最大の危機たる災害まで踏み台にしオリンピックを政治利用する。

そもそも、最初からオリンピックを開く資格などなかったのではないか?そして、今、新型コロナウィルス(COVID-19)対策について国際社会から不審な目で見られている日本国を「打ち勝った証し」などと世界に見せている場合なのだろうか?

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このまま、IOCから開催都市契約の解除および大会開催中止を一方的に通告されることは、事実上、オリンピックを開く資格を剥奪されることでもある。たとえ延期開催となっても、その先に開催される確証は一つとしてなく、人類の危機たる災害まで踏み台にしアスリートや観客の命を危険に曝してまでもオリンピックを政治利用する日本の姿だけが浮き上がることになる。

国際社会からは完全開催を推し進めるIOCに対して「その中で、IOCがこれだけ断固として続行を強調するのは、人類の状況を踏まえれば、無神経で無責任だと思う」(IOC委員のヘイリー・ウィッケンハイザー氏)との声が上がった。ゴールドメダリストである同氏のコメントはアスリートの立場を明らかに示している。その完全開催の意思を主だって表明した日本政府に対しても向けられていると理解すべきだろう。

「東京五輪は人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証し」がアスリート達にとっていかに無神経・無責任であるか、「開催するから準備しとけ」と安倍首相は世界中のアスリートに号令しているに等しい。


(2020年東京大会「安全な距離」)

たとえ延期開催したとしても、無神経・無責任な日本を見せたままのオリンピックは世界中から歓迎されないことだろう。嘗てのモスクワ大会(1980年)のようにボイコット問題が勃発する可能性もある。アスリートとしてその大会を涙を飲んで不参加とした山下泰裕氏が現JOC会長という巡り合わせでもある。政治に翻弄されたモスクワ大会(1980年)。同様に政治や経済の都合や意向ばかりが優先される東京大会に山下氏はアスリートの立場から「このままでは歓迎されないことになる」と意見すべきではないのか?

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COVID-19をチャイニーズ・ウィルス、中国ウィルス、武漢ウィルスなどと呼ぶ政治家が多いが、そう呼べば呼ぶほど、COVID-19禍は黄禍なる黄色人種への脅威感を元にした差別感情を白人社会に焚きつけることになる。






(コロナウィルスの落とす影「黄禍論」パネルディスカッション)

悪しき人種差別たる黄禍論をウィルス同様、無神経・無責任な政治家が国際社会に蔓延させている。その一端は日本の政治家も担っているが、その日本は中国共々、歴史的に黄禍論の中心を成していたことを忘れてはならない。

COVID-19禍が終息しても黄禍なる人種差別的風潮は白人欧米社会に於いてしばらく静まることはないだろう。2012年北京大会(冬季)と同年に延期開催を期待されている東京大会もその只中に置かれることになる。

「新型コロナウイルスで世界は中国に感謝すべき!」(2020年3月17日付Newsweek日本版記事引用)との中国メディア(新華社通信)の見解は「東京五輪は人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証し」との安倍首相の言葉と合わさって黄色人種に対する脅威論をまたぞろ白人欧米社会に焚きつけることになり兼ねない。

自己中心的な無謬とバンザイ突撃的(Banzai charge)に敗けているにもかかわらず勝利を叫んで突進する精神主義は特に黄禍論のステレオタイプとして欧米白人社会では歴史的に記憶されている。形なりにもその白人社会価値観の象徴たるオリンピックに敢えて黄禍の記憶を呼び覚ますような不用意を先進7カ国(G7)首脳会議を介して安倍首相は国際社会に発したことになる。

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「これが、君が世界に見せたい日本かね?」

ここは「人類の状況を踏まえれば、東京大会開催を返上し国際社会と共にCOVID-19対策に専念することを声明する。」と国際信義に応える日本国の姿を示すべきではないのか?

関連記事:「延期という無責任・返上という国際信義

(おわり)

追記:

ギリシャ=国際社会で中止された聖火リレーが日本国内では予定通り開始される。ギリシャを含む国際社会では「中止」が相当とするのに、日本だけは「開催」を推し進める景色となっている。

日本側の意思を尊重するとしてIOCは何も言わない。「開催ありき」への「無神経・無責任」という国際的非難が聖火のようにIOCから日本に引き継がれたということ。その道義的・経済的責任は日本に負わせてIOCはさも「英断」かに中止を決定するだろう(最終決定権だけは行使する)。梯子を外され日本だけが最後まで五輪にしがみついていた。そういう絵になりつつある。

五輪開催ありきの国際公約とCOVID-19に国際社会と協調し対策する国際信義。COVID-19禍の世界的危機状況にあって両者は併立し得ない。後者を採るべきことは明白。1〜2年内の延期開催を嘱望することすら「無神経・無責任」との誹りは免れない。リーマンショック超えとも懸念される世界的経済危機と未曾有のウィルス禍が1〜2年内に終息するという公算は全くないからだ。延期なる前提をつけても依然開催を唱えるは「必要だから安全(原発)」と同じ理屈。危機管理に専念すべき時に開催可能とあたかも対岸の火事かに正常性バイアスをふりかざす。ゆえに「無神経・無責任」と言われる。

IOCは「中止」なる "英断" を行うことで「国際信義を重んじた」を自らの言い分にするだろう。「無神経・無責任」なる国際社会の非難は専ら日本に向けられることになる。舛添氏が指摘するようにIOCは(ずる)賢い。

「国際信義を重んじる」と言い出すは我々でなければならない。それこそ世界に見せるべき日本の姿だ。ゆえに聖火共々、東京都は開催権を直ちにIOCに返上すべき、が私の考えである。


posted by ihagee at 03:06| 日記