2019年11月18日

旭日旗考





2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて、旭日旗の競技会場への持ち込み容認姿勢(IOC及び開催都市である東京都・日本政府)について、韓国を中心に国際社会で関心が高まっている。

外務省は11月8日、旭日旗を韓国語で説明したPDF文書「1.日本文化としての旭日旗」をウェブで公開した(日本語・英語・フランス語・スペイン語での説明も同様に公開)。

曰く、「旭日旗の意匠は,日章旗同様,太陽をかたどっている。この意匠は,日本国内で長い間広く使用されている。今日でも,旭日旗の意匠は,大漁旗や出産,節句の祝いなど,日常生活の様々な場面で使われている。」、等々、例示し、「皆さん,ご承知のとおり,旭日旗のデザインはですね,大漁旗や出産,節句の祝い旗,あるいは海上自衛隊の艦船の旗,日本国内ではですね,広く使用されておりですね,これが政治的主張だとか軍国主義の象徴だという指摘は全く当たらない。大きな誤解があるのではないかというふうに思っております。(菅官房長官・2013年9月26日記者会見)」を以て、日本政府の見解と締め括る。

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「1.日本文化としての旭日旗」とタイトルを付け「日本文化と旭日旗 」「市民生活と旭日旗」と写真にキャプションをつけておきながら、それらの例示として掲載されている写真は、よく見ると、旭日旗それ自体ではない

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「の意匠」「のデザイン」と記述。「旭日旗は、日章旗同様・・」「旭日旗はですね,大漁旗や・・」といった文言ではない。つまり、「日本文化」「市民生活」との件では旭日旗そのものについての説明ではなく、旭日模様(旭日の意匠に文字を組み合わせた大漁旗など)についてあたかもそれが旭日旗と同じとの印象操作に終始し、写真と文章から、旭日模様について「政治的主張だとか軍国主義の象徴だという指摘は全く当たらない」と言っているに過ぎない

旭日旗といえば「朝日新聞の社旗がそうではないか?」と指摘する向きと同じである。すなわち、「旭日昇天 万象惟明(旭は日の出=朝日ゆえ、朝配達する新聞に相応しい、昇るにつれてどんどん大きく明るくなり、世の隅々まで明るく照らし出す)」が社名の由来であると同じく、社旗も「旭日昇天 万象惟明」として一般に古くから知られていた旭日模様に「朝」をあしらったものであって旭日旗そのものではない。

つまり、旭日模様(記号表現)が一般且つ歴史的に「旭日昇天 万象惟明」なる概念(記号内容)を備えている点は日本政府・外務省の説明では正しい。朝日が昇りすべてを明るく照らす、その記号なり記号内容に何ら政治的主張だとか軍国主義の象徴はないのだろう。従って、旭日模様に〇〇丸などとあしらった大漁旗が何ら政治的主張だとか軍国主義の象徴ではない、とする説明は正しい。目出たい場での紅白の幕と同じく、ハレの日に漁民が伝統的に使っているだけの話である。「日常生活の様々な場面で使われている」「日本国内ではですね,広く使用されておりですね,」は、その範囲のことでしかない。朝日新聞の社旗もそれに含まれる。

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では、「旭日旗の意匠は、日章旗同様・・」「旭日旗のデザインはですね,大漁旗や・・」でも同じ説明がつくのか?つまり、旭日旗そのものはどうなのだろうか?果たして、「日常生活の様々な場面で使われている」「日本国内ではですね,広く使用されておりですね,」だろうか?

旭日旗そのものを海上自衛隊の艦船以外の「日常生活の様々な場面で」使う人々とは昔から相場が決まっている。つまり「政治的主張」「軍国主義の象徴」として掲げ、黒色の街宣車で軍歌を大音量で流し街宣する右翼ということである。彼らの戦闘的、無頼且つ異様極まりない街宣活動の旗印である旭日旗ゆえ、平穏な生活を願う一般庶民にとって、むしろ旭日旗は非日常の象徴・使うことのない旗、なる認識ではなかったのだろうか?


(弁護士 猪野亨のブログから画像引用 / 街宣右翼は旭日旗が表す概念の体系を正しく表現しているとも言える)

言うまでもなく、戦前の日本で旭日旗が表す概念の体系は悉く「政治的主張」「軍国主義の象徴」であることなどは、「敵の城頂に旭日旗を立てなければ戦いは休めぬ」、などの表現と共に一貫して過去の歴史史料(文書・写真)から容易に導出されることである。



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つまり、旭日模様(形式媒体)の言語的転回が「旭日昇天 万象惟明」であることは良しとしても、だからと言って、その言語的転回が「政治的主張」「軍国主義の象徴」でしかなかった旭日旗(形式媒体)までも、「旭日昇天 万象惟明」とあたかも同じかに錯誤させる日本政府・外務省の説明は甚だ作為的な印象操作である。

「旭日旗のデザインはですね」の発言の「デザイン」の示すものが、旭日模様(日常生活の様々な場面で使われている範囲・大漁旗や北マケドニア共和国国旗など)であって、旭日旗そのもの(海上自衛隊の船舶の旗)ではないことはその説明に付された写真からも判ることだ。旭日旗と模様が一番似ている北マケドニア共和国国旗はその旭日模様の元となる模様(ヴェルギナの星)については、ギリシャとの関係で互いに自国のシンボルとして政治的主張を繰り返してきた経緯があり、欧州の火薬庫と呼ばれ民族紛争が絶えないバルカン半島の同国の歴史・地政学的状況を勘案すればむしろ、「政治的主張」「軍国主義の象徴」としての旭日旗を補完する例示となっている。模様が似ているからと安易に例示しただけであり、「政治的主張」「軍国主義の象徴」の反証にならない。

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「旭日旗」とタイトルやキャプションを施しながら、さりげなく旭日模様の話に置き換え、旭日旗なる記号に歴史的に対を為す「政治的主張」「軍国主義の象徴」といった概念を隠し、「旭日昇天 万象惟明」なる概念(記号内容)にサラっとすり替えることは許されることではない。この記号論上の意味しているものと意味されているもの(能記と所記)表裏一体の対の必然と了解される体系をずらして、別の所記にすり替えてしまうのは、安倍政権(或いは霞が関官僚)の常套とする得意芸でもある(前提や論旨をいきなり変えて結論を牽強付会することなど..安倍首相の「いわば」論法やご飯論法)。

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先日、首都圏の電車の向いに座った女性のスマホに目が一瞬点になった。カバーにラッピングされていた旭日旗にである。帰宅してネット通販サイトを調べると、スマホカバーに限らず、旭日旗のステッカーやバッジがこれでもかと言うほど、販売されている。これらの殆どが日本製ではなく中国製であることにも驚くが、華僑は政治と商売は別に考えているのだろう。それでなければ、世界の津々浦々で華僑は商売できない。

旭日旗に惹かれる者たちは、「政治的主張」「軍国主義の象徴」とは思わず、単にカッコいいとか目立つとかの判断で使っているのかもしれない。歴史を少しでも学んでいれば街宣車に乗った戦闘服のヤンキーと同じ趣向は躊躇うことだろうが、成人の日の祝典での一部若者の特攻服姿などを報道で目にするにつけ、旭日旗を「日常生活の様々な場面で」使うことに何の違和感も意識も持たない人々が増えてきたと実感する。

意味しているものと意味されているもの(能記と所記)表裏一体の対の必然と了解される体系を壊し、不都合な歴史観(所記)を否定し新たな概念を加え飛躍させることに安倍政権はとても長けているので、その修正されて「飛躍・進化した」歴史観は従軍慰安婦問題など歴史問題に於いては「隣国からの執拗な嫌がらせ・恨み・妬み」と理解することになり、「やられたら、やり返せ」とばかりに隣国へのヘイト(嫌がらせ)の旗印として旭日旗を振り回すことに若者たちを駆り立てている。スポーツ競技で最近目にする通りである。

日常生活で旭日旗が使われる場面とわれわれが観念(想起)するのは今のところこの辺りに限られるのであって、決して「日常生活の様々な場面」ではない。

先の戦争で、旭日旗の言語的転回が「政治的主張」「軍国主義の象徴」であり、その意味しているものと意味されているもの対が必然と了解される体系が、その旗の下での支配に置かれた隣国(韓国)では今も厳然として在ることを我々は理解しなくてはならないだろう。それが旭日旗である。

オリンピックの旗(五輪旗)と同じく、その旗に意味されている内容にいかなる「政治的主張」「軍国主義の象徴」もないと、歴史史料を元に旭日旗について果たして言えるのか?史料を紐解くこともなく、「の意匠」「のデザイン」はですね・・と、問題の体系をずらした日本政府の説明に、国際社会から批判や疑義が上がるのは当然のことである。

旭日旗の代わりに菊花紋章を旗にして振ったところで同じことだろう。非日常の色目のはっきりついた風変りな旗など持ち込まず、せいぜい日章旗(日の丸)で良いだけの話である。オリンピック・パラリンピックで称えられるは個人であって国家ではないことは言を俟たない(オリンピック憲章の理念)。

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旭日旗と比較されることもあるハーケンクロイツ旗(国家社会主義ドイツ労働者党=ナチスのシンボルであり、ナチス政権下のドイツ国の国旗)。ハーケンクロイツ旗を国民が掲げることはドイツ国内では犯罪行為となり、旗そのものでなくとも、その旗なり模様を観念するデザイン(まんじ=卍も含め)も場合によっては法律上取り締まりの対象となる。

卍(まんじ)の鏡像がハーケンクロイツ(模様)。この卍は日本を含めアジアの国々では宗教上(仏教、ヒンズー教など)の幾何学記号となっている。その意味しているもの(卍)と意味されているもの(サンスクリット語では「おめでたいこと」「幸福」という意味)が対が必然と了解される体系が日本を含むこれらの国々にある。

実際に我が国では一般に地図記号として卍は日常定着しているが、欧米の人々からすると、たとえそれがハーケンクロイツと比較すれば鏡像であっても卍から咄嗟に観念するのは独裁政権・人種差別主義・ホロコースト等で、日本に訪れて彼ら・彼女らが地図や道案内に卍を見つけ一様に驚くであろうことは想像に難くない(ハーケンクロイツの表示が法律で禁じられているドイツ人なら固まるだろう)。

2020東京オリンピック・パラリンピックでの来日観光客増大に合わせ、国土地理院は外国人向けの地図用の寺院の地図記号として、外国人へのアンケート調査も踏まえ、日本を初めて訪問するなど日本になじみがなく、また日本の地図記号である卍記号を知らない外国人にもわかりやすいものとして、三重の塔のイメージの記号を提案し、パブリックコメントを集めた。

外国人の案内に役立つ地図記号を決定するにあたっては、国内で広く普及・利用されることが肝要であり、外国人へのわかりやすさとともに、国民の十分な理解が必要です。しかし、今回提案した三重の塔を寺院の地図記号として採用すると、記号のイメージと現地の状況との不一致等により外国人に不必要な混乱を招く可能性があることに加え、国民の十分な理解が得られて広く普及・利用される地図記号とは言えないと判断しました。」
(国土地理院・2016年3月30日)

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「外国人の案内に役立つ地図記号を決定するにあたっては」と言いながら、その「外国人」にとって少なからず卍(ハーケンクロイツとは逆でも)が観念する内容(独裁政権・人種差別主義・ホロコースト)の体系と、サンスクリット語では「おめでたいこと」「幸福」という意味になるわが国なりの別の体系を一々上げて、体系が異なることを説明することもなく、「外国人に不要な混乱を招く可能性」「国民の十分な理解が得ら(れない)」と、地図上の記号としての機能性に問題の結論を求めた。仏教徒やヒンズー教徒を除くその他の「外国人に不要な混乱を招く可能性」は、記号のイメージと現地の状況との不一致(全ての寺に三重の塔があるわけではない)などよりも、卍(ハーケンクロイツとは逆でも)が観念する内容(独裁政権・人種差別主義・ホロコースト)にあると思うのだが。地図上の表記に限ったことで、寺院の宗教活動上の卍表記を規制するものでは一切ない。ゆえに「国民の十分な理解が得ら(れない)」ことはない。

卍を寺院を表す記号として地図に残すとしても、むしろ体系が異なるのだから、上述の旭日旗「の意匠」と同様の説明が国際社会に対してできそうなものを。卍を記号論上の体系(ハーケンクロイツとの体系上の違い)の話に一旦上げてしまうと、日本に併合され、同じ記号論上の体系に組み入れられていた隣国(韓国)に対して、同じ体系下の旭日旗については説明ができなくなると思ったのかもしれない。ゆえに、旭日旗そのものではなく、日本固有伝来の旭日模様を以て体系をずらして説明を行ったのである

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卍は日本固有の文化であって、たとえそれがハーケンクロイツ旗と似ているとしても、日本人にとっては公有状態(パブリックドメイン)にあり他国にとやかく言われるべき筋合いではない(地図表記上)、と主張するつもりならそれでも良い。記号論上の体系が異なるから相手が納得するだけの合理的な説明も可能だろう。ところが、地図上の記号としての機能性に問題の結論を求め茶を濁したままにしている。

片や、日本固有の文化であり、オリンピックを観念するとしても我々にとって長らく公有状態に置かれてきた文字「五輪」については、IOCに日本国特許庁は商標登録を許した。即ち、「五輪」なる日本語文字について何ら我々と同じ記号論上の体系を有しないIOCに権利(商標権)を添えて体系を渡したことになる。「1.日本文化としての旭日旗」と旭日旗を後生大事としておきながら、同じ日本文化である「五輪」なる文字はその文化ごとIOCに差し出すということである。(拙稿『商標「五輪」はIOCのもの?(思考停止した特許庁)』)

我々が普段使いもしない旭日旗について隣国(韓国)相手に血道を上げ、パブリックドメインとなって慣れ親しんだ「五輪」は熨斗を付けてIOCに献上するということ。そのIOCの言うがままに開催都市たる東京は従っている。

類似した状況にも拘わらず、相手との力関係に応じて二重規範を多用する日本政府(つまり安倍政権)の在り方が問われている。

(おわり)

追記:
<相手との力関係に応じて二重規範を多用する日本政府(つまり安倍政権)の在り方>

我々が普段使いもしない旭日旗について隣国(韓国)相手に血道を上げ、かたや日米貿易協定(FTA)で食の安全保障をあっさりと放棄し「(米国に)食を握られることは国民の命を握られ、国の独立を失う」ことを良しとする。FTA協定が今国会で承認されれば、グリホサートまみれの食物やら遺伝子組み換え食物を日本人は世界で一番食べることになる。「安ければ良い」ということでは済まない結果が我が身に及ぶことになる。欧州人や米国民すら怖くて口にしない工学食物をせっせと摂り込むのは「日本人とメキシコ人と家畜」だけとなる。(参照:「食の安全保障を放棄する日米FTA 東京大学教授・鈴木宣弘」2019年10月15日付長周新聞記事より)

旭日旗など「美風なるもの」「自由競争、機会均等の美名」の陰で、「今さえ、カネさえ、自分さえ」と国民の命や国家の主権をせっせと米国に売り渡すお友達の丸抱えが安倍政権ゆえ米国が庇護するのは当然。真実を知ろうとする国民の耳目を「アンダーコントロール」と塞ぎ、ゆえに憲政史上最長の政権となった。美風・美名の下、国民の思考を停止させ、沖縄を犠牲にし原爆を落とされるまで戦争を止められなかったあの時代を繰り返そうとしている。第二のそして最後の敗戦は近いのだろう。



posted by ihagee at 18:08| 政治

2019年11月16日

マッチポンプの限界










「桜を見る会」の前日に開かれた「安倍晋三後援会 桜を見る会前夜祭」の会費が5000円だったことについて、安倍晋三首相は15日夕の取材対応の際に「ホテル側が設定した」と述べた。(毎日新聞2019年11月15日)

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安倍首相の「私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」の言葉が、佐川理財局長(当時)をして近畿財務局に「関係していないということ」になるよう改竄を教唆しているに他ならない。・・具体的に「ああしろ、こうしろ」と言わずとも、「総理大臣の地位・国会議員の地位がかかっているんだぞ」と国会でこの国の自称最高責任者が凄めば、どうその言葉が波及するか時系列で追えばその通りの結果となっている。(拙稿『「だったら辞める」と官僚を脅したのは誰か?』)

またも、同じ「関係していないということ」にすべく構図である。「総理大臣の地位・国会議員の地位がかかっているんだぞ」とばかりに菅官房長が「5000円でできないことはないんじゃないでしょうか」と言い、5000円/人は「ホテル側が設定した」料金だった(と聞いている)と安倍総理が言う。ここに至っては、その話の通りにしなさい、とニューオータニに口裏を合わせるように教唆しているとも受け取られる。

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会費で足りない部分を安倍事務所なり安倍晋三氏の後援会が補填すれば、公職選挙法で禁止されている地元の有権者(後援会会員以外にも多くの地元有権者が参加していた)に対する寄附行為に該当するおそれから、あくまでも「ホテル側が設定した」料金で足り、その料金も安倍事務所なり後援会を介せず(収支とならないから報告の義務はない)、参加者が各人ホテルに直接支払ったことにしたいらしい。

しかし、日本を代表する一流ホテルたる、ホテル・ニューオータニの「鶴の間」を借り切るだけでもその料金以上となる上、料理や酒などを過不足なく提供すれば到底その料金には収まらない。ビジネスホテルじゃあるまいし、さらに850人もの参加者各人がその場で現金で直接ホテルに決済することなど有りえないだろう(安倍晋三事務所が事前にとりまとめれば収支となる)。

”立憲民主党の石川大我参院議員は、独自に同ホテルにパーティーの見積もりを依頼。来年4月で、桜を見る会に招待された首相の後援会約850人と同規模の800人で試算を出してもらうと、1人当たり「1万3127円」という回答を得たと明かした。”

「(5000円/人は)ホテル側が設定した」が正しいとしても、1人当たり「1万3127円」相応のサービスが実際には参加者に提供されたことに他ならない。つまり、安倍晋三後援会は会費以上の食事や酒などを地元の有権者に提供したことになり、政治家の後援会が、選挙区内にある者に対して寄付をする行為に該当するおそれがある(公職選挙法違反)。

さらに、「(5000円/人は)ホテル側が設定した」が正しければ、ホテル側は「1万3127円」の差分は赤字覚悟でサービスを提供したことになるが、「安倍晋三後援会 桜を見る会前夜祭」にだけ、ホテル・ニューオータニが「供給に要する費用を著しく下回る対価」を設定したことになり、独占禁止法上の不当廉売の疑いがかかる。だからと言って、同様の内容で5000円宴会プランがありますからご利用ください、などと言えばホテルの格式を下げ、株主が黙っていないだろう。また、同クラスの競業者との関係で、これはこれで「供給に要する費用を著しく下回る対価」となり、独占禁止法上の不当廉売を問われることになる。

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ホテル・ニューオータニを巻き込んだマッチポンプも今や無理が生じて二進も三進もいかない状況。

平成7年アジア太平洋経済協力(APEC)東京高級事務レベル会合及び同大阪閣僚会議に係わる公金詐取事件では、外務省欧州局西欧第一課課長補佐(当時)の公金詐取にホテル・ニューオータニ関係者2名が、実際に要した室料等に水増し額を上乗せした金額を請求するなど、辻褄合わせをして逮捕されている。後々、そんなことにならぬよう、ホテル・ニューオータニは事実を明かす必要があろう。

(おわり)

追記:

「今回の説明で納得する国民はいないでしょう。後援会の活動であれば当然、政治資金収支報告書に記載する必要がある。ホテル名義の領収書を用意してもらったのは、報告書に記載しないための偽装工作にも見えます。領収書に『飲食代』『会場利用費』などのただし書きがないのも不自然です。それに、食事代が1人5000円だったとしても、数百万円とされる宴会場の貸し切り料金は誰が支払ったのか。会場費の不記載に問われる可能性があります。さらに言えば、仮に首相の説明通り、通常は1万円以上する食事代をホテル側から5000円にすると持ちかけたとすれば、半額以上の割引は社会通念上許される範囲を超えており、現物供与の寄付行為にあたるでしょう。本来は政党への寄付しかできない一企業が首相個人や政治団体に献金したことになり、違法です。名門ホテルの看板に傷がつきかねません」(上脇博之神戸学院大教授・2019/11/16 日刊ゲンダイ記事引用)

「ホテル側から5000円呈示、提案することはまずない、あのようなパーティーは食事で売り上げを立てるのが第一義、5000円で企画したらまず調理部門に持っていけば突き返される、しかし若干の乾き物とビールをひとり1本なら5000円でも可能(しかし実際はちゃんとした料理が並べられていた)あとホテル側が宴会の領収書を発行するのは違和感。」(ホテル・ニューオータニで22年勤務・プリンシプル・ホテルコンサルティング中山晴史所長)


尚、この前夜祭の様子が判る写真でネット上に存在が確認されているのは、同上取材記事内に引用されたケイ潤子氏(シャンソン歌手)提供の写真以外皆無と言って良い(摩訶不可思議)。「桜を見る会」招待者名簿 5月9日に廃棄と内閣府が明かし、参加者たちが自ら嬉々とそれらの様子を綴ったブログ記事も悉く姿を消し・・、終戦時の国ぐるみの証拠隠滅を連想(1945年への道「終戦時の証拠隠滅」記事参照・小説「おしばな」にもこの場面を記述している)。全く不気味と言うしかない。有ったことも無かったことにする、が「美しい国(=国体)」を標榜する者とその支持者・後援会の実相なのか?法治でなく安倍首相の下の人治の方が正しいということか?証拠隠滅はその人治の為せる技であり、安倍政権下で繰り返されてきた。

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2019年11月8日:
田村智子参議院議員(日本共産党)、参議院予算委員会で「桜を見る会」に関し「国費で選挙運動疑惑」を取り上げる。

2019年11月11日
首相動静
【午後】1時47分、自民党の馳浩教育再生実行本部長らから提言書受け取り。2時1分、西村康稔経済再生担当相、新原浩朗経済産業省経済産業政策局長。43分、新原氏出る。45分、西村氏出る。53分、北村誠吾まち・ひと・しごと創生担当相。3時27分、ペルー・リマで開かれる「日本ペルー商工会議所経済フォーラム」に向けたビデオメッセージ収録。47分、北村国家安全保障局長、今井尚哉首相補佐官、外務省の秋葉剛男事務次官、森健良外務審議官、正木靖欧州局長、岡野正敬国際法局長。5時、国会。1分、自民党総裁室。3分、同党役員会。34分、官邸。42分、全国都道府県知事会議。6時59分、東京・銀座の日本料理店「東京吉兆」。経団連の今井敬、御手洗冨士夫両名誉会長ら財界人と食事。9時5分、自宅。(朝日新聞 2019.11.11記事引用)

2019年11月13日
午後、菅官房長官は来年の「桜を見る会」を中止する、と発表。

2019年11月15日
菅官房長「5000円でできないことはないんじゃないでしょうか・本当に聞いたのか。責任ある人に」
安倍晋三首相「安倍晋三後援会 桜を見る会前夜祭」の会費が5000円だったことについて、は取材対応の際に「ホテル側が設定した」と発言。

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今井敬氏:
日本経済団体連合会名誉会長・第9代経済団体連合会会長、株式会社ニューオータニ取締役・日本原子力産業協会会長等々兼任。内閣総理大臣秘書官兼内閣総理大臣補佐官・今井尚哉氏の叔父。
(wikipedia参照)


posted by ihagee at 09:45| 政治

2019年11月15日

天皇の身の丈




皇居・東御苑の大嘗宮で14日夜から執り行われた大嘗祭の中心儀式「大嘗宮の儀」は15日午前3時15分ごろ終了した。各界代表ら五百十人が参列、千三百年以上の歴史があるという神秘的な儀式を見守った。政府は大嘗祭の宗教性を認めつつ、「天皇の一世一代の伝統儀式で公的性格を持つ」として二十四億円を超える国費を支出した

この大嘗祭に関しては、宗教色が強いものを国費で賄うことが適当と言えるのか、身の丈に合った儀式に簡素化した上で、天皇家の私費にあたる内廷会計で賄うべきである、との秋篠宮の指摘(昨年誕生日を前にした発言)が記憶に新しい。

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天皇家は自身外部から収入を得る手段がないので、「私費」にあたる内廷会計で経済を立てている。元は皇室経済法に基づき宮内庁の経理に属する公金で、それが内廷会計、つまり天皇家のポケットマネーとなる。内廷会計といえど元は我々の税金。金額は定額制であり、1996年度以降毎年3億2400万円と規定されているようだ。内廷費は不時に備えるため、1割の予備費が加算されるものと認め、ある程度のゆとりを付けるとのこと。内廷会計が大赤字にならない程度に天皇家には身の丈が求められている。

内廷費の使い道は、人件費と物件費の大きく二つに分けられ、全体の約3分の1が人件費、残る3分の2が物件費」とされている。物件費には食費、被服費、研究経費、私的な交際費、御用邸などへの私的な旅行費、宮中で受け継がれる神事の経費などが含まれる。皇室経済に関する重要な事項の審議に当たるため、合議体の皇室経済会議が設置され、同会議の議員は、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、財務大臣、宮内庁の長並びに会計検査院の長の8人。議長は内閣総理大臣。
(以上、wikipedia参考)

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つまり、内廷会計の財布を握っているのは衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、財務大臣、宮内庁の長並びに会計検査院の長の8人。両院の副議長を除けば全て、安倍総理大臣の息のかかった布陣である。

宮中で受け継がれる神事の経費ゆえ、内廷会計で賄うべきであるのは当然で、皇室経済会議で予備費として加算される範囲(3億2400万円の1割、3千万円)で大嘗祭も執り行われるべきであるが、それでは足らないということか二十四億円を超える国費を支出する結果となった。

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一晩の私的な秘儀に二十四億円を超える国費。秋篠宮が示唆した天皇の「身の丈」、つまり皇室経済の上での応分は、「天皇の一世一代の伝統儀式で公的性格を持つ」との政府見解によって拡大解釈され、国費が充てられた大嘗祭は事実上、国事ということになった。宗教性を認めつつとしながらも、憲法の定める政教分離の原則を破る国事である。

その大嘗祭の中心儀式「大嘗宮の儀」で天皇は何をしたのだろうか?秘儀ということから我々は一切窺い知れない。

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“天皇の御即位式に続いて行わせらるる大嘗祭は、天皇が天照大神と同一の御神格御心境に進ませ給う御祭である。斯くて天皇は御即位と共に現御神(あきつみかみ)として、天照大神の体現し給うた神ながらの道を其儘に体現せられ、絶対唯一の御位に登らせ給うものなるが故に、天皇の御位は即ち至高至聖至尊の御位であらせられるのである。此等の事を理解し得る者にして始めて日本が 皇祖以来の神国なる所以をも理解し得るのである。…又日本国は斯る 天皇を中心として国家的にも民族的にも代々に綜合統一融和の実を示し来った国柄(即ち国体)であって、実に祖神と祖国を同じゅうし国民亦悉く皇統の御流れであると云う世界無比の国体であるから、即ち 天皇ありての日本国なるが故に、天皇は日本国の主体であり本体であり且つ全体であらせられると信じて疑わないのが日本国民の国体観念である。”
(「天皇機関説を排す : 美濃部博士の転向を望む」大阪毎日新聞 1935.3.10 (昭和10))

“大嘗祭・新嘗祭には皇祖を始め天神地祇を祀らせ給うて新穀を御親供あらせられ、御親らもこれをきこしめし給うのであって、何れも重大な祭儀とせられていることをここに深く拝し奉るべきである。我等が安らかに日々の生活を営み得るのは種々の物資があればこそであり、そこに自ら報恩感謝の念が滲み出るのである。これ我が国民本来の心情である。”
(「臣民の道」大阪朝日新聞 1941.7.23 (昭和16))

“天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神であらせられる。この現御神(明神)或は現人神と申し奉るのは、所謂(いわゆる)絶対神とか、全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏(かしこ)き御方であることを示すのである。”
(「國體の本義」(1935年)より)

以上、大嘗祭に関する戦前の公論だが、大嘗祭が今なお「天皇の一世一代の伝統儀式」であるならば、徳仁天皇もその伝統に則り大嘗祭を以て現御神(あきつみかみ)=現人神(あらひとがみ)となったのであろう。天皇家としての内なる習わしとしてなら良い。しかし、国費が充てられた大嘗祭は事実上、国事ということになった。すなわち、象徴天皇がこっそりと、賢所で現御神(あきつみかみ)になっているとすれば、憲法第一条に定めた象徴天皇としての「身の丈」を超えてしまったことになる。主権在民に根ざしたその象徴たる意味が、その瞬間、天皇=国体と臣民に変わると言っても良い。

大嘗宮の儀に用いられる三種の神器(鏡と剣と玉)の八咫鏡(やたのかがみ)は天照大御神自身である。天孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大御神の神勅を受けて葦原の中つ国を治めるために、天照大御神が「私の御魂」として邇邇藝命に授けた神器でもある。天孫、天(あま)つ神の子孫が天皇であり、大嘗宮の儀は天皇が神格を得ることに他ならない御簾(憲法)の向こうで天皇が「公的性格を持って」神格化することに、我々は大いに懸念を示さなくてはならないだろう

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「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」(憲法第一条)

その象徴性は我々国民のありのままを映す鏡であると先のブログ記事に書いた。その鏡に常に映るべきは主権者たる我々国民であろう。己の姿を見よ、とこの鏡は存在する。その鏡を我々に掲げる役目が天皇であり皇室であり、この国の最高法規から導出される象徴性である。それ以外それ以上の象徴性はない。掲げる人に権威を与えないように神格を奪い、人としての品格に我々は襟を正して我が姿を見ることができる。天皇の存在に有り難さなるものがあるとすれば、その点であろう。

ところが、その象徴であるべき天皇は大嘗祭を以てその鏡を介して天照大御神から神格を契った。これが天皇家の私的行事であれば構わないが、国費を充てた国事であれば、憲法に定めた象徴性を天皇自ら否定することになる。鏡の担ぎ手から鏡自身に天皇がなること、そして鏡に映し出されるは宗教的国体と臣民の関係だからだ。そこには主権者たる国民の姿は映っていない。あるのは気高く神々しい天皇の姿であり、その神たる天皇を敬い絶対的に服従する臣民となった我々の姿である。ここで心から「天皇陛下万歳!」となる。

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「現代と比べ厳しい状況にあった衣食住の環境下で、陛下が自然が鎮まるよう祈られる。近年は国内でも災害が続くが、日本国中に住む人々の祈りを、天皇の立場で共有するところに現代的な意味がある」(「天皇と国民つなぐ祭祀、大嘗宮の儀 「災害はらう」古代から継承」国学院大名誉教授の岡田荘司氏・産経新聞2019.11.14)

戦前から伝統として引き継がれてきた「天皇ありての日本国なるが故に、天皇は日本国の主体であり本体であり且つ全体」となるための大嘗祭が、なぜ現代的な意味があると言うのか?憲法で定められた象徴たる応分を超えて、何を国民と共有しようと言うのか?

秋篠宮が懸念する以上に、天皇の身の丈を我々国民が懸念しなければならない。以下のような不埒者に利用されないように。

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「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く」(森喜朗元首相の神の国発言)



憲法の象徴天皇にそのような神事絡みの公務はない。国家の安寧と五穀豊穣を祈念するは主権者である国民であろう。勝手に主客を転倒させてはならない。

(おわり)



posted by ihagee at 18:08| 憲法