2019年07月02日

「たかが鯨」と甘くみてはならない



国際捕鯨委員会(International Whaling Commission; IWC)を日本は脱退し、商業捕鯨が再開された。テレビでは美食家が美味そうに鯨肉を頬張る姿や、鉦太鼓に旗を振り出漁を祝う漁港が次々映し出されるが、海外の報道は極めて厳しい論調である。

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捕鯨でしか国民がタンパク源を得られない国ならとあれ我が国はそうではない。有限な海洋資源は本当にそれを日用の糧とせざるを得ない人々に優先されるべきであって、伝統技能や美食家の為にはない。

鯨が日用の糧であった時代は終わった。私の少年時代、安価且つ貴重なタンパク源として学校給食に竜田揚げなどに調理されて鯨肉が供されたものだった。あの独特な風味は今も舌が覚えている。だからと言って、鯨のいのちを「いただく」必然を今の食卓に考えることは一切ない。もっと滋養があり旨い食べものは他に幾らでもある。鯨はどの部位も全て社会に役立つとされてきたが、今はそのどの部位も代替するものがある。鯨でなくてはならない理由もない。

しかし、捕鯨を生業とする人々(和歌山や山口の一部沿岸漁業者)、食を含めた伝統文化や技能保全の為に鯨のいのちを「いただく」のは必然と言って日本はIWCと袂を分かち脱退した。しかし、私を含め多くの日本人はもはや日用でもないものを必然だとは思わない。

必然を同じ理屈で繰り出すのなら、象牙や鼈甲も同じ。伝統工芸の為だと、象やタイマイを殺しその象牙や鼈甲を市場に流通させることは正しいと主張してワシントン条約も離脱することになる。

和歌山や山口(各々、二階・安倍の選挙地盤)の一部沿岸漁業者の民意を汲んで国際機関を離脱したのであれば、なぜ、辺野古の基地問題で沖縄の民意を汲んで日本政府は県外移設を前提に米国と膝詰め談判をしないのか?捕鯨と基地問題とどちらが喫緊且つ重要な問題なのか?事の軽重をわきまえないのにも程がある。

そして食品廃棄。捨てて経済なるこの国の常識。大量に食料を輸入し大量に捨てる。他国から買えば良いといった「食料輸入」は裏返せば「飢餓輸出」でもある。なぜなら、世界の食料事情は潤沢どころか、飢餓人口は年々増大の一途。飢餓に苦しむ人々に本来まわすべき食料およびその生産耕地まで、日本が買い漁ることでもあるからだ。大量に他国から買っておきながら、大量に捨てる。「豚の餌になるから問題ない」などと言うなかれ。飢餓に苦しむ人は豚以下だと言うに等しい。後々捨てるような食料を地球の裏まで商社が買い漁って回ることは、翻って罪深いことだとそろそろ我々消費者も悟らなければならない。年金問題で「下級市民」と我が身を憐れむその食卓さえ飢餓に苦しむ国からは「上級市民」の贅沢なのかもしれぬ。もっと謙虚にならなければダメだ。

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拙稿「黄金のウナギ(Zlati uhor)」に続く。

(おわり)
タグ: 飢餓輸出
posted by ihagee at 04:20| 政治