2016年09月29日

「反博の塔(岡本太郎)」

『安倍政権が、2025年の国際博覧会(万博)の大阪誘致に向け、立候補の調整に入ったことが分かった。20年の東京五輪後の景気浮揚策として有効と判断した。来春にも博覧会国際事務局(BIE、本部パリ)に立候補を届け出る方向だ。(中略)安倍晋三首相は28日の衆院本会議での代表質問で「万博は開催地のみならず、我が国を訪れる観光客が増大し、地域経済活性化の起爆剤となる」と答弁。(毎日新聞電子版 9月28日報)』

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大阪万博といえば、日本が高度経済成長期の只中にあった1970年のあの万博である。当時、子どもだった私も父母に連れられてアメリカ館の<月の石>やソ連邦館の宇宙船など、いくつものパビリオンを見物した。外国人というものをまとめて見たのもあの時が初めてだった。その記憶は鮮やかに残っている。千里丘陵の万博会場は今、記念公園に整備され、岡本太郎の<太陽の塔>が往時のシンボルとして残されている。

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1970年(昭和45年)は高度経済成長の締めくくりの時期に当たる。科学万能・技術礼賛・国威発揚で輝く未来・夢の未来を志向する「人類の進歩と調和」という万博のテーマに一般大衆は何の疑問を持たなかった。しかし、岡本は「人類は進歩なんかしていない。なにが進歩だ。縄文土器の凄さを見ろ。皆で妥協する調和なんて卑しい」とばかりに、そんな万博を否定し睥睨するかの如く<太陽の塔>をこしらえた(岡本は「反博の塔」と言っていたようである)。

<太陽の塔>の背中には不気味な<黒い太陽>が描かれている。

黒い太陽.png
(筆者・8mmフィルムから)

<黒い太陽>とはアステカやマヤなどの古代文明、中世ヨーロッパの錬金術に共通して、死と闇・混沌と腐敗・原始といった概念を表すとされている。この概念は「人類の進歩と調和」なる能天気な未来志向とは相いれない。その通り<太陽の塔>の内部は原始・古代の生命の樹が生い茂り、古代人の呪術のおどろおどろしい声が響く。<黒い太陽>の臓物である。

ピカソが1937年パリ万国博覧会のスペイン館を飾る壁画としてジェノサイドの阿鼻叫喚を<ゲルニカ>として描いたように、万博に共通する一辺倒な未来志向に対して、現実を見よ・過去との継続性は断ち切れないと言っているようにも思える。

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岡本は高度経済成長期の只中にあって、死と闇・混沌と腐敗が過去から変わらず未来に続くことを見通していたのかもしれない。「人類の進歩と調和」如きでその連続性が断ち切れるものではないと。

科学万能・技術礼賛という一億総予定調和(安全神話)の象徴たる原発が脆くも大事故を引き起し、未だ収束の目処もたたない現状はその一つなのだろう。原発事故が招来するものは、核爆弾と同じく放射能汚染・被曝であり、原子力と核は本来同義であるのに、「人類の進歩と調和」というテーマを「核」に添わせるだけで「原子力」と言い換え、あたかもそれらは違うかのように見せかけているだけである。戦争への道の果てに落とされた原爆。「過ちは繰り返しませぬから」と言いつつもそのピカドンと同じ正体を原子力と言い換えてこれは便利と受け入れる国民性。そして原発事故にて再び「過ちを繰り返す」愚である。その先にまた戦争への道を用意する安倍政権。<未来>を声高に叫ぶ安倍政権であるが、そのやらんとすることは過去に犯した愚の繰り返しである。

「人類は進歩なんかしていない。なにが進歩だ。(岡本太郎)」は然り。

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その然りの「反博の塔」を無視するかの如く、再び安倍政権は2025年大阪万博で、科学万能・技術礼賛・国威発揚で輝く未来・夢の未来を志向する「人類の進歩と調和」を打ち上げようとしているのだろうか。2020東京五輪とも共通する<理念なき狂騒>である。五輪は商業主義によってすでにその高尚な理念を失い、万博の場合そのテーマすら岡本によって半世紀前に否定され、その通りの現実となっている。政治にとっては理念やテーマの是非・有無などどうでも良く、五輪も万博も「景気浮揚策(カネ儲け)」の都合でしかないことはあからさまである。

小池都知事がそんなカネがらみの都合を暴き始めている。施設建設(ゼネコン)あっての五輪とばかり、森大会組織委員長が小池都知事に噛みつき出した。スポーツという理念すらゼネコンの都合の方が優先すると言いたいようだ。やはり<理念なき狂騒>と言われても仕方あるまい。

大阪万博誘致を安倍政権が決めれば、2025年まで総裁任期延長と言い出しかねない。自ら存在理由を作って独裁となる。デカルト転じて安倍流の「我決める、ゆえに我あり」か。

「景気浮揚策」と言えば聞こえが良いが、その手段たる五輪も万博も我々有権者を政治的盲目にする<パンとサーカス>となる可能性がある。その<パンとサーカス>も原資の多くは都民・国民の税金で「もてなす」相手は外国人観光客だと言うから、我々は身銭を切る一方である。外国訪問先では数十〜千億円単位の大盤振る舞いを繰り返し、国内にあっても外国人に「もてなし」をせよと言う安倍総理大臣とは一体どこの国の総理大臣なのだろうか?

そして、万博が終わるまで協力せよと政権が我々に<一億総○○>のスローガンの下、調和を求めるだろう。その国民総予定調和の下で憲法改正を企てる。これが安倍政権の本願である。騙されてはいけない。

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<未来志向>と言っては、歴史問題や憲法解釈などで過去との論理や思考の継続性を簡単に断ち切り、「一億総○○」で一億総予定調和をぶち上げる、岡本が生きていたら「皆で妥協する調和なんて卑しい」と再び言っていることだろう。

1970年の大阪万博から半世紀経っても何一つ進歩していないのが政治家なのだろうか。

塔の内部にうごめく原始生物よりも彼らは進化的に低位に属するのかもしれない。「進歩なんかしない」と岡本が言い放った通り、<太陽の塔>に再び進歩なき万博が戻ってくる。

それすら見通していたかのように<太陽の塔>なる<反博の塔>は今も岡本の意志が通っているかの如く存在し、進歩なき我が国の政治の愚を照らす<モノリス>となりつつある。

(おわり)

追記:
2020東京五輪の費用が3兆円を下らないことが都の調べで判った。
小池都知事は費用の大幅な削減・施設計画の見直しを公言している。
これに対して、森大会組織委員長ばかりか、当のスポーツ界までもが「長い時間をかけて議論を重ねて作り上げてきた。ポンと思いつきで考えたようなもので一気に壊すことをしないでほしい。コスト削減は必要だが、譲れないものがある(荒木田裕子理事)」と猛反発を始めた。。

イタリア(ローマ)のラッジ市長の発言を彼らは肝に命じるべきだろう。
「ローマの五輪招致を支持するのは無責任なだけではない。持続は不可能で、ただ手に負えないだけだ。」
「ローマは1960年大会の開催のために作った借金をまだ返済している境遇だ。」
「イタリアとローマの未来を抵当に入れることはできない。市民にもっとお金を借りよう、お金をもっとくださいとも言えない。」
「オリンピックとスポーツには反対しない。しかし、スポーツを新しいセメント(建設)ブームの口実にしたくない。」
「(五輪招致を)砂漠に大聖堂を作ること。」

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深刻な財政問題を抱える我が国。イタリアを他人事に思える状況ではない筈だ。
にも拘わらず3兆円を下らない費用に税金も充てられる。そんな高額なスポーツを常識化しなければならない五輪なら返上したいとスポーツ界自身・アスリート一人一人が声を上げるべきところだろう。下手をすれば将来世代にまで負の遺産を残しかねない建設ありきの五輪、「未来を抵当に入れて」然りとするスポーツとは一体何なのだろうか?

一旦招致・開催決定をしたからと言って、返上できない訳もない。開催決定後、返上を決定した開催都市の事例は過去にもある。2020年の国際的約束への責任(メンツ)よりも、その先の未来への責任(負の遺産)を考えるべきである。その上で潔く引き際を決めることもスポーツ精神ではないだろうか。
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posted by ihagee at 17:53| 東京オリンピック

佐貫亦男氏『発想のモザイク』から

ドイツ博物館.JPG
(メッサーシュミット Me262 ミュンヘン・ドイツ博物館展示物・筆者撮影)

学生時代によく読んだ佐貫亦男氏の著作物。その中でも絶版になって久しい『発想のモザイク』(中央公論社)の古本を手にいれた。時代は経ても頁をめくるごとに今もって頷首させられる本である。その『発想のモザイク』を中心に、いささか逍遥と話を展開してみようと思う。なお、そのモザイクの結晶とも言える制御関数グラフが多数この本には載っているが、著作権の問題があるので転載はしない。文章の一部のみ引用させて頂く。
 
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「ドイツの精密機械の秘密は、よい設計をし、よい材料よい工作機械を使い、よい検査器具でチェックするという、あくまで正道以外のなにものでもない」
「民族の心がその製品によって理解できると信じている。それは ちょうど、書いた文字によって人がらが看破できるのと同じである。したがって、 もろもろの道具は、絶対に枝葉末節ではない。それは民族の心をのぞきこむ窓である。(『ドイツ道具の旅』(光人社 1987年)」(下線は小生で付した。以下同様)
 
戦前、技術士官として軍命によりナチス政権下のドイツ・ユンカース社でプロペラ技術を学び、戦後は専門の航空工学を中心に幅広い話題で洒脱且つ軽妙なエッセイを著した佐貫亦男氏の言葉である。
 
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我々の先人は明治期に産業技術の多くをドイツ(プロイセン)から学ぼうとした。

「鉄(武器)と血(兵士)によって問題は解決される(ビスマルク)」の言葉の下、軍需を中心として工業化が急速に進展したまさにその頃のドイツである。そして同時に倣ったのは、軍需を中心とする工業化の過程とその為の政策(富国強兵)であった。ドイツ帝国成立と明治維新がほぼ同時期に起こったこともあり、明治政府は新生ドイツを近代化の第一のモデルとしたのである。我が国にそれまで存在しなかった、旋盤などの工作機械もこの時期より大量に欧米から輸入され、一部は池貝庄太郎氏などによって国産化が図られた。

しかし、太平洋戦争に敗れるまでに日本人が欧米と技術レベルを競い合えたのは軍需部門における「よい設計」のみであったと言われる(航空機・船舶)。その他の、材料、工作機械、検査器具は大きく立ち遅れていた。

工作機械については、当初米国から多くを輸入していたが、日米関係の悪化に伴い(1940年(昭和15年)6月 特殊工作機械等の対日輸出の許可制に始まるABCD包囲網)、ドイツ、スイスが第一の調達先となった。それも第二次世界大戦でドイツからの船舶による機械輸入が困難となり、辛うじて残されたシベリア鉄道経由ルートも昭和16年の独ソ戦で途絶してしまった(工作機械の一部はその設計図面とともになおもドイツ潜水艦によって日本に運ばれたと言われる)。この辺りの事情は「ドイツ製工作機械の山本」の異名をとった山本敬蔵(山本商会)の歴史に詳しい。
 
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戦後、「本田宗一郎は浜松の物置小屋のような小工場で、軍の使い残しの発電用ガソリン・エンジンを改造しオートバイを製造した。当時の日本は足を失っていたから、走れるものはなんでも売れた。話はここから始まる。(中略)オートバイはよく売れたが、利益は全部工場敷地と工作機械の購入に投じた。しかも工作機械はドイツおよびスイスから大量に、当時のホンダとしては身分不相応なほど、というよりも業界と商社にセンセーションを起こした程度にまとめて買いつけた。当時は三菱の工場ですらも虫の息で、外国の一流工作機械はほとんど見当たらなかったほどである。よい製品はよい工作機械で、あるいは表現を変えれば、ドイツの製品を製作している工作機械を使えばドイツと同じ程度の製品ができる、というのが本田社長の信念であった。あとは設計だけの問題で、それについては自身があった。」(『発想のモザイク』より)

前述の山本敬蔵の異名を民生品において本田宗一郎が受け継いだとも言える。
 
つまり、民生品において、「先ずはよい工作機械を」というロジックを日本人で初めて理解したのが本田であった。「そんなわかりきったことを、といってはならない。第二次世界大戦前の日本の民需産業では、とてもドイツやスイスの一流工作機械を購入するだけの設備投資ができなかった。そのような設備は軍需産業だけが可能で、日本人は、文字通りバターよりも大砲を、の生活をしていた。本田社長はこの文句の配列を変えただけである。」(『発想のモザイク』より)
 
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配列を変えただけである。」しかし、その結果は絶大であった。朝鮮戦争による特需(外因)や安価な労働力、手先の器用さ、勤勉さなどは、それに比べれば副要因である。ちなみに中国の今日の経済発展はこの本田宗一郎が発見した「(民生品に)先ずはよい工作機械を」というロジックの真似とも言える。
 
佐貫氏が『発想のモザイク』を著した昭和47年、まさにその結果たるや、日本は高度経済成長期の只中にあった。前年のニクソン・ショックも切り抜け、実質経済成長が平均年率9.5%の時代である(昭和48年までの15年間)。その昭和47年、社会学者エズラ・ヴォーゲルは『ジャパン・アズ・ナンバーワン(Japan as Number One: Lessons for America)』を著した。日本の高度経済成長の要因を日本的経営と日本人の勤勉な習慣に発見したとし、翻訳本は一躍ベストセラーになった。「アメリカへの教訓」(日本に見習え)という副題が示すように、多くの日本人は経済・産業の面で欧米にもはや学ぶものはないとの優位観に浸っていた。司馬遼太郎の『坂の上の雲』、イザヤ・ベンダサン『日本人とユダヤ人』もこの時代の作品である。これらの作品の基調にある日本回帰、日本人の異質ゆえの特異性への賞賛は日本人に広く膾炙された。
 
その宴の中で、一人佐貫氏は「評価の際に感情に溺れてはならいことが重大な教訓であり、これはまた日本人の発想に関する警告でもある。」(『発想のモザイク』あとがき)と記していたのである。
 
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「ドイツの精密機械の秘密は、よい設計をし、よい材料よい工作機械を使い、よい検査器具でチェックするという、あくまで正道以外のなにものでもない」
 
これらの「よい」を揃え、その順番を変えてみたらあっという間に日本は大きな経済成長を達成してしまった。

しかし、平成3年から現在に至るまで先の見えないリセッションの暗闇に入り込んだままである。ソニーの製品をして、アップル社のスティーブ・ジョブズは「累々と海辺に打ち上げられた死んだ魚」と評したのも記憶に新しい。そして今やソニー自体が死んだ魚になりかかっている。高度経済成長期に積み上げたブランドイメージと技術力を取り崩しても、もはや見える道の先は僅かというアイロニーである。
 
技術革新の途方もない「長い道」を乗り切るための正に「正道」。それは「民族の心(国民性)」にあると佐貫氏は説いている(ここが『発想のモザイク』の本旨であり躍如たる部分である)。
 
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佐貫氏は技術者らしく、制御工学での伝達関数(比例型・時間遅れ型・微分型・積分型)、時定数(大/中/小)、ゲイン(小〜大/不定)、入力点(自己・相手)を用いて、その「国民性の違い」による「発想のパターンの違い」をグラフ化(制御関数グラフ)して解析している。ここではその詳細は述べない。

ドイツ人と日本人、そしてアメリカ人の発想のパターンの違いは以下に要約されている(『発想のモザイク』から)
 
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ドイツ人:発想の原点=自己、発想の方式=積分回路的、時定数=中、ゲイン=大
ドイツ人の発想原点が自己の内にある。これは相手の立場をほとんど考慮に入れず、自己の立場だけから発想して相手に押しつけることである。(中略)彼らの発想方式が積分的で、相手の挙動をある時間だけ観察積算してデータを得ようとする。」

「積分回路というのは、入力(刺激)を積分(時間的に加算)して出力(反応)とする、機械的あるいは電気的装置である。それは過去における誤差が現在まで影響を及ぼすことを除くような場合に使われる。(中略)ドイツ人の積分回路的発想は流行の傾向を把握するような場合には向かない。ただし、実験結果の整理、文献や統計資料の調査、とくにその規模が膨大なときには威力を発揮する。(中略)ドイツ人の発想が入力(刺激)の傾向をつかむ努力よりも、入力の集積を算定することに興味をもつ事実(中略)しかも、積分回路はひらめきでなしに蓄積であるから、時間遅れは切り離すことのできない固有特性である。」

「最後の発想要因としてゲイン(増幅度)がある。これは出力にかける増幅度で、もちろん大きいことが望ましい。しかし考えなしにゲインを大きくすると、出力が不安定になることがあるとは自動制御で教えるところである。これをたとえていうと、滑りやすい凍結した道路を歩行するとき、いきなり大股で踏み出すと顛倒することに似ている。用心深い人は、初め小股に、すなわち、ゲインを下げて歩み出し、様子がわかったところで漸次ゲインを上げる。ゲインを上げすぎて顛倒した例はドイツ人の歴史に数多く記されている。ただし、顛倒から起き上がるゲインの大きさもまたドイツ人の特性である。」
 
日本人:発想の原点=相手、発想方式=微分回路的、時定数=小、ゲイン=大
日本人の発想原点が相手の内にある理由は、発想方式が微分回路的であるけれども、時定数が小さくてほとんどゼロだから、真の微分Tsに近いためであろう。したがって、日本人の発想は相手の初動に振りまわされて自己の持ち味を発揮できないことが多いという結果になる。(中略)突発入力に対しては一瞬だけ衝撃的に反応を示すけれども、あとはしゅんと静まりかえって忘れ去るように見える。たとえば、なにか事件が発生したときの日本の週刊誌を見るがよい。時定数は七日にすぎない。(中略)日本人は漸変入力に対して、一時正しく反応する気配を見せるけれども、なにかスパートしない限り反応が思わしくない。ただし、日本人の平均的特性としてゲイン(増幅度)が大きく、これが反応をかなり実りのあるものにする。ゲインが大きいことは、発想の不安定発散につながるが、近世における日本の最大発散は太平洋戦争の敗戦であろう。これはゲインを抑制すれば防ぎえた現象であった。もっとも、同じゲインが戦後の経済成長に結びつくのであるから、原因と結果は循環小数のようなもので、途中で断ち切ることは不可能である。」
 
アメリカ人:発想の原点=自己、発想の方式=遅れのある比例回路的、時定数=小、ゲイン=大
アメリカ人の発想原点は自己の中にある、というよりも自己以外しか頼るものがないから当然の帰結であり、(中略)アメリカ人の時定数はかなり小さく、まず比例回路的で、入力曲線がほぼそのまま出力曲線になる。純粋比例回路は「正直な」回路である反面において不安定になる危険はない。そしてアメリカ人の場合ゲインは強大であるから打つ手は迫力に満ちている。(中略)技術開発におけるアメリカ人の発想は、まさに遅れのほとんどない比例回路的で、ちょうど第二次世界大戦における作戦が正則そのものであった(それがわかっていながら日独両国とも対抗することができなかった)と同様に正統派である。マンハッタン計画による原爆開発とアポロ計画による有人月着陸はその模範である。これらの作業は、あるいは積分回路的といえるかもしれないが、単に過去における蓄積とその延長ではなくて、壮大な展望を入力とする出力であるから、比例回路というべきであろう。」
 
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ここで、上述の「国民性」の分析とその違い(日独間)を照らすに相応しい二つのエピソードを以下引用したい。一つは、ドイツの工作機械について、もう一つは、そのドイツに技術の源流を持つ、スイスの工作機械についてである。
 
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ドイツの工作機械についてのエピソード:
 
ドイツの工作機械が今以て、世界で最も信頼性が高く、且つ中国などの製品と比べて圧倒的に割高にもかかわらず、その生産高で世界第一位であることは、以下のエピソードを上述の分析に照らすと判りやすい。
 
『ワインのように鋳物を「熟成」させる:
その工場を訪問したら、工場の裏庭にベッド鋳物(工作機械の架台)がたくさん放置してあって、錆だらけだった。「不良品が多いからなのか?それとも注文の受け間違いが多いのか?」と思ったら、大間違い。説明によれば「枯らしているのです」とのこと。鋳物を溶融した鉄が冷える際に、歪みが鋳物の中にたまる。これが時間とともに鋳物にゆがみをもたらす。だから日本では熱処理をして、焼き鈍(なま)し、焼きならし等をして内部応力を取り除く。だが、一番いいのは鋳物を枯らせることだ。つまり、時には10年以上をかけて狂うだけ狂わせて、安定した状態になった鋳物を使うことだ。しかし、この方法は時間がかかるし、その間、資金が寝てしまうことになり、コスト高の要因になる。しかも、10年も前の鋳物を使うわけだから、設計変更は無理だ。日本の工作機械は熱処理で歪みを取り、NC装置を導入し、ベッド鋳物も余分なところを削り取ってリブ構造にして、強度的に変わらないが軽いものを作ってきた。ドイツは現状な構造の機械をあまり設計を変えずに、作り続けてきた。私がびっくりしたのは、ボルトも干し柿のようにして、枯らしていたことだった。製造年月が書いてあって、「1974年もの」等々、まるでワインのようだった。「なるほど。ここまで徹底すれば精度も出るわ」と思った。「日本企業は主軸から設計を始める。ドイツ企業はベッド(架台)から設計を始める」と言われる。日本企業はニーズ最優先。だからユーザニーズに合う主軸から設計し始め、最後にその要求に合うようベッドを設計する。一方、ドイツは工作機械はどうあるべきかということでベッドを設計し、堅牢なハウジングを設計し、保持台を設計し、最後に主軸を設計するという。だからこそ、先ほどのようにベッドを大量に作って枯らしておくということができる。日本はユーザオリエンテッドなので設計がどんどん変わる。だから、ベッドの設計もどんどん変わる。』
(『工場の裏庭で見たドイツの工作機械の秘密/日本と異なる設計の根本思想』(にっぽん経営サミット/政策研究大学院大学教授の橋本久義氏JBpress 2011年2月28日記事)
 
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スイスの工作機械についてのエピソード:
 
『SIPの治具ボール盤:
SIPは、Société genevoise d’instruments de physique (SIP) (小生註:2006年にStarrag Groupに吸収された)(中略)・・・SIP社の歴史はけっして順調なものではなかったが、その歴史がそのままスイス精密機械工業の歴史、あるいはスイス技術革新の過程といってよく、(中略)創立者ド・ラ・リーブ(小生註:ジュネーブの物理学者)がつぎの世代を負う後継者として発見し(た)テオデュール・トゥレチーニ(1845〜1916)である。トゥレチーニはローザンヌ工業学校を卒業した若い技術者で、学者だけでやってきた試験工場的な会社を近代的にしようとするド・ラ・リーブの意図に沿う有能な人物であることがわかった。(中略)トゥレチーニは姓の示す通りイタリア系であること、技術を習得するためにドイツ、とくにベルリンのジーメンス・ハルスケ社工場にはいったことである。(中略)彼の末子フェルナン・トゥレチーニ(1882〜1951)もチューリッヒ工科大学を卒業後ドイツなどへ修行に出ている。(中略)SIP社がポインチングマシンから治具ボール盤に技術革新したのは第一次大戦後で、1919年に時計用の小型を開発し、1921年にMP-4型と称する一般機械工業用を試作している。MP-4型の第一号機はイギリスの小銃会社が購入してくれて、「工作技術の革命」と激賞された。1923年の大型MP-5はやはりイギリスの武器会社メトロポリタン・ビッカース社が買い、翌年にはアメリカのフォード自動車会社が18台まとめて買った。同じころ、アメリカの飛行機購入使節団がヨーロッパにきて、飛行機のかわりにSIP社の治具ボール盤を多数買いつけて帰ったというエピソードもある。(中略)日本でもSIP治具ボール盤は、(中略)日本陸海軍が崩壊した後には、意外な役割を果たした。私の勤めていた会社はもともと楽器製造であったが(小生註:日本楽器製造・現:ヤマハ)であったが、戦時中はプロペラを生産していた。それが戦後に再び楽器製造に復帰したとき、SIP治具ボール盤でハーモニカのリード(舌)取りつけ穴あけ治具を作って量産を始めた。そもそもハーモニカというものは小工場で作る品種で、リードを植えては女工が吹いてみてヤスリで削って調律(このとき黄銅の粉末を吸って職業病が発生していた)するものである。それを治具ボール盤の精度で植えるのだから調律の必要(職業病も)は消滅した。この量産ハーモニカは輸出されて、たちまち世界小工場の製品を駆逐した。似たような工程によるベルトコンベヤーに乗せたピアノは、流れ作業から世界の市場へ送り出されて、旧式な手作業によるドイツ、アメリカのピアノを圧倒した。(中略)ジュネーブにある会社を私は第二次世界大戦後に訪れたことがある。(中略)機械工作による誤差を型板によって除去したり、部品の巧妙な組み合わせによって集積誤差を払ったりする勤勉を積み重ねる。私がセールスマネージャーに、アメリカなどが資本にものをいわせて追撃してくる傾向にどう対抗しますかと聞くと、声を張り上げて「われわれの90年(当時)にわたる経験を金で買えるでしょうか?」と反問した。この心意気はチューリヒの歯車研磨盤工場マーグ社(小生註:現FLSmith MAAG GEAR社)で、世界が工業化してくるとき、スイスはどう対処するかと私が質問したのに対して、応対した重役がきっとなって「世界が工業化すればするほどスイスの機械が要るはずです」と返事したことに通じるものがある。』(『発想のモザイク』から)
 
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「ドイツ人の発想が入力(刺激)の傾向をつかむ努力よりも、入力の集積を算定することに興味をもつ事実(中略)しかも、積分回路はひらめきでなしに蓄積であるから、時間遅れは切り離すことのできない固有特性である。」まさに、その通りのことがこの「ワインのように鋳物を熟成させる」話からも理解できる。
 
そこには「工作機械はどうあるべきか」という根本思想がある。その思想は膨大な知識の積み上げであり、その結果の「べき」という確信であろう。これを佐貫氏は「一般にけっして明晰な頭脳とは思えないドイツ人の、その絶えざる頭脳回転の激しさ、いいかえると思考実験における頻度の高さ、それによる量的な発展から質的な発展への昇華」(『発想のモザイク』から)と評している。

そのプロセスにおいて10年寝かすも必然なる「時間遅れ」である。結果、昇華した「普遍」とも言える質を元に、最小限の設計変更で、技術革新の途方もない「長い道」を乗り切ることができるのである。ひらめきよりも「過去における誤差が現在まで影響を及ぼすことを除く」ことが技術の底にあるのであろう。
 
対照的に日本の工作機械では、要求される寸法精度はコンピュータを駆使した数値制御(NC)に頼っている。都度設計を繰り返さなければならない。ドイツのように「過去における誤差」を10年越しで蓄積して用いるような「積分回路的」発想はここでは生まれない。また最小限の設計変更もここではできない。
 
大局的にみると、ドイツ人の発想には大当たりがない。が、食いはぐれもない。日本人の発想にはしばしば、大当たりがある。しかし、食いはぐれも多い。
 
つまり、日本人の発想は、大当たりがなければ、食いはぐれることも多いということになる。圧電素子のように「突発入力」を始終繰り返さなければ「衝撃的に反応」しない発想パターンなのかもしれない。そして、相手次第の発想ゆえに、入力(刺激)の傾向をつかむ努力に全精力を傾ける。その時々の入力(流行)に、また新たな入力(流行)を求めようとする点で、日本人のひらめき中心のパラパラした発想では、ある技術分野においては、ドイツのように、ワインにも干し柿にもならないということかもしれない。
 
さりとて、アメリカ人のように、J.F.ケネディが「人間を月に着陸させ」と壮大な展望を入力として与え、その入力を超える大ゲインを不安定さを伴わずに得られるような「比例回路的」発想にもなり切れない。
 
SIPの治具ボール盤のエピソードにおいても技術革新の途方もない「長い道」をこの先も乗り切ることができると確信するだけの過去の集積があるからこそ、「スイスの機械が要るはずです」と、なるのだろう。「要るはず」の通りに、ヤマハの世界の市場を席巻する製品は初め、SIPの治具ボール盤から作り出されたのである。
 
前述のドイツやスイスのエピソードに比較するとスケールは格段に違うが、「どうあるべきか」という根本思想と最小限の設計変更で途方もない「長い道」を乗り切ってきた企業の好例が日本にもある。よく引き合いに出されるのは、西尾正左衛門の明治中頃に発明した「亀の子たわし」一筋、その優良企業である株式会社 亀の子束子西尾商店である。
この商店、本社の佇まいまでが、その「長い道」を表している。

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革新やひらめきよりも「過去における誤差が現在まで影響を及ぼすことを除く」との前述の話。それは、ドイツの国民性に由来すると佐貫氏は言う。後天的に備わったものだろう。では、どのように備えるのだろうか?
 
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それはtüfeln テュフェルン=「やっかいな問題と粘り強く取り組む;小事にこだわる」、そして、verbieten フェアビーテン=「禁止する;何事にも規則を定める」なる言葉に集約されるものかもしれない。前者は職業訓練において青少年期に叩き込まれる行動様式であり、後者は社会全体で共有する遵法精神と言われる。
 
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tüfeln テュフェルン:
ドイツの子供たちは満10歳で進路決定をしなければならない(単なる学校の選択ではなく、将来就く職業選択の意味があり重大である)。大学進学をめざす者(ギムナジウムを選択する)以外は、実科(職業訓練)の道を選択することになり、ここで、テュフェルンについて実践と理論をデュアルに叩き込まれることになる。伝統的なマイスター制度(職業教育法に定める手工業マイスターなどの認定試験)はこの延長線上にある。
 
佐貫氏は、上述の制度に実を与える環境として、「長い間の科学と技術の成果の蓄積」と「そのアクセスあるいは出力装置の完備」(『発想のモザイク』から)を挙げている。

佐貫氏の時代で言えば、それはすなわち、国立図書館であり。第二次大戦中のベルリンのウンター・デン・リンデンにあった国立図書館で佐貫氏が見たものは「多くの本や資料をならべて調査する人やチームのためには、一般閲覧室の中二階に作業室 Arbeitszimmer (小生註:アルバイツ_ツィンマー)という小室がいくつもあって、そこを借りると他人の迷惑にならない。ここで文献を山のように積み上げてせっせと知識のレンガを積み上げる作業はドイツ人のアルバイトという語感であった。」(『発想のモザイク』から)
 
また、「技術が育つ温床は工場」であると述べ、「その工場がまたなんと多いことであろう。1943年の夏に爆撃が激しくなって、無用の者はベルリンを退去するようにと布告が出た。私は疎開先条件として、近くに工場の無いベルリン近郊ということにして探し歩いたが、それは不可能というものであった。」と述懐している。(『発想のモザイク』から)
 
そして、工学士(Dipl.-Ingenieur)と技師の社会的身分と評価の高さは、工科大学(Technische Universität)という、工学部を普通の大学から切り離し、「大学とはおのずから使命が異なり、国の産業の基盤を形成する人間の教育という賢明な配慮」に表れていることを指摘する。「卒業するまで合計1年の工場実習が必修条件になっている」点は、上述の「技術が育つ温床は工場」がいかに大事であるか原体験をさせる意味があるのであろう。(引用は『発想のモザイク』から)
 
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verbieten フェアビーテン:
遵法精神を最も表すこととして、よく引き合いに出されるのが、無改札の地下鉄(U-Bahn)である(信用乗車方式)。切符の自動販売機はあるが、改札は一切ない。切符を買わなくても乗車しようと思えばできるのだが、ここに遵法精神がある。改札や検札がなくとも切符を買って乗車するのが当然であると社会全体が共有する意識である。この社会が共有する意識を破る行為(無賃乗車)には、厳しいペナルティが課される(数倍ないし数十倍の追徴金)。
 
ドイツ人の遵法精神とはかくたるやは、以下のエスニック・ジョークが判りやすい。
(以下, Wikipedia から引用)
 
『様々な民族の人が乗った豪華客船が沈没しそうになる。それぞれの乗客を海に飛び込ませるには、どのように声をかければいいか?
 
・ロシア人には、海の方をさして「あっちにウォッカが流れていきました」と伝える。
・イタリア人には、「海で美女が泳いでます」と伝える。
・フランス人には、「決して海には飛び込まないで下さい」と伝える。
・イギリス人には、「こういうときにこそ紳士は海に飛び込むものです」と伝える。
・ドイツ人には、「規則ですので飛び込んでください」と伝える。
・アメリカ人には、「今飛び込めば貴方はヒーローになれるでしょう」と伝える。
・中国人には、「おいしい食材が泳いでますよ」と伝える。
・日本人には、「みなさん飛び込んでますよ」と伝える。 
・韓国人「日本人はもう飛び込んでますよ」と伝える。』
 
遵法精神のどこが、ドイツ人の発想パターンと関係があるのか?
佐貫氏は以下のエピソードを綴る。

『戦後ハンブルクの街を歩いていたら、陸橋の前へ出た。橋の上の道は工事中であったが、市電だけは通っていた。掲示があって、「迂回のこと、ただし、市電は例外」とあった。レールの上しか走れない市電が迂回できるはずもないが、ドイツ人的発想からすれば、すべての車輛が迂回するものと思っていたら、市電が走ってきて衝突した後始末はどうする、という抗議に備えての用意であった。これは先入観のない解析性の基盤になる思考方法である。』(『発想のモザイク』から)
 
つまり、あり得ないとして予見だけで排除せずに、あらゆる選択肢を思考の内に入れ、そのいずれを選択すべきか・選択すべきでないかを明記し社会全体が共有する意識なのであろう。選択の主体は自己の意識であって、日本の改札機のように意識なきシステムに頼らない。
 
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ここで話をまとめようと思う。
 
佐貫氏が『発想のモザイク』を著した、昭和47年という高度経済成長期の只中での「日本人:発想の原点=相手、発想方式=微分回路的、時定数=小、ゲイン=大」なる分析。現在において何か変わっているだろうか?
 
何も変わっていないように思える。ひょっとすると明治維新から何も変わっていないかもしれない。
 
この「なにかスパートしない限りは反応が思わしくない」微分回路的思考、そしてゲイン(出力にかける増幅度)を大きくしあえて不安定性を最大限にし、その先の「最大発散」が「太平洋戦争」(原因)でその結果は、敗戦と「経済成長」(結果)であると佐貫氏は言う。

さらに「原因と結果は循環小数のようなもので、途中で断ち切ることは不可能である」と洞察する。この洞察は微分回路的発想パターンの宿命を暗示するようでとても怖い。
 
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発想の原点が自己にないこと、時定数が小さいことは、ゲインの増幅の程度を国民一人一人が認識・判断できず、他者(為政者・集団意識・他国)にその度合いを渡してしまうことになる。まさに長いものに巻かれる・付和雷同である。そして歴史修正問題にみるように、微分回路的ゆえに、過去を簡単に断ち切り、時間を進ませる。そういう増幅を深く思慮することもなく為政者に許してしまうことになる。佐貫氏の言葉を借りると、「積分回路と微分回路は性格的に反対の傾向を持つ。すなわち、過去と未来、時間遅れと時間進みの差がある。」(『発想のモザイク』から)

この点、ドイツはかの有名なヴァイツゼッガー連邦大統領の演説 “過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”(1985年5月8日連邦議会)とあまりに対照的である。その「者」とはドイツ国民一人一人であるとする。
 
圧電素子のように「突発入力」を始終繰り返して「衝撃的に反応」することを期待するような経済政策ではもはや済まないとばかりに、現安倍政権は佐貫氏の分析で言うところの「ゲイン」に比重を置いているようにも思える。
 
即ち、この微分回路的発想パターンの断ち切れない因果のうちの、結果を期待してその原因を創出しようとするのが、現安倍政権の向かう方向性だとすると、中国・韓国との政治的対話の中断、嫌中・嫌韓世論の醸成、憲法第9条の政治的解釈と集団的自衛権の限定的武力行使など、昨今の政治そしてその政治に与するマスコミは、まさにゲイン(出力にかける増幅度)を大きくすることによる不安定性を意図しているようにも映る。あるいは、開国黒船よろしく、外因を創出し、他国の思考回路に無理やり合わせて、ガラポン的な結果を期待しようと環太平洋戦略的経済連携協定(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement /TPP)に飛び込もうとしているとも映る。
 
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「大股で踏み出すと顛倒する」ことをその積分回路的発想から学ぶドイツは、もはや「大股で踏み出す」ことはしないであろう。大当たりがないが、食いはぐれもない道を今後も着実に歩み続けるだろう。そして「過去における誤差」を10年越しで蓄積して用いても、欧州第一の経済大国なのである。
 
片や、「大股で踏み出し」その先の結果を性急に得ようする我が国。そのようにも見える。「顛倒しても」それが「ゲイン」というコインの表裏であり、戦争(武力紛争)なる表面が(敗戦を経て)経済成長という裏面となるかも知れない。しかしそれが国民にとって多大な不幸を伴うものであることは歴史が証明するところである。
 
今こそ、ドイツ人の発想のモザイクをつぶさに観察すべきではなかろうか? 同じ敗戦から立ち直った国として、そして同じく経済大国になっていながら、しかし互いに違う発想パターンの回路を持つ国として。

(おわり)
posted by ihagee at 03:16| エッセイ

2016年09月28日

真空管ラジオから考えること

愛用していたトランジスタ・ラジオが壊れた。

製品保証期間を過ぎていたが、製造元のソニーの修理センターに電話をしたら案の定、修理よりも買い替えを勧められた。
ソニーのウェブサイトには「弊社では、製品の補修用性能部品をその機種の製造打ち切り後も、一定期間、保有しています。ただし、故障の状況その他の事情により、修理に代えて製品交換をする場合がありますのでご了承ください。」とあり、補修用性能部品の保有期間の表が掲載されている。ラジオは6年ということだそうだ。
 
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6年を超える自社製品については「製品交換」を勧めることらしい。
どんなにユーザが製品を「愛用」していようが「長く使い続けたい」と思っていようが、メーカー側がその製品にライフタイムを設定する。ラジオは食品と異なり耐久消費財であるのに、賞味(消費)期限付き「消費財」扱いである。これではメーカーは自社製品についてユーザ以下の愛着しか持たないのかと疑いたくなる。たった、一つの部品の補修が利かないからと言って、製品そのものを捨てさせてしまうことを、作り手が言い出す。これはメーカー側の都合であって、ユーザの都合ではない。
 
携帯電話はこの手の「消費財」の際たるものかもしれない。私はドコモの6年前の所謂「ガラパゴス携帯(ガラ携)」を愛用して何の故障もないが、へたばってきたバッテリーを交換しようと最寄のドコモ・ショップを訪れたら、「お客様の機種のバッテリーはもう在庫がありません。新たな機種に変更願います。」とあっさりと愛用の携帯電話に死の宣告をされてしまった。本体に何の故障もないのにキャリアーの都合だけで製品を捨てさせる。昔の黒電話だったら、こんなことはあり得なかった。電話機など一度買ったら、買い換える商品ではなかったはずである。
 
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世の中そんな企業ばかりかと思っていたら、JVCケンウッド(旧:トリオ、日本ビクター)は、部品がある限り、古い自社製品であっても修理をしてくれると言う。「20年前のFM放送受信チューナーの修理・調整を引き受けてくれた」と感謝するユーザの記事や、「メンテナンス料金は良心的な価格です(新品購入出来るような法外な修理メンテ料金は請求しません)また表向きは本社意向で過度に古い機種は受け付けないですが、各地域にある営業所単位では面倒見よく可能な限り修理してくれます。大量消費が当たり前の昨今の世に修理相談を受けてくれる稀有で数少ない常識国内メーカーです。」なるネットの書き込みもある。
 
ソニーやドコモのようにユーザを新しい製品やサービスに仕向けて、次々乗り換えさせた方が企業として儲かるのに、ケンウッドは良心的な修理料金で自社製品のライフタイムを伸ばし、ユーザに長く使い続ける選択肢を提供することをモットーとしているのかもしれない。
 
ケンウッドのウェブサイトには「ケンウッドのサービス部門では、はんだ付け認定制度や顧客応対研修、サービス技術研修等を行い、迅速で的確なサービスによりお客様から安心と信頼・満足が得られるよう努力しています。」とある。

今どき、「はんだ付け」を真っ先に言う企業があるだろうか?
ケンウッドにとって、「はんだ付け」はモノづくりの基本と定義されているようである。
 
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そのケンウッド、元をたどれば、ラジオ・オーディオで一世を風靡した「トリオ(TRIO)」でありそのブランド名を確立した春日無線工業となる。米国向け輸出製品の商標ケンウッド(KENWOOD)を逆に引き継ぐが現在のJVCケンウッドということになっている。
 
「春日無線工業」でネットを検索すると、ラジオ、測定機器、通信機器がヒットする。そして、驚くことに、この「三丁目の夕日」の時代のこれらの製品の多くが、いまだに修理可能であり、修理されたモノは現役なのである。「はんだ付け」がきく製品とは、部品そのものの集積度が低いため、はんだ付けによる熱衝撃を受けず、消耗した部品の交換ができる設計であり、この時代の製品に共通して言えることなのかもしれない。
 
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なにも春日無線工業(TRIO)に限ったことではなく、50年選手が当たり前の真空管ラジオの世界では、松下電器産業(NATIONAL)も、東京芝浦電気(TOSHIBA)も、早川電機工業(SHARP)も、そして数多の今は存在しない会社の製品が、戦前からのモノも含め、修理されて使い続けられていることに気付く。修理する側はもっぱらその昔「ラジオ少年」だった今やおじさん・おじいさんである。そして使う側は、修理どころか使い方すら知らない今どきの若者が多いというのだから面白い。
 
昭和20年代後半から30年代にかけて、ラジオ少年のメッカが秋葉原(東京)であり、日本橋(大阪)であった。初めて作った鉱石ラジオから流れでる放送に感動し、近所の電気屋のおじさんに教わりながら、回路図を描いては秋葉原で部品を調達し、真空管ラジオを見よう見まねで自作する少年は珍しくなかった。電気屋のおじさんや、友達が白紙にすらすらと回路図を描くのをみて、羨望とともに自分もそうなりたいと願う少年が大勢いたのであろう。
 
松下や東芝といったメーカーが完成品を販売する一方で、数多のパーツ屋がそういう「ラジオ少年」向けに組み立てキットを販売していた。電気機械部分と、スピーカーとそれらを収める筐体を別々に買い集めて自分なりのラジオに仕立てることもできた。現在、「三丁目の夕日」で生き残っている真空管ラジオの中には、メーカー完成品だけでなく、「ラジオ少年」の自作品も含まれているようである。自作品には当然ながら出来不出来がある。
 
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さて、ソニーから死を宣告された愛用ラジオは、なおさら捨てる気にならなくなり、戸棚に飾ることにした。代わりに、ヤフーのオークションを通じて年代ものの真空管ラジオを買い求めた。出品者はその昔「ラジオ少年」だった北海道の御仁である。
 
このラジオ、「ナナオラ」の商標で戦前から昭和30年代中ごろまで松下電器産業(NATIONAL)や東京芝浦電気(TOSHIBA)とラジオ受信機市場で肩を並べていた七欧無線電機株式会社製である。七欧無線電機は1927年(大正14年)創業で昭和30年代後半に東芝の子会社となった後消滅したらしい。

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鉄針のピックアップの付いたSPプレイヤーを搭載した、所謂「電気蓄音機」である。木製コンソールという意匠の珍しさと、北海道の「ラジオ少年」の整備済みという文句に惹かれて購入した。いつの時代のものか判るような印がなかったので、色々とネット上の情報を当たってみたら、どうやら、キャビネットは昭和10年代に製造されたものらしいことが判った。

nanaora_2.jpg

この当時、コンソール型のラジオを買い求められるのはよほど富裕な人であろう。又は、喫茶店などに置いて客商売に使っていたのかもしれない。中の機械部分(ST管5球スーパー)は昭和30年代に取り換えられた物で、ダイヤル表示板も同時代の後付けのようである。スピーカーは永久磁石のない時代の励磁(フィールド)型であり、キャビネットと同じ位古そうである。
 
整備済みとあったが、SPプレイヤーのスイッチも兼ねるボリュームに「ガリ」があり、その旨を北海道の御仁に相談したが、「それも味わい」ですと言われてしまった。「バリっ」という一瞬の爆音が私にとっては味わいである訳もなく、ネットで別の「ラジオ少年」を探したところ、秋田の御仁を発見した。そのブログ「真空管ラジオ修復記」は圧巻である。

秋田の御仁に修理を早速お願いした(前後してドイツ製の真空管ラジオの修理を依頼することになったが)。先方に我がラジオが到着して僅か数日で修理が完了との報告。修理費も交換部品の実費代に僅かの工賃のみと、こちらが申し訳なく恐縮してしまう程の良心ぶりである。真空管の性能試験結果と交換部品の詳細、そして真空管ラジオの回路の変遷を綴った記事の写しもいただいた。修復を手掛けたラジオは全て修復記に写真とともに掲載し、故障や不具合の箇所と原因とともに、修理技術と工程を開示している点も素晴らしい。私の依頼したナナオラの電蓄も修理完了を以て、この記録の一つとなっている
 
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「真空管ラジオ修復記」に居並ぶ50年選手、いやもっとロートルのラジオの数々。その面構えは実に古武士然としている。カテドラル式とかイオニア式といった、荘厳重厚な建物の建築様式をイメージした意匠が多いのは木製筐体であり、昭和40年代に入ると次第に加工性の高いプラスチックに代替されその意匠もカラフルになるがどれも個性的であることに変わりはない。ラジオを鳴らすという目的しかないのにやたらモノとしての実体がある不思議さに、今どきの若者が惹かれるのかもしれない。娯楽や生活がラジオと直結していた時代のラジオの存在意義に応じてメーカーが存在感たっぷりの製品を作っていたのであろう。
 
回路図がなくても秋田の御仁が数百のラジオを修理できるのは、白紙に回路図を描けるような昔とった杵柄ばかりでなく、ラジオの回路構成に基本形があることも理由のようである。今どきのラジオでトランジスタや集積回路をユーザが交換できる設計のモノなどないが、エレキが苦手な家庭の主婦でさえ、真空管を取り替えるようなことなど朝飯前の設計なのである。そして近所の電気屋はラジオを売るばかりでなく、売ったラジオを修理するためにあるようなものであった。
 
ソニーは真空管ラジオを一つも作らなかった。トランジスタ・ラジオなる修理や部品の交換を前提としない製品に拘りつづけた。真空管ラジオなる「ラジオ少年」の原風景に立ち返ることができる松下や東芝、そして未だその原風景をモットーとするJVCケンウッドと、その風景を持ち合わせないソニーの差は大きいのではないだろうか?
 
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思想家の柄谷行人氏は
「日本の場合、低成長社会という現実の中で、脱資本主義化を目指すという傾向が少し出てきていました。しかし、地震と原発事故のせいで、日本人はそれを忘れてしまった。まるで、まだ経済成長が可能であるかのように考えている。だから、原発がやはり必要だとか、自然エネルギーに切り換えようとかいう。しかし、そもそもエネルギー使用を減らせばいいのです。原発事故によって、それを実行しやすい環境ができたと思うんですが、そうは考えない。あいかわらず、無駄なものをいろいろ作って、消費して、それで仕事を増やそうというケインズ主義的思考が残っています。」(『週刊読書人』2011年6月17日号)
と言う。
 
高度経済成長期を通じて「使い捨て」に我々は抵抗を感じなくなってきたように思う。「無駄なもの」であっても企業がアレコレと付加価値をつけて売る。もし「無駄でないもの」なら最初から消費者の求める価値がその製品にあるということになる。つまりは生活必需品である。そういう製品をメーカーは作りたがらない。黒電話は生活必需品であったが、スマートフォンが同じ必需品であるかは甚だ疑問である。「電話をする」という基本に価値を置くとすれば、携帯電話やスマートフォンは欠陥商品ということになる。3/11の大震災の際に最もつながらなかったのが携帯電話・スマートフォンであり、最もつながったのがダイヤル回線の昔ながらの黒電話であった。電話線から供給される電力を利用しているため、停電が起きても電話線と電話局さえ無事なら通話ができるのである。
 
携帯電話で言えば、「私は電話とメールだけできれば結構です。インターネットができるようなタッチパネルも不要でボタン式の従来のモデルで十分です。」と言ったところで、そういう価値観をメーカーは認めない。あくまでも、ユーザよりも企業の都合なのである。
 
そして低成長どころか経済・社会が後退局面にある現在、この「無駄」を「消費」として甘受する経済成長期の感覚から我々は未だ抜け切れていない。「使い捨て」なる過去の時代の流儀に消費者もそしてメーカーもどっぷり浸かったままの感がある。
 
換言するとライフタイムの短い「使い捨て」の運命にある製品を企業が作り続けなければ、企業は市場から資金を調達できないのであろう。もし、10年間ずっと使い続けられる前述のような携帯電話をドコモが作れば、10年目を迎えることなくドコモが倒産してしまう。そういうトレードオフ(二律背反)の関係にあるのかもしれない。この世界での製品サイクルは今や1年と言われる。
 
社会・経済全体でライフスタイルを抜本から見直さない限り、一企業がそのスタンスを変えることは難しいだろう。
 
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真空管ラジオに話を戻すと、メンテナンスさえ施せば50年は軽く使えるまさに耐久消費財である。AMのラジオ放送がアナログである限り、そのライフタイムは続くであろう。幸い、真空管は過去の在庫がまだあり、ロシアや中国では未だ産業用を中心に真空管を作り続けている(半導体では実現が難しい高周波/大電力を扱う特殊な用途での真空管需要の為)。また、オーディオの世界では真空管のマニアが世界中にいることもあり、定まった需要がある。昔ながらの真空管製造に乗り出すベンチャー企業も現れている。
 
しかし、テレビ放送をデジタル化した放送業界のことである。油断はならない。その時に「三丁目の夕日」のブラウン管テレビは大量に廃棄された。これも言ってみれば壮大な「使い捨て」である。女優の毛穴まで鮮明に映し出すことに製品価値を見出すのはメーカーと、その技術力に自己満足する技術者だけなのかもしれない。毛穴を見るがために壮大な「使い捨て」が行われるが、一般的なユーザは決してそれを見たいと言っているわけではない。

ついでに、我が家の時計は全てゼンマイ式時計である。3台あるが、いずれも100年選手である。その中の古参はeBayのドイツから取り寄せた1910年代製のオーストリア製の振り子時計(Gustav Becker) で、元気に時を刻み続けている。これを作った職人の技といい、その設計の下で何の不具合もなく今日迄時を刻む製品。今どきの時計で百年後も動くような設計のものなどないだろう。メンテナンスさえ施せば、ずっと使える。そして時計としての基本的機能を保ち続ける。この時計の前で、歴史が流れてきたのだと思うと感慨深い。第一次大戦もナチスも第二次大戦も全てこの時計が経験しているのである。

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モノにおいての「短サイクル」ぶりは上述の如くである。
そして、「住」において、我が国は先進諸国と比較して圧倒的に「短サイクル」と言われる。世界有数の地震国という建物にとっては好ましくない地政学的条件ではあるが、核家族化が進んだ我が国においてそのサイクルは約30年と言われている。
 
つまり、代々同じ住居に住み続けるよりも、家族・世代毎に新居を購入することが特に都市圏では通常であるからだ。百年を単位に古い住居をメンテナンスしながら代々住み続ける欧米諸国のライフスタイルと随分と異なる。
 
町並みや建物が社会資本(ストック)であり、たとえ戦争で全て瓦礫になっても、その瓦礫をパズルのように組み上げて見事に昔の町並みを甦らせるドイツはその確たる見本である。連合軍の絨毯爆撃により中心部が廃墟になったドレスデンで、瓦礫の山となった聖母教会の瓦礫を一つとして処分せず、いつの日かその瓦礫で教会を元通りにすると決意したドイツ人が、その決意の通り、2005年に見事に昔の姿のまま復元したことは記憶に新しい。

住居や町並みを資産(ストック)として受け継ごうとするそれらの国と、土地とその上の経済活動に価値があり、上物や町並みに価値を認めようとしない我が国。国立競技場という歴史的施設、そして、関東大震災からの復興を祈念して市民の浄財で植樹された神宮外苑の銀杏並木、これらの社会資本(ストック)さえ、東京復興なる経済活動の下、新たな国立競技場建設の為に壊してしまう、その価値観である。
 
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モノにおいての「短サイクル」が企業活動の都合であると同様、住居や町並みの「短サイクル」も企業活動・経済活動の都合である。そしてそれらの都合の先にあるGDPが幸せの指標である。と我々国民は経済成長期から今日に至るまでずっと信じてきた。未だ、我々国民の多くは幸せを実感できないでいる。
 
それを裏付けるが如く2014年に国連が発表した最初の世界幸福度報告書(World Happiness Report)で、我が国は世界第43位とランクされたのである。

「原発がなければ江戸時代になる・原始時代に後戻り」と一部の政治家・経済人が声高に言っているが、彼らの基準にあてはめると「江戸時代・原始時代」となる筈の国々がこのランク付けでは我が国よりも上位にある。「江戸時代になる・原始時代に戻る」の主語が企業・経済活動であって、国民の生活・幸福度とは関係のない話なのかもしれない。
 
この報告書の作成を国連に働きかけたのは、GDPに代わる、幸せの指標GNH (Gross National Happiness)をワンチュク国王自らが率先提唱するブータン王国であった。
 
GDPやGNPといった資本主義の価値観・指標が個人消費や設備投資といった経済活動であって、必ずしも幸せの指標ではないとのアンチテーゼである。

そして柄谷氏が指摘する「無駄」を前提とした企業活動は、モノにおいては「使い捨て」、住宅や町並みについては「スクラップ&ビルド」にみるように、徒に資源の浪費を招く点、そしてエネルギーを含め資源を持つ国、持たざる国の間の格差を増大させる点で、GNHの観点から見直す必要があるとの提案である。
 
何を以て「幸せ」と言うのか、いかなるライフスタイルがその「幸せ」に近いのか、別の視点から我々は考え直す必要があるのではないだろうか?

(おわり)
posted by ihagee at 03:20| 真空管ラジオ