2017年06月09日

<搦め手>好きの安倍首相



作家・内田百は左党でありながら大の饅頭好きだった。岡山の出ということもあり郷里の<大手饅頭>が大好物で、その作品(阿房列車)の中でも幼なじみからどっさり饅頭を渡されて「饅頭に圧し潰されそうだが、大手饅頭なら潰されてもいい」と書く程の気に入りようだった。

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江戸時代、岡山城大手門傍で売られていた饅頭に時の藩主池田斉敏公が「大手饅頭」と名付けたことが<大手饅頭>の名の由来だそうだ。大手門(別に追手門とも言う)は一般的に城の表口を指すとされ、有事の際に敵と正面から堂々と渡り合う場所でもある。<大手饅頭>は語呂もイメージ(大手筋といった大所の印象)も良い。<大手饅頭>は昔も今も岡山では銘菓の通り名である。

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夕涼みがてら、縁台で将棋に興ずる人々などもう殆ど見かけなくなったが、下手な将棋でも王手をかけるときに「王手は日野の万願寺」と言う倣いが東京にはあった。江戸っ子の昔からの語呂の良い符丁で時代劇や落語の中で今も耳にすることがあるかもしれない。

江戸の昔、日野の万願寺は甲州道の玉川(多摩川)を渡る渡し場にあって、西から江戸に攻め込む者があれば、その最後の要衝がこの橋のかかっていない渡し場で、ここを突破すれば江戸城(大手門)まで一日を経ずに攻め込むことができるとされた。「王手は日野の万願寺」は大手門と王手(追う手)を掛けた江戸っ子の洒落である。

戦と同様、将棋も正面から堂々と渡り合うことが王手・大手なのだろう。

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大手門が表口ならば、裏口が搦手門(からめてもん)で、こちらは有事の際に藩主がこっそり城外や外郭に逃れる為の小さく目立たない門である。搦手門は裏口ゆえに敵が注意を払わないので逃げるには好都合だが、もし敵がこの手から攻め込めば弱点になる場所でもある。弱点から派生して「搦め手から批判する」など、相手の裏側に手をまわして封じる意味にも使われる。捕りもの芝居で盗人を大勢で捕縛する人たちも<搦め手>と呼ぶが、四方八方から縄などをかけるなどして多勢で封じ込めることに由来しているのだろう。

<大手>と異なり<搦め手>はそのように良いイメージではないためか、<大手饅頭>の向こうを張って<搦手饅頭>なる菓子はない。また、将棋の世界では「ハメ手」など<搦め手>は評価されない。相撲の世界でも、体格に恵まれない小兵が格上相手に「猫騙し」といった<搦め手>を使って勝てばヤンヤだが、横綱が使おうものなら「横綱らしからぬ」と非難される。

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(横綱白鵬の猫騙し)


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しかし、使えば「らしからぬ」と非難される人々が、このごろは平気で<搦め手>を使うようになった。

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憲法第96条(憲法改正の手続きついて定める条項)を改正して改憲を推し進めようとした政治手法がその<搦め手>の始まり。その使い手は安倍晋三首相(第一次政権時)である。

この<搦め手>を「裏口入学」と非難したのは他ならぬ改憲の大手門を張っていた小林節慶大名誉教授だった。憲法第96条から改憲の扉を開けようとするは、裏側から手を回す卑怯と断じたわけである。搦手門から郭内に忍び込んで大手門を裏側から開けようとする姑息ということだ。

このときばかりは<搦め手>を「らしからぬ」と思ったのか安倍首相は諦めたものの、第二次政権になって再び<搦め手>を政治手法とし始めた。

集団的自衛権の行使容認を閣議決定するという正当な手続きを経ない憲法の政治解釈である。衆院憲法審査会で、参考人として呼んだ3人の有識者全員が集団的自衛権の行使容認について「違憲」を表明したが小林名誉教授もその一人である。大手門の三人衆は揃って「憲法泥棒」とこの<搦め手>を使う安倍首相を厳しく非難した(拙稿「説教泥棒・憲法泥棒」)。

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「裏口入学」「憲法泥棒」と大手どころから言われようと糠に釘、事々左様に安倍政権は<搦め手>を好む。

それは言葉尻にも顕れ、「まさに」「いわば」「印象操作」「レッテル貼り」「全く当たらない」など、どこで学んだのか日本語とは思えない符丁を駆使して世間を煙に巻き批判を一切受け付けず真正面から正々堂々議論をしない。経済政策も同様で、的も定かでないのに矢を次々と放ち一つも当たらないのに「この道しかない」と言う。国民に説明もなくなぜか道だけは先に決まっている。

政権の周囲、われわれの社会の隅々に<搦め手>を配置し彼らに縄を綯わせて捕り物をさせる。マスコミにも役所にも警察にも裁判所にもお笑い芸人にもネットの世界にも<搦め手>を潜ませて、幼稚園の園長、元中央官僚(前川氏)からジャーナリストの卵まで政権に対してハッキリと物申す者は、四方八方から縄をかけて押し潰す。潰されようとしている人たちは誰も実名・顔出しでプライバシーを公に晒されているのに、<搦め手>たちは背後から手をまわすから一人として表に出ない。

そして、新聞業界の最大手である読売新聞もあろうことか、その元中央官僚への人格攻撃を意図する記事を社会面にぶち抜きで掲載した。ゴシップを売りにするようではもはや大手ではいられまい。「らしからぬ」ことをした為に長年の購読者さえ呆れ返って離反しつつあるというが、当然のことだろう。

特定秘密保護法や現在審議中の共謀罪なども、国家による国民に対する<搦め手>である。「窮鼠猫を噛む」の諺の如く追い詰められればデモや集会や座り込みなど<搦め手>を使うのは本来一人一人弱い立場の国民であって、それで噛まれ縛られるは国家であるのに、その逆=<共謀罪>で鼠退治を企てようとしている。<搦め手>は強権独裁国家とその主導者たちにとっては今や常道なのだろう。安倍首相に限らず、トランプも北の首領様もエルドアンもウラジーミルもみんな<搦め手>の名手でありケミストリーも似たり寄ったり。彼らの「意向」や「圧力」が表沙汰にならないのも、<搦め手>たちの日頃の活躍あってのことのようだ。

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「王手は日野の万願寺」なる符丁は将棋とともに江戸っ子(庶民)のもの。そして王手をかけるのも国民であって国家ではない筈だ。そして国民が国家権力の暴走をチェックする(チェスの世界では「王手」は「チェック check」である)。

江戸城の大手門を庶民が王手に掛けている限り、天下の御政道は大手(「らしく」)でなければ江戸っ子の洒落にならない。「らしからぬ」姑息卑怯はしてはならない。僅かではあるが与党の中からも「らしく」の声が上がりつつあるようだが(石破茂氏とか)、・・・。与党代議士は、百閧ノ倣って大手饅頭を食らって<搦め手>から目を覚ましてもらいたい。

(おわり)

posted by ihagee at 18:23| 政治