2019年01月16日

「領土」とは何?



「領土」とは何だろう?

スクリーンショット 2019-05-18 6.44.35.png

(自民党憲法改正草案の「領土」条項)

日本国憲法に「領土」条項は存在しない。「領土」を憲法で論じることはせず、外交が決着した国際法に委ねる問題としているからである。

「領土」を憲法で論じることは、領土権=土地の支配と共に人民を支配し、生存圏・経済的支配、選民支配という戦前の「大東亜共栄圏」思想(大日本主義)と繋がり、五族協和・共存共栄の大義の下、武力による周辺諸国の支配、即ち、軍事覇権(戦争)に至った戦前のレジームに容易に回帰する虞があるから、そうさせない為に日本国憲法に敢えて「領土」条項は存在しないのである。



「領土」条項はじつは明治憲法(戦前の日本国憲法)にも存在しなかったが、帝国主義からのアジアの解放・近代化などイデオロギーがあれば領土拡張を是認できるその時代なりのレジームがあったからわざわざ憲法で論じなくても良かったのであろう。征韓論に発し李王朝からの人民解放と開国のイデオロギーを以て大韓帝国を併合したこと、同じく清国からの解放なるイデオロギーを以て琉球を併合したことがそのレジームの事例である。このイデオロギーによる解放なる大義はやがて経済支配に変わり歴史的には「侵略」となった。対日関係に於いて「鎖国政策である」と韓国を批判する昨今の世論(陽動する官邸やマスコミ)や、基地問題で沖縄県民の「ウチナーンチュ(自己決定権=アイデンティティー)」を否定する中央政権の姿勢に過去の時代のレジームが符号し気掛かりでもある。

憲法前文および第9条で規定する平和主義(戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認)を日米安全保障条約と共にわが国における戦後レジームと言うのも、この戦前のレジームの否定の上に立っている。しかし、安倍政権は「戦後レジームからの脱却」を標榜し、現憲法を「みっともない押し付け」と貶し、「明治百五十年」とアナクロニズムに浸るところは、戦前のレジームに回帰しようとしていると思われてならない。ほぼ日本と軌を一にして近代国家となったドイツだが、「ドイツ統一」が東西ドイツ統一であっても、決して「ドイツ統一百五十年」などと言ってビスマルク時代のドイツ帝国をその時代のレジーム(鉄血政策など)を以て懐かしんだりしない。ドイツ帝国から第三帝国まで過去の時代の犠牲と反省に立った真剣な自己総括があるからこそ、政治的に懐かしんだりその時代のレジームに回帰しようと決して考えないのだろう。その総括を行わなかったのが翻って我が国である。真剣に過去を総括していれば、政権の都合に合わせてあれこれと歴史を修正(改竄)するようなことは絶体にしないだろう。「現憲法(特に平和主義)は戦死者の遺言である」としっかり受け止めることができないのも、過去の時代の犠牲と反省に立った真摯な自己総括がないからである。

残念なるかな、安倍政権は「戦後レジームからの脱却」を標榜し、自民党は憲法改正・新憲法制定を党是としている。そして、自民党憲法改正草案には「領土」条項が盛り込まれている。その行き着くところはやはり戦前のレジームである。

----

我が国の平和主義は憲法に「領土」条項が存在しないことにも大いに拠っている。

従って、「領土」問題は、国際法と国内法が一元的な適用を受け、外交が決着した国際法に委ねられてきた。具体的には、我が国の領土は、カイロ宣言(1943年11月27日)、ヤルタ協定(1945年2月21日)、ポツダム宣言(1945年7月26日)、降伏文書(1945年9月2日)そして第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国をはじめとする連合国諸国と日本との間の戦争状態を終結させるために締結された平和条約(1952年4月28日)の順に確定していったのである。

この1952年のサンフランシスコ平和条約に連合国構成国であるソビエト連邦は会議に出席したが条約に署名せず、1956年10月9日、ソ連と日本は共同宣言で戦争状態を中止し(第一条)、外交関係が回復した(第二条)。この中で、北方領土問題は、まず国交回復を先行させ、平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を日本に譲渡する(国後島と択捉島には触れていない)という前提で、改めて平和条約の交渉を実施するという合意がなされた。この日ソ共同宣言は、1993年(平成5年)のボリス・エリツィンロシア連邦大統領来日時に「日ソ間の全ての国際約束が日露間でも引き続き適用される」ということが確認され(東京宣言)四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結すると宣言するに至った。しかし、2000年(平成12年)にはウラジーミル・プーチン大統領が来日時に「56年宣言(日ソ共同宣言)は有効であると考える」と発言し、2001年(平成13年)に両国が発表した「イルクーツク声明」では日ソ共同宣言の法的有効性が文書で確認され、1993年の東京宣言をプーチン大統領は無視する姿勢を示した。

この姿勢に呼応するかに、ロシアとの間で確定していない領土は北方四島であるという日本政府の従来の主張は、先般、河野外相の参院外交防衛委員会での答弁で四島明記の東京宣言への言及を避けたように、事実上、1952年の日ソ共同宣言での合意での、歯舞群島と色丹の二島の明記(国後島と択捉島には触れていない)という前提にまで後戻りした結果となっている。

この二島の「譲渡」を日露平和条約なる国際法で確定させるしかないということである。1952年の日ソ共同宣言での「譲渡(引き渡し)」という曖昧な表現が、日露間の「領土」の解釈の違いとなって表れている。

----

「領土」なる言葉、現行の日本国憲法に「領土」条項には存在しないが、旧ソ連邦およびロシア連邦のそれぞれの憲法には存在している。従って、ロシアは「領土」を憲法で論じる。

スクリーンショット 2019-01-15 18.11.28.png

(ロシア連邦憲法・領土条項)

日本の主張する「北方領土」、ロシアの言うところの「南クリル列島」は、日本政府と話し合う以前にロシア側は領土として確定しているということだ。領土権=土地の支配と共に人民を支配し、生存圏・経済的支配、選民支配がその憲法上の「領土」として論じられるのであるから、領土権としてそれらの支配は着々と進められてきた。



選民支配について言えば、ロシアのプーチン大統領は、クリル諸島(北方四島を含む千島列島)などに住んでいたアイヌ民族をロシアの先住民族に認定する考えを示している。先住民族であるアイヌ民族が北方四島に住んでいたから、北方四島に領土権が及ぶという理屈である。憲法からそれが「領土」であると論じるのであれば、もはや日本側がその「領土」について話し合う余地はない。

従って、話し合いの意味とは、日本政府にロシアの領土であることを認めさせることに他ならない。ロシアの憲法での「領土」および領土権はロシアにとって日本と話し合うことではないからだ。換言すれば、ここで話し合いが頓挫しようとも、ロシアにとってクリル諸島(北方四島を含む千島列島)は憲法で論じる領土であることに変らない。実行支配した北方四島に当然としてロシアの領土権があるということも。

「日本が国内法で『北方領土』と規定していることは受け入れられない(ロシア・ラブロフ外相)」は、日本国憲法に「領土」条項が存在しないこと、従って、日本は外交が決着した国際法に委ねるしかないことを知ってのことだろう。ロシア側は「南クリル列島」をその憲法によって領土と定めている。

「領土」とは何か?について拠って立つところの違いは大きい。「領土」を憲法で論じることはこのように侵略・支配を正当化するが(ロシアのクリミア侵攻にみられるように)、武力に拠る危険な考えでもある。もし、我が国もロシアと同じく憲法を改正し、9条の平和主義を捨て「領土」条項を入れて憲法で論じることになれば、解決は話し合いではなく軍事的紛争に拠ることになるだろう。どちらが戦いに勝つかである。その決め方がいかに不幸な結果になるかは、クリミア危機が示す通りである。

----

「住んでいるから、生活しているから、原住民と同化共存しているから」と事実上の実効支配を言えたのは当初日本の側であったのに、今ではロシアの側の言い分となっている。あらためて、北方領土問題について、一旦、事実上の実効支配を許してしまえば、いかに解決が困難になるか、そのきっかけはロシアにあるのではなく、日本側(大日本主義に取り憑かれた政治家・軍部)が作ったのかもしれない。

「千島列島並びに日本国が 1905 年 9 月 5 日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島」について、報效義会的に民間主導でアイヌ人や樺太の原住民(ニブフなど)と協和する経済生活圏を着実に広げていけば、今日の北方領土問題はなかっただろう。大日本主義に取り憑かれた政治家・軍部が拓殖なる民間主導の実効支配を阻害し政治軍事的に実効支配したばかりに、逆に政治軍事的イシューとして白黒付けやすくなり、挙句サンフランシスコ平和条約で片づけられてしまうこととなった。(拙稿『「軍人として非常なる損害(白瀬矗)」が北方領土問題の元』

----

「北方領土」と或る日からマスコミが言わなくなれば、それは懸案の北方四島がロシアの領土であることを日本政府が認める意向であるとマスコミが忖度し始めたと理解して良いかもしれない。2月7日の「北方領土の日」がその通り来なければ尚更である。

そして、安倍総理は国民にこう説明するかもしれない。

「私とプーチン大統領は、互いに未来志向に立って、いわゆる領土問題に固執することは日露両国にとって有益とはならないとの共通の認識に至りました。平和条約締結を以て経済分野で我が国のプライオリティが南クリル列島をはじめロシア全土に於いて高まることこそ、両国民にとっての最大利益であり願いであると確信いたします。そして何よりも、平和条約締結を以て、日露間の70年の長きに亘る戦争状態に完全な終止符を打つことができたことは喜びに耐えません。」

少なくとも、経済界は歓迎し好意的に評価するだろう。経済界の後ろ盾があれば世論がどうあろうとも、安倍政権は存続するという不思議な仕組みが選挙にも働くかもしれない。悲しいかなそれがこの国の民衆の福利とは違う方向の政治経済である。

----

やはり、北方領土は「巨大な冷蔵庫」のままにしておくべきだった。安倍総理の個人的とも言える功名心が冷蔵庫の蓋を開けてしまった。もう戻れないだろう。

北方領土が「巨大な冷蔵庫」のままであれば、ロシアは手離すことも有り得た(帝政時代のロシアがアメリカ合衆国に売却したアラスカは当時「巨大な冷蔵庫」と呼ばれる経済的に無価値な土地だった)。「巨大な冷蔵庫」のままにしておくことが、北方領土交渉のこれまでの日本側のスタンスだった。

ソ連邦崩壊直後の経済恐慌下エリツィン政権の北方領土の扱いはそうだった(東京宣言)。ロシア中央政府への経済援助と引き換えであれば辺境の「巨大な冷蔵庫」の交渉は有り得たかもしれない。当時、ロシア系の北方領土島民も経済苦から主権の日本への帰属を望んでいたともされる。

ロシア側の利になると判っているから、過去の自民党政権は領土交渉でロシア側から主権を取り戻さない限り「巨大な冷蔵庫」に食べ物を詰め込もうとしなかった。しかし、「故郷(山口)に錦を飾る」引き換えなのか安倍政権は詰め込む話を持ち出して利を先にロシアに渡してしまった。ロシアが日本の経済支援を呼び水に第三国に対して「巨大な冷蔵庫」の蓋を開けてみせるようでは、日本のプライオリティなどあっと言う間になくなってしまうわけだ。


(おわり)

追記:
『「なぜ日本は、第2次世界大戦の結果を全面的に受け入られない世界で唯一の国なのか」と指摘した。さらに、大戦結果の受け入れは最後通告ではないとしながらも、「現代の国際システムでは避けられない部分」「国連憲章などを守ることを呼びかけているだけで、北方領土の返還要求は国連憲章に違反している」だと述べた。』(ラブロフ外相・16日、首都モスクワで行った年次定例記者会見)




posted by ihagee at 17:43| 政治

やってる感




80過ぎの義理の母:「あべさん、世界中かけずりまわってよくやってる。立派な人!」
「それで何やってると思う?」
「何をやってるかなんてケチつけて人の足を引っ張るもんじゃないわよ。何事も頑張ることが大切。貶しちゃだめ!それに総理大臣なのよ国民なら敬意を払わなくちゃだめでしょ」とくる。

「やってる感」。社会人になるとこの素振を知る。「ボク頑張ってます」と周囲に自己アピールし、頑張っている人を貶してはならない、という不文律の空気みたいなものがある。「君、何をそんなに忙しそうにしてるのか?」などと空気を読まない言い方を仲間がすれば嫌味に取られる。そんな空気である。

社会人になりたての頃、机の上いっぱいに任された仕事の書類を積み上げたら、上司に「今日、片付く仕事の分以外は引き出しに入れろよ!そうやって、大変そうな振りをするのは良くない」と言われた。

今思い返してもかなりきつい忠言だったが、その通りだろう。その上司は現場のTQCの班長ゆえに、机上整理の観点でこう言ってくれたのだと思う。

「こんなに一生懸命やってるんだ!」と周囲に見せつける気持ちがある。「頑張り屋だね。仕事熱心で結構」と上司に褒められたい気持ちもあったに違いない。なんとも子供っぽい願望であるが、まだ実力の伴わない若い内は、このやってる感は仕事への熱意として評価される。逆にサラッと仕事を片して定時にタイムカードを押して「お先〜」と全くやってる感を見せない奴は、熱意がないとか協調性がないと、評価は低い。しかし、そういう奴に限って机の上に書類を無用に積み上げたりしない。アフターファイブも心得たものだから女子社員の歓心を買うのはこういうスマートな奴だった。

----

安倍総理自身「やってる感が大事だ」と意識して行動しているという。自己満足ではなく、明らかに「(結果はともあれ)やってる感」を評価してくれる私の義理の母のような国民を意識しているのである。冷静に考えればかなり子供っぽい。これが還暦も過ぎた男の言葉なのだろうか?同じ年代の男がこんなこと仕事場で口にしたらすぐに首である。「やってる感」がサラリーマンの処世術といっても、それは実力が未だ伴っていない若い時分だけ。キャリアを積めばそんな演技をしなくてもそれなりに成果が出るもの。出せなければ肩を叩かれリストラである。

いずれにせよ、安倍という人は子供の頃から承認欲求が強かったのだろう。常に周りから褒められたい。そして名家のサラブレッドであるから、結果を出さずとも周囲から咎められることもなく、ただひたすら褒めそやされ今に至った。承認欲求は忖度として取り巻きがしっかり満たしてくれた。大久保彦左衛門のように何かと口厳しく意見する人もいない。そして、『成果を問うのでなく「やってる感」を評価するこの国の文化』にあって、その通り、多くの国民は「あべさん、世界中かけずりまわってよくやってる。立派な人!」と評価し、自民党に一票となるのだろう。全くもって幸せな人である。

「やってる感」は結果と伴わなくても良い。ただひたすら「やってる感」を次々と繰り出せば良い。安倍総理の地球儀を俯瞰する外交もそうだろう。外務次官クラスの用事であっても出かける。出かけるだけの費用効果の事前事後の国民への説明もない。あまたスローガンの矢を飛ばしアドバルーンを上げて、これも「やってる感」を創出してきたが、何をやったのか?は問われたくないので、さらに新味なアドバルーンやら目くらまし(韓国バッシングなど)で目をそらさせる。だから、それらの結果を総括したこともない。

拉致問題もある意味「やってる感が大事だ」なのであろう。本当に解決しようと思ったら明日にでも平壌に政府専用機で向かえば良い。高射砲であえなく墜とされるかもしれないが「身命をかけて」と言うのならそれが一か八かの解決の近道であろう。しかし、解決せずとも「やってる感」があれば幸いなるかな国民はその姿勢を評価する。拉致被害者が全員生きて帰ってくることを目標にするのであれば、半永久に解決しないがその間十分に「やってる感」を示し翻って国民の支持をもっぱら引きつけることができる。

----

講道館で柔道の模範演武を見た後、プーチン大統領が安倍首相に「一緒に畳に上がりましょう」と促す場面があった。安倍首相は苦笑しながらやんわりと断った・・(2016年11月16日)

山口(長門)での故郷に錦なる「やってる感」に付き合わされて散々な気持ちがあったのだろう。この男の日本国民向けの「やってる感」にこれ以上付き合えないという気持ちが「一緒に畳に上がりましょう」との言葉になったのだと思う。地縁血縁コネもなく実力一つでKGBから最高実力者にのし上がった男にとって、子供じみた承認欲求の「やってる感」など到底理解のしようもない。下手も上手と互いに「ナイス〜」などと褒め合う接待ゴルフなど内心馬鹿にしているに違いない。「一緒に畳に上がりましょう」と肝を試したのである。

----

そして「やってる感はもういい」は、東方経済フォーラム全体会合後の会見での「提案」となった。

討論の場でいきなりプーチン大統領は「今、思いついた」「あらゆる前提条件をつけず、年末までに平和条約を結ぼう」「争いのある問題はそのあとで、条約をふまえて解決しようじゃないか」と突然の提案を行った。しかも「ジョークではない」とわざわざ断りを入れて、真剣な提案であるということを付け加えた。余りにも突然のことであったため、安倍首相はその場で間髪入れずに反応することが出来なかった(2018年9月10日・東方経済フォーラム全体会合後の会見)

----

平和条約締結交渉。「一緒に畳に上がりましょう」とまたもプーチン。

しかし、いつもの調子で北方領土問題にも「やってる感」を持ち込んだ。解決せずともロシアが悪いと言えば済む。交渉の席を立てば良い。それまで「やってる感」を振り撒けば国民はその姿勢を評価すると。しかし、相手が悪かった。組手の練習程度に手合いしてくれるかと思ったら、「畳に上がれ!真剣勝負だ」となった。「勝負する気があるのか!」と迫られ「やってる感が大事だ」などと国内向けのポーズは相手には通用しない。いきなり交渉の席を立つことすらできない羽交い締めにあった。これでは「やってる感」で国民の歓心を引きつけておくこともできない。

----

真剣でなければ真剣になれない。リアリティに脚本は要らないアドリブだ、と撮影が始まった。立ち回りの場面において、俳優の奥村雄大(勝新太郎の息子)が斬られ役の俳優に誤って重傷を負わせた。その後、俳優が死亡した。奥村は撮影現場関係者らと共に広島県警から業務上過失致死罪の疑いで事情聴取を受け、奥村の使用した日本刀が撮影用の模擬刀等ではなく真剣であり、それが首を斬りつけていたことが判明した。・・勝新太郎の主演の映画「座頭市(1989年制作)」

「真剣」ならまさに真剣だが、命を落とす。「やってる感」ではなく「やる」はもはや芝居ではない。

----

『成果を問うのでなく「やってる感」を評価する(わが国の)文化を変えない限り、長時間労働は無くならないことだ。それでは、アベノミクスの最新版スローガン「働き方改革」が本当に実現することもない。』(東京新聞・2017年2月9日夕刊、「紙つぶて」から)

日本の労働生産性が諸外国に比較して格段に低い理由は、この「やってる感」文化なのだろう。働き方改革の旗を先頭になって振るその当人が、「やってる感が大事だ」だと宣うのであれば何をか言わんや。この人の労働生産性から改めなければ始まらない。

----

露払いは終わり1月22日は首脳同士の話し合いとなる。英蘭首脳とは官僚が事前に作成したカンペをなぞって「やってる感」を振り撒けた。カンペの利かない現地の記者からの質問にも頓珍漢ながらも何とかその場をやり過ごせた。脚本は要らないアドリブだ、とプーチンは手元に目を落とすことすら許さないかもしれない。会談後の記者会見で現地メディアからどんな質問が飛び出すかもわからない。

思い出した、以前、手元の資料を見ながら質問をしようとした日本の記者に、プーチンが苛立ったことを。その苛立ちはその横で同様にカンペに目を落としていた安倍総理に向けられていた(2013年4月28日の共同記者会見)。何一つアンチョコを必要としないプーチンにしてみれば、全くリアリティのない相手に苛立ったのだろう。

(おわり)

posted by ihagee at 03:33| 政治