2017年03月28日

Voigtländer Superb 顛末記 - その5


ビューレンズをドナーとして提供した後期型のVoigtländer Superb。

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(左:復活した前期型、右:後期型)

おかげで前期型が復活したのは前回まで記事に掲載した通り。

その後期型を分解清掃してみた。汚れ、スクリーン割れ、ミラー腐食など内部は経年相応の状態になっていた。やはり開けてみなければわからない。カウンタは歯車が油切れを起こし戻りが悪くなっていたので、清掃の上注油し復活。パララックスのメカ部分も清掃し同様に注油したら動きがスムーズになった。腐食したミラーを取り除く。幸いミラー(表面鏡)は新品が一枚手元にあるので交換できそうだ。

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80年前のスクリーンは単なる磨りガラスなので、スプリット入りのブライトスクリーン販売を手がけているRick Olesonにメールで寸法(「Voigtländer Superb 顛末記 - その2」記事参照)などを知らせたらカット可能と返事。送料込みUS80$である。さっそくオーダーしようと思う。

ビューレンズをさらに調達しなければならないと思っていたところ、ジャンクの前期型Voigtländer SuperbがeBayドイツで売りに出されていた。

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部品取り用で凄まじい状態だが、ビューレンズはバレルごとなんとか使えそうなのでこれもオーダーした。ミイラ取りが次々ミイラになっていく感があるが、さすがにこのミイラは蘇りそうもない。こういうミイラ探しにのめり込む自分が少し怖くなる。

(おわり)

posted by ihagee at 02:40| Voigtländer Superb

2017年03月27日

インド映画考 – その9(ヒンディ語映画・”ダビング“)


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「ダビング」(dubbing)とはビデオテープ、オーディオテープなどの記録内容を複製するという和製英語である(その意味に相当する英語は”copy“)。

「ダビング」(dubbing)の本来の英語の意味は、映画やテレビドラマ等で撮影後に音だけを別途録音すること(和製英語の「アフレコ」に相当)。ヒンディ語映画を含むインド映画において、この意味の「ダビング」はその制作段階で重要な要素となっている。

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前回、撮影に入る前段階(pre-production phase)について触れた。今回は制作段階(production phase)での「ダビング」(dubbing)について以下、具体的に触れてみたい。(以下内容の出典:Tajaswini Ganti著 “BOLLYWOOD a guidebook to popular Hindi cinema”, 出版社:Routledge, London)


一旦、撮影に入ると(制作段階(production phase))コンスタントにスケジュールが進まないのがヒンディ映画の特徴でもある。つまり、継続したスケジュールで映画が完成するのではなく、切れ切れに撮影するので完成までに長い時間がかかるのが通常のようだ。プロデューサーは映画制作に必要な費用を全て初めから準備するようなことはしないので、クランクインからクランクアップまで一気に数週間で済ませるよりも、二日から二週間程度の小口のスケジュールを数か月又は数年のスパンに亘って断続的に積み重ねて制作することがヒンディ映画の特徴となっている。その過程でプロデューサーは資金を調達しようとするからである。そのため、クランクインから劇場公開まで数年かかるのが普通となっている。ボンベイの映画産業において、1年以内に映画を仕上げることは迅速且つ効率的とみなされるが、最初から大きな予算がついた作品であればその期間はおよそ15-20か月である。

断続的且つ断片的な制作過程ゆえに、俳優たちは前もってリハーサルをせず現場のセットで通常セリフを記憶するので、膨大な時間がライティングに使われることになる。歌の場面を撮影しようとすると、セット上で俳優たちはダンスのステップを学び、その場で音楽を何度か繰り返して聴くと、事前に歌を知らなくとも歌詞に合わせて口元をシンクロ(クチパク)させることができる。撮影前のリハーサルは稀で、あるとしてもそれは俳優のためではなく、ミュージカルナンバーに手を入れるためとか、コーラスダンサーのためである。映画の生フィルムは輸入に頼り映画の予算の約10%を占めるほど高価なので、ボンベイの映画制作者は撮り直しや余分な撮影が多くなることを望まない。

音声を同時録りしないことが、この制作段階の顕著な特徴の一つである。これは映画制作者の多くが同時録音機能のない古いタイプのカメラを使っていることと、カメラのノイズがあるので、後々の編集の便宜の為に俳優の声の部分だけはセット上で別録りする必要があるからだ。つまり、セリフから音楽そして効果音まで、ヒンディ語映画の音声の全ては後段階(post-production phase)で加えられる。撮影と編集が済むと特別なダビングスタジオで俳優たちがスクリーンに映し出された演技を見ながらアフレコを行う。その際、スクリーン上の唇の動きに合わせてセリフを載せる作業を繰り返すのである。このアフレコは共演者を介在させずに俳優が一人ずつ行う。台本で作業を行わず耳と記憶力に頼って映像の口元からセリフを読み取ってアフレコを行うのである。助監督の一人は通常この過程の監督責任を負っており、発音、文法並びに語順が正しいかをチェックする。ダビングに要する時間は俳優の経験値に反比例し、経験豊かなベテラン俳優であればダビングを数日で終えることができる。

ダビングの利点の一つとして、ヒンディ語を話せない俳優であってもプロのダビング・アーティストやヒンディ語の声優によってアテレコが可能なので、ボンベイの映画制作者はそんな彼らであってもキャストすることができる点がある。ヒンディ語映画の俳優がインドの他言語の映画に出演する場合には、この逆が当てはまる。無論、撮影の最中は、追ってアフレコすることを想定して俳優は唇の動きに注意を払わなくてはならない。撮影現場で監督やプロデューサーがプロンプターにセリフを言わせ俳優には声を出させずクチパクで演技させる場合もあるが、これは俳優にとって時に侮辱と受け取られることである。

一般的なインド映画では、セリフの声、歌声とスクリーン上の俳優は3つの別々の実体である。2000年以降、撮影と同時に音録を行ったヒンディ語映画が登場し始める。ダビング(アフレコ)の過程で撮影時と全く同じテンションや自発性を再現することは難しいとして、このやり方は理に適っていると主張する俳優も現れ出した。しかし、大多数の映画制作者たちにとって、上述のダビングの利点から、同時音録は現実的ではないと受け止められているようだ。防音(余計な音が入り込まない)撮影環境は今のところ存在しないので、同時音録を採用すると、撮り直しや生フィルムをその分余計に使うとことになりかねない。

ヒンディ語映画は制作本数の高さを誇り、視覚的効果に凝った作品が多いこともなって、制作条件は驚くほどシンプルで最小限のテクノロジーを用いてきた。1998-9年頃まで、原則的にヒンディ語映画は一台のカメラユニットだけで撮影され、映画制作者たちはビデオモニターを用いてこなかった。クレーンやドリーといった撮影装置は人力で動かされ、クラップボードは電子化されておらず、チョークの手書きだった。ライティングには黒い紙と白い発泡スチロールの板が用いられてきたが、この1998-9年辺りから、コンピュータ上のデジタル編集が始まる。

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歌声とスクリーン上の俳優を一体化する為の技術として「プレイバックシンギング」が登場したのは1935年と言われている(1931年、ヒンディ語映画では最初のトーキー作品 “Alam Ara”が上映され、同年『マダムと女房』(松竹キネマ製作、五所平之助監督、田中絹代主演)が本邦初の本格的なトーキー作品とされる)。すなわち、事前に録音しておいた歌声の歌詞に合わせて俳優がクチパクで演技をする技術である。俳優たちは自ら歌う必要がなくなり、歌場面の視覚化は絵と音を同時に記録する必要がなくなった。インドの映画制作に革命をもたらした技術である。


(1931年 "Alam Ara”)


(1931年 "マダムと女房”)

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このインド映画で発明された「プレイバックシンギング」はトーキー映画の大先輩であるハリウッド映画ではなぜか採用されず、カメラや俳優の動きが制約されたようだ。

『撮影時に録音しようとしたとき、様々な難題が発生した。まずカメラそのものが非常にうるさかったので、防音したキャビネットにそれを格納することが多かった。このためカメラを動かせる範囲が非常に限定されることになった。その対策としてカメラを複数台配置して様々な角度から撮影する方式も採用され、カメラマンらは常に特定のショットを得るためにカメラを解放する方法をなんとか生み出していた。また、マイクロフォンに声が届く範囲にいなければならないため、俳優の動きも不自然に制限されることがあった。(wikipediaより)』

その後、ハリウッドではカメラやマイク、録音方式などに技術的改良を加えて、撮影時の録音での様々な難題を解決していったが、インドでは最初から難題は切り分けて「プレイバックシンギング」を含む「ダビング」で対応しようとしたことになる。

ただしハリウッドが解決できなかった難題があった。それは、
『舞台経験のない俳優は突然トーキーに対応できるか否かについて疑問を持たれるようになった。先述したように、訛りがひどい者や容姿と声が合っていない者も無声映画時代にはその欠点を隠せていたが、特に危険な状態に追い込まれた。無声映画の大スターだったノーマ・タルマッジは、そのようにして事実上映画俳優をやめることになった。(wikipediaより)』

この難題すらインド映画では「プレイバックシンギング」と「アテレコ」で解決してきたのである。

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「プレイバックシンギング」によって歌が先に録音されるので、映画の封切りの前に歌を以て映画の宣伝ができるという利点もある。「プレイバックシンギング」はまたたく間に映画制作に侵透し、1940年代までに、ボンベイの映画産業では分業化が進み、その中で銀幕の全てのスターに代わって歌声を提供する一握りの歌い手たちが「プレイバックシンガー」なる肩書きで脚光を浴び始めた。四半世紀に亘って、男声歌手ではMukesh, Mohammad Rafi並びにKishore Kumar、そして女声歌手ではLata MangeshkarとAsha Bhonsleがヒンディ語映画(1950後半-1980年代前半)におけるプレイバックシンガーのトップの座に君臨した。

MukeshといえばRaji Kapoorのプレイバックシンガー。ソ連邦に招かれたRaj KumarがMukeshを紹介する貴重なビデオがあるが、分身としての彼の存在を伝えようとしているのがわかる。

(1967年モスクワ・Raji Kapoor(ラージ・カプール)とMukesh(ムケシュ))

Lata Mangeshkarの声の美しさと感性の機微は日本人の心に通じるところがある。

(1966年映画 "Anupama"から、主演:Dharmendra(ダーメンドラ)、Sharmila Tagore(シャーミラ・タゴール、プレイバックシンガー:Lata Mangeshkar(ラタ・マンゲシュカル))

Kishore Kumarは大俳優であるAshok Kumarの息子であり自身俳優である。音痴ゆえにクチパクで懸命に歌うフリをするSunil Duttの背中に隠れてその二役をコミカルに演じた作品(Padosan)は「プレイバックシンギング」がまさにストーリーの肝になっている。

(1968年映画 "Padosan"から、主演: Sunil Dutt(スニル・ダット)、Saira Banu(サイラ・バヌー)、Kishore Kumar(キショール・クマール)、Mahmood(マフムード))

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次回からは俳優編。1950-1980前半迄の間に活躍した銀幕の人々について綴ってみたい。

(つづく)

posted by ihagee at 17:51| インド映画

2017年03月24日

Voigtländer Superb 顛末記 - その4


Voigtländer Superbが復活し、Kodak Tri-X 400を詰めて今日仕事帰りに四谷付近を撮影してみた。フィルムの巻き上げレバーの感触の良さに驚く。微妙な幅のフィルム送りもレバーの方が確実だとわかる。ローライの巻いて戻すクランクやフレクサレットのぐるりと巻くノブダイヤルより数段操作性が良い。もちろんセルフコッキングではないので、巻き忘れると二重露光になるが、撮影したらすぐに巻く習慣をつければ済むこと。セコニックのStudio Deluxe IIを携行したが、夕陽の強さに針が元気よく振れてまさに春来たりである。

ミラーもスクリーンも交換しただけのことはあってファインダーの視認性は抜群に良い。

近くにかの有名なアローカメラがあるのでちょっと立ち寄って物色。店内はアナログカメラの機械油ともつかない独特の匂いに満ちて聖地。店主にちょっとだけSuperbをお披露目した。

丸ノ内線四谷三丁目の降り口にSuperbを立たせてデジカメで撮影。

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テスト撮影の結果は後日ブログにて紹介したい。

(おわり)

追記:
ホームセンターで小引き出し用のつまみ(ニッケル製)を購入し、ピントタブの指掛りにビス留めしてみた。操作性は良くなったがフード共々かなりスパルタンなイメージとなった。次の撮影で操作感を試して元に戻すか決めたい。

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posted by ihagee at 21:13| Voigtländer Superb