2017年06月08日

「向こうは死に体でこっちは1番」とまた言って済むことなのか?



国連特別報告者への日本政府の攻撃、国連事務総長の見解の意図的歪曲に国際社会から「驚くべき対応」との声。

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(赤旗・6/7配信引用)

また、歴史学者の加藤陽子氏は、法案を巡る政府の(国連特別報告者への)強硬姿勢に驚き、歴史上のある重大事件を思い出したと話す。『1931年の満州事変後、リットン卿が国際連盟の委嘱で報告書を発表した「リットン調査団」。その時の抗議と似ています。』(朝日新聞DIGITAL・6/6配信引用)

「向こうは死に体でこっちは1番」と国際連盟を蹴って出たあの時の日本に似てきた。

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(国連での安倍総理大臣の演説風景・あまりの閑散ぶりに国内メディアは揃って不掲載)

『自民党の二階俊博幹事長は18日、自身が率いる二階派の例会で、日本が加盟国の中で2番目に多く分担金を拠出している国連の対応に不満をぶちまけた。二階氏は、国際会議出席のため12〜16日に訪問していた中国・北京で、国連のグテレス事務総長と会談した際のエピソードを披露した。二階氏は「国連に対し日本はちゃんとしたことをしているが、その割に国連から日本がどれほど感謝されているか、どれほど期待されているかは、前々から疑問に思っていた」と指摘。グテレス氏に対し「遠慮会釈なく言ってやった。そしたら、かなりこたえてね。(グテレス氏は)『われわれもそのことを感じている』と。そういうところまで追い込んでやった」と紹介した。』(産経ニュース・5/18配信引用)

こっちは2番」だと国連事務総長を「追い込んでやった」と勇ましい。

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時代をさかのぼると、「こっちは1番」だと国際連盟(当時)の席を蹴って出た日本全権がいた。

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国際連盟から派遣されたリットン調査団が昭和6年(1931)に発生した柳条湖事件について『国際連盟日支紛争調査委員会報告書』を翌年10月2日に公表した。報告書の中で、日本軍の行動が自衛権の範囲を逸脱したと断定した点、満洲国は地元住民の自発的な意志による独立とは言い難く、その存在自体が日本軍に支えられていると論じた点について、日本政府は受け入れがたいと反発したが、報告書は国際連盟に提出審議され、リットン報告書をもとに作成された「中日紛争に関する国際連盟特別総会報告書」の採択が討議され満州の法的帰属は争う余地なく中国にあり、日本がとった軍事行動は自衛の範囲を逸脱するものと結論付けた。

この総会報告書に対する同意確認の結果、賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(シャム=現タイ)、投票不参加1国(チリ)であり、国際連盟規約15条4項[3]および6項[4]についての条件が成立した。松岡洋右全権率いる日本はこれを不服としてその場で退場し、日本政府は3月8日に国際連盟からの脱退を決定(同27日連盟に通告)し、日本国内世論は拍手喝采をもって迎えた。

42対1は当時日本で流行語になり語呂合わせで「向こうは死に体でこっちは1番」とか松岡全権を「42対1の英雄」と称賛する声が日本国中から湧きあがったとされる。

自らの立場に利すると読んで、リットン調査団を招き入れたのは日本政府であったがその報告の内容が不利と判断するや反発の上、「向こうは死に体でこっちは1番」とばかりに国際連盟の椅子を蹴って脱退し、盧溝橋事件を発端に日中戦争に突入し、国際連盟加盟国による対日経済制裁が開始され、それはやがて石油全面禁輸措置(ABCD包囲網)となり太平洋戦争に突入し敗戦を迎える。その勇ましい言葉とは逆の立場に追い込まれていく。

松岡全権の時代の「こっちは1番」ならぬ、二階幹事長の「こっちは2番」なるぶちまけ方こそ、国連に対して「一体なにものなのか」という日本政府の日頃からの居丈高ぶりを表わしている。「追い込んでやった」と勇ましいが、「追い込まれていった」とならない保証は一つもない。

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「一体なにものなのか」と言わんばかりの国連特別報告者への居丈高は菅官房長官の記者会見でも顕著だった。

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国連プライバシー権に関する特別報告者であるジョセフ・ケナタッチ氏が、5月18日、日本の共謀罪法案について「法律の広範な適用範囲によって、プライバシーに関する権利と表現の自由への過度の制限につながる可能性がある」と懸念を表明する書簡を安倍総理宛てに送付し、国連人権理事会のウェブページで公表した。

菅官房長官は22日の記者会見で
『「特別報告者」という立場ですけども、個人の資格で人権状況の調査報告を行う立場であって、国連の立場を反映するものではない。直接説明する機会が得られることもなくですね、公開書簡の形で一方的に発出したんです。さらには当書簡の内容は明らかに不適切なものでありますので、外務省は、強く抗議を行ったということであります。』と激しく反発した。

書簡にある質問内容に誠意をもって答えることなく、国連特別報告者をあたかも「一体何者なのか」と扱ったわけである(「一体なにものなのか」は安倍政権の広報誌と化している産経新聞記事の扱いである)。

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“安倍晋三首相は27日午前(日本時間同日夜)、訪問先のイタリア南部シチリア島タオルミナでグテレス国連事務総長と会談し、国際組織犯罪防止条約の締結に向けた取り組みや、国会で審議中の「共謀罪」法案について説明した。日本政府の説明によると、グテレス氏は、法案に懸念の意を示す書簡を安倍首相に送った国連の特別報告者ジョセフ・カナタチ氏について、「個人の資格で活動しており、その主張は必ずしも国連の総意を反映するものではない」などと述べたという。(タオルミナ=内田晃)”(朝日新聞デジタル・5/28日配信引用)

“【タオルミナ(イタリア南部シチリア島)=杉本康士】安倍晋三首相は27日午前(日本時間27日夜)、タオルミナ市内で国連のグテレス事務総長と会談し、慰安婦問題に関する日韓合意について日韓双方が履行することの重要性を強調した。グテレス氏は合意に「賛意」と「歓迎」を表明した。”(産経ニュース・5/27日配信引用)


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これらの記事は国連事務総長の言葉を以て、日本政府(安倍首相・菅官房長官)の立場を補強する内容であるが、朝日新聞の記事は「日本政府の説明によると」という伝聞であり、記者が会談の場に同席取材した結果ではない。産経ニュースでは取材源すら不明。何となく変だと思っていたら、案の定、同会談の「日本政府の説明」=日本発表と、事後の国連の事務総長報道官の発表の内容が食い違っていることが判明し、自らの立場に利するように国連事務総長との会談の結果を脚色して国内メディアに政府が伝えていた可能性が取り沙汰されている。「日本政府の説明」を裏付ける外電(外国メディアの報道)は今のところ存在しない。

ドゥジャリク事務総長報道官の発表の内容は以下の通り(国際連合事務局サイト):

28 May 2017
Note to Correspondents: In response to questions on the meeting between the Secretary-General and Prime Minister Abe of Japan
In response to questions received on the meeting between the Secretary-General and Prime Minister Abe of Japan, the Spokesman had the following to say:

During their meeting in Sicily, the Secretary-General and Prime Minister Abe did discuss the issue of so-called “comfort women”. The Secretary-General agreed that this is a matter to be solved by an agreement between Japan and the Republic of Korea. The Secretary-General did not pronounce himself on the content of a specific agreement but on the principle that it is up to the two countries to define the nature and the content of the solution for this issue.

Regarding the report of Special Rapporteurs, the Secretary-General told the Prime Minister that Special Rapporteurs are experts that are independent and report directly to the Human Rights Council.

「グテレス事務総長と安倍首相とのシシリーでの会談において、所謂「従軍慰安婦」問題が討議され、事務総長は日韓二カ国間での合意によって解決されるべき問題であることに同意したものの、特定の合意内容について言及せず、この問題の解決の性質と内容を決めるのは、二国次第である旨の原則について述べた。

特別報告者は、独立して人権理事会に直接報告する専門家であることを事務総長は安倍首相に伝えた。」(During以下を私訳)

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即ち、グテレス事務総長は従軍慰安婦について二国間で解決されるべき問題という原則論を述べただけで、産経が伝えるような発言(「日韓合意について日韓双方が履行することの重要性」)は認められない。また、ジョセフ・ケナタッチ氏を含む国連の特別報告者についても、22日に菅官房長官が述べた「個人の資格で活動しており、その主張は必ずしも国連の立場(→総意)を反映するものではない」と全く同様の言葉を事務総長は発していないことが判る。

「日韓合意について日韓双方が履行することの重要性」「個人の資格で活動しており、その主張は必ずしも国連の立場を反映するものではない」はいずれも安倍首相・菅官房長官の言葉そのものであり、事務総長が同じ言葉を会談の席で発したとの報道に、奇異な印象を受けたが、事務総長の口を借りた日本政府側の二人羽織だった可能性が高い。

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「人権に関する特別報告者」について、国連広報センターのウエブサイトには以下説明がある。

『人権に関する特別報告者と作業部会は人権擁護の最前線に立つ。人権侵害を調査し、「特別手続き」に従って個々のケースや緊急事態に介入する。人権専門家は独立している。個人の資格で務め、任期は最高6年であるが、報酬は受けない。そうした専門家の数は年々増えている。2013年4月現在、36件のテーマ別、13件の国別の特別手続きの任務があった。人権理事会と国連総会へ宛てた報告書を作成するに当たって、これらの専門家は個人からの苦情やNGOからの情報も含め、信頼にたるあらゆる情報を利用する。また、最高のレベルで政府に仲裁を求める「緊急行動手続き」を実施する。多くの調査は現地で行われる。当局と被害者の双方に会い、現場での証拠を集める。報告は公表され、それによって人権侵害が広く報じられ、かつ人権擁護に対する政府の責任が強調されることになる。これらの専門家は、特定の国における人権状況や世界的な人権侵害について調査し、監視し、公表する。』

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菅官房長官の『「特別報告者」という立場ですけども、個人の資格で人権状況の調査報告を行う立場であって、国連の立場を反映するものではない』との発言を照らすと、
「個人の資格で」は、政府や組織から独立(経済的・政治的)して任務に就くことを意味するもので、人権委員会の指示を受けずに中立した立場で活動していることを示している。従って、その活動そのものが国連の立場を反映する筈もないし、総意である筈もない。しかし、国連の人権理事会から任命された任務は、特定の国における人権状況や世界的な人権侵害について調査し、監視し、公表することにあるので、その活動が国連の任務であることに変わりはない。その活動を日本政府は軽んじて良い筈はない。菅官房長官の「何か背景があるのでは」とあたかもその中立性を疑う(陰謀めいた)発言は、特別報告者の立場と任務への侮辱でしかない。

ケナタッチ氏が安倍総理宛てに送付した、日本の共謀罪法案についての懸念と質問事項を「一体なにものなのか」と非難し放置したまま国会で法案を成立させれば、同氏がどのような報告書を人権理事会に提出することになるかは、同じく、その活動段階で日本政府側から「一体なにものなのか」と扱われた別の国連の特別報告者デービッド・ケイ氏のその後の活動から知ることができる。

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『日本における「表現の自由」の現状について、国連特別報告者のデービッド・ケイ氏(米カリフォルニア大法学部教授)が日本政府に提出した報告書原案の概要が明らかになった。「政府・与党による報道関係者への圧力」などに懸念を示す内容だ。24日午前の自民党国際情報検討委員会で、外務省が明らかにした。報告書は6月6日からスイス・ジュネーブで始まる国連人権理事会にあわせて公表される。概要によると、ケイ氏は報道の独立性を確保する観点から、政府・与党による報道関係者への圧力に懸念を示し、政治的公平などを定めた放送法4条の撤廃を要求。慰安婦問題を含む歴史教育について、元朝日新聞記者の植村隆氏への権利侵害や「教科用図書検定調査審議会」への政府の影響を指摘した。』(朝日新聞デジタル・5/24配信引用)

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国連人権理事会にあわせて公表される報告書は明らかに国際社会との懸念の共有にある。そうなれば、菅官房長官が「個人の資格で」とか「国連の立場を反映するものではない」と軽視できる場面ではなくなる。

1948年の「世界人権宣言」採択宣言に始まる国連による人権の国際的保護活動は、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」を求めるものであって、この宣言の後に国際連合で結ばれた人権条約の基礎となっており、世界の人権に関する規律の中でもっとも基本的な意義を有する。同宣言第30条では「この宣言のいかなる規定も、いずれかの国、集団又は個人に対して、この宣言に掲げる権利及び自由の破壊を目的とする活動に従事し、又はそのような目的を有する行為を行う権利を認めるものと解釈してはならない。」と定める。わが国は1952年に発効したサンフランシスコ講和条約の前文で世界人権宣言の実現に向けた努力を宣言している。

人権の保護に努力をすべき日本国(政府)がその努力どころか、破壊を目的とする方向に進んでも、松岡全権ではないが、それでも「向こうは死に体でこっちは1番」と気取っていられるのであろうかそれでも、二階幹事長のように「こっちは2番」だと国連事務総長を「追い込んでやった」と威張っていられるのであろうか

わが国が人権や表現の自由に於いて、国際社会から孤立する道を選択することこそ国際社会の中でわが国が追い込まれ「死に体」となることである。

歴史の忠実なる再現者たる安倍政権がこの国を再び「死に体」にする日は近いかもしれない。

(おわり)



posted by ihagee at 02:29| 政治

2017年06月04日

上に立つべき者はいずれか(安倍首相と前川氏)〜忖度の意味の違い



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<忖度>する国に<共謀罪>とは笑止千万」でも触れたように、我々日本人は、「実際に言葉として表現された内容よりも言葉にされていないのに相手に理解される(理解したと思われる)内容のほうが豊かな伝達方式」(高文脈文化)の社会にどっぷりと浸かって生きている。<忖度>とはその中のコミュニケーション手段である。

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<忖度>の語源は何だろうか?

古代中国の「詩経」の一節にその意味が由来しているようだ。
奕奕寢廟、君子作之。
秩秩大猷、聖人莫之。
他人有心、予忖度之。
躍躍毚兔、遇犬獲之。

南方熊楠は「十二支考・羊に関する民俗と伝説」の中で以下のように触れている(要約)。

生贄にする牛が慄(おのの)く姿は忍びないから、殺されても鳴かない羊を代わりとするように斉王が命じたが、王は高価な牛を惜しんで廉価な羊に代えたに違いないと百姓たちは噂し合った。孟子は王に「あなたは牛をご覧になって、羊はいまだ見ておられない」からだと弁護すると、王は「詩経に、他人有心、予忖度之=他人心あり、私はこれを忖度する、とあるが、その通りで、私は自分でやっておきながら何の訳ともわからなかった。」と言った。羊は牛ほど死を懼れぬ位の事は人々は幼い時から余りに知っていて、かえってその由の即答が王の心に浮かばなかったということである。

つまり<忖度>とは、行いの訳が他人の心にあればそれを私=王は、忖(お)し度(はか)るべき、即ち、上に立つ者ほど、下々の心が行いの訳になっていなくてはならない(下々の気持ちを推しはかるべき)という意味である。

中国語は日本語よりも余程客観的な言語なので、コミュニケーションも我々よりも言葉を多く要する。その昔、科挙(高級官吏)に要求された能力は膨大な漢字の習得を含み全て言葉に依存していたのも頷ける。ゆえに忖(お)し度(はか)る先の心も客観的に誰もが認識できるような事となる(「羊は牛ほど死を懼れぬ位の事は人々は幼い時から余りに知っている」)。それ位の事は王たる者は知って行動すべしということだ。

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<忖度>なる言葉がわが国に移入され、元々の意味とは正反対の、目下の者が目上の言葉なき命令を読み取って先回りして行動するという、わが国特有のコミュニケーション手段となったことは興味深い。

二人以上の合意がなければいわゆる森友学園・加計学園問題は存在しない。誰が誰の指図で動いたのか未だ曖昧のままであるが、その決定過程で安倍首相が関係者に<忖度を要求する>圧力を加えていたという証言が相次いでいる。安倍首相は地元自治体や担当大臣が客観的に判断したことであって、<忖度>などなく自身一切関与していないと言う。

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森友学園問題で安倍首相は
「私や家内がバックにいれば役所が何でも言うことを聞くなら、(山口県)長門市は私の地元で予算(要望は)全部通るはずだが通ってませんよ。行政の判断を侮辱する発言はやめてほしい」と言う。(文春オンライン・3/18配信引用)

加計学園問題で安倍首相は、
『「私の意向かどうかは、確かめようと思えば確かめられる。次官であれば『どうなんですか』と大臣と一緒に私のところに来ればいい」』と言う。(時事ドットコムニュース・6/1配信引用)

「理事長が友人だから、私が政策に影響を与えたんじゃないかというのは、まさに印象操作だ」(ニッポン放送・6/1番組中)

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「(首相たる)私や家内がバックにいれば」だけで命令は自ずと目下の者に発動されるし、目上の者に一々言葉を確かめる必要もなく、「どうなんですか」も不要な高文脈文化に役人たちはいる。不要と言うよりも、高度な用件ほど緘口を要求されるし、一々官邸に出向いて言質を取るような役人は内閣人事局から睨まれて昇進できないだろう。中央官僚にとって、内閣人事局が<忖度>の梃子の役割を果たしていることなど、首相も役人たちも重々理解している筈である。また「理事長が友人だから」こそ、その友人とは然るべく距離を置くべきところを、ゴルフや食事で頻繁に饗応する関係を続けているのだからそのような印象を発信しているのは世間ではなく安倍首相本人に他ならない。ゆえに、安倍首相のこれらの発言は一つとして意味を為していない。

内閣人事局なる<忖度>の梃子を官僚の「アンダーコントロール」に用いているにも拘わらず、森友・加計学園問題については<忖度>は働いていないと安倍首相は言いたいようだ。そして「私が指示したというなら証拠を示せ」と、欧米の低文脈文化圏の理屈を繰り出してくる。証拠を必要としない<忖度>を普段使っておきながら、<忖度>があるのなら証拠を出せとは、高低の文脈文化の違いを体よく使い分けているに過ぎない。

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斉王の時代の元々の意味での<忖度>:「他人有心、予忖度之」を正しく理解する者ならば、日頃の自らの行いが下々の者の目に誤って映って(おかしな印象にならないように)身を厳しく律し「私や家内がバック」にならないよう公務以外の事には関わらないようにするだろう。また、「私の意向」であれば必ず文書を以てその旨を下々に伝えて曖昧がないように努め、文書になっていない「私の意向」なるものは一切考慮しないように訓示することだろう。

これらを安倍首相に照らしてみると、
その一つとして、安倍首相は全く果たしていない。

日頃の自らの公私混同の振る舞いを棚に上げて、下々の目の映り方の方が悪い(「印象操作だ」)と言い逃れるようでは、つまり、上に立つ者としての心得すらないということだ。

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<忖度>のそもそもの意味、上に立つ者ほど、下々の心が行いの訳になっていなくてはならない(下々の気持ちを推しはかるべき)を理解している人こそ、上に立つべき人である。

これを前川喜平前文科省事務次官に照らしてみると、
上に立つ者の心得があるのは、前川氏であることがわかる。

菅官房長官が前川氏に対する人格攻撃に用いている<出会い系バー通い>については、その事実は前川氏が説明した通り「貧困女性の実地調査だった」であったことが同バーで30回以上会った女性の証言から明らかになっている。


(9分55秒辺りまで)

そればかりか、教育現場に直接足を運ぶことも厭わなかったようだ(以下一例)。

『埼玉の夜間中学運動31周年を記念した集会が29日、JR川口駅東口にある複合施設「キュポ・ラ」で開かれ、文部科学省の事務方トップとして集会に初参加した前川喜平事務次官が「(夜間中学は)教育の場で重要な役割を果たしてきた」と評価し、文科省として公立夜間中学設置を推進する考えを示した。』(毎日新聞埼玉版・2016/10/31配信引用)

本来ならば居丈高に威張りくさっても当然の事務次官の立場にあって、むしろ驕り昂ぶることなく人当りの優しい気さくな人との人物評ばかりが聞こえてくる。社会の底辺の人々に対する気持ちの寄せ方は政治家すら及ばないと教育関係者からの人望は篤い。

教育の裾野を広げようと日々格闘する姿は、「地方から上京して都内及び周辺の大学へ通う学生達のための寮」を作った祖父譲り筋金入りの信条があるからだろう(『「私の尊敬する人」〜前川喜作氏について〜平成20年11月・中曽根弘文』)。

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「この頃一般に、入社試験にまで母親がついてくるとか、結婚しても親離れしない息子、過保護で子離れできない母親の悲劇などが問題になっている。いかにも濃密な親子関係のように言われるが、実はお互い、自分が大事で、自分のために相手が要る、甘やかし、狎れあっているだけのことなのだ。人間として相手を尊敬し、認めているとは私には思えない。」(岡本太郎)

「宿命の子」などと還暦過ぎても母親に公言させるばかりか、その交友関係も結局は「自分が大事で、自分のために相手が要る、甘やかし、狎れあっているだけ」だけという安倍首相と、「人間として相手を尊敬し、認め」ることに情熱を傾ける前川氏のいずれが、上に立つべき者に相応しいかは、<忖度>の意味の違いからはっきり見えてくる。

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安倍首相と昵懇のジャーナリストからレイプにあったまま、見えざる大きな力によってその犯罪が揉み消されてしまった女性が公に顔を曝してまで必死の訴えをしている(「私は魂を殺された」)。かたや、<出会い系バー通い>で最も多く前川氏と会った女性は、今は会社勤めをして、社会の底辺から「前川さんに救われた」と今回「救ってくれた恩人」のピンチに居ても立っても居られず真実を証言したそうだ。

魂を殺された者と救われた者、圧殺しようとする者と救い出そうとする者。何たるコントラストだろう。これは、上に立つべきでない者と立つべき者の違いでもある。

(おわり)

posted by ihagee at 18:13| 政治

フジフォト Fuji PHOTO(その1)



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ヤフーのオークションで昨日、Fuji PHOTOなる小冊子を10点ほど手に入れることができた(第11〜19号と43号)。

富士写真フィルム株式会社がスポンサーの当時最大の写真団体<フジフォトフレンドサークル>が40万人近くの会員対象に昭和20年代から30年代に亘って発行した機関紙がこの<Fuji PHOTO・フジフォト>のようだ。第43号を以って休刊となった。手元にあるその第43号に休刊の理由はこう記されている。

「かえりみますと過去8年間、フジフォトフレンドサークルも、フジフォト誌の配布、撮影会の開催、写真教室、例会における作品の審査等、着々とその活動を続けてまいりましたが、この間、時代の趨勢にともない、写真ご愛好家のご要望も本会設立当初と非常に異なるものとなってまいりました。この期に際し、新時代のみなさまがた写真ご愛好家にマッチした新しい企図のもとにいろいろな角度から新しい活動を展開する要ありと考え、いちおう本誌は本号(43号)をもちまして休刊とさせていただきたいと存じます。」

第11号(昭和28年11月)ではマミヤシックスやアイレスフレックスといった中判カメラによる写真が掲載されているが、第43号(昭和34年12月)では電気露出計付1/1000秒シャッターのフジカ35SEの広告が新時代の到来を予告している。「初心者でも最初の一枚から適正露光で美しい写真が撮影できます。」と謳っているように、写真愛好家の裾野が初心者にまで広がりつつある時代だったようだ。

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写真というものが撮影一つ学ぶことから始まり、愛好家はお互いに集って情報を交換し作例を批評し合った時代の熱気がこれらの冊子から伝わってくる。

私が入手した冊子の一部には「岡谷市中央通り三丁目 坂西カメラ店」とスタンプが捺してある。ネットで同店を検索すると2005年に店舗(住所は岡谷市本町4丁目)二階のフリースペースで天体写真展を同店協賛で開催された旨の記事があった。その際の店舗の写真も掲載されているが、グーグルマップでは現在同じ場所は外観はそのままでクリーニング店になっていた。使い捨てカメラや小型軽量のコンパクトカメラ、そしてデジタルカメラと写真が消費される媒体となる経過のどこかで廃業されたのかもしれない。この辺りは、拙稿「新宿・カメラ成光堂」にも書いた。

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これら10冊に掲載された写真のいくつかを記事の寸評とともに本ブログでも継続的に取り上げてみたい。

今回は第11号(昭和28年11月1日発行):

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”アサヒグラフに掲載された「温室村」という風景がある。この写真は1年前に私の頭の中に浮かんだイメージと、まったく同じ風景を写真で創りあげることができたことでも愉快であった。各処で見受けられる白い温室のフレームをどのようにしたら写真で表現出来るだろうかということを考えてから、結局フレームの内部から光線を当てることが硝子張りの温室を1番美しく写せることに気がつき、農林省で温室の数が或る程度密集している場所を調べてもらい、いよいよ全国で1番数の多い静岡県磐田郡豊浜村の現地を視察したのは今年の2月であった・・。”(吉岡専造氏)

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同氏が撮影に用いたスピードグラフィック(通称「スピグラ」) エクタ125mmは米国グラフレックス社製造の4x5を中心にした大型カメラ。吉岡氏は朝日新聞社の写真記者ゆえに、仕事道具は使い慣れたスピグラということなのだろう。吉田茂のポートレートを数々撮ったことでも知られる。「写真嫌い」の異名を持っていた吉田から「辛抱づよくチャンスを狙ってよい写真を撮る吉岡君の人柄に魅せられ」たと語らせたという話もあるが、この温室の写真も一週間現地で粘るものの月出の関係で撮影は断念帰京したが、その一週間に各温室を一つづつ廻って歩くに要する時間や温室内の閃光電球の数や光線の角度などを調べ上げ、一月後の満月の夜にようやく撮影を果たしたというから、その辛抱強い人柄はこの一枚の背景からも窺い知れる。

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ところで、写真を撮影した豊浜村はその後の市町村合併で現在は福田町(ふくでちょう)となっている。撮影当時、日本随一の温室密集地と農林省が吉岡氏に紹介したとある。

同地の伊藤孝作という人が半農半漁のこの村に温室での温床栽培を大正6年に始めて、路地栽培では冬期になると品薄で値段が高騰するキュウリを栽培し東京に出荷することで村の経済を潤したようだ。当初は油障子によるフレームで温室を作っていたが、硝子張りの温室に切り替え次第に温室経営者が増えて数年後には豊浜はキュウリの村と称されるまでになったそうだ。この辺りの話は『発見!いわた 「磐田の著名人」伊藤孝作』に詳しい。

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2枚目の写真は月例批評で1等として取り上げられたもの。題名の「名餉の頃」の「餉」は「げ」と読む。意味は干飯(炊いたご飯を乾燥させたもの)から転じて家族揃って食事をすること。永谷園の味噌汁の「あさげ・ゆうげ」もここから由来している。寸評には「夕食のおかずを買って帰る母子」とあるから、題名の「名餉」は誤植で正しくは「夕餉(ゆうげ)」なのかもしれない。

右手奥に「産婦人科 吉良醫院」と看板がある。その昔、通りの四角の病院の立て看板はどこもこんな感じだったのを思い出した。

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最後はアサヒグラフの表紙写真を数多く撮ったことで知られる狩野優氏の一枚。裸婦や屋外人物撮影のポーズと構図について著作もある写真家のようだ。背景はぼんやりとしているが都心だろうか。やがて、東京オリンピックに向けて槌音が響き渡ることになる(拙稿『「五輪」という破壊』)。

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冊子と関係ないが、時代を語る写真を一枚:

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(昭和34年頃。父撮影 / 遠望に建設中の新橋第一ホテルが見える。父はその建築設計に携わった。)

(つづく)


posted by ihagee at 13:08| 古写真