2019年01月24日

東京・1962/1967年ごろ



古写真の続き(Kodachrome又はAnscochromeのスライド / 撮影者不明のオーファンワーク)。

スライドのマウントに1962年6月 / 1967年2月と日付があり、当時の日本が鮮明に残っていた。EPSON GT-X980でスキャンした(トリミング以外は無修正)。

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東京タワーからの展望。1967年2月とスライドにある。

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社会人になりたての頃、年末の親睦行事はタワーボールと付属のブフェが恒例だった。マイボールを持ってきた人もいた。

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一見、東京タワーのようにも見えるが、これはラジオ東京テレビ(現:TBS)の電波塔(高さ150m)。

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学生時代(1970年代)、TBSラジオの夜の番組はよく聴いた。ミッドナイトプレスクラブの大人の世界に憧れたものだ。シガーを咥えレッテラブラックのキーを人差し指で交互にパチパチと打つ大人の世界である。この時代のラジオ番組はどれも大人びて格好良い。SONY BCLジョッキーもコスミックで洒落てた。短波ラジオが欲しくてね。切手とベリカードで世界を知ったものだ。ネット社会の今となってまさに隔世の感だが、未知なるものへの興味や憧れはあの時代の方があった。


(ミッドナイトプレスクラブ 1978年3月18日)

そして、エミ子の長いつきあい。ラジオのパーソナリティの声に恋心を抱いたものだ。山野楽器(銀座)を訪れると「なんとなく」思い出す。今聴き返しても、なんて優しい声なんだろう。


(エミ子の長いつきあい 1978年1月12日)

そして、銀座

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ここは昔も今も変わらないが・・(拙稿『「五輪」という破壊(続き3)』)

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新幹線こだまのパーラーカー。1967年2月とスライドにある。

新幹線の匂いというのがあった。油とタバコの混ざり合ったようなえもいわれぬ独特な匂いである。大宮の鉄道博物館に展示されている0系新幹線車両に残り香がある。

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これは都内のどこかの運河らしい。1962年6月とスライドにある。東京オリンピック(1964)で都内の運河はあらかた埋められたり暗渠になった(拙稿「日本橋界隈」)。

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(おわり)


posted by ihagee at 03:35| 古写真

2019年01月22日

「いっせいに傾斜」する・われわれ



司馬遼太郎が生前著作<坂の上の雲>について映像化を固辞したのは、小説の世界を仮想であっても置き換えたりすると、我々日本人は「いっせいに(現実に)傾斜」する「おそろしい民族」であると見抜いていたからだ。

拙稿『佐貫亦男氏「発想のモザイク」から』で触れたように、この点は「(ゆえに)大股で踏み出」し「顛倒する」結果となった。過去の歴史の示す通りである。「顛倒しても」それが「ゲイン」というコインの表裏であり、戦争(武力紛争)なる表面が(敗戦を経て)経済成長という裏面となるかも知れない。しかしそれが国民にとって多大な不幸を伴うものであることはやはり歴史が証明するところである。多大な不幸を思えば踏みとどまるべきことも、国民の福利とは別の利があるかに「大股で踏み出」して止まない。そう企んでいるとしか思えないのが安倍政権である。

「線を引いてここからが自分の土地、向こうがあちらの国、その結果、奪い合いをしてどっちが得したとか損したとか、そのために兵をあげてどうするとか、そういうものに血気盛んになられても困るんです」という司馬氏の言葉など一字たりとて安倍政権は理解していないだろう。

佐貫氏はわれわれ日本人の特性を微分回路的発想パターンにあると理数的に分析した。この発想パターンの断ち切れない因果のうちの、結果を期待してその原因を創出しようとすることは、現安倍政権の向かう方向性と一致する。中国・韓国との政治的対話の中断、嫌中・嫌韓世論の醸成、憲法第9条の政治的解釈と集団的自衛権の限定的武力行使など、昨今の政治そしてその政治に与するマスコミは、まさにゲイン(出力にかける増幅度)を大きくすることによる不安定性を意図しているようにも映る

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『発想の原点が自己にないこと、時定数が小さいことは、ゲインの増幅の程度を国民一人一人が認識・判断できず、他者(為政者・集団意識・他国)にその度合いを渡してしまうことになる。まさに長いものに巻かれる・付和雷同である。そして歴史修正問題にみるように、微分回路的ゆえに、過去を簡単に断ち切り、時間を進ませる。そういう増幅を深く思慮することもなく為政者に許してしまうことになる。佐貫氏の言葉を借りると、「積分回路と微分回路は性格的に反対の傾向を持つ。すなわち、過去と未来、時間遅れと時間進みの差がある。」』(『発想のモザイク』から

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『スマートフォンを四六時中撫で回して<選択>に勤しむことで、人間はどんどん頭脳を使わなくなる。ピクトグラムにばかり反応するデジタル時代の文盲が増え、他者の意見に耳を傾けることもなく、複雑なことも二元論的に単純化して白黒と<選択>する社会から、法秩序の連続性すら簡単に断ち切る首相が生まれるのである。斟酌論考の軌跡のない出所不明の怪文書的政治に「この道しかない」と彼は言うが、<綴るという行為>を示さずにその先に道を見る事も究めることもできないのである。』(<綴るという行為>

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発想の原点が自己にないため、与えられたゲインの通り「いっせいに傾斜」する・われわれ。結果を期待してその原因を創出しようとするかに、ゲイン(出力にかける増幅度)を大きくすることによる不安定性を意図した政府の見解・マスコミの報道。「血気盛んになられても困るんです」とは正反対の世論の醸成。隣国への憎しみ・憎悪を徒らに煽って、優位観を見せびらかす着物を着込んで、それを心地よく思う人々は過去の時代(高度経済成長期〜バブル)の優位観に浸ったまま(又は憧れる)中高年・高齢者が多いという。<坂の上の雲>に著された前時代的レジームまで政治が明治百五十年などと習おうとするに至っては、アナクロニズムな復古主義の極地であろう。仮想は小説の中だけに留め決して現実化してはならないとその筆者が説いているにもかかわらず。

ピクトグラムにばかり反応するデジタル時代の文盲も増えた。皮膚感覚・条件反射的にポチッと<いいね>とクリックして済ませる<選択>にどんなに毎日励もうと真理に到達することはない。国交断絶・戦争・ガツンと一発喰らわせてやれ!に<いいね>と、やたら勇ましいが、その意味する先に到来する現実が判っていない。「日本って凄い・日本人って凄い」と自画自賛・夜郎自大に集団となって飾り立てるが、個に立ち帰れば「私(一人称)」で語れること(能力・実績)が少ない人々が増えている。

過去の成功体験に捕らわれたままの世代、ピクトグラムにばかり反応する社会、個に立ち帰れない人々に、呼応・相応するかに、安倍政権はオリンピックだ万博だと陳腐化したビジネスモデルを持ち込み、複雑な解もあっさりと二値化・単純化し、戦争世代が社会から消え去るのを待ち受けたかのように、その過去の時代を再現するかに個よりも国家の観念を尊ぶ風潮を作り上げる(家族主義の美風など)。

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『(安倍政権の家庭教育支援法案の)その背景には日本の復古的な家庭教育、そして「親学」がある。「親学」は、「家族が大事なんだ」という考え方でもある。私は個人主義だから個人が社会の単位だと思っていますが、しかし親学は“家族が社会の単位”という考え方です。個人であることよりも家族の一員、一族の一員であることが大事だという。この家族主義的考え方は、じつは、戦前の国体思想でもある。戦前の教育勅語で示されている考え方です。そして、そのベースには家父長制の家制度があった。そこでは親孝行こそ最大の美徳になる。家族なんだからという理屈ですべてを吸収してしまう。そして日本国は、大きな一つの家族だ。その本家の本家の総本家が天皇家で、辿れば天照大御神。すべての国民は天照大御神の子孫であり、天皇家の分家の分家の分家だ、みたいなね。こうして「孝」と「忠」が一本につながる。こういう家族国家観に基づく教育が安倍さんが進めたい道徳教育なんだろうと思います。』(前川喜平・前文科次官)

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だからか、憲法でも何でも複雑な問題ほど、過去から先人たちが積み上げた論考をバッサリと切り捨て、全く異なる次元のファクターを混ぜて二値的に単純化してしまう傾向が強い。そういう安直なショートカット(大股で踏み出す)をする際に決まって「未来志向」と言う。「未来志向」とは聞こえが良いが、つまりは過去の経緯を詳らかに調べ自ら考えぬく能力がこの政権にはない。北方領土問題も平和条約締結なる功名にはやるあまり、過去から先人たちが積み上げた論考をバッサリと切り捨て、勝手に単純化しようとしている。アベノミクスと経済施策にも自らの名を冠するように、その政治言行はおしなべて安倍晋三という人の異常なまでの功名心とセットになっている。そのアベノミクスも含めこの政権の経済施策はガラガラと音を立てて「顛倒」しつつある。

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「いっせいに傾斜」する・われわれ、ゆえに、「いっせいに傾斜」する世の中の気配に、一歩引いて自己の視点でものごとを考える必要がある、と私は思う。さもなければ、顛倒する。それが戦争となった歴史を振り返るべきである。

(おわり)

追記:
韓国海軍駆逐艦によるレーダー照射問題をめぐり日本側がレーダー情報の開示を求めた事を韓国国防省の報道官が「非常に無礼」と発言したことについて、「主権国家であるわが国に対し、責任ある韓国の人間が『無礼』などと言ったことは極めて不適切であり遺憾だ」と自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長が反論した。

河野統幕長については、訪米して米軍幹部に「安倍政権は安保法制を夏までに成立させる」と約束していたという前科がある(2015年9月、日本共産党の仁比聡平参院議員が国会で暴露した内部文書にその事実が記載されていた)。

そして、今般の発言である。おそらく確信犯であろう。制服組幹部が米軍幹部に政治的約束をしたり、公の場で他国の高官を批判することは、悉く、文民統制に逸脱し直ちに懲罰されるべき行為である。安倍政権に何かと与する河野統幕長であれば、件のレーダー照射問題も韓国艦船に無用に近づき挑発した結果(相手を刺激し照射させることを狙った)とも勘ぐりたくもなる。「いっせいに傾斜」する・われわれ、をその通り、制服組の幹部が焚きつけているとすれば極めて恐ろしいことだ。その傾斜を安倍政権が利用する図式ならば尚のことである。

戦前の日本で軍部が暴走し、政府がそれを抑えきれずに戦争に突き進んだ教訓から文民統制が生まれたが、河野幕僚長の発言は文民統制の趣旨から著しく逸脱している。これを許す政府・官邸も全く文民統制の機能不全である。否、軍部の暴走を許す戦前の国体政治に戻ろうとするのが本当のところなのだろう。ガバナンスがいたるところでガラガラと音を立てて崩れて、一体この国はどうなってしまうんだろうか?


posted by ihagee at 03:15| エッセイ

2019年01月19日

首相のロマンツェ






1992年に遺灰がワルシャワに持ち帰られ、レフ・ヴァウェンサ大統領とジョージ・H・W・ブッシュ米国大統領が列席する中、ワルシャワ聖ヨハネ聖堂の地下霊廟に埋葬された。ポーランドの初代首相(1919年1月-11月)、ポーランド亡命政府(1939年)の指導者となった、イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(Ignacy Jan Paderewski, 1860年11月18日 - 1941年6月29日)が半世紀ぶりに故国に帰った日であった。

偉大な政治家である上、彼はヒューマニストだった。夫婦で社会事業や寄附活動も行ない、貧しい農家の子女のために学校を開き、ナチスに占領された故国の解放のため、ポーランド回復基金を発足させ、財源確保のために何度か演奏活動を行なったのである。



( 映画 "Moonlight Sonata" (1937)で自作のメヌエットを弾くパデレフスキ)

そう、彼は一流の演奏家だった。


(ピアノ:アール・ワイルド)

そして、偉大な作曲家だった。このピアノ協奏曲の第二楽章(ロマンツェ)は実に美しい。この曲の楽譜をみた大作曲家サン=サーンスはこのロマンツェに痛く心を動かされたエピソードまである。

そして、名言を残した。
「一日練習を怠ると自分には分かる。二日怠ると批評家に分かる。三日怠ると聴衆に分かってしまう。」( “If I miss one day’s practice, I notice it. If I miss two days, the critics notice it. If I miss three days, the audience notices it.” )

自分に分かることだけでも練習を怠ることはできない。ひとを欺くことはおろか、自分も欺くことができない。

同じ首相であっても、ひとを欺くことに長け、何のタレントもなくただ血筋だけという人もいる。

(おわり)

posted by ihagee at 20:00| 音楽