2016年11月28日

産経新聞の狂気


産経新聞 11月28日電子版「靖国参拝は自立への一歩 米中韓の顔色をうかがう政治はもうたくさんだ(大野敏明)」は以下綴る。

「首相をはじめ閣僚が靖国神社を参拝すると、中国も韓国も、そして野党も「歴史を反省していない」「戦争を美化する」などと猛烈な批判を行う。だが、この批判は当を得ていない。そのことは安倍首相も稲田防衛相もよくご存じのはずだ。にもかかわらず参拝をしないのは、中国や韓国との関係悪化を懸念し、国内の反対派を勢いづかせることになると危惧してのことだろう。だが、中国や韓国との関係はこれ以上悪くならないところまできている。靖国神社参拝をやめたからといって、関係が好転するような状況ではない。悪化の原因は日本にあるのではない。あちら側にあるのだ。国民はそれをよく知っている。政権を揺さぶりたい一部野党はともかくとして、まともな日本人は、閣僚が参拝したからといって、日本が軍国主義になるなどとは思っていない。かつて、出征する将兵に「戦死したら靖国神社に祀(まつ)られ、天皇も首相も参拝する」という「黙契」があったればこそ、彼らは戦地に赴き、戦死者の遺族は天皇以下国民がこぞって参拝することで癒やされてきたのである。その黙契を一方的に破るのであれば、戦死者への裏切りであるし、国民は政府を信用しなくなり、国家、国民のために犠牲になろうという精神を放棄することになるだろう。これは敗戦によって価値観が変化したこととは別の次元で論じられることである。・・・」

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「おもてなし」とかで海外からの観光客が増えた。寺社仏閣を訪れる人々も多い。そんな中で「靖国神社の神様は?」と問われて、「軍人です」と答えると欧米からの観光客は一様に驚く。ロシアの人は「レーニン廟みたいなもんかね?」と言う。畏怖・信仰の対象が軍人なのである。いや、神になったのだから軍神なのである。平和主義国家と言いつつ軍神を裏で崇める。先進諸国にそんな国はない。ロシアですらレーニンは埋葬すべきだとの世論が今や大半になった。死者まで神に仕立てて、七生報国とばかりに政治的に使う。その社に首相が仕え行動原理がそこにある限り、神がかったこの国の底気味の悪さは、ある種神がかった首相と同じく、やはり国際社会では共有されないのである。

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<父の手記>
殴ったことを忘れても、殴られたことは忘れないのが人間」

最も民族差別をしたのは日本から来た軍人でした。私が中学の低学年であった時、目の前で馬車に乗ってきた将校が、料金を払わずに馬車から下りました。中国人である車夫は馬車から遠ざかる将校の肩に手を掛けて、料金を払えと迫りました。件の将校は振り向くと「貴様は帝国軍人を侮辱する気か」といきなり日本刀を引き抜いて、袈裟がけに車夫に斬りつけました。車夫の頚動脈からは血が吹き出て、そのまま倒れました。将校は悠然と倒れている車夫の着物で刀を拭き、何事も無かったように立ち去りました。私は悔しさと、恥ずかしい気持ちで、体が震え、涙を止めることが出来ませんでした。これは平時、首都である新京の町の真ん中で起こったことです。勿論このことは新聞の何処にも出ませんでした。その将校が、車夫には家に妻や子供がいることなど、想像すら出来なかったのでしょう。彼には中国人が人間ではなく、犬や猫に見えていたに違いありません。

このような事を考えても、残留孤児を大事に育てた中国人に感謝しなければなりません。

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その薄気味悪さを産経新聞はいやというぐらいに味わせてくれる。「黙契」があれば、帝国軍人は中国人を犬か猫のように斬り捨てても、彼らを神に祀りあげるが靖国なのである。車夫の帰りを待つ家族がどんなに悲しんだか、「殴ったことは忘れても殴られたことは忘れないのが人間」である。そのような理不尽な差別が日常茶飯事・常態化していたからこそ「勿論このことは新聞の何処にも出ませんでした。」であって、南京事件(『南京事件・兵士たちの遺言』)が虚構であると今も言い続けることは、未だに「黙契」に誠実な産経新聞のこの記者を含め我々日本人の一部が言葉で中国の人々をなぶり殺しているに等しい。民族差別と殺人の限りをつくした者も戦死すれば神に祀り上げる靖国とその精神を讃える者が、その殴られた者の心情をどんなに傷つけてきたか。それでも「殴られる方が悪い」と産経は言いたいのか?

産経記事中の「癒やされてきた」「戦死者への裏切り」・・それこそ「もうたくさんだ」。「殴ったことを忘れる」者の言い分だからだ。「殴られた者」の側に一度たりとて立ったことがない。相手の痛みを寸分も想像できない。軍人には「戦死=英霊」という名誉を与え祀り上げ、その軍人に殺された中国民衆は犬猫であるかに忘却する。もしこれを肯定し立場を逆にすれば、ヒロシマ・ナガサキについて米国人に「落とされる方が悪い」と言わせることになる。原爆死没者慰霊碑に花を手向けるオバマ大統領には「今まで欠けていたピース」などと書くのも産経である。佐貫亦男氏は著書「発想のモザイク」の中で、「北京大学で私が、かつてアメリカで学んだ若い(中国人の)教授に、「日本人はアメリカ兵に占領されて占領の意味を知った」と述べると、教授は即座に反発した。「アメリカ兵による占領と日本兵による占領が比較できると思いますか?」私は赤面した。」と綴っている。「オバマ大統領には「今まで欠けていたピース」と美しく言葉を添え、「日本兵による占領=殴ったこと」は都合よく忘れ「殴られた」立場でしかないと装う。本来ならば「赤面」すべきことである。

「靖国参拝」という一方的な忘却を続けているようでは、独英のような<和解>の道に至らない。そんな差別主義に産経の記事は満ちている。

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<父の手記>

私の義理の兄は東北帝大を卒業すると、満州国の官吏を養成する大同学院を卒業して、官吏になりました。幾つかの部署を経て、協和会の仕事をするようになりました。協和会は五族協和を実践すること、中国人の衛生思想の普及、学校教育、義務教育の充実と、当時、中国人の間で常習することの多かった阿片吸引の風習を、撲滅することが大きな仕事でした。そのため、中国系、韓国系の人たちの不満を聞くため、よく家内の実家である私の家に、これらの人たちを連れてきて、殆ど毎夜、酒を飲みながら相談にのっておりました。多分、外では話のし難いことがあったのでしょう。終戦の前に協和会の奉天支部長を勤めておりましたので、ソ連が侵攻してくると、早速逮捕され政治犯としてシベリアに八年も抑留されました。彼は帰国後、大阪で司法書士の事務所を開き、相談にきた在日韓国人や部落の人たちからは、一銭も金を取らなかったため、それが評判になり、姉の教師としての収入で、かろうじて生活するような有り様でした。数年ほど前に亡くなりましたが、岸信介が、熱河省で大量に阿片を栽培させて中国に売り、それを政治資金に使っていたことを知ったら、さぞ悔しがったことでしょう。

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熱河省で大量に阿片を栽培させて中国に売り、中国人を廃人にして儲けたカネで出世栄達した男を祖父に持ちその祖父をこの上もなく崇める者がこの国の総理大臣である。人間の情が少しでもあるなら、祖父の罪滅ぼしこそすれ、その逆にさらに今になってもその傷口に塩を擦り込んでまで、それでも「殴られる方が悪い」と産経は言いたいのか?狂気でしかない。

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忘れ難き歳月」という冊子は、日中国交樹立に関わった両国の政治家の決意が綴られている。岸信介・佐藤栄作については日中関係改善に極めて否定的な立場でしか綴られていない。そして「先の大戦に関して将来世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない(安倍総理大臣)」の言葉は、周恩来首相(当時)の言葉がその基であることが判る(同書73頁〜74頁)。安倍総理はこともあろうか日中和平を絶対前提として賠償請求権を放棄した上に唇を噛み締めながらも周首相が述べた「殴られた者」からの赦しの言葉主客を逆さに解釈し韓国との従軍慰安婦問題で勝手に流用し、さらに「靖国」に代表される嫌中の前提で用いたことまで、この冊子に照らすとわかる(第一次安倍政権で日中関係改善に努力しておきながら、変心したかの如く第二次・第三次安倍政権は中国との間に緊張関係を作ることに全精力をつぎ込むあたりも含めて)。

日中和平・友好を誓うがゆえに「殴られた者」が我々に与えた言葉、そして「殴った者」からは決して出ようもない言葉を、全てその逆に用いているのが、岸・佐藤という系譜にある安倍総理大臣である。因果を悪意に取り違えここまで相手の顔に泥を塗っておきながら、どうして「悪化の原因は日本にあるのではない。あちら側にあるのだ。」などと産経の記者は書くのだろうか?

<和解>の道筋をつけた先人たちの労苦を無にするのは、産経新聞のこのような記事であり「殴られた者」の言葉さえ盗むこの国の政治である。靖国参拝という<「癒やし」を自らにひたすら与える自慰行為>である。

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<三波春夫のことば>

「ソ連軍の圧倒的な攻撃を受けて、それは死にものぐるいでした。忘れもしません、わたくしの投げた手りゅう弾がソ連兵を倒して、その兵隊が「ママ、ママ」と叫んだのを・・・その声はだんだんか細くなってとうとうこと切れました。その直後、味方の若い兵隊が同じようにやられて、「おっかさん、痛いよ、痛いよう」と泣きつづけるんです。(サンデー毎日・昭和39年8月16日号)」

「戦争のときには僕らは祖国を守る。これは大義名分ですね。ただ死ぬときは個人に返っています。死ぬときは、個人に返ってこと切れるわけで、そのときには「お母さん」です。「天皇陛下」と言った人もいなければ、「お父さん」と言った人もいない。やっぱりお母さんなんですね。ロシアの兵隊も「ママ、ママ」と言って死んでいきました。(三波春夫・永六輔「言わねばならぬっ!」)」

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「死ぬときは個人に返っています」。しかし、産経も安倍政権も決して個人に返さない。母親の元に返さない。靖国に招魂し大義名分を死んでも彼らに要求する。戦死者の霊を母親の元に返すこともせず七生報国とばかりに奉って靖国に縛り付け、政治に利用し尽くす。これこそ「戦死者への裏切り」に他ならない。冒涜である。「もうたくさんだ・個人に返してくれ・母さんの元に返してくれ」こそ戦死者の叫びとなぜ聞かない。

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資料(出典:kouyouchinbutai):

「南京事件はお恥ずかしい限りです。私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。せっかく皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまった。ところが、このあとで皆が笑った。ある師団長の如きは『当たり前ですよ』とさえ言った。」(南京攻略軍総司令官・松井石根大将)

「軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪たえず」「「婦人方面(注:強姦の事)、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり。」(陸軍省人事局長・阿南少将)

「派遣軍第一線は給養困難を名として俘虜の多くはこれを殺すの悪弊あり。南京攻略時において約四、五万に上がる大殺戮、市民にたいする掠奪強姦多数ありしことは事実なるがごとし。」(第11軍司令官・岡村寧次中将)

「戦場から残虐行為の写真を家郷に送付する者少なからず、没収すでに数百枚。」(中村陸軍省軍務局長)

「俘虜続々投降し来たり数千に達す。激昂せる兵は上官の制止を聞かばこそ、片はしより殺戮する。」(第十六師団 歩兵第30旅団長・佐々木到一少将)

「十一時江藤君来訪、北支及上海方面の視察談を聞く、主なる責任者の談を交へて研究せり。従って同君の意見は相当に権威あるものと言わざるべからず。之によれば一言にして言わば軍紀・風紀頽廃し、、、強盗、強姦、掠奪、聞くに忍びざるものありたり。」(真崎甚三郎大将)

「日本軍は事変の出だしから隠れもないあの南京虐殺事件は論外としても、残念ながら略奪、放火、殺人、強姦など、あらゆる悪行のし放題と言ってよい。」(澄田中将)

「二、三日前捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出して機関銃をもって射殺す。その後銃剣にて思う存分突き刺す。ウーン、ウーンとうめく支那兵の声、年寄りも子供もいる。一人残らず殺す。刀を借りて首も切ってみた。」(山田支隊山砲兵第19連隊第3大隊黒須忠信上等兵)

「今日もまた罪もないニーヤ(中国人をバカにした言葉)を突き倒したり打ったりして半殺しにしたのを壕の中に入れて頭から火をつけてなぶり殺しにする。退屈まぎれに皆おもしろがってやるのだが、まるで犬や猫を殺すくらいのものだ。」(都城第23連隊兵士の日記)

「我が柳川兵団は@民家を発見したら全部焼却する事。A老若男女を問わずシナ人を見たら殺せ、という命令を受けた。」(第十軍国崎支隊歩兵第十四連隊の宮下光盛一等兵)

「銃剣で刺すなんて生易しいものではなく、棍棒でぶっ殺す。男も女も区別はなかった。バクッと叩くと血がぶあーっと噴き出してね。蘇州の女というのがまたきれいでね。兵隊は手当たり次第に強姦して、やったあとは殺していたな」「川沿いに女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から崑山まで道端に延々とそういう死体がころがっていた。」(日本陸軍第十軍嘱託カメラマン河野公輝)

「一九四三年一月、私は支那派遣軍参謀に補せられ南京の総司令部に赴任しました。そして一年間在勤しましたが、その間に私は日本軍の残虐行為を知らされました。ここではごくわずかしか例をあげられませんが、それはまさに氷山の一角に過ぎないものとお考えください、、、」(三笠宮)

(おわり)
posted by ihagee at 20:59| 政治

2016年11月27日

Carl Zeiss Jena Pancolar 50mm f2.0の作例 その2



ゼブラのグリッド柄のCarl Zeiss Jena Pancolar 50mm f2。製造年度は1966年頃。

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(Exakta VX1000 & Carl Zeiss Jena Pancolar 2/50)

その先祖は1930年代に登場しZeiss Contaxや Kine Exakta, Night-Exaktaでも用いられていた6枚レンズ群Biotarである。第二次大戦の戦禍を免れたレンズストックがかなりあったようで、1946年に早くもそれらレンズを用いたBiotarが復活している。Meyer Görlitz Primo 58mm f1.9のような明るいガウス型が市場の要求となると、Biotar 75mm f1.5を元にZeiss Jenaは1950年代後半にPancolar 50mm f2を登場させた。当初はFlektogonの銘であったようだ。私の所有するレンズは自動絞り機構を持ったf2の後期型である。なお、Carl Zeiss Jenaとの銘のない、Pancolar 2/50、Exaktar 2/50が存在するがこれらの殆どがCosina(韓国製)のレプリカで1970年代に主に米国のExaktaショップの量販品として売られたようだ。米国EbayでPancolarを物色するとこれらレプリカも混ざっているので注意されたい。

さて、Carl Zeiss Jena Pancolar 50mm f2は開放で50mmまで寄れるので使い勝手が良い。以下作例を上げる。カメラはExakta VX1000、フィルムはFujicolor 100で2015年4月21日の撮影である(場所:自宅)。ネガフィルムからのスキャンにはEPSON GT-9700Fを用いた(このスキャナーでのフィルムスキャンは性能的にピントが甘くなるので、手持ちのGT-X980で再スキャンしたいところだが・・後述)。被写体はペットのセキセイインコ(ピーちゃん)。10年前に三鷹の小鳥店で800円で買ったオスのインコ。目も鮮やかな青色のインコを買おうとしたら、ご店主が有無も言わさずにカゴの中に群れていた幼鳥の中からさっとこのインコを掴んで「これにしなさい」と勧めた。つがいにしたら喋らないので、一羽で買うようにとも言われた。

目利きの通りとても丈夫でいろんな言葉を覚えて今も喋る。桃太郎はさすがにいい加減な話になってきたが。800円だったのはその小鳥店が店じまいをする為だったと後で知った。病気で羽が抜けて売り物にならないインコも店の奥で大切に飼われていたから、きっと店じまいしても売れ残った小鳥たちは大切に飼われたことだと思う。

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GT-9700FとGT-X980のスキャン画像(ネガフィルム)の比較。GT-X980では全く画像が別物と言えるほどピントが改善される。(ともに無修正)。ピントの甘さはカメラの操作ばかりでなく、フィルムスキャナーの精度にも関わっていると知る。

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(EPSON GT-9700F, Fujicolor 100, Carl Zeiss Jena Flektogon 2.8/35, Exaka RTL 1000)

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(EPSON GT-X980, Fujicolor 100, Carl Zeiss Jena Flektogon 2.8/35, Exaka RTL 1000)

(おわり)
posted by ihagee at 18:41| Carl Zeiss

2016年11月25日

東京ゼロメートル(昭和34年)


「オリンピック東京に来る(サンデー毎日・昭和34年6月7日増大号)」

「200億円への挑戦・第18回オリンピック東京開催決定とともに動きだしたものは本来の競技をどうするかということより何より、そのことだった。・・・東京は、ひどい言葉をつかえば、江戸300年の残がいが、いまだに基本となっているだけに道路の整備は大変な仕事になる。」

そのオリンピックに向けた槌音が始まる前の「江戸300年の残がい」が至るところに残る東京の原風景。運河と6,000余の橋が水の都を形作っていた頃。江戸川・葛飾・江東・墨田・足立・荒川の六区は海抜ゼロメートル以下で庶民は水辺すれすれに住んでいた。気取りがなくて、親身で・・・というのが、この一帯の人たちであった。泥まみれのアヒルが一緒にいて湿地帯特有の風物をつくっていた。

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(おわり)
posted by ihagee at 20:55| 古写真