2020年03月13日

延期という無責任・返上という国際信義



WHOのパンデミック宣言下、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催の雲行きが怪しい。「延期」や「無観客開催」があたかも可能な選択肢であるかのような報道がされている。

BB-8 Olympische Ringe


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そもそも開催都市契約に「延期」なる文言はない。

「無観客開催」については、大会そのものに巨額な税金(都税等)が投じられているにもかかわらず、その納税者が競技会場で観戦できないということであり、オリンピック憲章の公益性の理念にそぐわない。ゆえにその形式で開催したところで、理念なき東京大会としてオリンピックの歴史に永遠に汚点を残すことになる。

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オリンピックなる興行は地政学的リスク(今回は公衆衛生上のリスク)を常に孕んでいる(例:1972年ミュンヘンオリンピック)。そのリスクが顕在化した時、それでもリスクを取る、すなわち(延期してでも)開催するということは、不確実性に対し敢えて挑戦をするという賭けになる。

WHOによってパンデミックと宣言された新型コロナウィルス(COVID-19)禍とそれに連鎖した経済恐慌(リーマンショック以上と予測されている)が現下の不確実性であり、「無観客開催」または「延期(開催)」が賭け(ギャンブル)ということになる。

安倍政権の諸政策は「この道しかない・未来志向」もその多くは賭け事に近い。経済的リターンを得るために高いリスクを負うことを厭わない。憲政史上最長の政権でありながら未だ成果を見ず道半ばというアベノミクスなる賭けに我々は多くのリスクを背負わされ翻弄され続けてきた。その上にさらなる賭けを加えるわけにはいかない。

「延期」は、1年なり2年先の開催に賭け、経済的リターンを得るということだが、しかし、不確実性がこの先も続き結果開催不能となれば今よりも失うものは格段に大きい。公算もなく次は勝つと信じ精神論だけで杜撰な作戦に突き進み、挙句に甚大な損失を被った例は過去数知れない。「インパール作戦」など歴史は証明している。

勝ちを期待しギャンブルに更に税金を投じ、アスリートのコンディション(肉体的・経済的条件)を保証し、延期に伴って発生する内外の諸問題を全て解決することに、東京都なり日本政府が注力できるのだろうか?1年先の同じ時期に開催延期をするのであれば、先ず世界中でCOVID-19禍が収束していなければならない。ワクチンの開発と治験すら1年はかかると言うから、向こう1〜2年は全く見通せない状況にある。2年先の延期となれば、冬の北京大会と重なり、COVID-19なるリスクをIOCは多重に背負いこむことになる。夏季大会と冬季大会の間に2年のインターバルを設け平時でもスケジュールが満杯のIOCにしてみれば、東京大会を開催すること自体が運営面上のリスクや重荷になる。また、IOCにとって今大会を中止としても保険業界から保険金の支払いを受けて自己の金銭的損失は大方補うことができるが、延期し且つその先で開催不能になった場合も同様の補填がされる可能性はCOVID-19禍と連鎖する世界経済恐慌という不確実性に照らすと今よりも低い。IOCは経営的に今を取る(中止)可能性が高い。それでも尚「延期(開催)」とする場合、その条件として日本政府に開催不能となった場合の金銭的補償を求めるかもしれない。ギャンブルをするツケはそれを希望する開催都市および政府ということになる。胴元は損をしないというのがIOCビジネスだからだ。その胴元たるIOCと米国企業は深く利害を共にしている。ゆえにトランプ米大統領(元カジノ王)が「延期(開催)」を提案するのもさもありなんとなる。そのトランプの提案を有り難がる日本はトランプにとって格好な相手。「日本と首相に良いことがきっと起きる(トランプ)」に彼なりのディールがあると思わなくてはならない。「延期(開催)」をこちらから願い出るとはそういうことだ。IOCにすれば「延期(開催)」は「開催都市側の要求に応じた」とするだろう。

東京都(および日本政府)にとっても「延期(開催)」を願い出た都合、その1年なり2年先に「やっぱりできませんでした」と謝って済む問題ではない。国際社会からも巨額の損害賠償を起こされることになるだろう(特にスポンサー企業)。「延期(開催)」が過去一例もないのも然りだ。

東京都および日本政府にとって、「延期(開催)」は、COVID-19禍を1〜2年内に収束させるという課題を背負い込むことでもある。感染長期化の観測は、WHOばかりでなく政府専門家会議からも出されており、「延期(開催)」の前提となる収束に何の科学的言質もない。また、COVID-19禍に連鎖して発生しつつある世界的な経済恐慌が同じく収束するという公算もない。ゆえに、「延期(開催)」は東京都および日本政府の願望であっても確実性を伴わないギャンブルであるゆえ、そのリスクは全て東京都および日本政府が負うと声明しなければ無責任の誹りを免れない。

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ここは、戦前「(開催都市を)返上した(結果「中止」)」1940年東京オリンピック(夏季)に学ぶべきと考える。(参照:マガジン9編集部 2019年10月16日付記事『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』 / 橋本一夫著/講談社学術文庫、「第12回オリンピック競技大会(東京大会)の中止に関する歴史的研究(田原淳子)」)

何としても「開催」し国際公約を守ろうとした嘉納治五郎と、支那事変で開催不能と判断し、「(開催権を)返上」(開催都市を他に譲る)で国際信義を守った副島道正の視点の違いは今もっても大いに参考となる。その時代背景の相似性にも驚く。

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「(開催権を)返上」することは、開催都市にとって「開催中止」に係る唯一の意思表明でもある(契約解除・中止はIOCの権利)。その国際信義とは、COVID-19禍およびそれに連鎖する世界的経済恐慌に各国と連携しながら専念対応することである。オリンピック開催という国際公約よりも遥かに重大且つ喫緊な信義則であることは明白だろう。ゆえに「(開催権を)返上」することには大きな意義がある。

「(開催権を)返上」を東京都がIOCに申し出て、結果としてIOCによって契約解除=大会中止となっても、国際社会では東京都および日本政府は国際信義を守ったと当然にみなすことになる。戦前の幻となった東京大会はこの視点に立った。「(開催権を)返上」した戦前の東京大会は代替開催都市としてヘルシンキ(フィンランド)が選ばれたが第二次世界大戦の勃発によりこちらも中止となった。

なお、戦後の「(開催権を)返上」の事例としては、1976年デンバー大会(アメリカコロラド州・冬季)がある。自然破壊(環境問題)と経済的負債(財政負担)に対する市民運動(市民投票)が「(開催権を)返上」に繋がり、インスブルック(オーストリア)で代替開催された。

代替都市での開催は、ゆえに当初の開催都市がその開催権をIOCに返上する前提であることを歴史は事例として示している。

ロンドン市長選で同地での代替開催を候補者が表明した。これに小池東京都知事が「不適切」と不快感を表明したが、「(開催権を)返上」し開催都市を他に譲る、なる国際信義の観点(過去の事例)が多少とも頭の片隅にあれば、その可能性も留保し口を噤むべきであった。(五輪ロンドン開催発言に「不適切」 小池知事が不快感・2020年2月21日日経記事

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COVID-19禍およびそれに連鎖する世界的経済恐慌に見舞われながら、開催都市たる東京都が何ら意思を表さず、IOCに一方的に「中止」を勧告されるのは却って不名誉となろう。

東京都は一刻も早く「(開催権の)返上」を決定しIOCに申出ることこそが、現状を鑑みた現実主義だが、東京都も大会組織委員会も今のところ、この意義ある撤退(国際信義の観点から)を採ろうとしない。

小池百合子都知事も森喜朗大会組織委員会会長も嘉納治五郎と同じく、何としても「開催」し国際公約を守ろうとしている。その腹案は「延期(開催)」かもしれないが、「延期(開催)」は、2022年北京大会(冬季)の向こう2年間のスケジュールに重なって障害や混乱を招くばかりか、オリンピック以外の国際競技大会のスケジュールにも影響し、何よりも選手のコンディション調整を二の次にした、身勝手・自己理由と国際社会では受け取られ兼ねない

「(開催権の)返上」を以ってオリンピック開催なる政治的大義を消し去れば、「アンダーコントロール」に始まった、粉飾・虚飾・改竄なる鬱陶しい憑き物も晴れるだろう。

副島は東京でオリンピックを開催しても多くの国がボイコットすることを予想し、それでは日本が国家としての面目を失うことを恐れ、また、ヒトラーがオリンピックを宣伝の道具にするのを見て、東京大会が二の舞になることを心配していたとされる。

2020年大会に照らし、同じ心配をせずにはいられない。

(おわり)

追記:
札幌でのマラソン競技開催決定(IOC)の過程ですっかり蚊帳の外に置かれ怒り心頭に発した小池東京都知事に「(開催権の)返上」なるちゃぶ台返しが一瞬頭を過ぎったかもしれない。しかし、そもそも極暑の東京都心がアスリートファーストでなかったことは最初から判っていたことゆえ、「(開催権の)返上」を切り出すだけの国際信義はなかった(打ち水や日除け笠など、都なりの極暑対策があまりに稚拙だったゆえ)。「あえて申し上げるなら、合意なき決定だ」と言うことがIOCとその決定に唯々諾々たる森大会組織委員会会長に対する彼女なりの唾吐きだった。「都としては合意していない、従うとしてもその決定責任は負わない(特に費用面)」と政治的に表明したのかもしれない。開催都市契約の彼女なりの政治解釈であるがどのみち無理がある。

今回、2020年内の通常開催以外の選択肢(「1〜2年後に延期(開催)」「無観客開催」「中止」)に関しても、IOCが一方的に決定した迄で、都として従うとしてもそれは「合意なき決定だ」としたいかもしれないが、契約上そうはならないだろう。「合意なき決定だ」などとどのみち天に唾を吐く位なら「都としての決定だ」と堂々と「(開催権の)返上」をIOCに突きつけても良い。COVID-19禍に国際社会と連携し専念対応するという国際信義がその「(開催権の)返上」を正当化するだろう。7月5日投票の都知事選に向けての選挙争点は明らかにCOVID-19と連鎖する不況への対策であって、オリンピック開催などではない。ゆえに、「(開催権の)返上」を以ってそれら対策に専心する姿勢を示すことは、小池氏にとって大きなアドバンテージになり得ることでもある。「(開催権の)返上」は日本を救うことになるか?「いい歳をしたジャンヌダルク」なら考えても良さそうなことだ。
posted by ihagee at 03:18| 東京オリンピック

2020年03月11日

サイアノタイプ - その103(引き伸ばし機)



写真乾板のプリントには、昭和11年(1936)製の乾板用ハンザ特許引き伸ばし機(Anastigmat F=125, 1:6.3)を用いる。光源をSMDのUVに代えるなど多少改造をしたが、齢84の博物館級代物はしっかり仕事をしてくれる。

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Cotman Water Colour Paper (F2とB5 / Medium)に無調整の豆乳を下引き乾燥した上にサイアノ感光剤を塗布して、印画紙を作成。焼き付け(五時間)後、水洗・オキシドール浴、ジャスミン茶と薄めのコーヒーでトーニングを行う。

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乾板に残された百年以上前のアメリカの人々が現れた。

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ワシンの水溶性つやだしニスを施すとセピア調になる。

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これらは、1880年〜1890年代に撮影された写真乾板(6.5 "x 4.25")を使ってプリント。被写体はオレイサ(Olathe / 米国カンザス州)の名士(I.O. Pickering)の一族。Issak O. Pickeringは同地の弁護士・市長を務めた。その一族の住んでいたイタリア風の建物は長らく放置されてきたが、1980年代に合衆国の歴史的建造物に認定され、現在地元の篤志家(Terry Presley)によって復元中 (2011年〜)だそうだ(ローカル紙の記事)。この篤志家はエルビス・プレスリーの親類とのこと。一時期、エルビスと音楽活動を共にしていたそうだ。

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拙稿「乾板写真の美」で紹介した乾板。

フィルムも乾板も写真(ネガ)に変わらないのに、プリントすると乾板は絵画っぽくなるから不思議。豆乳の下引きとトーニングでアンティークな感じに仕上がった。

(おわり)


posted by ihagee at 00:00| サイアノタイプ

2020年03月10日

ハエ叩きでなぜハエを叩けないのか?




生活環境、特に台所や食卓でハエを目にすることは少ない。バナナの熟れた臭いに惹かれてどこからかコバエが進入してくることはあっても、銀バエがそれこそ五月蝿く飛び回ることは都会生活では見受けなくなった。

私が子どもの頃は(半世紀以上前)、どの家でもハエ取り紙を天井からクルクルと下げたり、蠅帳(フードカバー)で皿をハエたちの襲撃から保護したりしたものだ。急襲を企てて敢え無くカレー沼に不時着したハエはスプーンで拾い捨てて、あとは綺麗と気にしなかったが、便所で自分の落とし物に蠢く糸のような蟯虫を発見して喜んでいたりした時分だから、その当時の衛生観念などそんな程度だったのだろう。

ブンブンと飛び回るハエを始末するのはいつも私の役目だったが(殺虫スプレーなど昔はなかった)、ハエ叩きでハエを叩けた例(ためし)があまりない。むしろ叩く寸前で逃げられてしまうことの方が多かった。

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“迫りくる脅威の位置を判断し、回避するための方法を計算する。そして、逃げるのに最適な場所に脚を置き、脅威とは反対の方向にジャンプして逃げ去る。これらの行動はハエが脅威を発見してからわずか100ミリ秒の間に起きる。「ハエの現在の場所をたたいてもダメ。ハエが逃げるべきと判断した方向の、ちょっと先の方を狙うべき」”(マイケル・ディキンソン米カリフォルニア工科大学教授 / ITmedia2008年9月1日記事

「ちょっと先の方を狙う」が科学の導き出した解らしい。つまり、ハエ叩きで目の前の実像を視認してから叩いてもダメということ。ハエの回避行動特性を把握して一手先をハエ同様こちらも読んで今そこには存在していないその場所(虚像)=目の先を叩けということらしい。

「ちょっと先の方を狙う」という点では、オーケストラの棒振りもハエ叩きと思う。指揮者は棒を振る(拍取り)わけだが、奏者はその棒を時折横目に見ながら楽器をエイヤーと操作するから音が出るのが若干遅れる。遅れると拍が乱れたりするが、すでに振った棒ゆえ修正しづらい。ゆえに、指揮者は実際に音として出る音符の拍を一寸先に振って、拍に音を従わせる(アインザッツを揃える)。出た音に合わせて振っているわけではない。だから、譜面の読めない我々が指揮台で出た音に合わせてカラヤンの真似をしたところでまともな音楽にはならないということ。弦や金管などパート毎にアインザッツを的確に出せるようにと、数百ページ数十段にびっしり音符が書き込まれた長大な楽曲の総譜を書き込みやページの染みごと写真のように瞬時に記憶する指揮者もいる(いた)。

先日惜しくも亡くなった野村克也氏(当時・監督業)がその昔、指揮官なる共通項でカラヤンと思想を比較・論じる番組があったのを思い出した。互いに全くの畑違いのミスマッチのように思えるが、精神論を排し科学眼を重んじた野村氏であれば、音楽上のアインザッツや「ちょっと先の方を狙う」拍打ちの意味をすぐに理解したことだろう。打撃王の「ボールが止まって見えるも」アインザッツを揃えること。なかなか含蓄のある内容だった。

若い内は巨匠と呼ばれた指揮者でも、晩年になるほど楽曲のテンポが遅くなる傾向にあるのは譜面の解釈に拠るばかりではなく、「ちょっと先の方を狙う」ことが肉体・精神的(譜面を頭の中で追えない)にできなくなることにも由来しているのかもしれない。それでも巨匠と呼ばれるのはもう棒など必要としない後光のようなオーラだと言う説もある。大病後の晩年のカラヤンもそうだった。野村氏も然り。

我々の目には「やってる振り」の様にも見える棒振りも、ハエ叩き以上にオケから音を叩き出すのは難しい。誰かさんの得意な「やってる振り」はことプロの音楽家には通用しない。その誰かさんはオーラすらないときている、嗚呼。

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さて、我々が血眼で叩かなくてはならないのは、新型コロナウィルス(COVID-19)である。

“コントロールが難しいウイルスだが、ここがウイルスの弱点だ。80%が感染させていないということは、クラスターを形成するような大きな、10人、20人規模のクラスターをつぶすと、コントロールできる可能性がある(新型肺炎 「閉鎖空間が患者集団形成」 専門家会議 2020年3月2日/ 押谷仁・東北大教授発言から)”

“対策の重点=クラスター対策
クラスター(集団)発生の端緒を捉え、早期に対策を講ずることで、今後の感染拡大を遅らせる効果大・・・@患者クラスター発生の発見(積極的疫学的調査実施) A感染源・感染経路の探索 B感染拡大対策の実施(外出自粛等、各種要請)“(厚生労働省資料から)

「患者のクラスター」という聞きなれない言葉が飛び交っている。屋内の閉鎖空間などで1人から複数に感染させていく患者の集団(クラスター)のことを指す。その「クラスター潰し」が制圧の対策の重点とされている。

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「感染ルートが辿れない」「クラスターを潰しにかかっている間に別の場所でクラスターが発生する」と、現状はいわゆるモグラ叩き状態。

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モグラ叩きはゲーセンのものをすぐに思い浮かべるが、ゲームならモグラの出そうな穴の位置はあらかじめ判っている。頭を引っ込めるすんでのところを叩けば得点。要するに実像を素早く視認してハンマーで叩けば良いので最初はこちらの条件反射次第だが、出没のスピードが増すと出た場に合わせて叩いてもすでにモグラは頭を引っ込めて他の穴からヒョイと出るよう仕組まれている。こうなると山勘を働かせるしかないが、それに合わせてタイムアウトとなるオチ。ちょっとしたパニック状態を遊戯者は楽しむという他虐が自虐に転じるゲームで、私は結構好きだ。

件の「クラスター潰し」は、どうもこのモグラ叩きに近いが、出没する穴は全国津々浦々と不特定である点、ハエ叩きにも近い。叩いた時にハエはもうその場にいないからだ。飛び去って別の場所で手足を擦っている。

「クラスター潰し」の時間軸はもっぱら過去から今で、その過去が判らなくなって(クラスター発生に至る感染ルートが判らない)、端緒を含む今を叩いて潰しにかかっている。潰している間に別の場所でクラスターが発生し、その時間的間隔が次第に狭まってモグラ叩きゲームの終盤のようなパニック状態を呈し始め、タイムオーバーがパンデミックということ。ワクチン開発も含め、ヒョコヒョコ出てきたものへの対処は全て後手

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棒振りの譜面のように、音ならぬウィルスの出順が判っていれば何の世話もないがそうではない。ハエ叩きのハエの回避行動特性に近いのかもしれない。

”ハエの現在の場所をたたいてもダメ。ハエが逃げるべきと判断した方向の、ちょっと先の方を狙うべき”

ハエにとって「べき」ことは、そのハエにとってはちょっと先の行動(未来)ゆえ、ハエ叩きの極意はハエの身になって未来をこちらも予測して「ちょっと先の方」を狙って叩くことにある。

目の前よりも目の先で叩くこと。

ウィルスに置き換えれば、過去や今にばかり捕われることなく、「ちょっと先の方」(未来)の行動を予測し、その場を叩くこと(予めある地域を封鎖し=ロックダウン、行動自粛させ、無作為にスクリーニング検査を行い、感染弱者を隔離保護し、消毒防除に務める)によって、端緒自体を潰すことになるのではないか?

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目の前の感染をモグラ叩きのようにひたすら叩いていた後手対応の途中から、目線をあげてその先の感染になり得る場所を予測し次々と閉鎖隔離する先手に転じ、経済や民心が一時パニックになろうと端緒自体を潰しにかかった武漢を含む湖北省、同様に無作為にスクリーニング検査を行っている韓国は、COVID-19を制圧する日は近いかもしれない。

"ジョンズ・ホプキンス大学看護学部の看護師開業医兼教授であるジェイソン・ファーリーによると、韓国が広範な検査戦略を展開したとき、国民の恐怖は著しく減少した。"(ジョンズ・ホプキンス大学の最新情報から)

韓国での無作為なスクリーニング検査は国民の恐怖を著しく減少させる。先手先手と検査することで感染確定数はうなぎ登りになるが、国民の恐怖は反比例するとは面白い。日本は感染確定数増加が国民の恐怖を煽ることにでもなると思ってか、ひたすら後手にまわっている。

「クラスター潰し」が、過去から今の「患者のクラスター」を対象としその集団の患者に相関性や因果関係を追及し、感染経路を探索することで、同じ経路に居た人々に措置を施すことができるということは、所詮は後手。あくまでもクラスターなる点在する感染集団が前提。その点が面となって繋がってしまうと、関係性も経路も見えなくなる。針先の点が棒大にならない前に潰すには、点の兆候(未来)を予測するしかない(先手)

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ハエ叩きのハエの回避行動特性も、「迫りくる脅威の位置」「逃げるのに最適な場所」「脚の置き(方)」などのデータを「データのクラスター」として扱えば、人工知能(AI)分野での、データの集団化(クラスタリング)によって、「反対の方向」を予測することが可能とも思える。AI技術の適用フィールドは先手にこそ本領を発揮する。

「患者のクラスター」なる分類(クラスター)が逃しやすい擬陽性・偽陰性集団も、クラスタリングならば、陽性・陰性のそれぞれの集団に集めることが可能となるのではないか?

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隣国台湾では、米国の外交政策研究季刊誌『Foreign Policy』に「世界の頭脳百人」にも選ばれた台湾・デジタル担当政務委員(大臣)の唐鳳(オードリー・タン)氏が、新型コロナウイルス騒動のなかで、マスクの在庫が一目でわかるアプリのプログラムを開発し同国内の感染対策に多大な貢献をしていると報じられている。これも先手の好例

単なるプログラマーの才覚ではなく、哲学まで修めた全人的に物事を捉える非凡な頭脳を持ち合わせているがゆえ、感染症という広範な社会問題にも難なく最適解を導き出しているようだ。

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それに比べ、我が国のIT担当大臣の歴代の無知且つポンコツぶりは目に余る。79歳の竹本直一大臣は一体何を役目として仰せつかっているのか?まさに譜面の読めない「やってる振り」の棒振りに他ならない。楽曲が終わって幕が下りようとしているのに、なぜか一人棒を振っていそうな後手後手。

「今が正念場」と言う国家危難の場面で、ITなりAIを前面に押し出して活用できない我が国の科学の樹の不在を嘆く暇もない(拙稿「科学の樹」のないこの国の暗愚・続き2)。

安倍首相は三跪九叩頭の礼を以て、件のハエ叩きの極意伝授を唐鳳氏に請うべきだ。彼女なら「ちょっと先の方」(未来)でバシッとコバエのうちに叩いてみせるに違いない。「ちょっと先の方」がハエもウイルスも弱点なれば、それを狙うのが「先手先手で対応すること」であり「未来志向」と言うもの。

ハエ叩きでなぜハエを叩けないのか?
叩こうとするのが、目の前のハエ(後手)で目の先のハエ(先手)でないから。

竹中平蔵氏(この新自由主義者の言説は嫌いだが)も後手=レアクティブに回る日本政府の対応を厳しく批判している(PRESIDENT Online 2020年3月9日記事)。この限りで彼の言い分は全く正しい(ただし、オリンピック中止判断決定は "東京五輪組織委員会" ではなく、IOCの専権事項であることだけは指摘しておきたい)。

我々は真剣に科学しなければならない。

(おわり)

追記:
コロナ特措法の緊急事態宣言の我々が知っておかなければならない危険性


間違ってもこの先、自由民主党「日本国憲法改正草案」の第98条に「緊急事態の宣言」第99条「緊急事態の宣言の効果」と題された条文(案)を立法化させてはならない。(拙稿「新型コロナウィルスに乗じる厚顔」)


posted by ihagee at 02:55| 日記