2017年06月14日

Exakta RTL1000 - 虫眼鏡(単玉)レンズ(その21)


先週末にかけて(6月10日〜12日)自宅(朝霞)近くの黒目川のポピー畑と富士見の難波田城公園の蓮池を中心に撮影した。今回は黒目川のポピー畑の撮影結果(その1)。

フィルム撮影には、Exakta RTL1000+Fujicolor 100(36枚撮用)+虫眼鏡レンズ を用いたが、レンズは前回と同様、分解したテレスコープから頂戴した内筒をレンズと鏡筒の間に仕込む。球面収差のあるレンズの中央部分だけを使って多少収差を抑えることを期待してのことである。ExaktaのTTL露出計の針は晴天下 ISO100でシャッタースピード1/500から1/1000を適正値と示している。

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以下、フィルムでの撮影結果。スキャナーはEPSON GT-X980を用い最小限のトリミング以外デジタル処理は施していない。

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PLフィルターも用いたので紫外線域の青みは取れて色のバランスは良くなった。
盛りを過ぎたポピー畑は雨風で花茎が一様に倒れていたが、ファインダーから覗くとその荒みも一つの風情に見えるから不思議だ。

薔薇を逆光で撮影。

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次回はレンズの細工を除いて同じ黒目川での撮影結果を報告したい。

(おわり)


posted by ihagee at 03:14| Exakta

2017年06月09日

<搦め手>好きの安倍首相



作家・内田百は左党でありながら大の饅頭好きだった。岡山の出ということもあり郷里の<大手饅頭>が大好物で、その作品(阿房列車)の中でも幼なじみからどっさり饅頭を渡されて「饅頭に圧し潰されそうだが、大手饅頭なら潰されてもいい」と書く程の気に入りようだった。

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江戸時代、岡山城大手門傍で売られていた饅頭に時の藩主池田斉敏公が「大手饅頭」と名付けたことが<大手饅頭>の名の由来だそうだ。大手門(別に追手門とも言う)は一般的に城の表口を指すとされ、有事の際に敵と正面から堂々と渡り合う場所でもある。<大手饅頭>は語呂もイメージ(大手筋といった大所の印象)も良い。<大手饅頭>は昔も今も岡山では銘菓の通り名である。

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夕涼みがてら、縁台で将棋に興ずる人々などもう殆ど見かけなくなったが、下手な将棋でも王手をかけるときに「王手は日野の万願寺」と言う倣いが東京にはあった。江戸っ子の昔からの語呂の良い符丁で時代劇や落語の中で今も耳にすることがあるかもしれない。

江戸の昔、日野の万願寺は甲州道の玉川(多摩川)を渡る渡し場にあって、西から江戸に攻め込む者があれば、その最後の要衝がこの橋のかかっていない渡し場で、ここを突破すれば江戸城(大手門)まで一日を経ずに攻め込むことができるとされた。「王手は日野の万願寺」は大手門と王手(追う手)を掛けた江戸っ子の洒落である。

戦と同様、将棋も正面から堂々と渡り合うことが王手・大手なのだろう。

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大手門が表口ならば、裏口が搦手門(からめてもん)で、こちらは有事の際に藩主がこっそり城外や外郭に逃れる為の小さく目立たない門である。搦手門は裏口ゆえに敵が注意を払わないので逃げるには好都合だが、もし敵がこの手から攻め込めば弱点になる場所でもある。弱点から派生して「搦め手から批判する」など、相手の裏側に手をまわして封じる意味にも使われる。捕りもの芝居で盗人を大勢で捕縛する人たちも<搦め手>と呼ぶが、四方八方から縄などをかけるなどして多勢で封じ込めることに由来しているのだろう。

<大手>と異なり<搦め手>はそのように良いイメージではないためか、<大手饅頭>の向こうを張って<搦手饅頭>なる菓子はない。また、将棋の世界では「ハメ手」など<搦め手>は評価されない。相撲の世界でも、体格に恵まれない小兵が格上相手に「猫騙し」といった<搦め手>を使って勝てばヤンヤだが、横綱が使おうものなら「横綱らしからぬ」と非難される。

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(横綱白鵬の猫騙し)


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しかし、使えば「らしからぬ」と非難される人々が、このごろは平気で<搦め手>を使うようになった。

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憲法第96条(憲法改正の手続きついて定める条項)を改正して改憲を推し進めようとした政治手法がその<搦め手>の始まり。その使い手は安倍晋三首相(第一次政権時)である。

この<搦め手>を「裏口入学」と非難したのは他ならぬ改憲の大手門を張っていた小林節慶大名誉教授だった。憲法第96条から改憲の扉を開けようとするは、裏側から手を回す卑怯と断じたわけである。搦手門から郭内に忍び込んで大手門を裏側から開けようとする姑息ということだ。

このときばかりは<搦め手>を「らしからぬ」と思ったのか安倍首相は諦めたものの、第二次政権になって再び<搦め手>を政治手法とし始めた。

集団的自衛権の行使容認を閣議決定するという正当な手続きを経ない憲法の政治解釈である。衆院憲法審査会で、参考人として呼んだ3人の有識者全員が集団的自衛権の行使容認について「違憲」を表明したが小林名誉教授もその一人である。大手門の三人衆は揃って「憲法泥棒」とこの<搦め手>を使う安倍首相を厳しく非難した(拙稿「説教泥棒・憲法泥棒」)。

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「裏口入学」「憲法泥棒」と大手どころから言われようと糠に釘、事々左様に安倍政権は<搦め手>を好む。

それは言葉尻にも顕れ、「まさに」「いわば」「印象操作」「レッテル貼り」「全く当たらない」など、どこで学んだのか日本語とは思えない符丁を駆使して世間を煙に巻き批判を一切受け付けず真正面から正々堂々議論をしない。経済政策も同様で、的も定かでないのに矢を次々と放ち一つも当たらないのに「この道しかない」と言う。国民に説明もなくなぜか道だけは先に決まっている。

政権の周囲、われわれの社会の隅々に<搦め手>を配置し彼らに縄を綯わせて捕り物をさせる。マスコミにも役所にも警察にも裁判所にもお笑い芸人にもネットの世界にも<搦め手>を潜ませて、幼稚園の園長、元中央官僚(前川氏)からジャーナリストの卵まで政権に対してハッキリと物申す者は、四方八方から縄をかけて押し潰す。潰されようとしている人たちは誰も実名・顔出しでプライバシーを公に晒されているのに、<搦め手>たちは背後から手をまわすから一人として表に出ない。

そして、新聞業界の最大手である読売新聞もあろうことか、その元中央官僚への人格攻撃を意図する記事を社会面にぶち抜きで掲載した。ゴシップを売りにするようではもはや大手ではいられまい。「らしからぬ」ことをした為に長年の購読者さえ呆れ返って離反しつつあるというが、当然のことだろう。

特定秘密保護法や現在審議中の共謀罪なども、国家による国民に対する<搦め手>である。「窮鼠猫を噛む」の諺の如く追い詰められればデモや集会や座り込みなど<搦め手>を使うのは本来一人一人弱い立場の国民であって、それで噛まれ縛られるは国家であるのに、その逆=<共謀罪>で鼠退治を企てようとしている。<搦め手>は強権独裁国家とその主導者たちにとっては今や常道なのだろう。安倍首相に限らず、トランプも北の首領様もエルドアンもウラジーミルもみんな<搦め手>の名手でありケミストリーも似たり寄ったり。彼らの「意向」や「圧力」が表沙汰にならないのも、<搦め手>たちの日頃の活躍あってのことのようだ。

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「王手は日野の万願寺」なる符丁は将棋とともに江戸っ子(庶民)のもの。そして王手をかけるのも国民であって国家ではない筈だ。そして国民が国家権力の暴走をチェックする(チェスの世界では「王手」は「チェック check」である)。

江戸城の大手門を庶民が王手に掛けている限り、天下の御政道は大手(「らしく」)でなければ江戸っ子の洒落にならない。「らしからぬ」姑息卑怯はしてはならない。僅かではあるが与党の中からも「らしく」の声が上がりつつあるようだが(石破茂氏とか)、・・・。与党代議士は、百閧ノ倣って大手饅頭を食らって<搦め手>から目を覚ましてもらいたい。

(おわり)

posted by ihagee at 18:23| 政治

2017年06月08日

「自由に反する恥ずべき考え方」=「美しい国(安倍首相)」



アベノミクスは国家社会主義か(山田厚史氏)」、やっぱりそう考える人がいた。

「精神的自由も経済的自由も全て国家(と一握りのお友だち的支配階層)に収奪搾取される(以下詳述)」、国家主義を安倍政権は本気で望んでいる。

憲法改正で天皇陛下を元首に据えようとする動きは、「天祖に対する国民の至誠」を求めた戦前の国家主義への回帰であり、その「至誠」を座右の銘にするは安倍晋三首相。そして、「『日本を取り戻す』ことは『大麻を取り戻す』こと」=「大麻=神宮大麻」=「神国」即ち、国家至上主義を理想と言って憚らない安倍昭恵夫人、この夫妻と取り巻きによる国家の私物化だろう。個人なる絶対的存在も自由なる世界もそこにはない。安倍政権の「自由に反する恥ずべき考え方」で日本は国際社会から孤立することだろう(国連の人権理事会を敵視するようではもう孤立は始まっているのかもしれない)。

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<共謀罪の趣旨を含む>組織犯罪処罰法改正案。

政府は2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けたテロ対策として、共謀罪の趣旨を含む組織犯罪処罰法改正案を成立させ、国際組織犯罪防止条約(TOC条約)を締結しなければならないと主張している。おそらく、国会では与党が数に物を言わせて近日中に法案は成立するだろう。

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この「共謀罪」法案をめぐり、懸念はすでに国際社会でも共有されている。

各国が立法作業をする際の指針とする国連の「立法ガイド」を執筆した刑事司法学者のニコス・パッサス氏は、TOC条約については「組織的犯罪集団による金銭的な利益を目的とした国際犯罪が対象」で、「テロは対象から除外されている」と指摘し、さらに「条約はプライバシーの侵害につながるような捜査手法の導入を求めていない」と述べている(東京新聞Web・6/5配信)。

プライバシーの権利に対する十分な保護もないこの法案を成立することを何ら正当化するものではありません」と国連特別報告者、ジョセフ・ケナタッチ氏が安倍首相宛に書簡を送りその内容は、国連のサイトでもその内容が公開されている。

さらに、国連特別報告者デービッド・ケイ氏は「プライバシーをどうやって守るのかということは憲法の権利でもあるから、どう守るかということを考えなければいけない。表現の自由の核になるのがプライバシーだから、これはわれわれの人生全てに関わってくることだが、私の見方からすると、プライバシーがなければ、個人的な情報の自由ということがなければ、口を開くのもいやになるでしょうし、いろいろなところにいってサーチをしよう、ブラウジングしようということもやりたくないというふうになるかもしれない。どのような民主社会においてもそのことは意識をしないといけない。この問題というのは共謀罪にも関わってくるのかもしれないが、それよりは一般的な問題だろうと思う。万人が焦点を当てて懸念を持たなければいけない問題だと思う」(産経新聞・6/2配信)。

そして、『国際ペンは、いわゆる「共謀罪」という法律を制定しようという日本政府の意図を厳しい目で注視している。 同法が成立すれば、日本における表現の自由とプライバシーの権利を脅かすものとなるであろう。私たちは、日本国民の基本的な自由を深く侵害することとなる立法に反対するよう、国会に対し強く求める。(2017年6月5日・国際ペン会長 ジェニファー・クレメント)』(日本ペンクラブ・サイト)

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「プライバシーの侵害につながるような捜査手法の導入」(ニコス・パッサス氏)、「プライバシーの権利に対する十分な保護もない」(ジョセフ・ケナタッチ氏)、「プライバシーをどうやって守るのかということは憲法の権利でもあるから、どう守るかということを考えなければいけない」(デービッド・ケイ氏)、「同法が成立すれば、日本における表現の自由とプライバシーの権利を脅かすものとなるであろう」(ジェニファー・クレメント氏)・・と誰も異口同音に<共謀罪の趣旨を含む>組織犯罪処罰法改正案が成立施行されれば、個人の「プライバシー」が国家によって合法的に侵害される虞を述べている。しかし、日本政府はこれら懸念に一つとして答えようとしていない。

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国会での政府の説明を聞いていると、2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けたテロ対策は、地震や津波といった自然災害と同様に未然防止(危機管理の意味)が必要と繰り返している。防災と同じ「安全安心」の為なら<共謀罪の趣旨を含む>組織犯罪処罰法改正案も仕方なしと容認するような世論を醸成している。これはとんでもない間違った説明である。

先だっても文化放送「伊東四朗・吉田照美 親父熱愛(パッション)」(毎土曜日午後3時〜5時)の番組中で、伊東氏が「テロを防ぐためなら共謀罪法案には賛成、政治体制が昔と違うから治安維持法みたいなことにはならないんじゃないか」などと、大反対する吉田照美氏を尻目に懸けていた。伊東氏のようにテレビと新聞にしか情報源を求めない老人世代にとっては、防災と同じ感覚で共謀罪法案を理解しているのだろう。それらが積極的に伝えない国際社会からのプライバシーに関わる懸念は知る由もないのかもしれない。

自然災害への備え(危機管理)で対象となるのは客観的な事象の把握であってその範囲は明確であり、個人のプライバシー(内心の自由)が含まれることはない。他方、テロ対策で把握しようとする対象は、それが犯罪の準備行為が行われる前の2人以上の合意、即ち、個人のプライバシー(内心の自由)に他ならない。備えは備えでも対象が全く異なる。

事実、法務省の林真琴刑事局長は5月12日の衆院法務委員会で「準備行為が行われる前でも任意捜査は許される」との見解を示し、合意だけでも捜査可能であることが明らかになった。個人のプライバシーにまで捜査を可能にし、犯罪の定義を根本から変えようとするのが<共謀罪の趣旨を含む>組織犯罪処罰法改正案である。

自然災害への備え(危機管理)と同じという説明は、プライバシーに対する万人の疑念を稀薄化させるための詭弁に他ならない。

組織犯罪処罰法改正案(正式名称「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案」)は、「共謀罪の趣旨を含む」や「テロ等準備罪」を冠して呼ばれたりしているが、「テロ」とあるように、その処罰対象となる犯罪類型には「テロ」とは全く関係のない罪が数多く含まれている(拙稿「<共謀罪の趣旨を含む>組織犯罪処罰法改正案と知的財産権侵害」で述べた通り)。テロ行為に限らず、社会一般の行為にまで網を張るものである。

「組織的犯罪集団」や「準備行為」の法的概念が甚だ不明確な上に、「遂行を2人以上で計画した者」を処罰するという法案の本質は、通信傍受や監視カメラ等を利用した捜査手法の拡大やそれに伴う捜査権の濫用の虞、市民の表現・通信・集会・結社の自由などを萎縮させる虞を招くものであるが、それらの虞に対する十分な保護がないことはケナタッチ氏の指摘の通りである。「テロ」の「等」に含まれる罪や「遂行を2人以上で計画した者」としての「組織的犯罪集団」に<一般市民>も対象となり得ることは、衆院法務委員会での参考人質疑に於いてもまた、法律の専門家からも強く指摘されていることである。

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ここへきて、米中央情報局(CIA)のエドワード・スノーデン元職員が重要な証言をしている。

共同通信とのインタビューの内容は以下の通り。スノーデン氏の証言は彼がCIAから持ち出した文書を元にしており、その文書自体、米政府は本物であることを認めている。従って、「事実」に基づく証言であり極めて衝撃的である。

『米国家安全保障局(NSA)による大規模な個人情報収集を告発し、ロシアに亡命中の米中央情報局(CIA)のエドワード・スノーデン元職員(33)が一日までにモスクワで共同通信と単独会見した。元職員は持ち出して暴露した文書は全て「本物」と述べ、NSAが極秘の情報監視システムを日本側に供与していたことを強調した。日本政府が個人のメールや通話などの大量監視を行える状態にあることを指摘する証言。元職員は、参院で審議中の「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案が、個人情報の大規模収集を公認することになると警鐘を鳴らした。元職員によると、NSAは「XKEYSCORE(エックスキースコア)」と呼ばれるメールや通話などの大規模監視システムを日本側に供与。同システムは、国内だけでなく世界中のほぼ全ての通信情報を収集できる。米ネットメディア「インターセプト」は四月、元職員の暴露文書として、日本に供与した「エックスキースコア」を使って、NSA要員が日本での訓練実施を上層部に求めた2013年4月8日付の文書を公開した。元職員は共謀罪について「日本における(一般人も対象とする)大量監視の始まり。日本にこれまで存在していなかった監視文化が日常のものになる」と指摘。法案に懸念を表明した国連特別報告者に「同意する」と述べた。』(東京新聞web・6/2配信引用)

『−日本の共謀罪法案については。
「(法案に)懸念を表明した国連特別報告者に同意する。法案がなぜ必要なのか、明確な根拠が示されていない。新たな監視方法を公認することになる」
「大量監視の始まりであり、日本にこれまで存在していなかった監視文化が日常のものになる」
−大量監視は何をもたらすか。
「『あなたに何も隠すものがないなら、何も恐れることはない』とも言われるが、これはナチス・ドイツのプロパガンダが起源だ。プライバシーとは『隠すため』のものではない。開かれ、人々が多様でいられ、自分の考えを持つことができる社会を守ることだ。かつて自由と呼ばれていたものがプライバシーだ」
隠すことは何もないからプライバシーなどどうでもいいと言うのは『言論の自由はどうでもいい、なぜなら何も言いたいことがないから』と言うのと同じだ。反社会的で、自由に反する恥ずべき考え方だ
−大量監視で国家と市民の関係は変わるか。
「民主主義において、国家と市民は本来一体であるべきだ。だが、監視社会は政府と一般人との力関係を、支配者と家臣のような関係に近づける。これは危険だ」
「(対テロ戦争後に成立した)愛国者法の説明で、米政府は現在の日本政府と同じことを言った。『これは一般人を対象にしていない。テロリストを見つけ出すためだ』と。だが法成立後、米政府はこの愛国者法を米国内だけでなく世界中の通話記録収集などに活用した」
−テロ対策に情報収集は不可欠との声もある。
「十年間続いた大量監視は、一件のテロも予防できなかったとする米国の独立委員会の報告書もある」』(東京新聞web・6/2配信引用)

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スノーデン氏の証言から判ることは、すでにNSAから日本側に供与されている情報監視システムを用いた個人情報の大規模収集の合法化のために、「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案が必要ということである。その先には国家による一般市民への監視社会が到来することに彼は警鐘を鳴らしているのだ。

「政府と一般人との力関係を、支配者と家臣のような関係に近づける」については、まさしくその通り符号するかの如く、自民党憲法改正草案では、「個人として尊重される(現行憲法第13条)」を「人として尊重される(改正草案第13条)」と改めることによって、国民は「絶対的に尊重される」から国家との関係で「相対的に尊重される」としている(拙稿『「個人」か「人」か(憲法第13条)』)。

憲法によって本来縛られるべきが「国家」であり「国家権力」であるのに、その憲法を改悪して、「国家」「国家権力」が「個人」の生存する権利を縛るという大転回(革命)を意味する。これが「支配者と家臣のような関係」なのだろう。「国家=国体・政体」という<国家主義的>図式を、安倍政権は志向しその為の装置(エックスキースコア)をNSAから供与され、合法的にその装置を用いて監視社会を具体化するために、法律(組織犯罪処罰法改正案)及び上述のような憲法改正を行おうとしているのが実体ではないのか?

拙稿「豚の独裁者(オーウェルの動物農場)」でも述べたが、自民党改正憲法草案上では、個人が絶対的に存在せず、国家との相対でしか(さらに個人ではなく人としてしか)存在を認めようとしない、何が「公益及び公の秩序」であるかは国家が決め、国民はそれに従うべきとの国家主義観が見え隠れする。

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「隠すことは何もないからプライバシーなどどうでもいいと言うのは『言論の自由はどうでもいい、なぜなら何も言いたいことがないから』と言うのと同じだ。反社会的で、自由に反する恥ずべき考え方だ」(スノーデン氏)

この「自由に反する恥ずべき考え方」を「天祖に対する国民の至誠」と賞揚し体現したのが、戦前の国家主義であったことを忘れてはならない。その「至誠」を座右の銘としているのが安倍晋三首相であり、その夫人は「『日本を取り戻す』ことは『大麻を取り戻す』こと」と言って憚らない(拙稿『安倍晋三首相・座右の銘「至誠」が意味するもの』)。「大麻」とは神道の神札(大麻)に象徴化された「神国」即ち、国家至上主義である。「何も言いたいことがないから」と我々が口をつぐみ、精神的自由も経済的自由も全て国家(と一握りのお友だち的支配階層)に収奪搾取されて、オーウェルの動物農場のように我々一般市民が畜群になる国こそ、安倍首相の目指す「美しい国」であって良い筈がない。その将来の「何も言いたいことがない」畜群を養成するモデル校が塚本幼稚園や瑞穂の国小学校(安倍晋三記念小学校)であったし、畜群から経済的自由を奪い国家と一握りのお友だち的支配階層が占有する安倍首相流国家戦略特区が今治の加計学園であろう。そう眺めてみればジツに判りやすい。

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国際NGO「国境なき記者団」の世界の報道自由度ランキング(調査対象の180カ国・地域のうち)でわが国は民主党政権下(2010年)の11位から、安倍政権下(2016年)72位と落ち続けている。G7では52位のイタリアよりも下に位置する。72位の周辺には独裁政権国家、軍事政権国家、民族紛争や内戦の絶えない諸国が集まっており、かつては自由の先進国だったわが国の凋落ぶりは国際社会でも驚きを以て受け止められている。

「国境なき記者団」をいかなる団体か知らないと言ったり、国連人権理事会に任命された特別報告者たちに感情的に反感を示す日本政府(いずれも菅官房長官)の異常さは日々その程度を増している。

「日本政府の意図を厳しい目で注視している」(ジェニファー・クレメント氏)、「自由に反する恥ずべき考え方」(スノーデン氏)などと言われ、国連人権理事会から任命された特別報告者たちによって調査対象とされるような国を一体誰が望んだであろうか?それが「美しい国(安倍首相)」であるのなら願い下げだ。美しい国である筈がない。

(おわり)
posted by ihagee at 18:32| 政治