2017年06月16日

「藪の中」考


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「藪の中」という言葉がある。たいてい「真相は藪の中」というように用いられる。

その意味は「関係者の認識の食い違いなどにより、物事の真実が明らかにならないでいること。これからも明らかになりそうにないというニュアンスを多分に含む。」(weblio辞書)

芥川龍之介の短編小説「藪の中」が語彙の元になっている。真相を捉えることが困難なこの作品の構造に芥川の別小説「羅生門」に描かれた時代性と人間の究極的秩序を組み合わせ描き出したのが黒澤明の映画作品(「羅生門」)。

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芥川の「藪の中」では殺人と強姦という事件をめぐって目撃者と当事者の証言が矛盾錯綜している。読者は真相さがしを命じられるが、一つの真相へまとめあげることが困難な作品の構造化がなされている。

芥川の「羅生門」では遺体の女から髪を引き抜いて髷を作って売ろうとしている老婆を見て正義の心から激しい怒りを感じた下人は刀を抜いて老婆に踊りかかるが、「生きるために仕方が無く行った悪だ。だから自分が髪を抜いたとて、この女は許すであろう」と老婆は自らの行いを説明する。老婆の話から下人は勇気を得て老婆を組み伏せて着物を剥ぎ取り「己(おれ)もそうしなければ、餓死をする体なのだ」と言う。ここで読者に与えられる真実とは正義でも善悪でもなく、人間の究極的秩序たる保身である。

芥川は善悪,正邪の判断といった社会通念への無自覚なもたれかかりを拒絶するかの如く読者を突き放し人間の究極的秩序に触れさせようとしている。それが保身でありエゴイズムである。そしてシニカルなまま作品が終わる。

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さて、黒澤明は「羅生門」の中で、芥川のような突き放し方をしつつも、捨て子拾いの結末を用意して「人を信じていくことができそうだ」登場人物の一人に言わせている。羅生門に巣食う鬼(人間の究極的秩序)を最後にそっと退治してみせた黒澤はやはりヒューマニズムの人なのだろう。ここで観客に与えられた真実とは「人を信じること」である。

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さて、古来より羅生門に鬼はつきもののようだ。

羅生門は平安京の正門(羅城門)で、大江山の鬼(酒呑童子)退治を源頼光らとした渡辺綱が取り逃がした鬼の腕を切り落とすのはその羅生門である(謡曲)。

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「必ず鬼が腕を取り返しにやって来るから、七日の間家に閉じこもり物忌みをし、その間は誰も家の中に入れないように」と頼光に忠告するなど、朝廷よりその鬼を払う役目を仰せつかりながら、その朝廷において精神的支配者の地位を確立した者がいた。陰陽師・安倍晴明である。

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晴明に始まって爾来安倍氏は朝廷内で宗教的な呪術・祭祀の色合いが濃い陰陽道の家として精神的支配者の地位を確立していったようだ。精神的支配者とは今流に言い換えると「カリスマ」のことだ。

カリスマとは、「預言者・呪術師・英雄などに見られる超自然的・または常人を超える資質のことを指す。(中略)宗教社会学においてカリスマは、人間の社会生活の中で例外的に世界の根底にある究極的秩序にふれているものとして、日常的秩序を支え、あるいは破壊し新たな秩序を創造する性格をもつとされる概念であり、非合理的である」(Wikipedia)

また、カリスマ的支配とは『「特定の人物の非日常的な能力に対する信仰」によって成立している支配で、その正当性は、カリスマ的な人物の「呪術力に対する信仰、あるいは啓示力や英雄性に対する崇拝」に基づく』ため、『善悪という価値判断からは自由な(「価値自由(Wertfreiheit)」な)概念』(マックス・ヴェーバー)とされている。

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陰陽道は幕末まで命脈を保ったが、その精神世界と独特な呪術や占術からなる技術体系及び呪術力を拠り所とする正当性は、明治政府の下では西欧近代科学導入の障害となる「迷信」とみなされ、以後急速に衰退し、その名残は手帳などに六曜(先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口)なる補助暦として記され、慶弔の目安として使われているだけである。

また、節分の豆まきは、季節の変り目に鬼(厄)を払うために平安京の昔、陰陽師が宮中で執り行っていた儀式=鬼遣(おにやらい)・追儺(ついな)の名残である。

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奈良桜井の古刹・安倍文殊院は安倍晴明が陰陽道の修行をした場所として知られており、その晴明を祀る安倍晴明堂に「第90代内閣総理大臣 安倍晋三」名義で石塔が寄進されている。安倍晋三氏は陰陽道の安倍晴明に始まる安倍氏と関わりがあるとされる。

晴明に始まって爾来安倍氏は朝廷内で宗教的な呪術・祭祀の色合いが濃い陰陽道の家として精神的支配者の地位を確立したが、そのカリスマ性を昭和の妖怪(岸信介)の血とともに引き継いだのが安倍首相かもしれない。「宿命の子」たる所以である。

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森友学園・加計学園問題における安倍首相は嘘も方便と堂々とし、関係者間の証言がどんなに矛盾錯綜しようとも、我々国民を突き放したまま国会を閉じようとしている。まさに芥川の「藪の中」であり、善悪といった社会通念上の価値基準に従う気配が全くないところは「羅生門」の下人そのものである。黒澤明が描いたような「人を信じること」など莫迦らしいし信じてもらわなくても結構と言いたげだ。その通り、籠池氏を切り捨て、前川氏の人格を貶めている。

「預言者・呪術師・英雄などに見られる超自然的・または常人を超える資質のことを指す」通り、我々常人とはまともに対話できない精神的世界から国政を行っているようだ。

そして、安倍昭恵夫人は、大麻の神秘性と有用性を訴え、「『日本を取り戻す』ことは『大麻を取り戻す』こと」と発言するなど、同じく常人とは異なる精神的世界からこの国を変えようとしている。(拙稿『安倍晋三首相・座右の銘「至誠」が意味するもの』)

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(神宮大麻)


さらに、この夫妻のバックボーンには「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く<森喜朗元首相の神の国発言>」を政治教義として共有し合う神道政治連盟国会議員懇談会が存在し、その会長が安倍晋三氏である。

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平安の昔、朝廷を精神的に支配した陰陽道が、今の世の中になってその末裔によって復活しこの国を支配しているなどとは都市伝説の範疇に留めておきたいが、天皇の地位まで自在に操るばかりか何があっても「真相は藪の中」の国政を目の当たりにすれば、もしかしたらと思わざるを得ない不可解さばかりである。

「もり・かけ」蕎麦は「やぶ」になる前「おろし」たい。

(おわり)



posted by ihagee at 18:15| 政治