2019年05月27日

誑惑なる美しい調和



今の元号、英語にすると「beautiful harmony(美しい調和)」だそうだ。しかし、この元号はその漢字の青白い佇まいからして「令」を以て「和衷協同」すべし(拙稿『「れいわ・澪和」と書く』)、その「和」とは平和の「和」などではなく、国家と国民の間の釣り合い(和)の意味だろう。

平和の「和」とは、戦争をやめて平静になること(和平)意味し、戦争放棄を憲法で誓ったわが国に於いては戦後74年に亘って続く平静な状況を意味している。先の元号「平成」はその意味を退位した天皇と共に象徴していたのかもしれない。

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しかし、昨今の国会議員の戦争発言や、専守防衛と言いながら先制攻撃用兵器や空母の増強を図る政府の防衛大綱からは、平静になるとは反対の方向に結束して突き進む政治思想が見え隠れしている。結束=ファシズムゆえに民主であっては困るのだろう。経済産業界の新自由主義を標榜しても民主主義は「混乱・悪夢」と「民主党時代」と重ね合わせて唾棄するところなど、ひと昔前の自由民主党でもない。

つまり、自(俺様)党となって、国民は由らしむべし(従え)とばかりに、理由や根拠など一々国民に説明することなどどうでも良いからとにかく一方的に法律を作って国民に守らせればよいという政治原理が働くようになった。曰く「民は由らしむべし,知らしむべからず」である。ゆえに現政権の下、字面は「民は由らしむべし,知らしむべからず」通りの元号となった。後付けでさも美しげな解釈を加えようと、漢字は我々に正しくその本来の意味を「知らしむ」のである。「令」は「神意に・ひざまずく人」の 会意以外の何ものでもない(「令」という漢字の意味・成り立ち・読み方・画数・部首を学習 - OK辞典)。

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首相に個人的に親近感を抱く人々に共通する人物評は「人たらし(ひとたらし)」である。「人たらし」とは相手の心を掴む術に長けているということ(夫人も)。芸人の取り巻きが多いのもその「人たらし」ぶりで共感し合うところがあるからだ(拙稿「芸人」)。半面、政治的に(個人的にも)嫌悪感を抱く人々にとってはそれは「人誑し(ひとたらし)」である。

「誑」は誑(たぶら)かす、つまり、嘘を言ったり誤魔化したりして人を騙すこと。「誑」は仏教の煩悩の一つで、「欺瞞。自分だけの利益や世間の評判(名聞利養)を得ようとして、様々なはかりごとを心に秘めて、自分が徳のある人物であると見せかける偽りの心である。」(wikipediaより)

「人たらし」から「人誑し」へと首相夫妻への人物評を一転させたのは籠池夫妻ということになる。

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「今だけ・カネだけ・自分だけ」と自分たち(一部階層)だけの利益を得ようとし、何事でもしゃしゃり出て名聞を求めようとし、「はかりごと」は「民に知らしむべからず」とばかりに秘密交渉に徹する姿を見せつけられては、少なからぬ国民が抱く人物評は「人誑し(ひとたらし)」だろう。

得意と自認する外交は「人たらし」全開で、個人的関係と国家の関係があたかもイコールだと勘違いしているようだ。トランプ米大統領はそのプラグマティズムゆえに「人誑し」を堂々と行うゆえ、自ら「人たらし」である必要がない。

トランプ氏をポピュリズム(無定見)の旗手のように錯覚してはならないだろう。彼はそのビジネスマンとしての資質からもその政治信条はプラグマティズムに立脚している。因果の論理的整合がなければはっきり「ノー」と言い、あれば周りが反対しようが「イエス」と言うだろう。「多数が良いとするのが良い」という無定見さに陥らない。翻って我が国の首相は「この道」しかないと<果>しか言わない。因たることはどうでも良いのだろう。アベノミクスにみるように、その<果>が逃げ水のように遠ざかるのも過去との連続性に立って<因>を見究めようとしないからである。過去から積み上げてきた歴史観の継続性をスパッと断絶し<因>を頑なに見ない姿勢にある。政権に都合する輿論(「この道」)を官邸内で醸成し、政権側にべったり与させたマスコミを使ってそれを増幅拡散し、いつの間にか見かけ上(ネット上)の世論にする術まで身につけている。その世論を自製する術こそ新しいが、その本質は従来型の「ポピュリズム」の政治家である(拙稿「プラグマティズムとポピュリズム(トランプ氏考)」)。

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プラグマティズムとポピュリズム、しかし、この二人の共通点は、普段、誑(たぶら)かすことばかりしているうちに自らの心までも誑(たぶら)かすからこそ、何の躊躇いもなく嘘を付くことができるようになったことだ。

その誑(たぶら)しには安易に惑わされないのが米国の多様な国民性である。ファクトチェックや政権批判が公然とマスメディアで展開される。他方、我が国は、誑(たぶら)しに大いに惑わされる国民性である。我々の関心を政治に向けさせないことを目的として、意図的に愚民化させるという政策=「民に知らしむべからず」にマスメディアは大いに貢献し、我々はすっかり誑惑されてしまっている。

「人誑し」が「人たらし」にしか見えない愚かな人々が増えてきた。「美しい調和」などと英訳される元号の下で。

(おわり)

posted by ihagee at 18:17| 政治

2019年05月25日

サイアノタイプ - その76(引き伸ばし機)


昭和11年(1936)製の乾板用のハンザの引き伸ばし機(ハンザ特許引き伸ばし機 / Anastigmat F=125, 1:6.3)についての記事の続き。

「Lucky II-Cの口径の小さなコンデンサーレンズに代えた・・・光が回らず四隅が若干欠けている」について、やはり一考。元の大きなコンデンサーレンズに戻すことにした。

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コンデンサー室から反射笠を受ける皿部を取り除くとその下にコンデンサーレンズの筒を収めるための刳り貫きがあることを発見。これが本来のコンデンサーレンズの収容部と合点。つまり、これまでの収め方が間違っていたのである。ついでに紙筒(ダイソーで購入したパーティグッズ)をスペーサーにしてUV光源とコンデンサーレンズの距離を調整した。

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(SMDユニットを吊るす紙筒はアルミ箔を内張り)

乾板を仕掛けない状態で印画紙面上のUV光の当たり加減を確認。SMDユニットの点光源が見える位置まで引き伸ばし用レンズに紙を近づけて、その点が紙の中心にくるようにSMDユニットの位置を微調整する。

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早速、ガラス乾板を用いてプリントを行う。乾板は気に入って使っている百年以上前の少女像(拙稿「乾板写真の美」)。左右反転(鏡像)となるよう乾板を置く。印画紙はvif Art B5 (H.P. surface) paper。焼き付けは約二時間。集散光性が改善されたせいか、光が回らず焼き目が甘かった四隅がはっきり顕像するようになった。胸元のレースの模様もはっきり再現されている。そしてジャスミン茶でのトーニングも従来よりも濃く結果が出る(インク色であるブルー・ブラックになる)。

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ラスティックな縁の賞状額に収め壁にかけてみた。

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去年の今頃はこんな程度だったので、だいぶ進歩したことだけは確か。好きこそ物の上手なれ。そして何よりも百年以上前の写真乾板と1936年製の引き伸ばし機が共に未だ「実用品」足り得ることは嬉しい(拙稿「発想の転換(“最も古いまだ使用中の家電”コンテスト)」)。四年前に召された母とほぼ同い年のこの引き伸ばし機はシャキッと背筋を伸ばして百代の過客である。「100年時代」を人に課すのではなく、百年を超え世代をわたって使い続けられるモノの価値観に求めて欲しいものだ。移り気な短寿命のモノやサービスばかりの社会でどうして人間が「100年時代」を生きよというのだろうか?低代謝社会、国民総幸福量(Gross National Happiness, GNH)、ナマケモノの生き方に学ぶ、ベクトルをアベノミクスとは逆にした発想の転換こそ世界一の超高齢社会たる我が国には必要と思う(拙稿「立ち位置を知ること」)。日本の立ち位置を聞くべきはノーベル経済学受賞者などではなく、ブータンのワンチュク国王であろう。象徴天皇が最初に会う相手はこの賢王であって欲しかった。

(おわり)


posted by ihagee at 06:56| サイアノタイプ

2019年05月24日

ネガフィルムの整理



写真屋のカバーホルダーに入ったままのネガフィルム。

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デジタルスキャンしても捨てないことだ。デジタルデータは突然死するが、物理的に記録されたアナログデータはしぶとく生き残る(『「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」(<ビット腐敗>問題)』)。

私の場合、そもそもデジタルスキャンもしない。ネガフィルムはサイアノタイプ・プリントで使うからである。

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ゆえに、常にカバーホルダーに入ったストリップを宙にかざして選んでは引き伸ばし機にかけていた。パラフィン紙越しにネガを透かして見るのは中々苦労である。湿気で紙と癒着してホルダーから引き出しにくいストリップもある。

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カバーホルダーからフィルム(120フィルム)をバインダーに移すことにした。ストリップのままだと扱いづらいので、フィルムカッターでコマ(単片)に切り分け、百均(ダイソー)で購入したコレクションカード収納用のクリアポケットに元のホルダー単位に単片を収め、バインダー(ファイル)に綴じ込む作業を行なう。撮影日・場所などインデックスは同じくダイソーで売っているCDケースの背ラベルを "こより" にした。

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コレクションカード収納用のクリアポケットは120(6x6)フィルム単片の収納に最適。ただし、ダイソーのこの商品は以前はポケットがシボ加工されていたが、最近の商品ではコストカットの為か加工されていない。シボがあった方がフィルムがポケットに密着しないので少し残念である。ポケットの素材のポリエチレンがフィルム(乳剤面)に影響するかどうかは判らないが、湿気さえ注意すれば大丈夫だろう。結果は大変扱い易くなった。未整理のカバーホルダーはまだ山のようにあるので、ダイソーから用材を買い増さなくてはならないが、百均ゆえに出費も大したことではないのが助かる。

(おわり)

posted by ihagee at 04:19| 古写真