2020年02月27日

メダルではなく国民の命に忖度せよ



「政府の対応をしたり顔で批判する輩どもは最悪だ。・・批判ではなく提案を」との記事。



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医療崩壊をあたかも想定し、検査をまともに行わない医療崩壊(トートロジー)。そして何としてでも開催したいとするオリンピック(竹槍精神主義・神の国思想)。それらおかしな前提が国民の命を危険に曝している。上掲の記事の「批判ではなく提案を」なら敢えて提案する。

オリンピック開催の可能性は潰えた。夢芝居は終わったと、政府は直ちに判断すべきであろう。IOCの判断を仰ぐなど、無駄に希望を繋いで時を徒らに浪費している場合ではない。時はオリンピックのように買うことはできない。僅か一週間も無駄にできなかった武漢の有様(病床建設)を知れば尚更である。チェルノブイリ原発事故直後の決死の石棺作業を彷彿させるが、対外的なメンツを最大限重視するこれら共産政権ですら、不都合な事実であろうと国家的危難には正面から向き合い一気呵成に持てる資源を集中投下する。最高責任者ならば、少なくとも自己責任などと危難を国民に放り投げてホテルでオトモダチと会食をするなど涼しい顔をしたり、「アンダーコントロール」などと言葉だけでその場を取り繕うようなことはしない。必死な素振り位はするものだ。それが安倍首相にはない。

最悪の事態まで想定すること。そして先ずは選手村等のオリンピック関連施設を検査・隔離・治療施設に改装するなどオリンピックにつぎ込んだ巨額投資を国民の救命に振り向けるべき(提案)。パンデミック目前という現実を直視しオリンピック代表選手は「メダルではなく国民の命に忖度せよ」と率先して声を上げなくてはならない。新型コロナウィルス禍が収まるまで各種イベントや競技が開催不能となるのであれば、それらに用いる大型施設を無駄に遊ばせるのではなく、検査・隔離・治療施設に改装することまで視野に入れるべきである(幕張の国際展示場など)。




(おわり)

追記:
オリンピックを一年延期し同時期に開催する案が浮上しかけている。

来年必ず開催できるとの保証は一つとしてないのにまた一年その準備(やり直し)に税金が使われることを前提としている。「2020」を 「2021」にするために商標、広告や商品など全て作り直すのに一体いくらかかるのだろうか?当然、代表選考は全てやり直し。ウィルス禍の酷い都市にとってはスポーツどころではなく、感染度(感染被害)の地域間格差は選考の公平さを著しく阻害する。今年の開催に向けてコンディションを整えた選手も来年も同じ調整ができるとは限らない。また一年、時とカネを壮大に費やす程、日本に経済的余裕はない。

不確実且つ不公平ばかりのオリンピックは延期ではなく中止で良い。

オリンピックなるドサ回り興行は開催都市の地政学的(今回は疫学的)影響を受ける。ドサ回りを勝手にしておきながら、その影響のツケを興行主たるIOCは一文たりとて払わない。権利はIOCとそのファミリー(NOC, スポンサー企業)、義務は開催都市(市民)なる歪な関係ゆえ、その影響のツケを払わされるのは開催都市(市民)=開催都市の国家(国民)と決まっている。それはカネだけではなく命でもあることが、ウィルス禍を表向き小さく見せようとするなど、オリンピックと国民の命を天秤にかけるかの安倍政権の姿勢からも判る。

オリンピック自体が4年毎(夏季冬季大会を合わせれば2年毎)に蔓延するウィルスではないのか?貴族的理念を掲げるが、その裏では経済や社会をあたかも開催都市の政府のように支配しガツガツとカネを喰らう前時代的悪習は、隣国の野生獣を喰らう千年来の悪習(それがウィルス源なら)と共にやめさせることが必要と感じる。アベノウィルスなる亜種まで流行らすのであれば尚更だろう。そして、人心を長年喰んできたアベノウィルスもその蔓延にようやく歯止めがかかりそうな雰囲気である。発症(嘘吐き・無責任・今だけカネだけ自分だけ・虚飾改竄隠匿)を撥ね退けるだけの抗体が我々にできたからだろう。来年にオリンピックを延期したとして新型コロナウィルスの感染禍が終息するかは全く判らないが、アベノウィルスは完全に撲滅されることを願うばかりである。


posted by ihagee at 03:21| 日記