2019年12月08日

乗りものならぬ「乗りものニュース」



Yahoo! JAPAN ニュースで近頃目にすることが多くなった乗りもの関係の記事。

株式会社メディア・ヴァーグ が配信する「乗りものニュース」記事もその一つだ。

日常的に触れている『乗りもの』に関するニュースを、わかりやすくお届けします。”

”電車や航空機、バス、船、ミリタリー、道路…。多くの人が日常的に触れている乗りもの。私たちが運営しているのは、そんな普段使っている「乗りもの」がもっと便利で楽しくなるサイト『乗りものニュース』。交通インフラを利用する数多くのユーザーへ向けて、ニュースなどを配信しているサイトです。 ジャンルも幅広く、月間のPV数は3000万以上におよびます。”(株式会社メディア・ヴァーグ )


(同社記事中写真引用)

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”乗り物(のりもの、英: vehicle)とは、人を乗せて移動するもの。馬車、籠、汽車、電車、自動車、船、飛行機、人力車 等々の総称。語としては「乗り物」で交通機関を指すことも。” (wikipedia)

日常的に触れている” は言うまでもなく、日常の移動手段たる「乗り物」でありそのための運輸・通信施設である「交通機関」のことである。

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”「鉄道」「航空」「ミリタリー」「道路」「バス」など乗りもの全般に関わります。「戦車や航空機が好き」という方や、「鉄道が好きで、旅行時の列車移動が楽しみ」という方はぜひご応募ください!” (株式会社メディア・ヴァーグの転職・求人情報

その「乗りものニュース」には ”ミリタリー”のジャンルで多くの記事が掲載されている。


(同社記事中写真引用)

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ミリタリー”は言うまでもなく日常の移動手段たる「乗り物」や、そのための運輸・通信施設である「交通機関」ではない。

”戦争において使用する全ての車両、航空機、船舶、設備などの事を指し、敵となった目標を殺傷、破壊するためや、敵の攻撃から防御するための機械装置である”(wikipedia)であるところの「兵器」だ。

「兵器」と日常の移動手段たる「乗り物」は全く異なるカテゴリーであるばかりか、日常生活空間とは異にする複数の集団の間で物理的暴力行使をする空間に於いての "車両、航空機、船舶、設備" である。

日常的に触れている” か否かは、"物理的暴力行使をする空間" が日常化しているか否かに係っている。

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乗りものならぬ「兵器」を、サラッと「乗りものニュース」で”日常的に触れている『乗りもの』に包括しさらに「戦車や・・好き」と好奇心だけで読者(特に若者)を呼び込む。

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”「ある軍事評論家は言った。米軍はテロリストがいる場所だけをピンポイントで爆撃し、『人道的な戦い方だ』と。そう考えるなら、爆撃の下に立ってみなさい、と言いたい。爆撃で死んだのは女性や子ども、お年寄りといった罪のない人ばかりだ」・・・「大きな曲がり角。戦争を身をもって知らない世代ばかり。私もアフガンを通して戦争のなんたるかを知った。安倍さんの描く戦争の状態は現実離れしたゲームのようにしか見えない」” (「現実離れした戦争」中村哲氏)

戦車や・・好き」などと大人が好奇心しかなければ、ピンポイント爆撃だから『人道的な戦い方だ』などとゲーム感覚で納得肯定し、罪のない人々が現実には殺されていようがそれを知ることもなく、「戦車や・・好き」とその子供たちにまで言わしめる。

「戦争のなんたるか」を一つとして知らしめない単なる「面白ずく」の記事が「乗りものニュース」では ”ミリタリー”のジャンルで掲載されている。

ただ「面白ければ良い」が昨今流行りのメディアのあり方なのだろうか?

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”群馬県の伊香保おもちゃと人形自動車博物館(吉岡町上野田、横田正弘館長)は、実物大の戦車などの軍事品の模型を展示する「ミリタリーゾーン」を開設した。・・横田館長は「『実物大戦車の模型を置いてほしい』というファンの期待に応えた」と新ゾーン開設の狙いを説明。戦車の走行用ベルトなど細部にまでこだわったといい、「幼少期に戦闘機や戦車といったプラモデルを作った男性ら幅広い世代に楽しんでもらいたい」と話した。”(上毛新聞記事 [2019/12/07]引用)

伊香保おもちゃと人形自動車博物館は何度か訪れた場所である。

”幼少期に戦闘機や戦車といったプラモデルを作った” 、は私も同じ。しかし、大人になって「やめた」。戦中世代の父の遺稿を整理しながら「戦争のなんたるか」を少しは考えるようになったからかもしれない。そのような考えのきっかけとするならともかく、「幅広い世代に楽しんでもらいたい」とはどういうことだろうか?

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米国スミソニアン航空宇宙博物館の関連施設には、広島に原爆を投下した米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」がピカピカに磨き上げれて飾られている。20万人の命を奪った兵器である。同様に長崎に原爆を投下したB29「ボックスカー」は中西部オハイオ州の博物館に展示されているそうだ。展示されている「エノラ・ゲイ」に、原爆被害や歴史的背景は一切説明されていない。

それら兵器を、我々は嬉々として観に行くだろうか?

原爆投下に使用された兵器には「戦争の何たるか」をわれわれは重ね見るが、


(長崎原爆後の写真「焼き場に立つ少年」・朝日新聞DIGITAL [2018/01/02]記事中写真引用)

「ミリタリー」記事や、模型であろうと実寸大の戦車には「戦争の何たるか」を全く覚えず、”日常的に触れている『乗りもの』に繰り込んでしまう我々。旭日旗に「戦争の何たるか」を全く覚えないことと同じ(拙稿「旭日旗考」)。軍事戦勝旗を歴史上一義として意味する旭日旗を「人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励する(オリンピック憲章)」ことを目的とするオリンピックの競技施設に持ち込むことも是とする空気がこの国を支配しつつある。

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”「えっ、兵器がずらり」―。自衛隊の戦車や戦闘機などの写真を掲載した幼児向け知育図鑑『はじめてのはたらくくるま 英語つき』について、大手出版社・講談社の子会社「講談社ビーシー」は2日までに「適切な表現や情報ではない箇所があった」として今後増刷しないとしました。



この本をめぐっては、児童文学関係者や新日本婦人の会などが同社に懸念を伝えていました。・・・こうした内容に、日本子どもの本研究会や親子読書地域文庫全国連絡会、日本児童文学者協会が、幼児向けの本であることを念頭に「戦争に使う乗り物を普通の車と同列にとらえられることに大きな不安」などと意見を表明していました。」”
(「幼児向け図鑑「はたらくくるま」しんぶん赤旗電子版記事 [2019/08/03]引用)

街で見かける「働く車たち」の括りであるところなどは、「乗りものニュース」の ”日常的に触れている『乗りもの』にミリタリーを括ることと同じ。

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乗りものならぬ「乗りものニュース」やプラモデルの延長でしか軍事品をみない、そして「戦争のなんたるか」を一つとして知らしめない単なる「面白ずく」の内に「爆撃で死んだのは女性や子ども、お年寄りといった罪のない人」に心を至らせることもできず「ゲームのようにしか見えない(中村哲氏)」「幅広い世代」。

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間違っていないか?とその「幅広い世代」に問いたい。

「大事なのは、人間の犠牲を減らすための外交努力です。自分が殺されるのは嫌いだから、相手も殺さない。これが普通の感覚じゃないですか。」(中村哲氏)

その努力を自ら実践し将来世代に託すべきがわれわれ大人の役目である。中村哲氏が示したように。それが憲法にある平和主義の実践である(平和主義を題目のように唱えるだけではなく行動=水路建設(中村哲氏)、を以って実践すること)。戦争で戦うが普通の国の武力主義なら、戦争に命がけで戦うが日本国に課せられた平和主義の実践である。後者がいかに大変なことか、しかし人としていかに偉大なことかは中村哲氏が教えてくれる。

ところが、その平和主義と真逆の「積極的平和主義」なる造語で隠した武力主義に日本は傾斜している。紛争地での自衛隊の民事支援をマスコミは大書報道するが、軍事を有利に進めるための作戦の一つでしかなく(民事作戦)所詮武力主義の言い訳と軍需産業輸出の目隠しに他ならない。井戸掘り一つ、自衛隊と中村哲氏ではその目指すものが異なる。

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「いかにしたらこの世から戦争をなくすことができるか?」とは正反対の方向に進んではいまいか?


(【昭和10年から15年頃の「子供の科学」】夢の図書館から画像引用:「昭和6年の満州事変から昭和12年の日中戦争開戦へと戦争への道を突き進んだ日本の姿があります。」)

その先は戦争への道。大人たちの無責任無思考な「面白ずく」は安倍政権の「積極的平和主義」の背中を押し、子供たちにその道を展く。

(おわり)


posted by ihagee at 09:13| 政治

2019年12月05日

アマンとマハトマ(平和と偉大な魂)/ 続き




ペシャワール会中村哲医師の訃報。

「アマン(平和)」を希求し実践し、戦争に戦うがゆえの最期だった(拙稿「アマンとマハトマ(平和と偉大な魂)」)。

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”これはもう、一つの戦いでありましょう。皆を突き動かしているのは「平和な生活」です。”

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“日本政府が経済進出をもくろんで、数千億円だったかの資金をつぎ込み、しかも憲法に違反する自衛隊まで派遣して、やっている現地開拓事業は一向に効果をあげえず、逆に中村さんたちがカンパを元手に細々とやっているボランティア活動での水路開拓(周囲には日本の伝統にならって、柳の木を植えているとか)はすごい成果をあげているということ。このアフガニスタン内部の紛争の原因は、国内に蔓延する貧困にあるという考えからこういう活動をやっているということ、それ故、タリバンだろうと政府軍兵士だろうと、誰でも負傷者は受け入れて治療しているし、そのままそこにいついて共同で働くことも承認しているとのこと、等々。こういう報告をスライドで映写しながら淡々と報告されていた。ささやかだが、当日の参加費、カンパなどは全て中村さん経由でペシャワール会に差し上げた。確か、50万円は超えていたように記憶している。その後、生方先生から中村さんが大変喜んでいたという報告を受けた。中村さんは、アフガニスタンでこういうこと(ご自分が死傷する)が起きうるということを最初から覚悟しておられたようだった。たとえ、自分が襲われても、決してこちらから反撃はしないと言われていたようだ。”(「中村哲(ペシャワール会)医師の訃報に接して」ちきゅう座会員合澤清氏記事から引用)

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敵味方を峻別し、武器を以て「殺す」こと(先制攻撃も含め)が前提の覇権主義に日本政府は憲法を勝手に解釈し、数千億の資金をつぎ込み傾斜する。「蹶然起て」と敵愾心を煽り、独立解放の美辞美名の下、軍事・経済派遣を進めた嘗ての「アジア幻想」の再現ともなり兼ねない。

片や、市民からの幾ばくかの浄財に心から感謝し、敵味方なく傷ついた者を助け、たとえ「自分が襲われても、決してこちらから反撃はしない」と、命を賭して「アマン(平和)」を希求し実践した中村医師。頭の中だけの美学ではない「実践」はそうそう誰にもできることではない。「決してこちらから反撃はしない」は、即ち、一方的に死を覚悟しなければならないからだ。それも平和の為に。

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“「この戦争は間違っているとうすうすながら分かっていたにもかかわらず、沈黙して特攻隊員にまでなった。死ぬ覚悟をしてるのに、なぜ死ぬ覚悟でこの戦争に反対しなかったのか。時代に迎合してしまった。私のまねをしちゃいけないよ、と今の若い人に伝えたい」”(「元特攻90代兄弟の証言」)

死ぬ覚悟で戦争で戦う(武力主義)のではなく、死ぬ覚悟で戦争に戦うことを(平和主義)、この兄弟は伝えようとしている。憲法に謳う平和主義とはそういうことである。

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「その仕事は偉大な人のものとなることであると信じています。(映画「アマン」でのバートランド・ラッセル卿)」

死ぬ覚悟で戦争に戦うかに、平和な生活を求めて紛争の元となる貧困を解消すべく、中村医師は水路開拓事業を率先実践した。

中村医師は「人たる」仕事を為した。これは、日本人としてではない、アジア人としてでもない、「人として」偉大なのである。

今の若い人には、「人として」偉大な人、そういう人を志して欲しい

(おわり)


posted by ihagee at 17:57| 日記

2019年12月02日

アマンとマハトマ(平和と偉大な魂)



場所はビルマのラングーン(現:ミャンマーのヤンゴン)。同地を支配している英軍が日本軍の空からの奇襲に遭っている。逃げ惑う多くの民衆の中にガウタム一家がいた。至るところで爆弾が炸裂しガウタム少年の母親が犠牲になった。残された少年と父はやり場のない悲しみと怒りの眼差しを夜空に向けている。

戦争が終わり、父子は遺影を抱いて母国に戻った。ガウタム青年は英国に渡り研学に励み医師の資格を得る。広島・長崎の被爆者に今こそ援助の手を差し向けるべきとの念に駆られる。そして、敬愛する一人の老人の元を訪ねた。

「私の祝福は君と共にあります。君の抱えている問題は全世界の問題です。君の行おうとしていることが成功することを願っています。君の考えに感謝すると共に、その仕事は偉大な人のものとなることであると信じています。あなたのしようとしていることを世界中の全ての国が見るでしょう。そして手を差し伸べるに違いありません。」

信念を新たにしたガウタムは父の待つインドに戻る。母親の遺影の前でガウタムはその堅い決意を父に伝えるが反対される。数日後、父親は考えを改め、日本行きの航空券を息子に手渡した。

高度経済成長只中の日本。赴任した病院のベッドに原爆症に苦しむ人々が横たわっていた。患者を診て回る。火傷の跡が酷い者の中に、一人外見は何ら変わりがないヒロコという女性がいた。血液のガンで自暴自棄となっていたヒロコの手を青年はしっかり握った。

この病院の設立者アキラには娘がいた。インドで教育を受けヒンディ語が達者な彼女はミロダという。ミロダはガウタムに好意を寄せるが仕事に一途なガウタムはそれを感じ取れずにいる。

ガウタムにだけ気を許しその下で治療を受けるようになったヒロコだが、ガウタム以外の医師に対しては反抗した。そして、或る日、ベッドに押さえつけて治療を施そうとする医師たちの手を振り払って、手術室に逃げ込みそこで自殺してしまう。ガウタムは自らの無力を嘆いた。

やがて、ガウタムは放射線治療の画期的方法を見つける。

軌を一にするかに、太平洋のとある環礁で仏軍が大気圏核実験を行った。日本の漁船が巻き添えになりガウタムは周囲の反対を押し切り船を仕立て、救助に赴く。核の雨が降る下をずぶ濡れになりながら漁民を救助したものの被曝してしまう。自ら発見した方法を施術しようとするがその途中、突如視力を失い病院のベッドに自ら横たわる身になった。目の見えぬガウタムの指を借りミロダは額にシンドゥールを付け契りを交わしガウタムはやがて息を引き取る。その遺骸はミロダに付き添われ母国に戻る。英雄と迎える者たち、「不道徳者!」とその遺骸に鼓を鳴らして攻める者たち、そのいずれも遠ざけるようにガウタムの父はミロダを祝福し、息子の額にそっと口付けをした。遺骸は荼毘に付される。



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1967年製作のヒンディ映画「アマン(平和)」のあらすじである。
ガウタム医師役Rajendra Kumar、その父親役Balraj Sahni、日本人のミロダ役Saira Banuで、英国、インド、日本で撮影されたこの映画。ガウタムの決意を祝福する老人は、哲学者バートランド・ラッセル卿(Bertrand Russell)本人である(出演当時95歳)。映画の中の言葉(上述)はヒンディ語のナレーションが被って聞き取りづらい部分のラッセル卿の言葉である。

My blessings are with you, this problem, is a problem of the entire world. I hope that you will be successful in this mission. I appreciate your thoughts, and believe that your work is that of a great man, and I hope all the countries in the world will see your challenging work and support you.

ラッセル卿については、本ブログでも別に記事を掲載している(『「'ヒト'という'種'の一員として」の戦争放棄(憲法第9条)』)。最晩年に至るまで非核平和を自ら世界に発信していたが、それが時にビートルズに語ったり、時に上述のような映画出演ともなったようだ。「アマン」でのラッセル卿のシーンはそれ自体がカメオ(名場面)としてインド映画史に刻まれていると聞く。その相手となるガウタム医師役はRajendra Kumarだが、Kumarは私生活に於いても清廉を貫きヒューマニストとして夙に知られていた名優である。

平和を希求し言葉だけでなく実践する者こそ「その仕事は偉大な人のもの」と、ガウタム医師に照らすのは非暴力主義に徹したマハトマ・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)であることに疑いはない。「マハートマー(महात्मा)」とは「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖タゴールから贈られたとされるガンディーの尊称である。

「アマン」を元に以下考察を行った。いささか長文となるがご勘弁。

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「アジア最初のノーベル賞受賞者は誰?」

1913年、文学賞受賞者 ラビンドラナート・タゴール(Rabindranath Tagore)と答えられる人は少ないだろう。ガンディーに「偉大なる魂」という尊称を与えたのはこの詩聖タゴールである。「物理学賞の湯川秀樹博士(1949年)に決まっている」などと、ナショナリズムに凝り固まり、何事も「日本国って素晴らしい・日本人って凄い」と一部自慢をする向きに、アジア人としての意識を促す質問でもある。モンゴロイドの血族だけがアジア人ではないのである。

映画「アマン」では、アキラの屋敷の壁にタゴールの肖像画が飾られているシーンがある。

そのタゴールと生涯交流を持った日本人がいた。詩人ヨネ・ノグチこと野口米次郎である(彫刻家イサム・ノグチの実父)。その野口もタゴールと並んで米国で最初に作品が紹介されたアジア人詩人である(1924年「ニュー・ポエトリー(The New Poetry)」に英文詩が掲載)。

しかし、両者は思想面では時として激しく対立した(侵略戦争観)。野口や、その当時の日本国・日本人一般が描いていた「大東亜共栄圏」なるアジア主義と軍事派遣主義(アジアの平和を西洋文明の暴力から守るための戦争)について、タゴールは単なる侵略戦争に過ぎないと一蹴した。

1935 年 12 月にガンディーと会見した野口は、次のように言われる。
「私の日本人へのメッセージは、詩人タゴール博士からあなたがたが受け取ったものに含まれている。彼のメッセージには、私たちが与えることのできるあらゆるメッセージが含まれている。」

しかし、野口はそのメッセージを理解することができなかったのだろう。
「その言葉の意味が私に明瞭でなかったが、恐らく彼はタゴールが常に抱いている日本の物質主義への反対を意味したのであろう。」『印度は語る』1936 年(野口米次郎)

「それから印度を考えて見るに、印度の独立を論ずるのは単に彼地に於ける少数の理想家の夢とばかり結論することが出来ぬ、英国の軍事上又政事上の圧迫は来る幾年かの間も依然として経続するであろうが、いつかは印度人が自覚してその自覚を体現するに至るであろう。今回の大戦争が印度にも波及せしめた民主主義が之の自覚を早めたと思われる実際の証拠もある。してこの印度も支那同様、日本の覇権を認めて共に東亜の一部分となって欧羅巴に対抗するに至るであろう。ずっとこの予想を更に拡めて、波斯その他の小国もその手に入れることも出来そうである。(慶大教授 野口米次郎「猶太国の建設」大阪毎日新聞 1918.7.17-1918.7.21から)

野口にとって、「彼地に於ける少数の理想家の夢」がガンディーであり、タゴールであり、「日本の覇権を認めて共に東亜の一部分となって欧羅巴に対抗する」印度志士が、スバス・チャンドラ・ボース(Subhas Chandra Bose)であった。

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私の母方の祖父は太平洋戦争中、内地で軍需産業(写真フィルム・乾板製造)に密接に関わっていた関係もあり、「大東亜共栄圏」の正当性と共に「インド解放の志士」チャンドラ・ボースについて、少年だった私にじゅんじゅんと説いたものだった。その正当たる所以は「日本はアジアを開放し、アジアの諸民族から感謝されている」などと、時折中村屋の話(新宿中村屋で本人を目にした等)が混ざっていたので、もしかすると、チャンドラではなく別人のラース・ビハーリー(Rash Behari Bose、中村屋のボース・インドカレーの父)のことだったのかもしれない。

その中村屋のボースは「自由インド仮政府」のオブザーバーとなって、英国植民地からの解放をスローガンとしインド進攻のための仮政府本部を当時日本の占領下にあったビルマのラングーンに移転させた。すなわち、映画「アマン」の最初のシーンに関わってくるのである。チャンドラと同じく「日本の覇権を認める」印度志士であった。

目下ビルマ作戦に敗れた英国軍はインドに飛行基地を置いて蠢動し、ラングーン市その他を盲爆、無辜のビルマ人、インド人を苦しめつつあり、これに対し日本はインドに対する無差別爆撃を厳に戒めているが、これはインド人の惨禍を避けている結果にほかならない、また地上部隊の進攻についても日本軍は一挙全インドの戡定をなすは易いけれどもそのインド人に対する戦禍の如何に惨憺たるべきかを憂え差控えているにすぎない、この際全インド人はよく事態を認識し機会を失うことなく蹶然起ってその民族の宿敵である英軍を自身の手により全インドより駆逐すべきであると考える(「民族的栄誉担わん・インド人も蹶然起て(飯田最高指揮官)大阪毎日新聞 1942.8.2 (昭和17)」”

だがもっと重要なことは、ラングーン市民がうけた爆撃の被害であった。爆撃の結果は壊滅的だった。火災が全市をおおい、数千人の市民が死傷し、多くの海岸倉庫が破壊された。イギリスの志願兵たちは、爆撃のあと片づけを能率よく行い、負傷者の面倒をみたが、ビルマ人やインド人労務者が田舎に逃げだすのを、阻止することはできなかった。(「孤軍奮闘! ビルマの戦い」から)

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「愛国者は常に祖国のために死ぬことを口にするが、祖国のために殺すことについては決して語らない(バートランド・ラッセル卿)」

「目下ビルマ作戦に敗れた英国軍はインドに飛行基地を置いて蠢動し、ラングーン市その他を盲爆、無辜のビルマ人、インド人を苦しめつつあり(飯田最高指揮官)」と新聞記事にあっても、その実際の仕業は、英国軍ではなく日本軍であったことを史実は示している。


(ラングーン爆撃 陸軍第3飛行集団と爆撃機87機で実施された最初の空襲「ビルマ作戦(援蒋ルートの遮断)」より引用)

映画「アマン」に於いても、「祖国(インド)のために殺す」とインド国軍と協働した日本軍の爆撃で殺されたのがガウタムの母親ということになっている。その一家の祖国はインドであっても。

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マハトマ・ガンディーは1942年に「すべての日本の人々へ」と題する手紙を記している。その訳文がネットで公開されているので以下一節を引用させていただく。

“あなた方の主張とあなた方の容赦ない中国への攻撃に、整合性はありません。あなた方が「インドから歓迎をもって迎え入れられる」などという悲しい幻想に惑わされ、過ちを犯さないようにお願いしたいのです。”

1935 年 12 月、ガンディーが野口米次郎に託したメッセージの内容とは即ちこの「アジア幻想」である。そして、その幻想の果てがインパールだった。

“英国領インド帝国北東部の都市であるインパール攻略は、作戦に参加した殆どの日本兵が死亡したため(公称7万2,000人)、現在では『史上最悪の作戦』と言われている。・・・インパールでは当時の戦闘を「日本戦争」と呼んでおり、巻き込まれて死亡した住民が237人いる(wikipedia)”

1947年8月15日、ジャワハルラール・ネルー(Jawaharlal Nehru)は英国からのインド独立を宣言した。「あなた方」ではなく、インド人自身の手による「運動」で勝ち得た独立である。

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そのインパールを安倍晋三内閣総理大臣が今月訪問する。

237人の無辜のインド市民ではなく、7万2,000人の「あなた方」を悼み、「インドから歓迎をもって迎え入れられ(たに相違ない)」などとインパールの地で思いを新たにするのであろうか?「アジア幻想」を追い求め「積極的平和主義」なる造語を以て、武力(積極的)覇権を正当化しようとする先に再び第二のインパールが現れない保証はない。

「その仕事は偉大な人のものとなることであると信じています。(映画「アマン」でのバートランド・ラッセル卿)」

偉大な魂「マハートマー(महात्मा)」は「アマン(平和)」を希求し実践する者にだけ与えられる尊称である。それがガウタム医師に照らすガンディーである。

戦後、日本国は憲法で平和主義を謳っているにも関わらず、「アマン(平和)」を希求し実践することを「少数の理想家の夢(野口)」と言わんばかりに軽んじ、戦争に戦うことから戦争で戦う国に変えてしまった安倍晋三氏に、インド人にとっての「偉大な魂」とは何か全く理解することはできないだろう。「彼地に於ける少数の理想家の夢(野口米次郎)」は幻想でなく現実となった。翻って武力覇権主義に拠った「アジア幻想」こそ夢まぼろしとなったことを我々は忘れてはならない。

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余談:
1.ジャワハルラール・ネルー(Jawaharlal Nehru)の名著「父が子に語る世界歴史」(みすず書房)の訳者、大山聰氏(元成城大文芸学部教授、東京都立大名誉教授、ドイツ文学)は私の恩師。ご自身、ドイツ文学者でありながら、英語の長大な原著を翻訳された。大山先生は同じくドイツ文学者の登張正美先生とは学生時代(東大)からの盟友で、お二人から等しくドイツ語を教わったことは今でも私にとって得難い経験となっている。大山先生はおっとりと柔和な授業で、音吐朗々威厳に満ちた登張先生の授業とは好対照でもあった。登張正美先生のお父上、登張竹風氏の編纂した赤い表紙のドイツ語辞典は母方の祖父の遺品である。戦前のドイツ文字(フラクトゥール)で実用に供することはなく、書棚の奥で今は眠っている。

2.  ラビンドラナート・タゴールの遠戚にボリウッド映画の名女優シャルミラ・タゴール(Sharmila Tagore)がいる。ワヒーダ・レーマン(Waheeda Rehman)と共に、私の好きな1960-70年代の女優である。Rajendra Kumarとも数本共演の映画があるが、最も共演しているのはRajesh Khannaだろう。唇の端を僅かに引いて微笑む表情やら、何気ない仕草に情感が溢れていた。その娘も同じく女優として活躍している。

3. 映画「アマン」で日本人のミロダ役を演じたサイラ・バヌ(Saira Banu)は幼少期ロンドンで育った為か、その役柄も西欧文明に毒された女性がやがてインド人としてのアイデンティティを取り戻すという類の映画が多かった。美貌に恵まれツンとお高くとまっていながら、トンマなドジを踏むというコメディ場面はいつ観ても楽しい。バヌの夫は伝説の名優Dilip Kumarである(97才で存命)。

(おわり)

posted by ihagee at 18:56| インド映画