2019年11月11日

水戸黄門って先の中納言と先の副将軍とどっちなんですか?



テレビ放送(地上波)から時代劇番組が消えて久しい。「水戸黄門」など、今どきの世代には全く判らないだろう。

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「水戸黄門」は創作時代劇「水戸黄門漫遊記」の主人公であって、実在の水戸藩主・徳川光圀の史実に基づくものではない。幕末期に講談の演目となり、諸国漫遊の世直し(勧善懲悪)物語は広く庶民に親しまれ膾炙された。この辺りの考証はwikipediaの説明に委ねたい。

その水戸黄門物は銀幕では月形龍之介、ブラウン管では東野英治郎西村晃が当たり役だった。性格演技且つ悪役として鳴らしたバイプレーヤーこそ適役というセオリーがあるようで、月形、東野、西村はいずれも今思えば余人をもって替えがたい悪相であった。佐野浅夫、石坂浩二、里見浩太朗などが役に合わなかったのはその違いにある。

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さて、Yahoo知恵袋に「水戸黄門って先の中納言と先の副将軍とどっちなんですか?」と質問があった。テレビ時代劇ファンなのだろう、決め台詞の勘所を押さえた良い質問である。

「この紋所が目に入らぬか。 ここにおわす御方を、どなたと心得る。 こちらにおわすは、前(さき)の副将軍、水戸光圀公であらせられるぞ。」
「えい!控え控え。こちらの方をどなたと心得る。 恐れ多くも前の中納言水戸光圀公にあらせられる。ご老公の御前である頭が高い!控えおろう!」

助さんなり格さんが印籠を掲げるシーンでの台詞の違いに気付いたわけである。この二つのパターンは東野黄門シリーズに見られ、その後は次第に「副将軍」に統一されたようである。

どっち、といわれると「どっちも」です。と、これまた当意即妙な回答。

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ちなみに、銀幕の月形黄門(吉良役の忠臣蔵は何度も観たが・・)はさすがに記憶が怪しいのでネット上の備忘記事を借りると、

老人「控えい ! お前たちは、この葵の御紋を何んと見る」
同心たち「・・・・・」
老人「これは中の護符共々、将軍家より下しおかれたものじゃ。わしの呼び名はいろいろあっての。水隠梅里とも言い、水戸黄門とも言い、副将軍・徳川光圀とも言う

同心たちは、顔色を変え、土間に土下座して、非礼を詫びる。

ということで、自ら「控えい!」と続くくだりは、「やぁやぁ我こそは・・」といった戦国武将の名乗りのようでもあり「自分より発します。御控えください」と渡世人の仁義切りのようでもあるから面白い。

「水戸黄門とも言い、副将軍・徳川光圀とも言う」は、つまり、中納言(黄門は權中納言の唐名)であって且つ副将軍でもある、念入りに名乗っているわけである。

どっち、といわれると「どっちも」です。との回答は、ここでも当て嵌まる。

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副将軍職は幕府の職制になく、実在の水戸藩主・徳川光圀が副将軍と記された史料も存在しないが、徳川御三家(尾張・紀州・水戸)の一翼を担う水戸家であれば将軍職に代わる職制があると物語の上で設定したところでさして違和感はないだろう。

さて、「中納言」の官位は実在の徳川光圀については史実であるから、もし「どっちも」を統一するとするなら、本来であれば、「えい!控え控え。こちらの方をどなたと心得る。 恐れ多くも前の中納言水戸光圀公にあらせられる。ご老公の御前である頭が高い控えおろう!」と、なるところ。

「中納言」と明かして「恐れ入りました」となるのは天皇の御座所のある京周辺だけで、諸国漫遊の身分証としては役に立たず、「葵の御紋(印籠)」と「副将軍」がお約束となったようだ。

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朝廷から授かった官位(授かった権威)である「權中納言(唐名:黄門)」と幕府の(架空の)職制である「副将軍」。台詞の上では後者が、物語のタイトルとしては前者が残ったことになり、「どっちも」です、との回答は、ここでも当て嵌まる。

朝廷(から授かった)権威、武家(それも御三家)の権力を主人公に化体させているところに、この物語の「どっちも」たる妙味があると言えそうだ。

「水戸黄門とも言い、副将軍・徳川光圀とも言う」の決め台詞でも尚も臆せず刃向かう者はどうなるか、その場で処断される様を喜々として我々は観るが、それがアンフェアだなどと思って観ない。三権分立のなかった江戸時代だからなどとイクスキューズもしない。勧善懲悪の善悪の判断と懲罰は権威と権力を備えた者がさっさと行うからこそ、ややこしくなく楽しめるのである。この点は、バッジとライフルで五月蝿いインディアン(=ネイティブ・アメリカン)をバッタバッタと撃ち殺す西部劇と同じで、刃向かえば人権の一つも顧みる必要なく、雑草の如く抜本塞源されて然るべきとなる(拙稿「五月蠅(うるさい)と共謀罪」・小説「おしばな」)。

この逆の前提が藤沢周平の時代小説なのかもしれない。

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権威と権力の二重構造が「どっちも」たる妙味である所は、物語だけではなく現実社会でも我々国民が受容している点である。この二重構造は多くの国民が支持するところのこの国の国家形態なのだろう。国家権力の三権分立のバランスでは保ち得ないこの国の特殊なあり方を天皇なる「象徴」がまとめているのであろうと、先日の徳仁天皇・雅子皇后即位パレードの様子(テレビ報道)からまざまざと感じ取った次第である。

「象徴」という主権者の枠外におかれ(憲法第1条)、「国政に関する権能を有しない」者であると規定され(第4条)、国事行為においても「認証」「接受」という形式的・儀礼的行為しか認められていない、と権威を象徴する個人=君主ではないと明確に定められているにも関わらず、我々国民の多くはその象徴たる天皇に人格なり権威を感じずにはいられないのである。

「天皇陛下万歳!」などは、憲法の定める「象徴(抽象的概念)」に向けたものではなく、天皇という特定の個人を下の者が恭しく上奏する身分制・君主制の残滓である。「〇下」なる敬称は「そもそも身分の低い者が王族、皇族など極めて高い地位の者に直接話しかけることは失礼に当たるとされたことから、高貴な人のいる一定の場所のそばにいる取次ぎの人に間接的に呼びかけることで敬意を表す(wikipediaより)」ことでもある。皇室典範(皇室に関する法律)上で「陛下」と敬称が定義されていても、身分制度に由来するこの敬称は国民主権の憲法上は存在しない(刑法第24章に該当する場合を除き、皇室そのものへの「不敬罪」は法律上存在しないことと同じ)。

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天皇が「象徴」という主権者の枠外におかれ(憲法第1条)たことで、戦前のように両義が一つとなる歯止めとはなっており、ゆえに「天皇陛下万歳!」は憲法第1条の精神からすれば三唱するとしても、「天皇(様)万歳!」か「象徴天皇万歳!」で良いのである。「主権の存する日本国民の総意に基く」象徴は我々国民自身の姿を映す鏡であれば、その鏡の向こうに我々とは別の何かを見つけて万歳三唱を行うことに少し我々自身が不思議を感じても良いのではないか?

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権威と権力の二重構造の両義をひとたび一者(国体)が伴えば、権威に怯えぬ者や立ち向かう者は容赦なく斬り捨てるという絶対的な屈服力を備えることになる(「神の国」)。鏡に時として醜悪が映るとしても(歴史)それも我々自身の姿であると理解せずに、天皇を貶めた・辱めたと不敬を問う声があるが、それは必ずしも象徴を正しく理解しているとは言えない。比較的多数の意思であれば、表現の自由に加え、それも総意として芸術表現上、象徴されるべきであるからだ(「表現の不自由展」)。まして「非国民」などと迷言するに至っては、人権の一つも顧みる必要なく、雑草の如く抜本塞源されて然るべきとの考えに行き着く。論外も甚だしい。

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テレビ放送(地上波)から時代劇番組が消えて久しい。権威と権力をかさに着る者が小説より奇なる現実社会を作り出している。

「日本国って素晴らしい」「日本人って凄い」の無定見・無思考な自画自賛・夜郎自大・万歳三唱、他者を貶め蔑むことによって相対的にプライドを見つけて共有しようとする者たちが、権威と権力の二重構造を擦り合わせれば三権分立などまともに機能しなくても良いとばかりに、天皇に君主を重ね見てアイデンティティを発見しているとしたら、為政者がその威を借り「水戸黄門とも言い、副将軍・徳川光圀」となるのも道理だろう。「私が立法府であり行政府であり・・私がそう思えば法」と言うに始まり、戦前の勅令制定権(天皇による非常大権)を復活させ、その権限を政府(首相)に集中させようとしている(拙稿『「れいわ・澪和」と書く』)。官位でなく権威を纏うことで政治権力は三権分立を超えて自ら絶対者を名乗ることもできるわけである。

大学入学共通テストの英語科目に民間試験を導入するという政策は憲法第26条に保障されている「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」に反し、政府主催の「桜を見る会」は公職選挙法第199条の2の寄附行為に抵触する、など奇なる現実社会の最たる事例だろう。

どっち、といわれると「どっちも」です、は物語の世界で十分。現実社会での回答になってはならない。「天皇陛下万歳!」などとわらわらと沿道に繰り出し無思考に三唱しカタルシスを得るようなことはせず、我々主権者たる国民は憲法上の天皇の象徴たる意味を今一度自らに問いて、象徴なる鏡に我々自身を映してみることが必要である。

(おわり)

posted by ihagee at 18:02| 憲法

芸術の秋



陰暦の10月の別の呼び名が初冬だが、現実の暦の上では11月の上旬からを言うようだ。しかし体感は11月になってもまだ秋の内である。空を真っ赤に焼く夕景は到底冬のものではない。

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(自宅ベランダから富士山を望む・Sigma DP2Sで撮影)

暦の上では初冬といえども、秋の風に吹かれて上野の山に出かけた(11月2日)。

東京都美術館で開催中の「コートールド美術館展 魅惑の印象派 Masterpieces of Impressionism: The Courtauld Collection」が目当てである。同期開催の上野の森美術館「ゴッホ展」に向かう長蛇の列に都美術館も並ばされるのかと思ったが、こちらはすんなり入館できた。

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モネ・マネ・セザンヌ・ピサロ・シスレー等々、フランス印象派巨匠の名画が並ぶ。個人的にはシャイム・スーティン(Chaïm Soutine)の女性像が良かった。周りと調和せず一つだけ強烈に臭っていたからだ。



英国ロンドンのウェストミンスター地区にあるコートールド・ギャラリー (Courtauld Gallery) では常設の絵画も日本にくれば特別展となる。絵を学ぶために原画を前にデッサン(鉛筆)や撮影(ノーフラッシュ)をすることは向こうでは認められていても日本ではただひたすら鑑賞のみでそれらは厳禁。プラド美術館、アルテピナコテーク(ミュンヘン)、ウィーン美術史美術館等々、私用社用含めて渡航した先々で訪ねた美術館ではどこも当たり前のことが日本では当たり前にならない。そしていつものことながら私語さえ憚れれる雰囲気に息が詰まりそうになった(参照:「Courtauld Gallery コートールド美術館」。

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(都美術館前のオブジェ)


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(上野こども遊園地跡「花やしきのBeeタワーと上野こども遊園地」)

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(園児のカルガモの列)


(おわり)


posted by ihagee at 03:44| 日記