2019年01月12日

違和感が現実になる




JOC竹田会長 五輪招致で汚職に関与容疑・フランスで(刑事起訴に向けた)捜査開始とフランス・ルモンド紙が速報。司法に政治は不介入が原則だが、ゴーン氏逮捕勾留と絡んで、捜査当局や司直の頭ごなしに日仏首脳間で水面下の政治決着が行われる可能性もある。ただしその場合、双方痛み分けにはならないだろう。フランスの司法当局は証拠不十分として竹田会長を不起訴にすれば済むが、日本の司法当局はゴーン氏を起訴(追起訴)した。誤認逮捕(不当な身柄拘束)を認め・起訴取り消しとするという幕引きは、翻って当局の存在理由を問われることになる。容疑者を罪人扱いし長期勾留している東京地検(特捜部)の人質司法ぶりと、推定無罪なる法治社会の原則に立たない司法制度が炙り出され、延いては我が国の国際的信用にまで及ぶ。このような状況を受けてスポンサー企業が降りてしまえば、オリンピック開催どころでなくなるかもしれない。

クーベルタン以来、特権階級・貴族のサロンであり続けたIOCであれば、そこら辺のサラリーマンならいざ知らず、貴族仲間であるJOC会長のサロンの面汚し(この先起訴されれば)には黙っていられないだろう。開催時期や開催場所の変更など、大会運営の見直しを検討するかもしれない。

今後の成り行きを我々もしっかり監視したい。

以下、過去ブログ記事(2016年5月掲載)を再掲載する。記事の内容はその当時に判明したことである(なお、2.4億円(裏金)や都知事=舛添前都知事などは当時の儘記載する)。当時感じた様々な違和感が2019年を迎えて一挙に悪い方向に現実化し始めた。波乱の一年になるだろう。

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2020年東京五輪招致に関連する裏金(2.4億円)の疑惑が浮上した。ロシア陸連のドーピング疑惑を端緒としてまさに驚天動地の展開となった。裏金を差し出したのが招致委員会だったのか、そのエージェント(電通)だったのかは未だ不明だが、招致の為の買収を目的とした裏金であり、その金の出先は日本・東京と国際的に報じられている。そして仏の検察当局が捜査を開始しIOC実力者の金銭授受の事実を確認したようである。疑惑が犯罪として立件される可能性もあり、事と次第に拠っては2020年の東京開催中止をIOCは決断するかもしれない(海外の一部のメディアでは、東京に代わってロンドンでの開催の可能性を早々と報じている。)そうならないとしても、このまま何の自省も道義的責任も示さずに東京都が五輪を開催することについて国際世論は黙っていないだろう。嘗てのモスクワ五輪のように参加を見送る国も現れるかもしれない。

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会は「招致委員会はすでに解散しており組織委員会とは関係ない。」とさっそく頬かむりを決め込み、電通も「知らない」と言い、菅官房長はいつもの通り最初から全否定である。予断を許さない事態であると国際社会が認識し始めている中で、「関係ない」「知らない」と予断を国際社会に振り撒くことのダメージを彼らは一切考えていない。予断を許さない原発事故に対して「アンダーコントロール」と予断を振り撒くだけ振り撒いて招致した五輪である。何から何まで予断尽くしの五輪ゆえ、その通り、現実は不祥事・不手際・トラブルのオンパレードになっている。そしてここにきて開催そのものに赤信号が灯りだした。折悪しく、都知事までがマネー・スキャンダルの渦中にありまさに内憂外患である。三年前の私的な家族旅行すら記憶になく会計責任者に全ての罪を被せて済ませ、「東京を世界一の都市にするんだ。東京五輪、パラリンピックを史上最高の大会にするんだと全力を挙げ努力していく」などと居直る。この人自体が赤信号である。こうなると東京五輪の新たなロゴもやはり黒い喪章に見えてきた。

これらの疑惑報を耳にして尚も発せられる「東京を世界一の都市にするんだ。」の言葉に、開催決定のあの瞬間に感じた強烈な違和感が蘇ってきた。東日本大震災、原発事故の只中、多くの国民が同朋を襲った未曾有の惨禍の喪に服している中、この国のシルクのスーツをまとった中枢の人びとが「おもてなし」なる宴を準備し狂喜乱舞するあの様である。首を垂れ途方に暮れる人々と歓喜に沸き返り万歳三唱をする人々がテレビでは同じフレームの中に映しだされていた。3百キロ程度しか離れていない場所同士で、こんな天と地ほどの落差があって良いのかとどうにも理解し難かった。この時も「東京を世界一の都市にする。」と安倍首相が叫んでいた。

「被災地の為にも元気と希望を送らなくてはならない。だから五輪が必要だ」と言う。都会人の地方の人びとに対する上から目線の傲岸不遜さがその言葉の端々から鼻につく。<おもてなし>と美女が色目を遣う先は外国人観光客であって被災地の人々ではない。たとえ大震災以前から招致活動が続いていたにせよ、物事には優先すべき順序というものがあり中止するのが理の当然だと思っていた。この国の持てる資源を先ずは被災地と原発事故に振り向けるのが当たり前だと思っていた。それが首都再開発・観光客誘致という五輪にかこつけた巨大な功利に化けてしまったのである。その通り、ヒト・モノ・カネの大方が東京に集約し、虎の門界隈は巨大なビル街に生まれ変わり、なおも東京は再開発の槌音の只中である。あたかも東京都民だけが国民であり、東京都だけが良ければの「世界一」発想である。原発事故も翻れば、都民の電力の為に原発なる危険を地方に押し付けその結果福島県民が犠牲になったのに、「(原発事故の)影響は届かない(竹田招致委員会理事長・当時)」で招致した五輪でもある。どこまでも東京のご都合主義が優先する。そのことへの強烈な違和感である。

私ぐらいの年齢になると(シニア)、これは変だと感じたことは、いずれ悪い方向で現実化することが多い。それだけある程度、諸事を洞察する力が備わってくるものである。そして安倍政権になってからその政策のどれもが違和感を覚えるようになった。違和感どころか吐き気がすると言っていた私の父母も先年亡くなった。その次の我々の世代がまともな感性と理性を働かせる番である。違和感を見逃しそのまま現実にしてはならないのである。

追記:

予断を許さない事態であるとようやく認識したのか、菅官房長官、遠藤五輪相、安倍首相がこぞって「事実関係を確認する」と声明を出した。仏の司直の手にあると報じられた当初からそう言っておけば良かったのである。

都知事が公金を私的に流用していた疑惑について、とってつけたような理屈を後から繰り出して煙に巻こうと必死であるが、五輪招致委員会の理事長であった竹田恒和氏も「(裏金とされているカネは)業務に対するコンサルタント料で問題があるとは思っていない。招致活動はフェアに行ってきたと確信している」とこれもまたとってつけたような理屈を後から繰り出している。今朝まで知らぬ存ぜぬとシラを切っていた。
招致委はコンサルタント会社を「大変実績のある代理店で、アジア中東の情報分析のエキスパート」と評している。実績のあるとするコンサルタント会社の所在地は以下の写真の公営住宅である。ここに巨額な報酬を得て実績がありエキスパートと評価されるような会社があると信じる人はいないだろう。さらに、シンガポールの法人登記簿によると、2006年に設立された同社は、招致委から送金を受けた翌2014年7月に閉鎖されている。と報じられている。竹田氏が実績のある代理店というこのコンサルト会社のことは、外電ではsingapore shell company(ペーパーカンパニー)と報じられている。ペーパーカンパニーが仕事をする筈はない。

コンサルタント会社

ベタベタと政治とカネが纏わりつく五輪。開催地決定過程の不透明さ、開催地が決まる度に商業主義が加速し公益性が損なわれていく五輪。権力者と富める者の為だけの五輪に対してもう五輪など要らないという声も大きくなっている。これも違和感の発露である。先の五輪の汗と涙が染み込んだ1964年のメインスタジアムは邪魔だとあっさり壊してしまうことに代表されるように、刻まれた歴史を都合に任せて破壊・修正することに対する違和感である。

スポーツを行うという本来の目的に立ち返るなら、五輪発祥の地、今は財政危機にあるギリシャに五輪の権益を返し、各国が持ち回りで支援してギリシャの地で恒久的に開催することで良いのではないだろうか。ギリシャにとっても最大の既得権益となって、その収益で財政再建が可能になるやもしれぬ。

万一、IOCが犯罪と認定して東京五輪の開催中止を決定したら、東京都だけではなく日本の国際的名誉は失墜するだろう。このまま不名誉な現実を待つよりも、そもそもの話に立ち返って優先すべきことを優先し、ここは自らの決断で開催を返上し、代わってギリシャでの恒久開催を国際社会に提案すれば、多くの諸国民に共通する商業五輪への違和感が解消され、僅かでもその名誉は保たれるだろう。

再追伸:
外電によると、コンサルタントとされるタン氏はIOC実力者ディアク氏の息子(この息子は国際陸連のコンサルタント)と極めて近い関係にあり、招致委員会が巨額の送金をタン氏の口座(口座のある銀行はBlack Tidingsという秘密口座でありディアク氏の息子が関係する様々な買収工作に用いられている)に行った直後、その息子がパリで相当額の宝飾品を買っている(マネーロンダリング)事実まで仏検察当局は掴んでおり、タン氏を迂回した裏金の疑惑を報じている。国際陸連の会長を務めたディアク氏は、IOC委員として五輪開催都市決定に強い影響力を及ぼし得る立場にあった。したがって、ディアク氏が五輪開催都市決定に関して、その息子とともに具体的にどのような影響を与えたかも焦点となる。事実、国際陸連への協賛金(約4億4000万円)の支払いを拒んだトルコは開催都市決定で東京に敗れている。

ロシア陸連のドーピング疑惑のもみ消し工作に国際陸連のディアク会長(当時)が関わる汚職捜査が端緒となってタン氏の秘密口座の洗い出しが行われたようだ。その裏金のルート上にタン氏が存在し、表と裏をつなぐキーマンと仏検察当局は睨んでいるようである。タン氏のそのような役割を暗に期待して招致委員会が「報酬」を支払ったのかが焦点となるようだ。五輪招致活動で開催候補都市が海外のコンサルタント会社を用いることは一般的である。コンサルタント会社には元IOC委員らが所属するケースが多く、プレゼンテーションで何をアピールすべきかや、ロビー活動をどう行うべきかといったアドバイスを受ける。IOCが正当なコンサルタント業務(つまり、コンサルタント会社への金銭の支払いが正当なものである)と認めるのはそのようなコンサルタント会社との間でコンサルタント契約書が存在する場合だけであり、竹田招致委理事長(当時)は契約書がどこにあるのかわからないと述べている。「フェア」と竹田氏は言うが、汚職のルート上にあり且つ実態のよく分からない会社、その会社との契約書の在り処さえわからない状況を「フェア」と言うにはあまりに無理がある。裏金との疑惑は契約書の不存在にもかかっている。

再々追伸:
2020年東京五輪招致に関連する裏金(2.4億円)の買収疑惑。ロシア陸上選手のドーピング疑惑のもみ消し工作(ディアク国際陸連(前)会長関与)について世界反ドーピング機関(WADA)の調査委員会の調査報告書脚註で、五輪候補都市(トルコ・イスタンブール)が協賛金を国際陸連に拠出することを拒否した為に、ディアク国際陸連(前)会長の支持を失いトルコは選ばれず、拠出した日本・東京が選ばれたという、数行の記載から国際陸連疑惑からIOC疑惑へと飛び火した結果である(今年の1月)。脚註の僅かな言及が2020東京五輪への疑惑に発展するかもしれないと察知し、誰よりも早く報じていたジャーナリストがいた。これこそ真っ当なジャーナリズムである。

以下参照:
買われた?東京五輪 ー 電通への質問状1
買われた?東京五輪 ー 電通への質問状2
買われた? 東京五輪6――メディアの遮眼帯

(おわり)
posted by ihagee at 09:23| 東京オリンピック

2019年01月10日

大阪・1962年ごろ



ひょんなことから、Kodachromeのカラースライド(ポジ)を手に入れた(一部はAnscochrome)。撮影者は不明のオーファンワークだが外国人らしい。スライドのマウントに1962年6月とだけ日付があり、当時の日本が鮮明に残っていた。EPSON GT-X980でスキャンした(トリミング以外は無修正)。何回かに分けて紹介したい。おそらく大阪だと思うが間違っていたらご容赦。

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タクシーかハイヤー。白手袋・着帽姿はTVドラマ「泣いてたまるか」でタクシードライバーを演じた渥美清やらアニメ「魔法使いサリー」のよっちゃんのお父さんなんかを思い出した。この頃の車はハンドルの横にニョッキリと巨大なコラムシフトが突き出てタクシーの運ちゃんがガチャガチャとせわしなく動かしていたのも子供心に覚えている。左奥にちらりと見えるはオート三輪。

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酒屋の店先の赤電話。「電話するね」と指先をくるりと回す癖が思わず出る人は真性の昭和人である。

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ポーラー電気冷蔵庫と看板があるが豊和産業株式会社で製造していたらしい。手前の車はトヨタのパブリカ(初代)。1960年代、名古屋で社宅住まいだった頃、お隣さんはパブリカ、父はカローラで、互いに自慢し合っていた。

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淀川の景色。

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ビルの屋上。向かいのビルに電通と広告塔。

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千里ニュータウンだろうか?

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半世紀以上経過したスライドフィルムだがカビや傷もなく鮮明に時代を写しこんでいた。いまどきの電磁媒体のデジタルデータではこうはいかないだろう。今週、Flickrでは無料利用者の掲載写真について過去掲載分から勝手に削除が行われた(1000点を超える分)。Flickrなど仮想空間にアップロードしたデータしかなければ、空間の都合で消されることもある。悲劇である。だからといって、ローカルに保存していても再保存やフォーマット変更を繰り返すとデジタルデータは腐敗し最後は全く読み出せなくなる。拙稿『「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」(<ビット腐敗>問題)』で述べた通り。

現物のアナログフィルム・プリントは捨てない限り、当たり前だが情報は存在し続ける(拙稿「ましかくプリント」)。親が残したフィルムやアルバムならどの家庭でもあるだろう。それらをスキャンしてデジタル化したからと、捨てるようなことはしない方が良い(拙稿「「捨てるに捨てられなくて」!?」)。

(おわり)

posted by ihagee at 18:42| 古写真

2019年01月07日

「瑞穂(みずほ)」考






「瑞穂は良き名だったが、沈没したから再び艦の名前には名づけられぬな」と昭和天皇は語った(城英一郎日記159頁『(昭和17年)五月二〇日(水)晴』)。

この「瑞穂」とは太平洋戦争における日本の「軍艦瑞穂」のことであり、同戦争で最初に撃沈された「戦没軍艦第一号」でもある。

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みずみずしい稲穂を「瑞穂」と言う。稲が多く取れることから瑞穂の実る国ということで、「瑞穂国」(みずほのくに)、「豊葦原千五百秋水穂国」(とよあしはらの ちいおあきのみずほのくに)が日本国の美称としても使われる。

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日本国の美称は他に「ヤマト」「大八洲国 ( おおやしまぐに )」もあるが、その美称たる所以はアマテラスの命を受け、三種の神器を携え、多くの神々を率いて高千穂に降った天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を先祖とする皇室を宗家とし誇りとなすべく仰ぎ奉る日本民族観にある。この民族観は明治維新を機に支配者(藩閥)が考え出した「あるべき民族観」である。江戸時代にはこのような民族観は少なくとも庶民の間には存在していなかった。

歴史学者喜田貞吉は大正8年に著した「民族と歴史 第一巻第一号」の中で『我が「日本民族」は、実に天津神の後裔たる天孫民族と、これに同化融合した国津神の後裔とが、相倚り相結んで成立した』のであって『新附の諸民族といえども・・・我らの祖先がかつて為なしたと同じ様に、決してこれを疎外虐待することなく、温情を以てこれを抱容し、これを同化融合せしむべきものと信じる』と述べている。これが大正8年当時、庶民に膾炙固着された日本民族観なのかもしれない。日露戦争終結後の日本を含めアジア諸国の国際的緊張関係が緩和・融和に向かった時勢に沿ってなぞったに過ぎないのかもしれない。

しかし昭和となって「殺戮をこれ能事となし、敵を滅ぼすを以て目的となし給うというが如きことは、古史の決して言わざるところ(喜田貞吉)」の言わざるところをまさに目的とした軍艦に「瑞穂」を含め「大和」、「八島」など日本国の美称を以て命名する時代が到来した。「瑞穂は良き名だったが、沈没したから再び艦の名前には名づけられぬな」は、昭和天皇なりに、古史の決して言わざるところに「瑞穂」と名づけることに内心抵抗があったとも受け取れなくはない。しかし「殺戮をこれ能事となし、敵を滅ぼすを以て目的となし給う」となることが明白な開戦の詔勅を発したのもその天皇自身である。




戦後、昭和天皇は現人神(あらひとがみ)であることを自ら否定し人間を宣言したが、これは支配者(藩閥)が考え出した天皇を神格化した上での「あるべき民族観」の否定でもあった。爾後、皇室は憲法上の象徴として、憲法の理念(不戦・平和主義)を願い、過去の「あるべき民族観」に断固として沿わない姿勢を貫いているのである。これが昭和天皇から引き継がれた皇室なりの先の戦争についての贖罪であり将来に亘っての皇室の務めなのだろう。2013年4月28日に政府主催でおこなわれた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」で会場出席者及び安倍総理大臣から「天皇陛下万歳!」との三唱を受け、今上天皇が顔をこわばらせたのも、この政権が憲法とその理念すら曲げてあしらうことへの怒りであったと容易に推察できる。

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いずれにしても「戦没軍艦第一号」が「瑞穂」であることは何か因縁めいている。「瑞穂」とその言葉に付随する「あるべき民族観」は、太平洋戦争で真っ先に海の藻屑となったである。

しかし、今また新たに「瑞穂」が浮かび上がりつつある。

『日本という国は古来、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かちあいながら、秋になれば天皇家を中心に五穀豊穣を祈ってきた、「瑞穂の国」であります。自立自助を基本とし、不幸にして誰かが病で倒れれば、村の人たちみんなでこれを助ける。これが日本古来の社会保障であり、日本人のDNAに組み込まれているものです。私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかし、ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります。』(安倍晋三・「新しい国へ 美しい国へ 完全版」より)

指摘するまでもなく、ここで「瑞穂の国」の引用はかつて支配者(藩閥)が考え出した「あるべき民族観」に限りなく引き寄せている。それでいて、村なるコミュニティや田畑なる社会資本を、経済原理で「いくら?」と値踏みしEPA、TPPや日米FTAといった巨大な市場主義に無防備に晒し、揚句、水道事業まで民営化し外資に供し、社会保障費を削っては武器調達に励む辺りは、どう上の言葉と整合をつけるつもりなのだろうか?美辞をこれでもかと並べるが、道義や真実のなさこそ、この人のDNAにしっかり組み込まれているのではないか?

神代の昔の「瑞穂の国」を、明治維新で付け足された民族観と切り離して、今別の言葉で言い換えるのであれば、「食料主権を守る国」であるべきだ。食料主権即ち、食料自給は国家の存立に関わる安全保障の要である。その要を「強欲を原動力とするような資本主義」に預け、他国から安定輸入し国民を飢えさせなければ良い、などと言い放つ政治は、ある意味国家の主権を放棄するに等しい愚昧である。

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学校法人森友学園(籠池泰典理事長・当時)の「瑞穂の國記念小學院」(未開校)は、当初、「安倍晋三記念小学校」と命名するつもりだった。「安倍晋三」を「瑞穂の國」と置き換えただけだが、その学園の教育方針の柱には、かつて支配者(藩閥)が考え出した「あるべき民族観」が掲げられ教育勅語を範としていた(拙稿「我々に再び、踏絵を踏まさせるのか(教育勅語について)」)。

当の安倍氏は「まだ現役の政治家である以上、私の名前を冠にするのはふさわしくない。私が死んだ後であればまた別だけれど、私の郷土の先輩である、例えば吉田松陰先生の名前をつけられたらどうかという話をした」とされる。つまり、「安倍晋三」=「瑞穂の國」=「吉田松陰」が同義であり、その共通項はかつて支配者(藩閥)が考え出した「あるべき民族観」で一つに括られる国家>国民という図式である(拙稿『安倍晋三首相・座右の銘「至誠」が意味するもの』)。吉田松陰に発する「敬神崇祖の至誠」が国民性の本源とみなす精神主義は「日本主義」(正確には「大日本主義」)である。「天祖無ければ国民無く、家長無ければ家族立たず、敬神の念・祭祀の禮は我が国民道徳の根抵なり」となる(当山春三著『神宮大麻と国民性』より)。

そしてこの延長線に
『国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのはやめよう、というのが私達の基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!』(自民党憲法改正草案について片山さつき議員のツイッターでの投稿)が出てくる。

現行憲法に縛られるべき国会議員が、憲法で明確な天賦人権論を擁護しないばかりか否定することは、憲法尊重擁護の義務(憲法第99条)にも違反する。「義務は果たさなくていいと思ってしまうような」というネガな印象操作の文言を加えるのもこの政権の閣僚らしい。(拙稿「<家族主義の美風と大政翼賛>(自民党憲法改正草案第24条第1項)」)

憲法によって本来縛られるべきが「国家」であり「国家権力」であるのに、その憲法を改悪して、「国家」「国家権力」が「個人」の生存する権利を縛るという大転回(革命)を企てていることに他ならないだろう。クーデターと言っても決して過言ではない。

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食料自給を国家の当然の権利(主権)とすることをやめ、TPPなどの広域経済貿易協定によって他国から安定輸入し国民を飢えさせなければ良い、などと現政権は考えているのだろう。国民(消費者)の多くも関税がなく今よりも食料が安く入ってくるなら歓迎するかもしれない。

しかし、万一、他国からの輸入が様々な要因で不安定になればたちまち国民は飢えることになる。

また、他国から買えば良いといった「食料輸入」は裏返せば「飢餓輸出」でもある。なぜなら、世界の食料事情は潤沢どころか、飢餓人口は年々増大の一途。飢餓に苦しむ人々に本来まわすべき食料およびその生産耕地まで、日本が買い漁ることでもあるからだ。大量に他国から買っておきながら、大量に捨てる。「豚の餌になるから問題ない」などと言うなかれ。飢餓に苦しむ人は豚以下だと言うに等しい。後々捨てるような食料を地球の裏まで商社が買い漁って回ることは、翻って罪深いことだとそろそろ我々消費者も悟らなければならない。

わが国が捕鯨を行うことも然り。捕鯨でしか国民がタンパク源を得られない国ならとあれ我が国はそうではない。有限な海洋資源は本当にそれを日用の糧とせざるを得ない人々に優先されるべきであって、伝統技能や美食家の為にはない。

自由主義経済にあっても、食料自給は保護主義に当たらない。なぜなら、食料自給は国家の主権に関わるからである。その点は工業製品などと異なる。市場経済に徒に晒すことなく国家が保護し自給率を高めることは食料安全保障に期することでもある

将来、中国が買い漁り、日本が飢餓の輸出先にならないとも限らない。食料自給率を我々は次の国政選挙の争点とすべきだ

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「瑞穂国」や「豊葦原千五百秋水穂国」は古来より、この国に稲が豊かにみのりますようにとの祈りを込めた美称である。稲の収穫を祝い、豊穣を祈る宮中の新嘗祭に献上する献穀米はしたがって、各都道府県から選ばれた水田から収穫される。

「私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ・・(安倍晋三)」と変な言い回しをするあたり、近い将来、米まで市場開放する気だろう。それでもなおこの国に稲が豊かにみのることになるのか、「瑞穂国」であり続けることができるのか?何一つ説明できないこの人の頭の中は神世の昔と明治維新で藩閥が作り上げた民族観と資本主義がごちゃごちゃとなって、論理がめちゃくちゃである。つまり、自由な競争の結果は何一つ古来からの「瑞穂国」でなくなるのに、古来から受け継がれてきたDNAは同じだと言うのだから、自分でも何を言っているのかわからないのだろう。詭弁を弄するとはこのことだ。

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軍艦瑞穂が沈没した日の午後、昭和天皇は永野修身軍令部総長より奏上を受けた。天皇は「初めて大きな艦がやられたね」と述べたが、准士官以上7名、下士官兵94名が未収容/戦死した。同艦に三等整備兵曹として乗り組んでいたエッセイストの小林孝裕は、実数の戦死者は、報告のその三倍程度はあったと推測している(wikipediaより)。

<日本は戦力を放棄する。もう二度と戦争をしない、と書かれている。なぜこんなにやさしい言葉で、一人一人の人間に愛情を注げる憲法が生まれたのか。感動したというより、未知のものを見た驚きがありました。兵学校の2、3期上は戦地に赴き、無残に死んでいった。この憲法は、戦争で死んだ人たちの遺言に思えたのです>

俳優・鈴木瑞穂氏の言葉は重い(拙稿「憲法は戦死者の遺言(俳優 鈴木瑞穂氏)」)。この憲法は、戦争で死んだ人たちの遺言であると、人間宣言をした天皇も心したことだろう。

(おわり)

posted by ihagee at 18:25| 政治