2020年03月26日

偉い人の算段が変わりそうだ(L型の流行!?)



SARS-CoV-2の起源と継続的な進化について

Xiaolu Tang 、 Changcheng Wu、Xiang Li、Yuhe Song、Xinmin Yao、Xinkai Wu、Yange Duan、Hong Zhang、Yirong Wang、Zhaohui Qian他
National Science Review、nwaa036、https://doi.org/10.1093/nsr/nwaa036
公開: 2020年3月3日

Copyright: 2020 China Science Publishing & Media Ltd. (Science Press) / National Science Review

”要約
SARS-CoV-2の流行は、2019年12月下旬に中国の武漢で始まり、それ以来中国の大部分に影響を及ぼし、世界的な大きな懸念を引き起こしています。ここでは、SARS-CoV-2と他の関連するコロナウイルスの間の分子分岐の程度を調査しました。SARS-CoV-2とコウモリのSARS関連コロナウイルス(SARSr-CoV; RaTG13)の間のゲノムヌクレオチドにはわずか4%の変動しかありませんでしたが、中性部位での差は17%で、以前に推定されたよりも2つのウイルス間の相違がはるかに大きいことを示唆しています。我々の結果は、SARS-CoV-2およびセンザンコウSARSr-CoVからのウイルスに見られるスパイクの受容体結合ドメイン(RBD)の機能部位における新しい変異の発生は、組換え以外に突然変異と自然淘汰によって引き起こされる可能性が高いことを示唆しています。103例の SARS-CoV-2ゲノムの集団遺伝分析は、これらのウイルスが2つの主要な型(LとSで指定)に進化したことを示し、これは、現在までにシーケンスされたウイルス株全体でほぼ完全な連鎖を示す2つの異なるSNPによって明確に定義されています。L型(〜70%)はS型(〜30%)よりも優勢ですが、S型が先祖バージョンであることがわかりました。武漢の発生の初期段階ではL型がより一般的でしたが、L型の頻度は2020年1月初旬以降減少しました。人間を介することでより攻撃的で感染力の強いL型へ選択圧が加わった可能性があります。一方、進化的に古く、攻撃性の低いS型は、選択圧が比較的弱いため、相対度数が増加した可能性があります。これらの知見はゲノムデータ、疫学的データ、およびコロナウイルス疾患2019(COVID-19)患者の臨床症状のカルテ記録を組合せる包括的研究の速やかな必要性を求めるものです。”

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“中国の研究者チームは新型コロナウイルスは二つの型に分類でき、感染力に差があることが分かったと中国の英字科学誌「国家科学評論」に発表した。中国メディアが伝えた。

ウイルスのサンプル103例の遺伝子配列を調べ、うち101例を「L亜型」か「S亜型」に分類した。約70%がL型。L型の方が感染力が強いとみられ、湖北省武漢で爆発的流行が起きた時期に多く確認され、1月初旬以降は減少した。

S型はコウモリから検出されたコロナウイルスに遺伝子的に近く、古い型とみられる。一つの型にだけ感染する症例が大半だったが、武漢への旅行歴のある米国の患者1人は、両方の型に感染した可能性があった。“(福井新聞ONLINE 2020年3月26日付記事から引用)

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“日本では通勤電車等が過密で、オフィスも欧米のような個室ではなく大部屋が基本だ。しかも欧州は多くのスポットの閉鎖など、厳しい対策をとっている。欧米の感染力の高さは、生活習慣や環境、住居、対策、初期出動、意識の違いでは説明できない。むしろウイルスの変異に原因を求めるべきではないか。その場合、 欧州型コロナは日韓や東南アジアで広がったコロナよりはるかに危険ということになる。死亡率と感染力を掛け合わせると10倍以上の差といえよう。悪性のL型が多いとされる中国と比較しても欧州の方が危険なのである。”(「欧米で流行中のコロナは今までより10倍以上危険(山内正敏 地球太陽系科学者、スウェーデン国立スペース物理研究所研究員)」論座2020年3月25日記事から引用)

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日本人の清潔好きや、欧米人のようなスキンシップは習慣にないことが、感染を抑え込んできた要因(および検査数を抑えているから)などと言われてきたが、どうやらそういうことばかりでもないらしい。

感染力の弱いS型ゆえに感染者数が抑えられてきた事情がありそうだ。春節前後に来日した中国人観光客が持ち込んだと懸念されるCOVID-19も同型ゆえに恐れていた程の感染の広がりにならなかったが、欧米から最近帰国した日本人観光客の感染にメディアや専門家が神経質なまでに懸念を寄せているところからすると、こちらが目下欧米を震撼させているL型ということなのだろうか(山内正敏氏の分析ではL型の変異した欧州(L)型)?

L型の患者数の指数関数的な増大ぶりは、一国の首都ですらあっという間に感染爆発(オーバーシュート)をもたらし封鎖(ロックダウン)に追い込む危険性を持つ。ロンドン、ニューヨークに次いで東京がその瀬戸際の状況と言える。

“少なくとも1カ月前とはコロナの危険度が大きく変わったと覚悟する必要があるだろう。WHOが推薦してきた対策では全然足りなくなるということだ。最悪のシナリオは、COVID-19が短い期間でさらに凶悪な方向へと進化することだ。普通にはあり得ないが、今回だけはそれも念頭に入れるべきである。”(同上引用)

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“偉い人の今後の算段が大きく変わりそうな感じである。

新たに新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染者が41名確認された。これまでの毎日の新規感染者数よりも大幅に大きいが、イマイチ問題の大きさが分からない。帰国者や旅行者もいるわけだし、無症状者や軽症者が街を歩いているのも確かなので、ぼちぼちと発生し続けるのは想定内だからだ。感染拡大ペースがどの程度か、それがどれぐらいひどい帰結をもたらすかの指標になる、基本再生産数R₀を雑に計算してみた。

3月1日〜3月25日までのR₀の推定値は約0.834である一方、3月19日〜3月25日までのR₀の推定値は約1.134になる。R₀は生活習慣などの影響と隔離措置など感染防止政策の効果を含む。R₀<1であれば感染症はすぐに消えてしまうが、R₀>1であれば集団免疫を獲得するまで感染経験者数は増加していく。抑制政策のつもりだったが、緩和でしかなかったわけだ。“(ニュースの社会科学的な裏側 2020年3月26日記事から引用)

“偉い人の算段が変わりそう”なのも、3月中旬以降、およそ10日の間隔を置いて波状的に東京都内でL型?感染のピークが到来し始めたことに拠るのだろう。その基本再生産数(basic reproduction number=1人の感染者が生み出した二次感染者数の平均値)R₀は、感染が深刻なドイツでは2.5程度とされる。

“基本再生産数(R₀:すべての者が感受性を有する集団において1人の感染者が生み出した二次感染者数の平均値)が欧州(ドイツ並み)のR₀=2.5 程度であるとすると、症状の出ない人や軽症の人を含めて、流行 50 日目には 1 日の新規感染者数が 5,414 人にのぼり、最終的に人口の 79.9%が感染すると考えられます。また、呼吸管理・全身管理を要する重篤患者数が流行 62 日目には 1,096 人に上り、この結果、地域における現有の人工呼吸器の数を超えてしまうことが想定されるため、広域な連携や受入体制の充実を図るべきです。“(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 2020年3月19日付提言

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“偉い人の算段が変わりそう”、はより攻撃的で感染力の強いL型の流行を前提としている。昨日までの対岸の火事が、明日からは突如我々に襲い掛かってくるかもしれない。小池都知事も専門家から情報を得ているのだろう。首都封鎖(ロックダウン)を口にし始めた。くれぐれも用心を怠らないこと。自分から二次感染者を出さない日常行動を心がけることぐらいしか防衛する手段はない。

オリンピックの他愛ない与太話ができたのも昨日まで。中止せざるを得ない状況に置かれることを開催国自身が肌身に知る番になるやもしれぬ。

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帰りがけ、駅近くのスーパーを覗いた。平日にも関わらず混み合って日用品や麺類など日持ちのする物が棚から消えている。気配を察して買いに走っているのだろう。実に嫌な世の中になったもんだ。

世界各国で「買い占めやめよう!」(#StopHoarding)



(おわり)


posted by ihagee at 16:37| 日記

2020年03月25日

父さんはどうしてヒトラーに投票したの?



”今、世界では、第二次世界大戦後の民主主義と社会福祉の時代が深刻な危機を迎えています。貧富の格差が拡大した社会では分断と亀裂が深まり、人々の不満と憤りを移民など弱者や近隣諸国への嫌悪へと転嫁させようとする政治家たちが支持を集めています。ヘイトスピーチやフェイクニュースが飛び交い、偏り誤った情報の中で人々は目先の利害を優先し、危険な一体感を煽る政治家に票を投ずるように流されがちです。”(『父さんはどうしてヒトラーに投票したの?』 今、同じ問いを問われて (湯川順夫氏・戦争ホーキの会 2020年3月23日付記事/ 「ちきゅう座」からの転載)


ディディエ・デニンクス (著), PEF (イラスト), 湯川 順夫 (翻訳), 戦争ホーキの会 (翻訳)

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COVID-19感染で世界規模のパンデミックの只中、「人類が新型コロナウイルスに打ち勝つ証し(安倍首相)」などと言ってオリンピック開催を世界に発信し続ける日本。中国および中国人を蔑視しているつもりで「武漢ウイルス」「中国ウイルス」と言って憚らない世論。COVID-19をそう呼び変えることが人種差別となることすら思い至らない人々。しかし、結果として我々日本人を含む黄色人種脅威論=黄禍論を日本が自ら国際社会に焚き付けていることである。ウイルスに「打ち勝つ」は精神論であって科学の言葉でない。日本国=科学の樹のない国だと首相自ら世界に発信している。

たとえ、延期開催であろうとも「今オリンピックを語るか?」。メルケル独首相が世界戦争と喩えるCOVID-19禍にあってスポーツなどできようもない。矛を収め合うは人間同士である点に「人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励」するというオリンピックの目的は戦時下にあっても意義を失わない(オリンピック憲章)。しかし、今般の世界戦争はウイルスとの戦いゆえ、オリンピックの目的ですら適わない。「ウイルスに打ち勝つ証し」など一つとしてオリンピックの目的ではなく、「人間の尊厳を保つ」為には、人の命をその証しに賭けてはならないのである。しかし、安倍首相は賭けに出た。それは多分に政治上の動機であって人命優先に立つものではない。

2020年東京大会はその招致の段階から不純な動機が付き纏っていた。人の不幸すら踏み台にし、不都合な事実はことごとく隠蔽(「アンダーコントロール」)し、スポーツ=平和などと大層な理念を掲げるが、出てくる話は全てカネ絡み・政治絡み。COVID-19禍にあって世界中で多くの人々が苦しんでいる只中、ウイルスに「打ち勝つ」などとスポーツを装ったビジネスに人の命を平然と賭ける。所詮、安倍政権の保身とカネ儲けの話ではないか。延期開催に喜ぶ人々は私に言わせれば隣人の最大不幸を尻目にスポーツビジネスなる賭け事にパイを重ね興じること。母屋が燃え上がって死屍累々たる有様なのにその玄関先で「おもてなし」と笑って祝宴を開こうとする理不尽に、道義的に心根が腐っているのではないかとすら感ずる。

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『戦争の役に立たぬ音楽は今は要らぬ』の言葉通り、学徒を戦地に壮行する音楽、国民の戦意高揚に期する音楽が日比谷公会堂で奏でられることになるのである。今や年末恒例のベートーヴェンの<第9>も元をたどればこの時期の学徒壮行の為の音楽であった。東京大空襲で帝都の中心が灰燼と帰した中で奇跡的に戦禍を免れた日比谷公会堂にあって、窓の外は焼け野原・死屍累々のありさまにも、《歓喜の歌》を昭和20年6月迄演奏したとの記録が残っている。(拙稿「縁(えにし)の糸」)

《歓喜の歌》が「打ち勝つ証し」とならぬばかりか市民まで人間の盾にして無謀な戦いを繰り広げ(沖縄戦)、二つの原爆を喰らって敗けた。戦時に政治は何かと国民に一体感を煽るがその結果は常に市民の犠牲で贖われる。大会出場予定選手を含めアスリートはこの煽動に加担しているかもしれないと、延期開催に喜ぶ自分の姿を見つめ直すべきではないか?

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東京都が主催者でありながら、安倍首相がIOC会長と「(延期開催に)100%同意」し、延期開催を以って自らの政権の終わりの花道としようと言うのだから、オリンピックはもはや安倍首相の私物と化している。延期開催は日本政府がIOCに提案したことになり(「開催国の責任を果たす」などと安倍首相が言う)、開催都市契約の契約上の当事者でもない日本政府は延期開催に係る問題全般の責任を負う立場となった(政府保証をIOCから求められることだろう)。都民のみならず、国民諸共、延期開催に賭けてしまった。これで開催できなかったら一体どうなるのだろうか?ウイルス禍が延期開催時にも終息していなかったら「世界はとんでもないことになっている。人間生活はなくなっているかもしれない。」などと森喜朗大会組織委員会会長は世界までオリンピックの道連れにするかに「(ウイルスを制圧する人間の)叡智」に過大な期待をかけている。ご町内の平和と安全がなぜか宇宙世界に拡大して「愛ある限り戦いましょう」と宣うポワトリンばりの荒唐無稽さ。その大層な叡智を言うのならそもそもご町内的都合たるオリンピック開催が前提である必要は全く無い。

”人工呼吸器は若い人にと、譲ったイタリア人神父、新型ウイルスで死去”(BBCサイト2020年3月25日付記事

アウシュヴィッツ収容所で餓死刑に選ばれた男性の身代わりとなって死んだコルベ神父同様、隣人の命を救うためオリンピックを時としては諦める覚悟がなぜできないのだろうか?その逆にオリンピックができなければ隣人共々世界ごと一緒に道連れ=冥土送りとはあまりにさもしい。オリンピックが人類にとってのレーゾンデートルなのか?世迷い言はいい加減にしてもらいたい。オリンピックや国際観光(インバウンド)が我が国の経済政策の主柱だからオリンピック開催中止はあってはならないと主張する者が大半だが、そんな危なっかしい水物に賭けなくてはならないほどこの国の製造業を中心とする産業力は凋落し国民の大半は貧しくなったということでもある。経済構造の根本的な問題や課題に取り組もうとせず、一発勝負・賭け事紛いのオリンピックにこの国の命運を委ねなくてならないその政治経済の貧すれば鈍する無分別ぶりが、"オリンピック命" と言わせるのである。1964年東京大会は高度経済成長で見事に復興した日本を国際社会にデビューさせる為の通過儀礼だった。オリンピック自体、当時は商業主義に非らずその儀礼的意義を十全に満たした。2020大会の "オリンピック命" ぶりはその逆に、目先の利害の成否に周章狼狽する日本の落日ぶりを象徴している

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「小池知事が“世界中で団結して東京2020を実現させることがコロナに対する完全勝利の象徴だ”と言っていた。人類が共通の目的を持つことは良いことだと思う。そこで各都市で負担しあうとか、国際規模でのクラウドファンディングといったことがあっても良いのではないか」(クリエイティブクリエイターの三浦崇宏氏)

オリンピックが人類共通のウイルスに戦う目的になる、などとよくも臆面もなく言うものだ!オリンピックを買い被るのもいい加減にせよ、と言いたい。欧州で最も危機的な状況に陥っているイタリアに同じことを言ってみるが良い。「ふざけるな!」と一蹴されるだろう。東京2020実現などどうでも良いこと。今日明日の命を守ることで精一杯の人々、葬いに涙する人々に、”完全勝利の象徴だ(「完全勝利」なる表現も科学ではなく多分に政治がかっている)” などと東京の祭り事など持ち出す神経が疑われる。

「今オリンピックを語るか?」
口を噤めと言いたい。

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東京都は開催権をIOCに返上し、オリンピックに投じた(投じる予定の)莫大な資源(財力)を競技にではなく国際社会全体の医療に充て、その意味に於いて「証し」を立てるべきであった。ウイルスを制圧し平和が到来した曉、東京都は開催都市に立候補すれば良い。これが叡智の最たる形である。これが国際信義というもの。オリンピックを開催せずともオリンピック憲章の「人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励」する目的を果たすこと。人の命を賭けずに(=オリンピック開催)ウイルスに対処する無手勝流というもの。ゆえにオリンピック開催自体は ”勝利の象徴" である必要は全くない。そんな勿体をつけたりせず、その開催に使う資源(財力)を命を救う為の活動に何気に差し出せば良い。

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ところが、今の有様は何だろうか?聖火を後生大事と有り難がり、民衆にかしずかせるに至ってはもはや滑稽を通り越して狂気さえ感じる。

”目先の利害を優先し、危険な一体感を煽る”、その先にどういう国家が立ち現れるのか?安倍政権の支持率は下がるどころか上がっているとマスコミが母数も僅かなアンケート調査を元にして喧伝している。『父さんはどうしてヒトラーに投票したの?』と後々、子供たちに言われるような結果にならないよう、国民的な高揚と陶酔が感動的であればあるほどそれがいかなる方向に向かっているか、冷静な監視眼を我々は持たなくてはならないだろう。



(おわり)

追記:
”イギリスの家電大手ダイソンは、新型コロナウイルス対策として、新しいタイプの人工呼吸器を開発すると発表した。国民保健サービス(NHS)に供給する。サー・ジェイムズ・ダイソン率いる同社は声明で、政府の支援要請に応えたと述べた。ダイソンは、ケンブリッジに拠点を置く医療機器企業「ザ・テクノロジー・パートナーシップ(TTP)」と協業し、「有用で時宜にかなった製品」を開発すると説明。”(BBC News Japan 2020年3月25日付記事

これこそ「叡智」。命を救う活動を率先し社会的使命を担おうとしているダイソン。我が家のパワフルなサイクロンに思わず敬礼した。それに引き換えトヨタは一体何をしている!オリンピックに指を舐めて算盤玉を弾いている場合じゃないだろう。

posted by ihagee at 04:19| 日記

2020年03月23日

宮城まり子さんの思い出



「あなたの50歳誕生日に合わせてラディウス出版からリリースされた本がありますね。ヴォルフガンク・エルクさんが書かれた・・・」

「あぁ、だいぶ前になりますが。」

「こうあります。」

“チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の運営責任者、リヒャルト・ベーチさんからほろりとする話をお聞きしました。来日公演のツアー中、或る朝のこと。あなたの姿が見当たらない。でも、その晩のコンサートに間に合うようにどこからか舞い戻っていたわけです。どこへ行っていたのかと訊ねてもあなたは何も言わない。ベーチさんは日本人の友人から知ったそうですが、心と体に障害を持っている子供たちにモーツァルトを弾き聞かせるために、長時間車を運転してその子たちの学校に行っていた・・・。”

「頻繁に来日していた頃のことです。ツアーの度にその学校に赴きました。ある素晴らしい人が私財を投じて建てた学校なんですよ。宮城まり子さんです。映画女優として活躍していましたがそのキャリアを投げてこれらの子供たちに身を捧げている人です。宮城さんは子供たちに絵を描くことを教え、展示し、素敵な本を出版したりしています。子供たちは辛うじて書いたりはできますから、時には詩を作ることを教えたり。そこでわたしが弾くと子供たちは音楽に心を動かされて泣いてしまいます。子供たちは指を動かすことを怖がります。痙攣してうまく動かないのですが、宮城さんやスタッフの手を借りてワープロに向かいます。音楽からインスピレーションを得て素敵な詩が生まれるのです。私も深く心を動かされました。音楽は人々に非常に深い何かを解き放つことができます。・・・」



Christoph Eschenbachインタービュー(聞き手:Thomas Meyer, 2015年2月4日)

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クリストフ・エッシェンバッハ(Christoph Eschenbach)氏とねむの木学園の宮城まり子園長の心温まる関係は、同氏の弾く「エッシェンバッハによる/ピアノ・レッスン・シリーズ」(1979年 / LP計22枚・ドイツグラモフォン)のジャケットに同学園の子供たちの絵を採用した事に始まった。学生時代、レコード芸術誌(音楽之友社)のグラビア広告でその素敵な絵に魅せられ思わずレコードを買いたくなったが、いかんせんツェルニーでは触手が伸びなかったのを思い出した。



(アートのちカラ、デザインのちカラ記事より引用 / 心温まる記事

その後、折あるごとにエッシェンバッハ氏は学園と子供たちに手を差し伸べた。絵を描き続ける子どもたちを撮ったドキュメンタリー映画(虹をかける子どもたち / 1980年/脚本監督:宮城まり子)にも協力している。宮城まり子さんの生涯のパートナーであった吉行淳之介氏の遺稿『魔法にかけられた島々(エンカンタダス)』を音楽朗読に仕立て演奏したのもエッシェンバッハ氏だった(ヒューストン交響楽団 / 1990年)。

長髪痩躯の若者も半世紀を経てその指揮ぶりは巨匠の呼び声も高い。宮城まり子さんも車椅子ながらご健在と思っていた矢先、亡くなられた(2020年3月21日)。

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どうしてどうして、彼女の明るい歌声はエッシェンバッハ氏のモーツァルトに負けないだけの生命力を帯びている。『納豆うりの唄』や『ガード下の靴みがき』は貧しくとも明るさと希望を失わない戦後のある時代を象徴していた。


(毎日新聞2020年3月23日付記事から引用)

美智子上皇后とは生涯親交を深めたことも知られている。聖心女子学院高等科時代に作った詩は「ねむの木の子守歌」として広く親しまれているが、その作詞著作権料は全て社会福祉法人日本肢体不自由児協会に寄附されているそうだ。

美智子上皇后、エッシェンバッハ氏、そしてあの学園に学んでいる子供たち、巣立った多くの人々が宮城まり子さんの死を深く悲しんでいることだろう。真に偉大なひとだった。

(おわり)


posted by ihagee at 17:47| 音楽